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タングートの一日

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タングートの一日
タングートの一日 タングートの一日

リアクション

3.街角のふれあい


「このあたりは、だいぶ出来て来たかな?」
 マッピングの済んだ画面を覗き込み、堀河 一寿(ほりかわ・かずひさ)は小首を傾げた。
「そのようですね」
「あとは、聞き込みするか?」
 ヴォルフラム・エッシェンバッハ(う゛ぉるふらむ・えっしぇんばっは)と、ダニー・ベイリー(だにー・べいりー)がそれぞれそう口にする。ランダム・ビアンコ(らんだむ・びあんこ)は、一寿の背中を守るように立ったまま、今のところはただじっと指示をまっていた。
「うん、そうしようか」
 一寿たちは、タングートのガイドマップ的なものを作成中だった。
 聞いたところによると、かつてはそれなりに地図もあったが、復興後はまだ完全なものはないらしい。
「それに、下町のあたりじゃ、すぐに家が建ったりなくなったりするしさ。ま、なくても方向がわかればそれなりに歩けるもんだ」
 立ち寄った書店の店主は、そうざっくばらんに彼らに告げて、かつての地図だけを売ってくれた。
 それを元に歩いてはいるが、メインストリートのあたりはともかく、裏道に一本入るとほとんど現状とは異なっている。なかなかにやりがいのある作業だ。
「改訂もしていく必要がありそうですね」
「ガイドブックだからねぇ」
 のんびりと一寿は笑うが、目的としてはそれだけではない。第一、本当にただのガイドブックなら、メインストリートや庭園、珊瑚城といった場所をめぐれば十分すぎるくらいなのだ。
(友好都市の、観光ガイドブックの作成……とは言うものの、今後また発生するかもしれない戦の際には、最低限共闘に必要となる情報も盛り込んでのそれ、というのは……なかなかに難易度が高いミッションですね。ですが、そうした「万一」に備えておくのはいいことです)
 ヴォルフラムはそう考えながら、狭い路地に目をやる。
「タングートは、風変わりな都ですね」
「そうか?」
 ダニーが若干意外そうにすると、ヴォルフラムは観察の結果を静かに語り出した。
「おそらくは防衛を目的としていますが、外周を囲む砦や堀のようなものは、この都には存在しません。おそらくは、ここに住む人々こそが――女王の存在を含め、一番の『城壁』ということなのでしょう」
「勇ましいことだぜ」
 感嘆混じりに、ダニーが呟く。
「ええ。ただし、容易には攻め込まれないよう、メインストリートを除けばほとんどが狭い路地で、しかも複雑に入り組んで作られています。そして、ほぼどの道もメインストリートに戻るようにできています。復興後の地域にしても同様ということは、これはわざとなのでしょう」
「侵入しにくい上に、進めばいずれ同じ場所にたどり着くようにさせているってことなのかな」
「おそらくは、そうでしょう」
 一寿の推測を、ヴォルフラムは首肯した。
「なるほどね」
 ダニーは口笛を吹く。そのとき、ランダムが気配を感じ、いち早く後方に振り返った。
「…………」
 長屋のドアから出てきたのは、一人の女悪魔だ。やや険しい表情で、一寿たちを見つめている。
「あんたたち、なんなの? こんなとこ、よそ者が来たって面白いとこじゃないよ」
「あ、こんにちは」
「お騒がせして、すみません」
 咄嗟に一寿が会釈し、ヴォルフラムが丁寧に謝罪する。しかし、彼女の視線は冷たいままだ。
「なにをこそこそ調べ回ってんの? ひょっとして、共工様になにかするつもり?」
 怒りもあらわに、彼女の手に力がこもる。いや、彼女だけではない。あくまで彼女は代表で出てきただけにすぎず、気づけば建物の内側からも、一同を警戒する気配がいくつも感じ取られた。
「いえ、そのような意図は、まったくありません」
 ヴォルフラムはさらに丁重に口にするが、ただでさえ男性不信が基本的に根強いタングートだ。かわりに、彼女の前に進み出たのは、ランダムだった。
「お嬢ちゃん、なにか?」
「知りたい、だけ。だから、調べてる」
 そっけなくランダムは口にする。しかし、彼女にしてみれば、精一杯礼儀正しくしているつもりだ。『あくまで友好的に』ということは、事前に釘を刺されている。そうでなければ、一寿に対して敵対的態度をとる相手に、口をきくことすらしなかったろう。
「なにが知りたいっての?」
「ここの事。まず、相手の事、知らないと物事進まない。だから自分達の事、話す。私の名前は、ランダム。それから、一寿と、ヴォルフラムと、ダニー」
 訥々とした口調ではあったが、ランダムはそう一同を紹介する。だが、そのまっすぐさは、逆に彼女の警戒を若干ながら緩めることができたようだ。
「誤解させてしまって、ごめんなさい。ただ、本当に仲良くなれたらいいって思ってて……よかったら、少し、お話を聞かせてほしいな」
「話? どんな」
「おすすめのお土産とか、美味しいお店とか」
 はにかんで尋ねてきた一寿に、一瞬あっけにとられて、それから彼女は笑い出した。
「ああ、そりゃ、紅華飯店の桃まんが一番でしょ。冷めても美味しいから、土産には向いてるんじゃない?」
「あんた、それなら水蜜桃はどうよ」
「食べ物ばっかなの? 布製品だってタングートは一番よ?」
 やおら窓が開き、口々に色々な声が集まってくる。聞き耳をたてていた一同が、同じように警戒をといてくれたらしい。
「ありがとよ」
 さっそく、その一つ一つをダニーはきちんとメモリーしていく。
「そういえば、気になったのですが……タングートには、寺院のようなものはないのですか?」
 良い機会を得て、ヴォルフラムは気にかかっていたことを尋ねてみた。
 大概どこの都も、信仰対象になるものが一種の寄り合い所的な場所を作るものなのだが、タングートにはそれがないのだ。すると。
「寺院?」
「信仰対象と言えば良いのでしょうか」
「あたしらは、信じてるものなんかないよ。……共工様以外にはね」
「なるほど……」
 共同体としての結びつきは、完全に共工というカリスマを中心にして成り立っているようだ。
 他にも色々と噂話や情報を仕入れることができた。やはり女性だからか、基本的にお喋りは好きなのだ。
 どうやら彼らのガイドマップは、かなりの情報を盛り込んだものになりそうだった。


