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死いずる村(後編)

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死いずる村(後編)
死いずる村(後編) 死いずる村(後編)

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■2――三日目――13:30


 山場本家近くの林の中――。

(仕方ねえよな)
 常闇の 外套(とこやみの・がいとう)はドロドロとしていた。
 赤く波打って、自身の顔のようなものをヌタヌタと作り出して、やがて、またただのドロドロになる。
(仕方ねえよな。ああ仕方ねえよ。仕方ねえんだもの)
「誰も来ないんだ。そうだ。誰も来ない。来なければ殺せない。殺せなければ、どうなる。駄目だ。殺しては。渇いて、駄目だ」
 ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)の声がぶつぶつと繰り返されていた。
 彼は林の中の地面にうつ伏せになって、スナイパーライフルを構え続けていた。
 外套はドロドロと流れて、彼の背中を這いずった。
(仕方ねえんだけどよ、なんか要るんだよ。なんかよ。必要なんだよ。身体が)
 湿った地面にドロリと落ちて、震える。
(どうせなら女がいい。女が、ああ、どうせなんだからな、女が……あー……女?)
「殺しては駄目だ。生気を得なければ、俺は――」
 と、ロイがふいに外套を見やった。
 外套は、にょきっと顔面を形作ってから、また、ただのドロドロになった。
(なんだっけ? 女だ。なんだ? 俺様は、おい、だから、あれだよ、あれ。そう、女んなって……だから、女ってなんだよ? 俺様はなんだよ? そもそもなんだっけ……)
「そうか……お前に身体を与えなければならない。そうだ……必要だ」
(なんだっけなあ。思いだせねえ……)
「身体は必要だ。何か。必要」
 ぶつぶつと呟きながら、ロイはおもむろに、かつてアンプルの入っていた注射器を取り出して――
 ずるり、とその中へ外套を吸い込ませた。
 注射器の中で外套は思う。
(全然思い出せねえ。俺様ってなんだっけ。まあ――仕方ねえよな)

 そして、ロイは気付いた。
 工藤 頼香が山場本家へ忍び込もうとしている姿に。
 銃に添えられたスコープを覗き込み、彼女の頭を狙い……
「駄目だ。殺しては。死体からは、渇きは癒せない。死体からは、渇く、殺さない」
 腰の方へと狙いを滑らせる。
 足の付け根に狙いを定め、彼女が動きを止める、その瞬間を静かに待つ。
 頼香が倉近くの裏口である小さな戸の前で立ち止まった。
 引き金を引こうとした、その刹那、山場本家の家屋を挟んだ向こう側で爆発音が起きる。
 一瞬の戸惑いの後、裏口から飛び出してきたのは、弁天屋 菊(べんてんや・きく)と山葉涼司だった。


