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春待月・早緑月

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リアクション

 午前中のまだ早い時刻、山葉 加夜(やまは・かや)は夫の山葉 涼司(やまは・りょうじ)と連れ立って、近所にある神社へと初詣に出かけた。
 今日は1月1日。神社が混むのは想定内だ。だから早めに出たつもりだったのだが、神社へ着いてみれば、そこはすでにかなりの人の波ができていた。本殿のある境内ともなれば、大混雑だ。
 ここはとりたてて大きな神社というわけでもなく、有名な逸話が残っているわけでもない。病み上がりの涼司のため、体に負担とならないよう近所で、しかも人の来なさそうな静かな場所を選んだつもりが、存外そうでもなかったようだ。
「すみません、涼司くん」
 謝る加夜に、涼司は白い息を吐き出してははっと笑った。
「どうして? 正月から活気があっていいじゃないか。にぎやかなのはいいことさ。
 さあ行こう、加夜。気合い入れろよ。あのなかへ突っ込むぞ!」
 加夜の手を取り、涼司は率先して、混んでいるなかでも特に人が押し合いへし合いしている賽銭箱の真ん前のルートに飛び込んだ。
「りょ、涼司くん、無茶は駄目ですっ」
 人波にもまれながらも加夜は涼司の身を率先して心配する。そんな加夜を見て、涼司はふっとほほ笑むと、かばうように腕を広げて加夜が息をつける空間をつくった。
「俺は大丈夫だ。むしろ、入院する前より力が増してる感じがする」
 それはこれまでにも何度か耳にしてきた言葉だった。
 パートナーの花音を失った衝撃から一時期深刻な状態へと陥っていた涼司をずっと見守ることしかできなかった加夜は、退院したてのころ、涼司を心配するあまり何かと過保護な行動に出ていた。
 あれから月も変わり、大分時間が経過したが、いまだに加夜は内心確証が持てないでいる。そのことを見抜いて、あえて涼司はこんな乱暴な行動に出たのだろうか?
 加夜の肩を抱き寄せ、人を寄せつけない力強い壁をつくって前へと進む。
 賽銭箱が見えてきて、投げれば届く距離になっても我慢して、やがて2人は最前列にたどり着いた。
「ここなら願ったのは俺たちだって神様にも十分分かるな。
 さあ、祈るぞ」
「はい」
「せーのっ」
 用意済みの5円玉をポケットから取り出して2人同時に賽銭箱へ放り込む。天井近くにある大きな鈴からぶら下がった紅白の布を握り、がらんがらんと鳴らして、加夜は祈った。
(1日も早く、花音ちゃんが私たちの元へ戻って来てくれますように)
 そのあと、あわてて「元気に」と付け足す。
 そして……。
(今年は涼司くんとの子を授かりますように)
 少しためらったあと、そう祈った。
 子どもは天からの授かりものという。2人の時が満ちて期が熟せば自然と2人の元へやってきてくれる。
 だから加夜も涼司も全然あせるつもりはなかった。2人はまだ若い。まだ時間はあるから、と。
 だが最近になって、加夜は妙に意識している自分に気づいていた。友達の赤ちゃんや、街ですれ違うベビーカーがやたらと目にとまるようになって、気づけばおなかに手をあてている。
 これが、期が熟したというのかもしれない。
「ずい分長く祈っていたな」
 腕を組んで境内を歩きながら涼司が訊いた。
「何をお願いしたんだ?」
 止めようもなく先のお願い事が浮かんで、ほんのりとほおが赤く染まる。
「そういう涼司くんは、何と祈ったんです?」
「えっ? 俺か?」
 問いに問いで返されるとは思わなかったという表情をして、ふいと顔を真正面に戻す。
「内緒だ」
「じゃあ私も内緒です。ずるいですよ、涼司くん。私のは知りたいのに自分は内緒なんて」
 その言葉に涼司は少し考え込み、ぽつっとつぶやく。
「花音がこちら世界へ戻ってこられるように。もしそれが難しいなら、連れ戻す機会がほしいって祈った」
「涼司くん」
「あいつが自ら向こうにいることを選択したんなら、俺はそれを受け入れる。けど、あのときの花音はそんな口調じゃなかった。もしあいつが自力で戻れないでいるっていうんなら、俺が絶対連れ戻してやる」
 苦悩と葛藤に満ちたつぶやきだった。
 そうする方法が分かっているなら、今すぐにでもそうしているだろう。迷いなく、行動しているに違いない。
 だができない。方法が分からない。ただ時を待つしかない歯がゆい思いが伝わってくる。
(涼司くん……)
 きゅっと組んだ腕に掴まった手の力を強める。
「私たち、ですよ。みんな、花音ちゃんを心配しているんです。私たちみんなで花音ちゃんを助けましょう」
「……ああ。そうだな。すまない、思いつめたりして」
 花音のためにも、涼司のためにも。きっと。
 ひそかに加夜は決意を固めた。
「ところで、加夜は何をお願いしたんだ?」
 訊かれて、はたりと加夜は気づいた。
 「涼司くんの赤ちゃんがほしいです」なんて言えない。
 かといって「私も同じことをお願いしました」なんて言ったところで信じてもらえないだろうし。
「涼司くん。あそこにおみくじがあります! 引いてみましょう! きっと待ち人来たるって書いてますよ!」
「あっ、おまえ、ごまかす気だな?」
 ぱっと飛び出すように駆け出した加夜を追って、涼司も走り出す。
「ずるいぞ。俺は言ったのに」
「いいんです。女性には許されるんですよ? 知らなかったんですか?」
 抱き締めるように捕まえて、顔を合わせ、どちらともなくぷっと吹き出すと笑った。
「こうやって、来年も笑い合えるといいですね」
「それが、加夜の願い事?」
「内緒です」
「やっぱり加夜はずるい」きょろきょろと周囲を見渡して、だれも自分たちに注意を払っていないのを確認してから、そっとささやく。「じゃあかわりに、加夜からキスだ」
「……えっ? ちょ、涼司くん?」
「それとも、願い事を教える?」
「も……もうっ、涼司くんこそ、ずるいですっ」
 さあどっち? と迫られて。加夜は赤くなり、迷いながらも涼司にキスをした。
「これで、いいですか」
「だめ。足りない」
 ぐいと腕を引っ張られ、情熱的なキスで唇をふさがれる。
 赤かった顔がさらに赤くなって、そのままぼふんっと涼司のコートに顔を埋める。なかなか顔が上げられないでいる加夜の気持ちを分かっているというように、涼司は黙って抱きしめている。ようやく顔を上げた加夜はしどもどに「おみくじを引きましょう」というようなことを口にした。多分。覚えていないけれど。
 そのあと、2人で引いたおみくじには、たしかに「待人:音信もて来たる」の文字があった。
 ただし、その「待ち人」がどちらをさすのか――あるいは両方?――は、まだだれにも分からない。