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【カナン再生記】すべてが砂に埋もれぬうちに

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【カナン再生記】すべてが砂に埋もれぬうちに

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 生命の水
 
 
 
 水は生命維持のみならず、生活の各場面でどうしても必要となるものだ。
 飲料水や調理にはもちろんのこと、洗濯するにも掃除するにも必要だし、清潔の為に手を洗うのも身を清めるのも、水がなければ始まらない。畑の作物を育てるにも、砂埃をしずめるにもとにかく水、水、水、だ。
「井戸が埋まりかかってるんだったら、新しく掘ってみたらどうかな?」
 そうすれば水を運ぶにも便利だとエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は考えだ。
 ネルガルの影響で、地表で水を確保することが難しくなってきているだろうけれど、地中水源なら話は別なのではないだろうか。いくら表面が砂で覆われても、地中深くには水がたたえられているに違いない。
「それいいねー。オイラちょっと話を聞いてくるよ」
 水源のヒントでも聞けないかと、クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)は町のお年寄りに話を聞きに行った。
「この辺りはどうやって井戸を掘っているのだろうね?」
「ではそれは私が聞いてきましょう」
 地元で取られている方法が理に適っているはずだとメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)が言うと、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)は町の人に井戸を掘る手順・工法を尋ねにいった。
「これから町の人たちが使っていくものだから、できるだけ地元の人と協力して勧めていきたいな。俺たちが掘って出来上がってさあどうぞ、っていうのより、地元の人が自分たちで井戸を増やしたという達成感を味わってもらった方がずっといいだろうからね」
 共に手を携えて井戸を彫り上げれば、きっとそれが励みにもなるだろうし、町に漂う閉塞感を打破するにも役立つに違いない。
 そう思っていたのだけれど。
 一緒に新しい井戸を作ろう。そう呼びかけると町の人はとんでもないというように首を振った。
 この辺りの井戸は昔ながらの掘り抜き井戸。多くの人手をかけ、何ヶ月もかけて掘っていくものが主流らしい。なので、町にある道具もその為のものしかないのだという。
 若い男たちが戦場に出ている今、ユトには井戸を掘る力などないのだと、井戸を掘る案は町の人に一蹴されてしまった。
 便利な道具でもあれば別だけれど、エースたちにはその準備が無かった。といって、この町の為だけに長い期間留まって井戸掘りをするわけにもいかない
 打ち抜き井戸ならば、そこまでの苦労もなく掘ることが出来そうなのだが、ユトの町ではそのための道具もない。せめて塩ビパイプとゴムシートでもあれば……と思っても、ユトではその代用品となるものを入手するのは困難だ。
「地下に水源が残ってるんだったらいい方法だと思ったんだけどなー」
 井戸を増やすことができれば、砂漠化で一番懸念される水の確保ができるのに、とクマラは残念がった。
「だけど、今のユトだと普段以上に井戸を掘るのは大変そうだ」
 エースは足下の地面を手で軽く掘ってみた。
 分厚く積もった砂はさらさらと軽く掘ることが出来るけれど、掘った端から崩れてくる。かなり砂をどけて、やっと元の地面が見えてくるという状態だ。砂は一度にどっさり降ってくるのではないらしいが、少しずつ、けれど確実に地面を埋め、希望を埋め、カナンを不毛の地へと変えようとしているのだ。
「持ってきた道具だけでは、新しい井戸を掘るのは無理そうですわね。新星本隊が到着するのを待ってから検討した方が良いでしょう」
 フィリシア・レイスリー(ふぃりしあ・れいすりー)もそう判断した。井戸を作るのは不可能ではないけれど、それには十分な準備と道具が必要そうだ。そう言うフィリシアにジェイコブも頷く。
「それなら予定通り、元の井戸の修理と補強にとりかかろう」
 ジェイコブが持ってきたのは、セメントや工事道具一式。フィリシアは井戸用の滑車と丈夫なロープ、分解して持ち運び可能な手押し式のポンプ。井戸に砂が侵入するのを防ぎ、水汲みの労力も軽減しようとしてのことだ。
「それなら俺たちもそっちを手伝おうかな」
「ならば、地元の人にも修理を手伝ってもらうことにしよう。こちらで勝手にやってしまうよりも、その方が良いだろうからね」
 井戸を触られるのは生命線に触れられるも同じ。たとえ修理とて、地元の人の目のあるところでした方が安心してもらえるだろうとのメシエの提案に、エースたちは町の人に井戸修理への立ち会いを兼ねた手伝いを頼みに回った。
「ああイナンナ、ちょうど良いところに来てくれたな」
 そこに通りがかったイナンナを見つけ、ジェイコブは呼び止める。
「頼みたいことがあるんだ。この町の地下を流れる水脈がどうなっているかを、この土地の地祇に尋ねて欲しいんだ。後々井戸を掘るにしても、今の井戸を修理するにしても、根本となる水脈が問題になるだろう。肝心の地下水脈の水量自体が減っているのなら、オレたちでもお手上げだからな」
「この土地の地祇はあたしだよ。うーん……力が随分弱まっちゃってるからはっきりとは分からないけど、地下の水脈は無事だと思うよ」
「カナンの国家神も地祇もイナンナなのか?」
「うん。あたしのカナンのこと、よろしくね」
 驚くジェイコブに屈託無い笑顔を向けると、イナンナは大きな荷物を胸に抱えて、畑の方へと歩いていった。
 
