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雨音炉辺談話。

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雨音炉辺談話。
雨音炉辺談話。 雨音炉辺談話。

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11


 雨の日は、『Sweet Illusion』でも客足が落ちるらしい。
「お疲れ様。今日はもう上がりでいいよー」
「はーい。お疲れ様でした」
 そのおかげか、いつもより早くフレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛ぃ)はアルバイトを切り上げることができた。
 着替えをしながら考えるのは、最近自身に起こったこと。
 三角関係に決着がついて。
 愛しく、大切に想っていた彼が、フレデリカの背負っている荷物を一緒に持ってくれると言ってくれて。
 ――私を見てくれた。
 夢にまで見た現実に、勝手に口元が綻んだ。けれど、すぐに引き結ばれる。
 ――だけど、でも、だから、私は、傷付けてしまった。
 結果として、仕方のなかったことかもしれない。
 それでも、あの子は仲の良い相手で。
「…………」
 気にしてしまうのは、偽善なのだろうか?


「ああ、偽善だねー」
 フィルに相談したところ、一言でばっさり切ってのけられた。
「……そ、っかあ……」
「傷付けたくないならさっさと身を引くべきだったんだよ。それでも自分が幸せになりたくて、気持ちを貫き通したわけでしょ? それで相手を傷付けちゃったー、なんて、自分が綺麗でいたいだけだ」
 そうなのだろうか。そうなのかもしれない。よくわからなくなっていた。
 ただ、
「……仲良くしたいって思ってるのは、いけない、かな」
 また、以前のように、笑い合いたかった。
「思うのは自由だよ」
「うん……」
「その考えでどう転ぶかまでは自分の責任だけど」
 確かに、そこまで何かに押し付けることはできない。自分でした決断だから。
 仲良くしたい。
 我侭かもしれない。いや、我侭なのだろう。
 相手のことを考えれば、うかつには動けないし、どうすればいいかもわからない。
 だけどこのままそっとしておいて、自然消滅してしまったらと思うと、怖い。
「……どうしよう。どうすればいいかな?」
「接し方ー?」
「うん……」
「こればっかりはねー。相手次第だよね」
「私、何もできないのかな?」
「嫌味にならない自信があるならどうぞー」
「そう言われたら動けなくなるじゃない」
 うん、そうだね、とフィルは頷いた。
 ――ああ、本当に。どうすればいいんだろう……。
 仲直りのきっかけ。
 話しかけるきっかけ、でもいい。
 ――何かしたい。
「ケーキを作って持っていく、っていうのはどうでしょう?」
 提案したのは、ルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)だった。
「ケーキ?」
 フレデリカが鸚鵡返しに訊くと、
「ねえ、フィルさん。パティシエさんから、ケーキ作りを教わることって無理ですか?」
 答えぬまま、ルイーザはフィルに尋ねた。そういうことか、とフレデリカは合点する。
「無理だねー」
 だけど、ここでもまた一蹴。
「すっごい人見知りで人怖がりだから、誰かに会うとかはとても」
「そうですか……」
「レシピくらいなら訊いてきてあげる」
「えっ」
「そういうの隠す子じゃないし」
 ちょっと待ってて、と言ってフィルは厨房に引っ込み、しばらくして数枚の紙を手に戻ってきた。
 はい、と渡された紙を見る。パウンドケーキや、チョコレートケーキ、ショートケーキのレシピ集。どれも、さほど難しそうではない。
「俺、行動起こす子は嫌いじゃないよ」
 レシピの文字を目で追っていると、フィルに声をかけられた。
「がんばれー」
 いつもの軽い声。
 だけどそれでも、嬉しかった。


