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月冴祭の夜 ~愛の意味、教えてください~

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月冴祭の夜 ~愛の意味、教えてください~

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 ■ 月下美人 ■



 師王 アスカ(しおう・あすか)の手が花を活けてゆく。

 黒い大きめの丸皿の真ん中に、剣山が1つ。
 中央にはすっとした立ち姿の赤い薔薇を1輪。
 その周囲を、剣山を隠すように黄色のコスモスでぐるりと囲んでゆく。

 すべての花を挿し終えると、アスカは少し離れて全体のバランスを確かめ、細部を手直しした。
「これでお月様に華が咲きました〜。でもまだ完成なんて言わないですよ?」
 静かに東屋に座しているジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)にそう言うと、月から赤薔薇が伸びているかのようなその作品をアスカは東屋の外に出した。
 予め探しておいた、竹林からぽっかりと月が見える位置に丸皿を置くと、そこに水を注ぐ。
 すると、たっぷりと張られた水に上空の月が映る。
「如何でしょうか? タイトルは『月下美人』です」
 手で示すと、ジェイダスは東屋の外に出てきて花と月で作られたアスカの作品を眺めた。
「美しさの表現を磨いたようだな」
「ありがとうございます」
 ジェイダスからの何よりの褒め言葉に、アスカから笑みがこぼれた。

 作品を鑑賞した後は再び東屋に戻り、温かいお茶と月見にちなんだ菓子を楽しむ。
「もしかしたらこっちで自分のアトリエが建てられるかも知れないんです」
 近況がてらにアスカが話すと、ジェイダスはそれは喜ばしいなと頷いた。
「アトリエは己の芸術の拠点。よく吟味し、良い物を造り上げると良いだろう」
「ジェイダス様は最近は如何ですか?」
「そうだな。ニルヴァーナにはなかなかに興味深いものがある。私はここでの仕事を楽しんでいるよ」
 言いながらジェイダスは洗練された仕草で、温かい茶を口に運んだ。

 頭上の月と小さな灯、竹林に囲まれた東屋。
 こんなにゆっくりとくつろげるのは、発案したジェイダスのセンスがなせる業なのだろうか。
 しばしの休息のひとときを過ごしたアスカは、最後にジェイダスに心を込めた言葉をのせて、感謝を伝えることにした。

「ジェイダス様、私は今とても幸せです」
 それはアスカの心からの言葉だ。
「私は色んな愛を貰いました。恋人からは温かな愛を、仲間からは親愛を。でも、一番最初に教えてくれたのはジェイダス様でした。私が絵の可能性と、こんなにも誰かに感謝できる愛を知ることができたのは、ジェイダス様のお陰です。本当に有難うございます……」
 今の自分があるのはジェイダスあってこそだと、アスカは頭を垂れる。
 すると自然と涙がこぼれ落ちた。
「お月様の魔力ですかね〜。こうやって……静かに涙を流せる時が来るなんて」
 不思議です、とアスカは涙をぬぐって苦笑する。
「私は、貴方に会えたことに感謝します」
 画家としての自分にとって、ジェイダスは恩人なのだとアスカは常に心に置いている。
 けれどジェイダスは、それは自分の功ではないと首を振る。
「私は切っ掛けを与えたにすぎない。それをどう掴んで自分のものにするかは、その人の美に対する姿勢だと思う。おまえは自身の手で、それを見い出し、その道を進んでいるのだ」
「それでも、切っ掛けを下さったのがジェイダス様なのは間違いありませんから。私、おばあちゃんになるまでにはパラミタ一の画家になって、ジェイダス様の友として歩けるように頑張ります!」
 それが一番の恩返しなのだろうからと、アスカは言った。
「どこまでも追い求めるが良い。美を追求するのに歳は関係ない。だが……自分の持つ美を磨くのも忘れぬよう、心しておくと良いだろう」
 美こそすべてなのだからと言い残し、ジェイダスは竹林の小径を戻っていった。




 ■ 名月の茶会 ■



 散策路から外れた池の畔に、エメ・シェンノート(えめ・しぇんのーと)は野点の席を設けた。
 散策する人の視界に灯りも入らないよう配慮した位置に設置し終えると、灰かぶりの細口花入れにススキと彩りのフジバカマを入れて飾る。
 しばらくの間、訪うのは風に揺れる竹の音ばかりだったが、やがてジェイダス・観世院(じぇいだす・かんぜいん)ラドゥ・イシュトヴァーン(らどぅ・いしゅとう゛ぁーん)を伴って現れた。
 茶席だと言ってあった為だろう。ジェイダスもラドゥも和の装いだ。
「ようこそお越し下さいました」
 迎えるエメとリュミエール・ミエル(りゅみえーる・みえる)もまた、和装に身を包んでいる。
「月見の茶会とは風流なことだ」
「わざわざ誘われた以上、断る道理はない。ベ、別に貴様が可哀想だとは思っていないからな!」
 招きに応じた側の返事はジェイダスとラドゥでは全く異なっているが、どちらも案内されるまま席に着いた。