「……なんだか、人が増えて来たね」
 結局、広場のあたりで過ごしていたレモとカールハインツは、いつの間にか人がちらほらと集まってきていることに気づいた。
 そのなかに、見知った顔を見つけ、レモは破顔して駆けよる。
「クリスティーさん、クリストファーさん!」
「ああ、レモ」
 クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)が、呼びかけに振り向いて答えた。
「カールハインツも来てたんだね」
 クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)に言われ、「まぁ、成り行きだ」とカールハインツは決まり悪げに頭をかく。
「二人も、合唱を聴きに来たの?」
「合唱??」
「ここで宮廷合唱団がミニコンサートをするっていうから、せっかくなんで、聞きに来てみたんだ」
 へぇ、と目を丸くするレモとカールハインツに、偶然なのか、とクリストファーは苦笑する。
「そういえば、レモは少しは上達したのか?」
 思い出したようにカールハインツに問われ、レモは言葉に詰まる。
 歌が大の苦手のレモだが、クリストファーとクリスティーの丁寧な指導のおかげで、なんとかある程度は音痴がなおりつつあった。しかし、急に成長して音域が変わったせいか、またイチから努力の最中なのだ。
「まぁまぁ、だね」
 クリスティーが、控えめに笑う。
「カルマのほうには、驚かされたけどな」
 クリストファーの言うように、レモとは正反対に、カルマのほうはかなり歌が上手い。とくに、高音部の伸びは、まさに水晶が震えるような澄んだ響きをもっていた。
「たしかに、カルマは上手いよな」
 たまに機嫌がよいと、ぬいぐるみを踊らせながら歌っているのをカールハインツも聞いたことがあるが、鼻歌でもレモよりずっと上手いことはわかる。
「……そういうセンスは、カルマのほうが上なんだよ」
 カルマを褒められて嬉しい反面、若干複雑そうにレモが唇を尖らせた。
「まぁ、クリスマスにはデュエットが披露できそうだろ?」
「そうそう。頑張ろうね」
「……はい、師匠」
 クリストファーとクリスティーにそう言われては、不肖の弟子としては頷く他にない。
「カールもなにかやったら?」
 にやにやしているカールハインツを睨み付け、レモが八つ当たり気味に言うと、カールハインツはあっさりと「ヴァイオリンくらいはできるぜ、俺でも」と返す。
「え。意外……」
「小銭稼ぎ用に覚えた程度だけどな。お、出てきたみたいだぜ」
 カールハインツの言うとおり、共工像を囲んだ水盤の上にささやかなステージが設置され、その上に髪を高く結い上げ、そろいの着物を身にまとった少女たちが整列する。見かけでは年齢は推し量れないとはいえ、小柄な体格の者が多い。
「タングートの歌も初めて聴くわけだし、楽しみだな」
 クリストファーが呟く。
 短い挨拶を経て、ミニコンサートは始まった。
 鈴を転がすような涼やかな声が幾重にも重なり、かろやかに、しかし華やかに響き渡る。薔薇学では、あまり高音域の生徒は多くはないため、より新鮮だ。
 とくにレモにとっては、ほとんど初めてだろう。
「綺麗だなぁ……」
「ヴァイシャリーの貴族向けのは本格的だけど、聞きに行く機会もなかなかないのが正直なところだしね」
 クリスティーも興味深そうに歌声に耳を傾けている。
 民族音楽的なメロディはやや独特で、だが不思議と懐かしい感じもする。そうレモが感想を告げると、「タシガンとの繋がりは、どこかであるんだろう。この近さなんだしな」とクリストファーは答えた。たしかに、その可能性はあってもおかしくない。
 少女らが歌い終わると、たくさんの拍手が広場に巻き起こった。
 少女たちは、はにかんでそれに一礼で応えている。
「せっかくだから、クリストファーさんたちも一緒に歌ったら?」
「いいのかな」
「ええ、素敵な交流になると思うから! 僕、ちょっと話してきますね」
 レモはそう言うと、団長らしき女性の元に走って行く。すると早速、快諾されたのか、クリストファーとクリスティーの名前が、広場の人々に紹介された。
「レモは歌わないんだな」
 壇上へと向かいながら、クリストファーが肩をすくめる。まぁたしかに、まだ人前で披露できるレベルではない。
 幸い、楽譜はほとんど変わらないものだった。二人ならば、アレンジで低音域を即興で歌うことはできる。
「大丈夫そうですか?」
 団長にそう尋ねられ、二人は「よろしく」と微笑んで頷く。
 やがて、再び広場に歌声が響いた。
 それは、二つの音域が混じり合い、より広がりを増したハーモニーだった。まるで、タシガンとタングートが、手をとりあうことで、もっと世界は広がるのだと示唆するように。言葉よりも雄弁に、その歌声は、聴衆の心にメッセージとして届いていたろう。
 のびのびと、そして優雅に歌う二人の姿を、レモとカールハインツは、誇らしげに見守っていたのだった。



