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そんな、一日。~台風の日の場合~

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そんな、一日。~台風の日の場合~
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5


 翌朝。
 アルクラントが携帯を見ると、ベルクからの着信があった。かかってきたのは夜中だ。非常識な時間、とまではいかないが、彼がこんな遅くに連絡してくることはなかったので首を傾げる。
「なんだろう? ……あ、もしかして今日ポチとペトラが遊ぶ件に関してかな?」
「かもね。雨風が酷いから、来れないって連絡かも」
 呟きに、シルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)も同意した。やっぱりそんなところだよなぁ。頷いて、アルクラントがリダイヤルボタンを押すと数コール後にもしもし、という声が聞こえてきた。
「おはよう。昨日は電話に出られなくてすまない。……しかしどうした? 酷い声だな」
『寝てねぇんだよ……』
「はあ。そりゃまたどうして」
『ポチがいなくなった……』
「はあっ?」
 思わず飛び出た頓珍漢な声に、シルフィアがきょとんとアルクラントを見る。ちょいちょいと手招きして、スピーカーホン機能で彼女にも聞こえるようにして、「どういうこと?」と話を促した。
 曰く、ポチの助は今日遊ぶとなると止められそうだから昨日のうちに家を出た。
 連絡は取れない。足取りはつかめない。フレンディスが心配のあまり駆け出して行きそうで、それが心配な自分も眠れていない。
「それは……大変な夜だったな」
『本当だよ……で、その反応ってことはまだそっちについてねぇんだな?』
 ああ、と頷いて時計を見る。午前九時。ポチの助が完全魔動人形 ペトラ(ぱーふぇくとえれめんとらべじゃー・ぺとら)と遊ぶためにうちを訪ねると言っていた時間は十時半。まだ時間があるとはいえ、事情が事情だ。心配になる。
 ペトラはポチの助から何か聞いていないのだろうか。ペトラに聞こうとした時、シルフィアに呼ばれた。逼迫した声だった。
「アル君大変。ペトラの靴もなくなってる……!」
「えっ? 嘘だろ、さっきまでそこにいたじゃないか」
「うん、それがいつの間にかいなくなってたから、まさかと思って今玄関に行ったら……」
「なんてこった」
 もうそれしか言葉が出てこない。軽い脱力を覚える。が、呆けていてもいられない。
「仕方がない……放っておいたら危ないし、私もふたりを捜しに行くよ」
『頼んだ。俺も捜してみるから』
「ああ。だが家を出た時間的に、まだ葦原にいる可能性は低い。あまり無理はしないでくれよ」
『サンキュ。アルクラントも無理すんなよ』
「大丈夫だ。じゃあ、何か進展があったら連絡するから」
 通話を終えて、ひとつ大きく息を吐く。それから窓の外を見て、風の強さに少し笑った。笑うしかないような強風だ。まだ雨が降っていないだけ救いがあるか。その救いもすぐになくなりそうな暗雲が立ち込めているわけだが。
 そうも言っていられないわけで、玄関で靴を履く。
「私も行こうか?」
「いや、シルフィアは家にいてくれ。何か連絡があるかもしれないし。留守を頼むよ」
「うん、わかった。アル君、気をつけてね」
