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そんな、一日。~台風の日の場合~

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そんな、一日。~台風の日の場合~
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17


 テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)が『Sweet Illusion』で買い物を済ませて外に出ようとすると、折り悪く雨脚が強まってしまった。来る時も降っていた雨は、いまや横殴りとなって強く窓を叩いている。
「すごい風雨……まるで台風みたい」
 思わず呟くと、「そうだよー」とフィルが頷いた。え、と振り返る。
「台風なんですか?」
「うん。昨日からずっと天気ぐずついてたよー。さっきまでは台風の目の中だったんだと思う」
 今が一番酷い時なんじゃないのー、というフィルの言葉通り、雨の勢いは留まるところを知らなかった。滝のような、だとか、バケツをひっくり返したような、だとか、そんな言葉が浮かぶ。
「今帰ろうとするの、危ないと思うよー。少し雨宿りしていけば?」
 フィルはそう言ってくれたが、テスラは首を横に振った。
「早く会いたい人がいますので」
 フィルにはこの一言で十分だろう。テスラの思い通りフィルは理解し、にこりと綺麗に笑った。
「気をつけてね」
「はい」
 ぺこりと一礼して、店を出た。
 大丈夫。レインコートも着ているし、なんとかな――
 る、と思って一歩踏み出した瞬間、強い雨に頬を打たれた。
 ……前途多難だ。というか、この雨だと買ったケーキが危ない。
 テスラは一度店に戻ってレインコートを脱ぐと、コートでケーキの箱を覆った。そして再び外に出る。
 雨具をなくしたテスラに、雨は容赦なく降り注ぐ。
 それでも構わず、前に進んだ。


 台風の中を突き進むテスラを見て、マナ・マクリルナーン(まな・まくりるなーん)はハンカチで目元を拭う動作をした。さすがに泣いているわけではなく、五割はただのポーズだが、感動を覚えたのは確かだ。
 あの必死な姿が、テスラか。
 いつも、前向きで真っ直ぐだと思っていた。その通り、彼女はひたむきな人だった。それは、マナが傍を離れてからも変わらない。
 そのことがただ、胸を打つ。
 同時に、ただ見守ることしかできない自分に歯がゆさも覚えていた。とはいえ手を出すことは許されない。マナは部外者なのだ。観客が、主演の立ち回る舞台の上をうろついてはいけない。
 かつて、ディリアーはリィナ・レイス(りぃな・れいす)のことを『強い』と評した。あの子は強いから。そう笑って、見守った。
 あの時彼女はどんな気持ちだったのだろう?
 ただ見ていることしかできない立場に、何も思わなかったのだろうか。いや。あの魔女は、優しい魔女だから。きっと、今のマナと同じように苦しい思いもしたはずだ。
 すぐに救いの道を差し示すのではなく、ちゃんと、自分で歩いて行けるように。
 これが、彼女の見ていた世界。
 見守る側も強くなければ耐えられない世界。
 黙って『そちら』を見つめるマナを、ディリアーが見た。長い睫毛に縁取られた赤い瞳が、マナを映す。それから彼女は口端をゆっくりと上げて、静かに笑った。きっとすべてお見通しなのだろう。
「紅茶をお淹れしましょう」
 マナは言った。いつもと同じように、なんら変わらぬ調子で。
「そうねェ。お願いするわ」
 ディリアーも応える。やはりいつもと同じ調子で。
「フィル様のお店も、さすがに今日は開店休業のようですね。いつもは売り切れ必至のケーキも無事ですが、買ってまいりましょうか?」
「気分じゃないわねェ」
「では、ここにいます」
 貴女がそれを、望むなら。
 ただただ傍で、同じ時を過ごそう。