 
 その頃、和原 樹(なぎはら・いつき)たちは広場にあるユトで一番大きな井戸の様子を確認していた。
 雨水が入らないようにと組まれた簡単な屋根の下に石組みの井戸が設置されている。屋根からつるされた釣瓶は、井戸の中ではなく井戸にかぶせた蓋の上に乗せられていた。
「砂が降るようになる前は、蓋なんかしてなかったんだけどねぇ」
 井戸の中に砂が入り込むことに思い当たり、途中から慌てて蓋をしたのだと近所のおかみさんが説明してくれる。
「井戸自体もね、積み増しをしたんだよ。ほらここから石が違うだろう?」
 そう言って示す井筒は、確かに上の石組みがやや歪になっていた。
 砂が降る中で出てきた弊害に、町の人が対応しようとした跡だ。
 その効果もあってか、ユトの井戸はまだ埋まってはおらず、日々の水を町に提供してくれている。だが、どれだけ工夫をこらしても砂は静かにさらさらと井戸に入り込んでしまう。日々砂に浸食されてゆく井戸を見守るのは、さぞ心細いことだろう。
「蓋を取って中を見てもいいかな?」
 樹が言うと、おかみさんは蓋を押さえている石をどけ、井戸の蓋を取ってくれた。
 のぞき込んでみたけれど、暗くて良く見えない。
 試しに釣瓶を下ろしてみると、思ったよりも浅い位置でこつんと底に突きあたった。
「なるほどね……。すぐに埋まりそうってほどじゃないけど、この状態が続くとなると町の人は心配だろうな」
 水はすべての生命線。
 じわじわと井戸を埋めてゆく砂への恐れは町の人の心を疲弊させ、実際以上に危機感を煽る。ちょっとしたきっかけで、水の奪い合いが始まらないとも限らない。
「たまった砂をスコップで取り除くしかなさそうだな。だがまずはこの水か……」
 いざ底の砂を撤去するとなると、井戸の水が邪魔となる。まずは水を排出しなければならないのだが、その行為はユトの人の目にどう映るだろうかとフォルクス・カーネリア(ふぉるくす・かーねりあ)が思案しているところに、エースたちがやってくる。
「井戸は何とかなりそうか?」
「溜まってる砂を出せば問題なく使えそうだよ」
 ただ水をどうしようかと思っている、と樹が説明するとエースは一緒に連れてきていた町の人々を振り返る。
「ごめんだけど、手分けして町を回って、みんなに水を汲みにきてくれるように呼びかけてくれるかな。どのみち井戸の中を触ったらしばらくはきれいな飲み水が手に入らないだろうしね。俺たちがどんどん汲みあげるから、どんどん家に運んで備蓄にしてくれ。空き容器があったら、それにも水を張りたいから持ってきて欲しい」
 町の人々が知らせて回ると、各家からは水瓶やバケツを持った人々がやってきた。
「水汲みも続けてやると体力を使うものだな」
 ヨルム・モリオン(よるむ・もりおん)はそう言いながらも、井戸から水をあげては皆の持ってきた容器を満たしていった。
 水をもらいに来る者の中には子供の姿も多い。
「大丈夫ですか?」
 重いバケツをよちよちと掲げて運ぶのを見かねてセーフェル・ラジエール(せーふぇる・らじえーる)が声をかけると、小さな女の子は力をこめているために真っ赤になっている顔でうんと答えた。
「毎朝の水汲みは私のお仕事なの」
 底をぶつけないようにと懸命に持ち上げて女の子が去っていくのを見送ると、ヨルムはまた次の人に水を配った。
 水をもらい終えた町の人々の姿が井戸の回りからなくなり、予備の容器すべてに水を満たし終えると、残った水をどんどん汲み出す。
 底に下りられるぐらい水を出してしまうと、樹はスコップやバケツ、ロープ等を取り出した。
「あとは砂掃除か。町の人たちは身体も弱ってる状況だし、力仕事は俺たちがやらないとな」
「井戸に下りるのなら俺が行こう。飛べる者ならば行き来が楽だ」
 すぐにでも下りるつもりでヨルムはスコップを手にしたけれど。
「……ヨルムさんの体格だと、井戸内での作業には向かないんじゃない?」
 樹から冷静なつっこみを受けてしまう。
「小回りがきいた方が良いと思うから、俺が下りて砂を掘るよ。だからフォルクスたちはその砂を運んでくれ」
「分かった。砂の入ったバケツをロープで引き上げるのはかなり重労働だが、なんとかなるだろう」
 契約によって得た力があれば、一般の人にとっての重労働にもかなり耐えられるからと言うフォルクスに、あい じゃわ(あい・じゃわ)