 茶席の菓子は菓子器にではなく、銘々皿に雁と月と雲の落雁を絵画のように載せたもの。
 エメが薄茶を点てて出し、リュミエールは2人の話し相手をつとめる。
 ジェイダス監修の竹林と池は、茶席の風情に実に似合いだ。
 夜空の月と池面の月。どちらも甲乙つけがたく美しい。

「こうして茶席でニルヴァーナの月を愛でるのも一興だな。綺麗な月だ」
 ジェイダスの呟きが耳に入り、エメも月を見上げる。
「月が綺麗……死んでもいいわ、ですね。確かにジェイダス様を護って死ぬのであれば本望ですよ」
 エメの言葉を聞き、ジェイダスはわずかに眉をしかめた。
「死は最後の手段だ。そのようなものを私は美しいとは思わない」
「それに、死んではその後お護りすることも出来ませんから、死ぬわけにはいきませんしね」
 そうであっても、あまりに美しい月を見上げると、心の奥底が揺さぶられて思ってしまうのだろう。
 死んでもいいわ。あるいは、愛しています――と。

「ところでジェイダス様」
 お茶が一区切りついたとみると、それまで一応大人しく話をしていたリュミエールが、いつものように人懐こく話しかける。
「結局のところ、ラドゥ様をどう思ってるの? ……まあ、僕が聞くのも野暮っていうか余計なお世話なんだけどね」
 自分でそうつっこんで、けれどやはり聞きたいとリュミエールは請う。
「聞きたくても今まで聞けなかったから、可愛い僕に免じて聞かせて?」
「最高のパートナーだと思っている」
 ジェイダスからの返事に、リュミエールはそういうんじゃなくてと少し考えた後、がばっとラドゥにじゃれて抱きついた。
「たとえば、やっぱりこういうのって、嫉妬とかするのかなーって」
「や、止めないか! こ、こら、人前で何をする!」
 リュミエールを振り払おうとラドゥが手を振り回す。
「ラドゥ様大好きだよ。貴方の顔が曇るのは見たくない。だからジェイダス様も護るよ」
「うるさい、放せ! 貴様如きがジェイダスを護るなど片腹痛い」
 見ている方が笑ってしまうほどに慌てふためいた様子で、それでもラドゥは言い返した。けれどリュミエールは気にせず続ける。
「侮ったり軽んじたりなんて勿論しない。だからペットでも夜の執事でもいいから傍にいさせてね」
「間に合っているので断る」
 そんなリュミエールとラドゥを眺め、ジェイダスは愉快そうに喉で笑った。

 微笑ましいのか賑やかしいのか、というやり取りを横目に、エメはジェイダスに話しかけた。
「実は先ほどは……茶を点てながら、貴方の視線に緊張していました。でもそれは、粗相をして御機嫌を損ねる事への危惧や、お気に召していただけるかという不安からではなく……貴方の視線が触れている、ただその事が面映ゆくて」
 エメの言葉を聞いて、ジェイダスは呟く。
「一点前点るうちには善悪と有無の心わかちをも知る……」
「すみません。ですがなかなかその境地には達することが出来ませんね……殊に貴方の視線の前では」
 無心でいろという方が無理なのだと、エメは空を仰ぐ。
「月が綺麗ですね」
 そこに含ませた想いはどのくらいジェイダスに届くのだろう。
「私はあの月のように、暗い夜には貴方の足下を照らして、貴方を愉しませ、御心を慰めたいと思います」
 ジェイダスとラドゥに恩義があるのは確かだけれど、それだけではなく、ジェイダスを護りたい。
 傍にいることを許してくれるのではなく、傍にあることを望んでいただけたら……。そう願いながらエメはジェイダスの手を押し頂き、その甲に口付けた。
「月とは大きく出たな。いつの日か、そうなることを期待している」
 ジェイダスはエメの言葉とキスを受け、横柄に頷いた。
「ラドゥ様も、私がジェイダス様の傍にあることをお認め下さいますか?」
 ジェイダスの傍にいる為にはそれが必須とエメが問うと、
「認めるも何も、ジェイダスが男をはべらせるのをいちいち気にしていたら身が持たん」
 どこまで本気でどこまで虚勢なのか、プライド高き闇の帝王は軽く肩をすくめるようにしてそう答えたのだった。