「…………」
 工房に入ると、リンスがテスラを見て絶句した。それもそうだろう。頭からつま先まで余すとこなく全身びしょ濡れだ。しかも雨具を持っていないのではなく、わざわざ脱いでいるのだから理解に苦しむだろう。
「あの。えっと。……今日台風直撃だなんて、知らなかったんですよ」
 間を繋ぎたくて、言い訳じみたことを言う。と、リンスは困ったような顔をした。どう返せばいいのか図りかねているのだろうか。少し申し訳ない気持ちになりながら、差し出されたタオルを受け取った。
「テスラ、天気予報見なかったのか?」
 工房でくつろいでいたウルス・アヴァローン(うるす・あばろーん)が、テスラを見て言った。髪の毛の水滴を拭いながら、テスラは「寝坊しちゃったんです」と返す。リンスもこちらを見ていることに気が付いたので言葉を足しておく。
「いつもはちゃんと見てますよ、いつもは。本当に。おっちょこちょいとかじゃないですから」
「あんまり重ねて言うと嘘っぽいぜ?」
「ウルスうるさい」
 テスラがじとりと睨みつけると、ウルスは大袈裟に肩をすくめて隣に座るリィナと顔を見合わせた。リィナは笑っていたが、苦笑じみた笑みだった。
「ウルスくん、意地悪ばっかり言わないの」
「へいへい」
「こーら」
 新婚らしく仲良しなふたりのやり取りをずっと見ていてもいずれ恥ずかしくなりそうなので、テスラはふたりから視線を外した。ら、リンスと目が合った。微笑みかけて、傍に寄る。
「なんか、この前からカッコ悪いところばかり見られてる気がします」
 喋りながら、甘えているのかな、とテスラは自問した。リンスとの距離感も、上手くつかめない。前は、どれくらいの距離を歩いていたのだろう。今は、どこを歩いているのだろう。前? 後ろ? 隣?
 どこにいればいいのかなあ。そんなことを考える。今更立ち位置迷子もあったもんじゃないけれど、なまじ距離が近くなるとどう接すればいいかわからなくなることがあった。
「別に、いいけど」
「え?」
「カッコつけててもカッコ悪くても、マグメルはマグメルだから。別にいいよ」
「そうですか」
「うん」
 確かにそうだ。私が私であるのなら、らしくいればいい。それは至極当たり前のことだ。
 なら、このままでいいか、と思った。変わらず歩いていこう。今自分がどこにいるかわからなくても、歩いていればわかるかもしれない。
「リンス君」
「ん?」
「百物語しましょうか」
「百物語?」
「はい。百本の蝋燭に火を灯し、ひとりひとつずつ怖い話をしていくという夏の定番なのですが……今は秋ですし、怖い話の代わりに内緒の話をするということで。百物語ならぬ百秘密語りとでも言いましょうか」
 どうでしょう? と説明しながら提案すると、リンスは思案げな顔をした。
「内緒って?」
「なんでもいいですよ。小さいときにした失敗とか、実は〜、って感じの話なら」
「うちに蝋燭百本なんてないけど、それは?」
「私、丁度持ってます」
 レインコートに包んでいたケーキの箱を出す。厳重に丁寧に包んだいたし、フィルが雨避けのビニールもかけてくれていたので箱は全然濡れていない。
「クロエちゃんの誕生日ケーキです。これに立てようと思って蝋燭を探したんですけど、適度に良い物がなくって」
 その時目に付いたのが、色とりどりの百本セットだった。こんなにあってもどうするんだろう、と思いつつも話のネタになるかもしれないと買ってみたが、早速使い道があるなんて。
 自分の名前が会話に挙がったからか、クロエが傍にやってきた。ケーキを箱から出してやると、クロエはぱあっと目を輝かせた。ポピュラーなショートケーキの上に、『Happy Birthday Chloe』と書かれたマジパンが飾られていたからだろう。
「わたしの?」
「そうですよ。クロエちゃん、お誕生日おめでとう」
 プレゼント、とテスラが渡したものは一枚のCDだ。中には、クロエのために作った曲が入っている。タイトルは、『クロエ”きょうそう”曲』。きょうそう、にどの字を当てるかは聴いた人の感性に委ねる。
 ありがとう、と喜ぶクロエの頭を撫でながら、テスラは改めてリンスに微笑んだ。
「いかがでしょう? みんなでケーキを食べながら、百物語」
「わたし、さんせいよ。おもしろそうだもの」
 真っ先に賛同してくれたのはクロエだった。次いで、ウルスが挙手をする。
「俺も俺も。面白そうじゃん。リィナもやろうぜ」
「わたし? うーん、まあ、別に構わないけど」
 あっという間に賛同者が三人。こういう流れになると、リンスは多少乗り気でなくても参加してくれることが多い。今回も、そうだった。
「コーヒー淹れてくる」
「じゃあ、ケーキを切り分けて待ってますね」
「はいはい」
 決まりだ。
 リンスが戻って来るのを待って、遊びを始めよう。


「ではまず私。
 実は、今年のリンス君の誕生日にプレゼント渡しそびれてました」
「リンスの誕生日って結構前だよな?」
「六月」
「はい。渡すタイミングがなくて、そのままずるずると今日に。ごめんなさい。
 ……とまぁ、こんな感じで順番に秘密を言う感じで。じゃ、次、クロエちゃんどうぞ」
「きょうのあさごはんがスクランブルエッグだったのは、たまごわるのにしっぱいしちゃったから。こういうないしょでもへいき?」
「可愛い内緒ですね、大丈夫ですよ。じゃあ次、ウルス」
「俺? あー……俺は今日、ここんちの屋根の雨漏り補修に来たんだけどさ。
 ごめん。直した箇所の殆どが、昔俺が踏み抜いたやつだった」
「…………」
「ワリィって! リンス、無言でこっち見るのやめろよこえぇから! リィナ笑ってないで助けて!」
「やっぱりウルスくんだったんだ。変だと思ったんだよねぇ。このおうち、魔女さんが魔法で出したものだから、老朽化とかしないはずなんだもの」
「えっ」
「はい、わたしの内緒話お仕舞い。次はリンスかな?」
「実は、方向音痴」
「知ってます」
「知ってるぜ」
「知ってるよ」
「しってるわ」
「…………」
「では次、また私からということで――」