「良い方法があるですよー」
 と太いしっかりとした棒を持ってきた。
「これにザイルを引っかけるです」
 井筒の上に棒をおいて、その真ん中からザイルを垂らす。垂らしたザイルの両端に長さを調整しながらバケツを結びつければ出来上がり。片方を底に垂らして砂を入れたら、もう片方を下ろしながら引き上げる、という塩梅だ。
「効率良く出来そうだな。じゃあ俺は下で砂を詰めるから、あとはよろしく頼む。それと、荷物は邪魔にならないところに纏めておいてもらえるかな」
「分かりました。マスターから預けられた図鑑も、作業中は置いてきてもいいですか?」
 セーフェルが確認すると、樹は意外そうな顔をした。
「え、だって友だちだろ?」
「友だちじゃないですよ」
「本なのに?」
「……それでですか」
 セーフェルはやっと腑に落ちた。樹は荷物が本だとやたらとセーフェルに渡してくるし、何か読んでいると類友と呟いたりする。何故だろうと不思議だったのだが、魔道書に類するセーフェルなら本は皆友だちだと思われていたらしい。
「全くもう……とりあえず、置いてきます」
 セーフェルはその辺りにあった荷物をまとめると、井戸さらいの邪魔にならない所へと運んで行った。
 樹は井戸にロープを垂らすと、底へと下りてゆく。そのあとからじゃわも下りていった。
「じゃわも下りるですよ。じゃわはちっこいですから、井戸の中もらくらくなのですー」
 出来る限り汲み出したとはいえ、井戸の底には水がまだ残っている。
 樹とじゃわはその水ごと、井戸の底にたまっている砂をバケツに入れた。それを他の者たちが井戸の外へと引き上げる。
「濡れた砂は黎が使うですから、まとめておいて欲しいのですー」
 じゃわは井戸の底から手をメガホン代わりにして呼びかけると、せっせと砂をバケツに入れていった。
 その間にと、ジェイコブは井筒の強化に取りかかった。
 まずは周囲の石を集めてきて、井戸の周囲に積んでゆく。今後も砂が積もってゆくことを考慮しても十分なくらいに積み増しすると、今度は汲んで置いた井戸水に持ってきたセメントを入れ、周囲の砂や砂利とよく練り混ぜる。それを井戸の石組みにたっぷりと塗りつけた。
 井戸から砂を出し終えて樹とじゃわが出てくると、ジェイコブは井戸の上部もきれいに整えた。
 井戸浚いされた井戸の中に、再びじわじわと水が戻ってくる。それを町の人たちが、入れ替わり立ち替わり、何度も見にやってきては、元通りの深さになった井戸を喜んだ。
「そうだ。ここにゲルを設置したらどうかな? まだ当面は砂が降るだろうから、いっそ建物の中に井戸を入れてしまったら安心できると思うんだけど」
 樹が提案すると、フォルクスが意味ありげな笑みを浮かべた。
「それは良い案だ。ゲルには確かに利点はあるが、結局ここまでほとんど使わなかった。数日で移動することが多い我らには不向きなものだ」
 これからはテントだけにしておけ、と言われ、樹は反論する。
「テントより丈夫で長期使用に耐えるし、出入りだってしやすいだろ?」
 また新しいものを手に入れておかなければと言いながら、樹はゲルの組み立て説明書を取り出した。難しくはないのだけれど、普段使うものでもないから未だに説明書無しではよく分からない。
 まずは井戸を囲むように、ハナと呼ばれる木組みの壁を円形になるようにつなぎ合わせてゆく。移動の時には折りたたんであるのだけれど、引っ張ればマジックハンドと同じ仕組みで伸びる壁だ。
 壁に扉を取り付けると、天窓を立てて壁との間を垂木で繋いで天井部分を作ってゆく。骨組みが出来たらフェルトをかぶせ……と樹たちが作業している間に、フィリシアは井戸に手押しポンプを取り付けた。
「これがあれば、水汲みに要する労働量を軽減できるでしょう」
 釣瓶と違い、ポンプを押せば軽く水を汲み上げることが出来る。毎日の労働だけに、軽減できれば町の人も随分と助かることだろう。
 働き手の多くが戦いに出、町での力仕事がままならなくなり。効率が悪くなったことにより、作物の収穫は減り、毎日の労働量は増え。疲れ切った住民は一層気力体力ともに失ってゆく。
 コントラクターがユトで支援を行ったことにより、その悪循環が断ち切られることをヨルムは願うのだった。