 シルフィアに軽く手を振って、家を出た。湿度の高い、ねっとりとした風が身体を撫でる。半袖から露出した腕を擦ってから、アルクラントは葦原方面に向けて走り出した。


 シルフィアの携帯に着信があったのは、アルクラントが出て行ってから二時間近く経ってからだった。
 液晶に映る名前は、ペトラ。
「もしもし、ペトラ!?」
 急いで電話に出ると、電話の向こうから気の抜けるほどのんびりとした声で『やっほー』と言われた。脱力。
『シルフィア? もしもし? あの、うん? なんか、ごめんね?』
「ごめん、じゃないっ! 何も言わずに出て行くなんて、心配するでしょう!?」
『うん。ごめんね。ごめんなさい』
 叱ると、いつもより数段素直に謝られた。そうしおらしくされては怒る気にもなれない。何より元気そうだったので、正直安堵の方が強かった。
「ポチ君は? そこにいるの?」
『うん。すぐ合流できたよ。今お店に入ってるの。心配しなくても大丈夫だよ』
「そう。帰って来れる? 迎えに行こうか?」
『ううん。ここで少し雨宿りして、それからちゃんと自分たちで帰るよ』
「わかったわ。ちゃんと、天気が落ち着くまで待って帰るのよ。どうしても無理そうならまた連絡してらっしゃい。そこがどこでも迎えに行くから」
『うん。……ありがと』
 そこで、通話は切れた。ペトラの声は落ち着いていたし周りは静かだったし、きっと彼女の言うように心配しなくていい場所にいるのだろう。シルフィアはほっと息を吐き、アルクラントの携帯に連絡を入れた。
「アル君? ついさっきペトラから電話があったの。ポチ君と合流して、今はお店にいるみたい」
『店に? どこの?』
「ごめん、聞いてなかった。けど心配ないって。大丈夫そうだったよ。迎えも平気だって」
『そっか。なら私も一旦家に戻るよ。さすがにこの天気で動くのはしんどすぎた』
 言葉に窓の外を見ると、いつの間にやら土砂降りになっていた。この雨の中捜し回っていたのだから相当疲弊しているだろう。早く労ってあげたい。
「お風呂沸かして待ってるよ。気をつけて帰ってきてね」
『ああ。ありがとう。身体が冷えてるからありがたいよ』
「ふふふ。お風呂にします? それとも私? なんちゃって」
『……その問答は、家に帰ってからということで』
「あれ? 返答、期待しちゃうよ? その返し」
『どうぞお好きに』
 言い逃げるようにして切れた電話に、シルフィアはくすりと笑った。足取り軽く、風呂場へ向かう。
 お湯を溜めながら、帰ってきたアルクラントはなんと答えるのだろうかと想像しては再び笑った。

 
 時間は少し、遡る。
 ポチの助は、走り続けていた。
 定期的に震え続ける着信は全て無視をして。
 一心不乱にツァンダに向けて、ひた走った。
 全てはペトラとの約束のため。
 あの子を待たせないため。
 少しでも、悲しい思いはさせないようにと駆け続けた。
 強い風に飛ばされそうになっても、気まぐれに雨が降っても走り続けた。
 普段通る道を走っていたはずなのに、いつの間にか知らない場所に来てしまったと気付いたのは朝を迎えてしばらくしてから。
 どうしよう、と辺りをきょろきょろ見回していたら、彼女が見えた。短いプリーツスカート。すらりと伸びた素足には編み上げのサンダル。半袖カットソーと、春秋兼用のフード付きポンチョ。顔は、猫耳のフードを目深にかぶっているため見えない。だがそれこそが彼女であることの証だ。
「ポチさーん」
「ペ……」
 ペトラだ。ペトラがいる。信じられなかった。だって待ち合わせはペトラの家で、ああそんなことじゃなくて、どうしてペトラは僕のいる場所がわかったのだろう?