「うおっ!?」
「きゃっ!?」
 唐突に現れた涼司に突き飛ばされて、頼香は転んでしまった。
「――って、わりぃ」
 すぐに伸ばされた涼司の手に助け起こされながら、頼香は、
「な? え? どういうこと?」
 と混乱していた。
 菊が軽く嘆息して。
「ちょいと迂闊過ぎやしねぇか? まあ、彼女は死人じゃなかったようだけど」
 そして、彼女の声は真剣な調子になって続けた。
「急いで離れるよ」
「ああ」
 菊の声に背中を押されるように頼香と涼司はブナ林の開けた方へ向かって走った。
「はぁ……はぁ……説明っ! 説明を求めるわ!」
 駆けながら必死に言った頼香の方を菊が見やる。
「それは、あたしたちの方が聞かせてもらいたいよ。
 なんであんなとこに居たんだい?」
「私は、君を助けようと、思って……だって、今は、儀式をぶち壊すために、一人でも、生者は多い方が――」
 生き延びたいと思った。
 どんな事をしても。
 例え、死人に味方しようとも、他の誰かを陥れようとも。
 あの何もかも見透かしたように笑う山場弥美を欺いてでも。
(私は今まで“生き残ってきた”んじゃない……弥美さんは、きっと全て分かっていた。
 私は、“泳がされていた”だけ)
 その事に気付いた時、彼女は絶望を味わった。
 ただ、自分が選択をしていないだけなのだと思っていた。
 自分は退屈と安心の間で揺らめいて、村を出ていくと決意するような決定的な何かが起きるのを待ち続けているだけなのだ、と。
 そして、その『決定的な何か』は起きた。
 とうとう選択をする日が来たのだと思った。
 彼女は選び、行動した。
 その結果、彼女は、自分には最初から選択など与えられていなかったのだと気付いた。
 お前は何からも逃れられないのだ、と突き付けられたような気がした。
 だが――。
 それでも、彼女は。
(秘祭なんて成功させない。
 私は、生きて、この村を出るの。
 今度こそ、上手くやってみせる――この、死に溢れた、狭い村から逃れて、自由に……)
 息を切る合間に、舌の裏に溜まった唾液を飲み下す。
 菊が、隣を走りながら、ガシガシと頭を掻き、
「ありがとうな」
 頼香が助けにきたと言った事に対して、素直な礼を返してきた。
 頼香は少し視線をそらすように涼司の方を見やり。
「……私の、疑問に答えて。なんでここに涼司さんが? 君を助けに?」
「どっちかっていうと、その逆だ」
 涼司が言う。
「山場本家に捕まっていた俺を菊が助けてくれたんだ」
「さっき起こった爆発は?」
「陽動だよ。涼司が手製の火薬なんて危なっかしいもんを持っててさ」
 菊の言葉に、涼司が首を振る。
「俺が作ったんじゃない。あれは、六興のとこの――」
「咲苗さんが……?」
 六興咲苗の姿を思い浮かべ、頼香は、さもありなん、と納得した。
 菊が続ける。
「ともかく、その火薬を陽動に使ったんだ。すぐに気づかれたかもしれないけどね」
 と――彼らは立ち止まった。
 山道を下った先。
 そこに、大勢の死人たちが集まっているのが見えた。
「まずいな……」
 涼司が零すように言う。
「いくら昼間だからって、この数は……」
「い、一応、契約者なんでしょう?」
 頼香の問いかけへ、菊が苦笑めくように口端を揺らす。
「涼司は捕まった時に一服盛られて、力が出ないんだよ。
 あたしは見ての通りの丸腰だ。
 おまえたちを守って、どこまでやれるか……」
 呻くように吐かれた言葉。
 それと同時に、頼香は、チリン、と小さな音を聞いていた。
「…………」
 頼香は、暫しの逡巡の後、すぅっと二人の前へと出た。
「お、おい!?」
 後ろから頼香を止めようとした菊の方へ小さな声で言う。
「私が彼らを引き付けている間に、右手のブナ林に入って。
 そしたら、『猫』が居る。後は、その子に付いていけば良いわ。頭の良い子だから、きっとイイ道を教えてくれるはず」
「お前はどうすんだ?」
「私は殺されないし、死人にもされないわ。
 巫女だもの。儀式を仕切り、人柱となるためのね」
 言って、頼香は死人たちの方へと歩んだ。
「……諦めんじゃないよ?」
 菊がそう言い残し、涼司と共にブナ林の中へと潜った気配を後ろに感じる。
 頼香は目を細めながら、死人となった村人たちを見ていた。


「パラミタの出現が、山場村の状態を悪化に何らかの影響を及ぼしたのは間違いないと思うのよね」
 菊と涼司と合流した親魏倭王 卑弥呼(しんぎわおう・ひみこ)は、山の中で摘んでいたハナイカダをひよひよと揺らしながら言った。
 菊と涼司はボロボロの様子だった。
 頼香の言っていた猫はすぐに見つかったらしい。
 その猫に導かれ、死人たちの目を掻い潜りながら山場本家から離れて来たのだが、なにせ猫が選ぶ獣道。
 かすり傷や泥にまみれたのは仕方が無いことだった。
「結果的に、ナラカとの関係が深まったから?」
 相田 なぶら(あいだ・なぶら)が眠たげな顔を傾げる。彼とは山の中で出会った。
 涼司が難しげに顔を顰め。
「おそらくな。
 『本来の』弥美さんの願いがナラカのアガスティア・パルメーラに届いたらしいって話にも信憑性が出るしな」
 それは祥子がアクリトから得た話らしい。
 卑弥呼は、自身が持っていたハナイカダをぴっと涼司の方へ向け。
「例えば――『特別な葉』は、ナラカのアガスティアに繋がってるのかも?
 それでヤマバの者は、それを見つけ、扱うことが出来るとか」
「どうなんだろうな……少なくとも、俺にはそういうのは感じねぇしなあ」
 涼司が頭を振る。
「ただ……『ヤマの葉』ってからには、ヤマと何らかの関係がある実際の葉があり、それがハナイカダだって事はあるかもしれない。
 実際、菊が言うようにハナイカダを食べるのは、陰陽の気を体内に入れ、何かこの世のものじゃないものと繋がるっていう意味があるんだろうし」
「まあ、だからどうだって事でもないんだけどね」
 卑弥呼が何処か気楽な調子で言ってから、話題を替えるように一段と声を明るげて続けた。
「ね、そういえば、邪馬台国って、『ヤマ』の国なんだよね」
「ああー」
 と声をあげた、なぶらが笑み。
「キミも、この土地に無関係じゃないかもしれない?」
「あはは、どうだろう。
 あたいが生きてた頃は地図なんてなかったから、何処にあったか分からないし――
 でも、こういったヤマの場は、多分、各地に沢山あると思うよ」
「……怖い話だなぁ」
 なぶらがボヤくように言った、その時、パンと乾いた銃声が響いて、菊が倒れた。
「菊っ!!」
「くそっ――狙撃か!?」
 そして、また、銃声。
「ッ――」
 涼司が足を撃ちぬかれ、地面に膝を付く。
 そして、周囲に濃く感じた死人の気配。