 薄暗い路地を、気だるげに歩く。
 メインストリートをはずれ、入り組んだ路地の奥。人通りはほとんど無い。タングートにしては珍しく、じめじめとした空気を感じるのは、実際の湿度ではなくその場所が醸し出す一種の『匂い』に起因していた。
 それを敏感に感じ取り、ティモシー・アンブローズ(てぃもしー・あんぶろーず)は誘われるようにして、ここにたどり着いたのだ。さながら、蝶が花の場所を知るように。ただし、ここにある蜜は、毒入りである可能性も高いけれども。まぁ、その方がこの蝶にとっても望むところだったろう。
 赤さびた鉄製のドアを、そうと知っていたかのように開く。階段は途中で右に折れ、その下までは見通せない。薄暗く赤いランプが揺れる。
 降りきった先にあったドアを、さらに開ける。そこには、入り口からは予想外の広さの空間があった。水煙草や香水、そして発情した身体が発する独特の体臭が混じりあい、むせかえるような匂いが立ちこめている。
 赤い緞帳の下りたステージが奥に見える。酒らしきビンの並んだカウンターと、いくつも並んだ円卓では、それぞれに怪しげなゲームに興じる女悪魔たちがいた。部屋の隅に目をやれば、あたりもかまわずに互いの身体をまさぐりあい、快楽に耽る女悪魔たちの姿がちらほらと目についた。
「あんた、初めてだろ」
 ドアの影から、見上げるほど体格の良い女悪魔が声をかけてきた。おそらくは用心棒といったところだろう。右手には、威嚇のためか幅広の青竜刀が下げられたままだ。
「ひやかしか、遊んで行くのか?」
「もちろん、遊んで行くよ。それとも、男は立ち入り禁止?」
 妖艶な笑みを浮かべ、ティモシーは囁くように彼女に答える。
「おイタをしなけりゃ、遊んでいきな。ボウヤ」
 薄く笑い、相手は踵を返す。どうやら、ひとときの退屈しのぎはできそうだ。