「捜し歩いてたらこんなとこまで来ちゃったよー。ポチさんはどうしてここにいたの? ここ、ヴァイシャリーだよ」
「ペトラちゃんこそ、どうしてここに?」
「だから、ポチさん捜してたんだって。それで偶然、こっちまで。だから、会えてびっくりしてるんだ。実は」
 フードから露出している口元が笑みの形になった。はにかんでいるようだ。可愛いなあ、と思う。次の瞬間、なんだか急速に顔が熱くなって目線を下に向けた。
「ポチさん?」
 ペトラが近付いてくる。視線が下にある分、彼女の足に目が行った。水や泥で汚れていた。彼女も一生懸命探し回ったのだと知って、申し訳なくなった。
 時間通りに辿り着けなかったから。
 余計な心配をかけて、大変な思いをさせてしまった。
「あっ」
 落ち込んでいたら雨が降ってきた。道中見舞った通り雨より強い。傘を持っていないふたりはあっという間にずぶ濡れになった。
 ああ、僕が。
 再び自罰的な気分になっていると、ペトラの笑い声が聞こえた。
「すごいねポチさん。大雨だね!」
「は、……はい」
「僕こんな酷い雨の日に外に出たの、初めて」
「僕もなのです」
「だよねぇ! 普通そうだよねー」
「……ごめんなさい」
「へ?」
「こんな天気なのに押しかけるのは、よくよく考えたら迷惑だったのに」
 なのにここまで来てしまったのは、ペトラとの約束を守りたかったから。
 違う。
 いや、違くない。それもある。それもあるけれど、でも多分一番強い気持ちは。
「僕、ペトラちゃんに会いたかったんです」
 どうしても、会いたかった。
 冷静になって考えれば、こんな天気で約束を遂行しようとしたって彼女の迷惑になるだけなのに。
 それなのに、だって、今日は、ペトラに会えると思っていたから。
「……ごめんなさい」
「謝らないでよ、ポチさん。僕だって、ポチさんに会いたかったよ。来てくれて嬉しいよ」
「……!」
「……ね、どっかお店入ろうよ。このままじゃ風邪引いちゃうし」
「は、はいっ」
 ぱっと辺りを見回すと、ケーキ屋の看板が見えた。『Sweet Illusion』とある。ペトラの視線もそこへと向いた。どちらからともなく店へと向かう。
 カウンターにいたウェイターは、びしょ濡れのふたりに嫌な顔ひとつしなかった。その上タオルを貸してくれて、ごゆっくりどうぞ、と言ってくれた。人の優しさに温かい気持ちになりながら、ひとまず席につく。
「フードも服もずぶ濡れだぁ……乾かさないとだね」
「ごめんなさいです、ペトラちゃん……」
「ん? なんで謝るの?」
「だって僕が――」
 謝罪を続けようとした言葉は、声にならなかった。驚いて息を呑んでしまったからだ。
「ポチさん、どうしたの?」
 ペトラがきょとんとした顔で訊く。そう、きょとんとした『顔で』だ。顔が見える。顔? ポチの助は一瞬理解できなかった。数拍置いてようやく、ペトラがフードを外していることに気付いた。
 そこにいたのは可愛らしい少女だった。
 大きな瞳を縁取る睫毛は髪の色と同じ金に近い茶色で、雨に濡れたからかきらきらと輝いて見える。ふっくらとした頬は白く滑らかで、手を伸ばして触れたくなった。
 そして、目は。
 ルビーと同じ色をした目は、とても澄んでいて綺麗で、真っ直ぐ見ていると吸い込まれそうだと錯覚するほどで。
「…………」
「おーい、ポチさん?」
「…………」
「ポチさんてば?」
「……わあっ!」
「ひゃっ。何。どうしたの」
「だっ、だってペトラちゃん……! フード! いいんですか……!!」
「……前に、言ったでしょ?
 僕の目を見て、って」
 ペトラの目が、ポチの助の目を真っ直ぐに見つめた。
 どくどくと、心臓がやたらめったら早くなる。
「……変?」
「――なわけないじゃないですかっ。綺麗ですよ! 僕が見たどんなものよりも、綺麗です……!」
 言ったあと、あれ? 恥ずかしいかも。と思うような言葉だったけれど。
 ペトラが、恥ずかしそうに、でも、とても嬉しそうに笑ってくれたから。
 そしてその顔をきちんと見ることができたから、恥ずかしさなんてどこかへ消えてしまった。
 だけどしばらくするとやっぱり恥ずかしくなって、
「ケーキ、……食べませんか?」
 誤魔化すように、ポチの助は提案するのだった。