*...***...*


 今日は、蒼灯 鴉(そうひ・からす)とのデートの日だ。
 デートといっても、遊び歩く類のものではなくて、フィルの店でティータイムを過ごすだけの小さな幸せ。
「だけどそれが素敵なの〜。こんにちは〜♪」
 雨をも弾くご機嫌調子で、師王 アスカ(しおう・あすか)は『Sweet Illusion』のドアをくぐった。
「こんにちはー☆ あれ、男装だー」
「そうなの〜。鴉を驚かせようと思って〜。フィルさんも男装なんだねぇ。やっぱり完成度高いなぁ〜」
 今日はしっかり『ケーキ屋のお兄さん』だ。化粧も違うし、スタイルも違う。いったいどうすればここまで変わるのか。
 アスカは店内を見渡して、他にお客様がいないことを確認した。今ならお喋りに興じても、迷惑にならないだろう。
「フィルさんはきっと、私服もお洒落ね〜」
「普通だよー?」
「ううん。きっとオーダーメイドなんだわ」
「アスカちゃん俺に夢見すぎー」
「ねぇねぇ。普段どんなお洋服着てるの? どこのお店? 気になる〜」
「鴉ちゃん来るまで暇だからって根掘り葉掘り訊かないの。レディがはしたないよー」
「だって、フィルさんとお喋りしたかったのよ? 誰にでもこうってわけじゃぁ、ないんだから〜」
 口を尖らせ、反論してみた。「それは失礼」と微笑まれた。裏の読めない笑みだ。訊かれたくなかったのか、からかったのかもよくわからない。たぶん後者だとは思うけれど。
「まーでも、いい線ついてたー」
「ふぇ?」
「オーダーメイドってやつ。知り合いの衣装屋さんに作ってもらったりはしてるよー」
「やっぱりー! うわぁ〜、どんな子どんな子? あっ、それよりどういう服作ってもらうの〜?」
 訊きたいことが増えたところで、外から聞き覚えのある声が、ふたつ。
「この性悪!!」
 片方は、待ち侘びた相手こと鴉のもの。もう片方は――、
「黙れバカラス!!」
「な、何でベルまでいるの〜?」
 オルベール・ルシフェリア(おるべーる・るしふぇりあ)のものだった。
 ――何かまた険悪だしぃ……。ちょっと隠れちゃえっ。
 飛び込んだのは、カウンターの奥。フィルの足元。
「何してるのアスカちゃん」
「フィルさん、しぃ〜っ」
「しぃ〜っじゃなくてねー、営業の邪魔よー☆」
「本音はぁ?」
「面白そうだから前に出て相手してみてよ」
「意地悪ぅ!」
「まあ隠れさせてあげる。今は男だからね、俺。女の子には優しくしなきゃ☆」
 絶対嘘だ、半分は嘘だ。そう思いつつ、結局アスカは隠れたままでいることにした。間を置かず、店のドアベルが鳴り、雨の音が大きくなった。
「アスカは……いないのか」
 鴉の声だ。きっと、きょろきょろ辺りを見回している。迷いのある声だった。
「またどっかでエでも描いて道草食ってんな……ったく」
 ――違いますぅ。ここにいるもん〜。
 心の中で、反論してみた。なんだかちょっと、楽しい。
「へぇ……ここがアスカのお気に入りのお店ね。中々いいじゃない♪」
 次いで、オルベールの声。ああそっか、とアスカは頷いた。アスカが何度となく、『Sweet Illusion』のケーキが美味しいと勧めたから、オルベールはここまで来たんだ。
 鴉とオルベールの組み合わせなんて珍しい、と思ったのだけど、なんてことはない。目的地が同じで、途中鉢合わせてしまっただけなのだろう。
「ご注文はお決まりですか?」
 フィルの、愛想のこもった声。下から見上げると、とても良い笑顔をしていた。下から見ても、綺麗な人は綺麗ね、なんて思った。
「とりあえず、コーヒー」
「ケーキセット。紅茶で」
 オーダーを受けて、フィルが離れていく。鴉とオルベールも、席に着くことにしたらしい。足音が二つ、店内に響いた。
「そういえばバカラスってさぁ」
「あぁ?」
「アスカのどこに惚れたのよ?」
 ――!?
 ――ベ、ベルったらなんてこと訊くのよ〜!!
 驚きすぎて息が詰まったじゃないか。身体が跳ねて、カウンターにもぶつかったし。
 ――き、気付かれてないよね〜……?
「どこって」
「だってあんた、結構遊んでたタイプでしょ〜?」
「それが何だってんだ。過去に女がいたって普通だろ普通……」
「だぁから。そんな遊び人がどうしてアスカと一緒にいるのかってこと。アスカみたいな子がタイプなわけ? それとも何か危ない趣味でもあるの? やだー!」
「一人で盛り上がってんじゃねぇっ!」
 話は、変わらず進んでいく。バレてはいないらしい。
 いつの間にか、フィルも先ほどまでの位置に戻っていた。アスカが驚いてうろたえている間に、ケーキは運んできたようだ。にまにましている。とっても楽しそうに、笑っている。
「昔は本気なんて面倒だったから、お互い割り切った関係だったよ」
「お。白状する気になったのね?」
「なんでいちいち棘のある言い方するんだお前。聞くなら黙って聞いてろ」
「はーい」
 ああ、それにしてもどうしてこんな話になっているのだろう。
 ベルが、変なことを訊くからだ。
 驚かせようと思っていたのに、これじゃあ。
 ――こっちがびっくりさせられてるよ〜……。
 それに、鴉の過去の人たちも気になってしまう。
 ――……どんな人なんだろ〜?
 アスカの心の声を聞いたように、
「ぶっちゃけアスカよりいい女は多かったな」
 鴉が言った。胸に、何か刺さった、気がする。
「あいつより性格に難がある奴なんていなかったし、体型だって女らしくて」
 ――どうせ、どうせお子様体型よ。男装だってできちゃうもんね〜……はぁ。
「……でも」
 不意に、鴉の声のトーンが下がった。
「本気で好きになったのはあいつだけだから仕方ねえだろ」
 ――……!
「黒髪も綺麗だし、小柄で華奢だし、初々しい反応で飽きないし……。
 あ、絵を描いてる姿も好きだな。後は……」
 ――きゃ、きゃー!! きゃー!!
 思わず、耳を塞いだ。聞いていられない。恥ずかしい。顔から火が出る!
 くらくらして、何がなんだかよくわからなくなった。
 惚気は、まだ、続いている。


 ケーキを食べ終えたオルベールが、「ちょっとお手洗い……」と言って席を外した。げんなりとした顔をしているのは、糖分の過剰摂取によるものだろう。ざまあみろだ。
 空になったコーヒーをテーブルに置くと、「おかわりいかがですかー」というフィルの声がした。
「もらう」
「鴉ちゃんはサディストだねー」
 コーヒーを注ぎながら、フィルが言ったので。
 にや、と口角を上げ、笑った。
「気付いてた?」
「気付いてた気付いてた」
 気付いてたことに気付いてた、と笑うので。
「俺を驚かせようなんざ百年早い」
「アスカちゃん泣くよー」
「泣かせたいんだよ」
「鬼だねー」
 これも好きの形です、とそ知らぬ顔をして、コーヒーを飲んだ。
 アスカがこの場に出てくるまで、あとどれくらい時間を要するだろうか?