 内緒話を繰り返し、いつしか殆どの蝋燭から火が消えた。あと残っているのは、たったの二本だ。最初は五人で百本なんて絶対無理だろうとリンスは思っていたが、案外いけるようだった。とはいえ前半のほとんどが他愛もない失敗談などの雑談に近いものだったからということもあるが。時折、内緒とは関係のない話で火を消したりもしたし。
 やがて台風が激しさを増すにつれ、話の内容も秘密を多分に含んだものとなった。たぶんきっと、みんな少しずつテンションが上がっていったのだと思う。それはリンスも例外ではなかった。いつもと違う雰囲気に、少なからず呑まれていた。
 テスラが初恋の人の話をした。
 クロエは自分は名前さえもらえない望まれなかった子だったと言った。
 ウルスは秘密があるという秘密を話した。
 そしてリィナが静かに言った。
「リンスが昔のことを思い出せない原因を、わたしは知ってるよ」
 姉の告白に、リンスは何も言えなかった。なんと言えばいいかわからなかったし、唐突な告白に驚いたということもあった。
「リンスがそのことについてどう思っているのか、わたしにはわからない。だけどもし、知りたいと思うなら、聞きたいと願うなら、わたしは教えることができるよ」
 言葉を受けて、どうなのだろうと考える。
 思い出すことのできない、七歳より前の記憶。
 ないからといって不自由に感じたことはないし、問題もないように思える。
「わたしの話は終わりだよ」
 リィナがふっと息を吹く。蝋燭の火が消えた。残りは一本。最後になった。
 姉の話した内緒にどう答えようかと少し考えて、リンスは口を開いた。
 最後にする話としては申し訳ないほどあっさりだけど、仕方がない。これが答えなのだから。
「俺、自分の過去に興味ない」
 話を聞きたがっているかもしれない人には申し訳ないけれど、それがリンスの正直な心境だった。
 どうして、と聞かれても困る。だって、今までなくて普通だったのだ。むしろ、なくて当然くらいの気持ちでいた。最初はみんな幼少期の記憶はないものだと思っていたし、やがてそれがおかしいことだと気付いても別に不思議に思わなかった。
 きっと、嫌なことでもあったのだろう。思い出して傷付かないよう脳が記憶に鍵をかけることはまれなことではない。蛇が潜んでいるとわかっている藪をつつくほどの好奇心を、リンスは持ち合わせていなかった。
「終わり」
 ふっと蝋燭を拭き消して、残りは零。明かりを消してやっていたので、暗闇が侵食した。席を立って、電気のスイッチを入れる。ふと外が静かなことに気付く。窓の外を見ると、いつの間にか台風は過ぎていたらしい。雨は止み、月が顔を出していた。
「月が綺麗だよ」
 呟くと、十五夜だからね、とリィナが言った。そうか。そういえばそんな時期だった。昨日の買い出しで、お団子も用意しておけばよかったな、と今更思う。
「お月見でもしようか」
 提案したのは、自分の回答でなんとなく微妙な空気となってしまったから。
 する、と言ってクロエが椅子から降りてきてくれたのは幸いだった。リィナ、ウルスと続いてくれる。
 最後にテスラが席を立って、リンスの隣に並んだ。
 丸い月を、見上げる。
「私は」
 テスラが口を開いた。リンスは、何も言わずに黙って聞いた。
「リンス君のことが、知りたいです」
 そう言ってもらえるのは嬉しいことだった。自分なんかを気にかけて、知ろうとしてくれる。その努力をしてくれる。今更ながら、そんな彼女の気持ちに報いるために過去の話を聞けばよかったのだろうか、と思った。
「いつか、ね」
 いつか、知りたくなったら。
 教えることができると言った姉から、話を聞こう。
 そして聞いたら、テスラに伝えよう。
 たぶん、いやきっと、気持ちのいい話ではないだろうけれど。
 それでも知りたいと言ってくれるなら、隠す必要はない。
「はい」
 いつかとはいつなんだとか、そんな追及をしない優しさに心の中で礼を言って月を見た。
 何年か前にテスラと一緒に見た月のことを、ぼんやりと思い出していた。


担当マスターより

▼担当マスター

灰島懐音

▼マスターコメント

 お久しぶりです、あるいは初めまして。
 ゲームマスターを務めさせていただきました灰島懐音です。
 参加してくださった皆様に多大なる謝辞を。

 ガイドが出る頃に台風が過ぎたと思えば、また近付いてますね。
 わたしは台風でテンションが上がるタイプなのですが、みなさまはいかがでしょうか。
 あまり好きじゃない人の方が多いかな。出かけるのが億劫になりますし、色々大変なこともあるでしょうし。
 何はともあれ、大きな被害が出ないといいですよね。

 それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。