 なぶらは素早く判断した。
「山葉先生たちを頼む!」
 鋭く卑弥呼の方へ言って、狙撃手が潜んでいるだろう方へと駆ける。
 三度目の銃声。
 同時に、なぶらは木の影へと転がり込んだ。
 ッシ、と木の表面を削った銃弾が、後方の落ち葉の中に刺さる。
 なぶらは、それを音で把握しながら、山小屋から拝借していた鉈を抜き放ち、襲いかかってきた村人の死人の首を叩き斬った。
 ダンッッ、と人間の首を切断した鉈が勢い余って、木の幹に刺さる。
 それを強引に引っ張り抜き、なぶらは、首を失った死人の身体を肩で突き飛ばすように立ち上がり、再び、狙撃手が居るだろう方向へと駆けた。
 卑弥呼たちを狙撃させないように適度に身を晒して狙撃手を誘いながら、死人たちの首を刈り取っていく。
(今、山葉先生を取られれば全てお終いだ。
 それに――)
 必死に菊たちにヒールをかけている卑弥呼の方を見やる。
(彼女たちをここで終わらせるわけにはいかない)
 すぐに視線を返した前方、林の間を走った、黒い影――ロイ・グラード(ろい・ぐらーど)と目が合う。


「傷が深すぎる、あたいだけじゃ、もうどうにも……」
 卑弥呼は嘆いた。
 なんとか菊は一命を取り留めたものの、菊と涼司の傷は深く、卑弥呼だけでは癒しきれるものではなかった。
 死人たちの気配が近づいてくる。
 銃声は少し前から聞こえなくなっていた。
「……涼司を、連れて、逃げろ……」
 菊が言う。
「馬鹿な事言ってんじゃねぇ!」
 涼司が声を荒げる。
「馬鹿な事なんかじゃないだろうがッ! この馬鹿!!」
 菊が吠えるように言ってから、咳き込み、血を散らした。
 卑弥呼は、少しだけ戸惑ってから、うなずいた。
 涼司の腕を取り、彼に肩を貸すように立ち上がる。
「おい――」
「涼司は全てのキーなんだってば。
 だから、ここで連中に奪われるわけにはいかないよ」
 そう言った彼女の前方、林の間から死人が姿を覗かせる。
 卑弥呼は、嘆息した。
「なんとか、逃げてよね」
 涼司から手を離して、丸腰のまま、死人の方へ立ち向かおうとした時。
 目の前の死人の首が跳んだ。
 そして、血にまみれた、なぶらが姿を表した。
 その手に持たれていたのは、ロイの首。
 なぶらが困ったような笑みを浮かべ、言う。
「後は任せていいかな?」
 卑弥呼はわずかに戸惑ってから小首を傾げた。
「後って……」
「俺も、やられてしまったから」
 ぼとん、とロイの頭が地に落ちる。
 卑弥呼は、彼の言葉の意味に気づき、喉を鳴らしながら訊き返した。
「……“やられた”?」
「生気を吸われたんだ。
 だから、ここで『サヨナラ』」
 あまりにもアッサリ言って、笑って、なぶらの身体は地面にゆっくりと倒れ込んだ。
 彼の身体からサクリファイスによって放たれた生命の光が、菊と涼司を包む。
 傷が癒えた涼司から離れて、卑弥呼は倒れたなぶらの方へと近づいた。
 そうっと彼の身体に触れる。
 他人の血に塗れ、命を分け与え終えた彼の身体は、冷たく、そして、硬かった。
「急ぐよ」
 菊の苦さを噛み締めるような声が聞こえて、卑弥呼は振り返った。
 周囲には、まだ死人の気配があった。
 立ち上がる。
 そして、卑弥呼は、人として死んだ なぶらの躯に言った。
「サヨナラ――150年の後に、また」


 ロイの身体の下で割れた注射器から、赤いドロドロは流れ溢れていた。
 地を這い、本能に従って、自身の容れ物を探して彷徨う。