「ティモシー……どこ行っちゃったんだろう? いっつもすぐふらっと居なくなっちゃうんだから。もう慣れたけどさ」
東條 梓乃(とうじょう・しの)はきょろきょろとあたりを見回す。
 たしかに、この大通りに来るまでは一緒だったはずなのだが。見慣れぬ街の景色や、色とりどりの細工物などに目を奪われている間に、ティモシーは姿を消してしまっていたのだ。
 ティモシーがひとりで危ないことはそうはないだろうが、やはり気にはかかる。
「もう」
 チタンフレームのメガネの位置を指先でなおし、ふぅと梓乃はため息をついた。すると。
「どうしたの、ひとりで。ふらふらしてたら、危ないよ?」
「あ……」
 声をかけてきたのは、研究所勤めのアステラ・ヴァンシだった。
 そこらで買ったのかもしれない、派手な女物の着物を、ガウンのように白いシャツの上から羽織っている。
「ティモシーの可愛子ちゃん……いや、パートナーの子でしょ」
「は、はい。そうです」
 同じ吸血鬼仲間であるアステラとティモシーは、どうやら親交があったらしい。
「俺ね、アステラっていうの。よろしくね」
 アステラはそう、にっこりと笑った。微かに除く鋭い犬歯が、吸血鬼だという以上に、どこか油断ならない。
 梓乃がティモシーとはぐれてしまったことを話すと、「それなら、僕と一緒に行こうよ」とアステラは人なつこく誘ってきた。梓乃としても、異国で一人で行動するより、同行者がいるほうが良い。それに、アステラという人物にもやや興味はあった。
「じゃあ、どこに行く?」
「ルドルフ校長に、何かお土産を買っていけたらと思ってるんですけど、アステラさんは良いお店とか知ってますか?」
「んー、この通りにはかなり色々お店があるみたいだよ。せっかくだから、見て回ってみようよ」
「それも、今買ったんですか?」
「そう。似合う?」
 ひらひらと裾を揺らしてみせるアステラに、「はい」と梓乃は微笑しながら頷いた。
「アステラさんは、研究所にいた人なんですね。今は研究所ってどんな研究をしてるんですか?」
「今のところは、観測がメインだね。なにせ、安全なエネルギー転用方法と、カルマの覚醒方法を研究してたのに、ほとんど意味がなくなっちゃったし。まぁ、エネルギー転用については、今後なにかしらの技術活用は出来るんじゃないかとは思ってる」
 案外真面目にアステラは答えて、「とはいえ、僕は下っ端だから、こんな風にふらふらしてばっかりだけど!」とふざけた調子で付け加えた。
「そうなんですね」
「興味があるなら、いつでも話してあげるよ。呼びつけてくれば、すぐに君のところに飛んでくるから」
 そう綺麗にウインクされ、梓乃は苦笑する。
 つくづく、吸血鬼という種類は、だいたいが突飛な格好もキザな仕草もハマってしまうほど美形ばかりだ。ティモシーがいるから多少慣れてはきているが、傍にいると多少気が引けるのも本当だった。
 そのうち、綺麗な螺鈿細工の店を見つけた。最初に考えていたカフスは見当たらなかったが、大きめのブローチならば並んでいる。マントを止めるのに良いかもしれないと、梓乃はしばらく悩んでから、そのうちの一つを買い求めることにした。
 後は、パーティ会場にむかうつもりだ。アステラを誘ってみたのだが、彼はタシガンに野暮用があるので帰るという。
「アステラさん、今日はありがとうございました。一人だったらきっとこんなに見て回れなかったし。素敵なお土産も見つけられて感謝しています」
 今日一番の笑顔を見せ、ぺこりと梓乃は頭をさげる。
「…………」
「どうかしましたか?」
「いや? ねぇ。約束しない?」
 じっと見つめていたアステラは、口の端に笑みを浮かべて、不意に梓乃とその距離をつめた。
「また会えたら、そのときはキスさせて?」
 唇が触れる、ぎりぎりで。悪戯っぽく囁いて、アステラは離れる。
「え、それは……」
 しどろもどろになる梓乃に、アステラは「またね!」と手を振って、その姿を消してしまった。
(あの賭け、横から手をだしちゃいけないなんてルールは、なかったはずだしね?)
 アステラが内心で呟いたことなど、梓乃は知る由も無かった。