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Buch der Lieder: 桜んぼの実る頃

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【空京: 病院】


「今どんな感じかなぁ?」
 託が覗き込んできたのに、キアラは地図上の自分達の位置を示した。
「入ったのがここの正面玄関からっス。
 それで最初はこの眼科と皮膚科の間にある非常口を目指してたんスけど……」
 武尊が消えていた事に気付いて、引き返した彼等の現在位置は、その非常口から離れてしまっている。
「悪い、迷惑かけて」
「私達も気付かなかったしオアイコってやつっスよ」
「そうですよ! 今はとにかく前進あるのみです!」
 肩を落とした武尊に姫星と一緒に何でも無いと答え、キアラは話を続けた。
「それで〜、今は多分この放射線科の横なんスよ。ホントはこの隣のリハビリテーション科の中に別の非常口があるみたいなんスけど、壁作っちゃったんで……」
 ふむふむと頷いている託に、キアラは逡巡して、描画モードに切り替えて端末の上で指を滑らせた。地図の上に彼女が思うルートが描かれる。
「この廊下抜けて、東館の売店横の非常口が一番近いっスかね。
 こんな感じだから、現在位置も合ってるか怪しいものっスけど」
「試しにでもやってみるしかないよな」
 とかつみは言って、視線を後ろへ向けた。
 こうしている間にどんどん顔色を悪くしていくグラキエスの事を、皆が気に掛けていた。彼自身それに気付いているようで、皆に心配をかけないようにと気丈に振る舞っている。
 しかし幾ら見た目を隠そうと、自分を誤摩化す事は出来ない。身体は計らずとも分かる程に発熱し、目眩で視界が歪む。おまけに全身が鈍痛で一歩踏み出すにも辛い状態だ。
(……体が思うように動かない)
 最早自分で歩く事は不可能だと判断し、呼び出した影の狼に凭れた時だった。ふと背後に気配を感じたグラキエスが振り返ると、注射器の群れが弱っている彼だけを確実に狙ってきているのに気付いたのだ。
 身体を翻そうとしても間に合わない。
「エンドロア!」「グラキエスさん!」
 叫んだのは同時、リーチからスヴェトラーナよりウルディカの方が辿り着くのが早かった。パートナーの盾になりウルディカが倒れるか――と誰もが思った一瞬、セレアナの放ったダガーが注射器を弾き返す。
「セレン!」
「分かってる!」
 つうかあの仲のやり取りを経てゴッドスピードで機動力を高めたセレンフィリティがグラキエスの前に入ると、踊る様な複雑な動きで美しい肢体を刺そうとする不埒な注射器を交わし、グラキエスを襲う全てを銃弾で撃破する。
「大丈夫よ、こんなやる気のない異空間なんてすぐ出られるから!」
「私達がカバーする、任せて」
 セレンフィリティとセレアナ。頼もしいコンビに鼓舞されて、ウルディカとスヴェトラーナに支えられながらスカーの背中に乗ったグラキエスは、身体がどれだけ蝕まれようと心を強く持っていた。 


 こうして十分もかからないで辿り着く場所に数十分以上の時間を掛け、一行は漸く出口に辿り着こうとしている。
 入ってきた出入り口がお菓子の扉になってしまっていたのに、今見えている非常口の扉は通常通りのそれで、恐らくそこから異空間の外に出られるものだと期待が煽られた。
 だが最後こそ一筋縄でいかないものらしい。矢張りそこはセオリー通りというように、注射器や包帯の猛襲が始まった。
「さーて、妨害が当然の如くくる訳だが……
 アレクに比べりゃ遅え遅え、見てから対応余裕だっつのー」
(今いる面子を護り切る位は訳ねーわな)
 唯斗が後ろの仲間を一瞥し、拳気を纏った手で注射器を捕まえ床へ打ち込んでしまう。
「自力? じゃあ抜けねぇよな」
 と笑う彼の声を聞きながら、真は考えた。注射器の群れを相手ににするのに、――唯斗のように規格外の能力を持つ契約者を除けば――拳で戦う真は不利だ。何故なら筒の部分だけ狙って攻撃するには、高い集中力が必要になってしまう。
 それにセレンフィリティたちがガードしているグラキエスの事も気にかかる。
(動けない彼も心配だ。だったらここは――)
「俺が引きつけるよ!」
 真がそう宣言して走り出すと、左之助も皆へ「頼んだ!」とそれに続いた。そうして真は走り回る事で敵を翻弄し、左之助はパートナーに近付き過ぎた注射器を槍で叩き落とす。さゆみのシュレーディンガー・パーティクルの粒子によって、敵の動きが鈍っているのが彼等を助けた。
「もうなにも怖くない、は、いっちゃダメな臭いがする、ねっ!」
 と、矢張り軽口を叩きながら縁がクロスファイアを浴びせるのに、姫星も叫んだ。
「行きますよ新必殺技、ゴル……ゴ、ゴ……」
 否、叫べなかった。
「やっぱりいつもの口から火術! ボワァー!」
 借金乙女姫星にはゴルダを投げて攻撃する事は難しかったようだ。
「しかし……この敵の量では多勢に無勢……正体不明の心霊現象が相手では解析も出来ぬ」
 ハーティオンが戦いの最中にそう口走っていると、彼の身体に何処からかきた包帯が巻き付いてしまう。
「むっ! しまった!」
 ぎゅうぎゅうと締め上げてくるそれに続いて、真達を追い掛けなかった注射器までも此方を目掛けて飛んでくる。
「い、いかんこのままでは……!」
(やむをえん!奥の手で行くぞ!)
「ぬううっ!」
 ハーティオンが装着したブースターが、彼の咆哮に応じて熱くなり、灼熱の炎を吐き出した。
バーニングドラゴンッ!
 炎を身に纏い、一匹の赤い龍と化したハーティオンが包帯から抜け出すと、瑠奈が駆け寄ってきて彼に回復を施す。
「すまない、ありがとう」
「他に痛い所は無いですかにゃー?」
 ハーティオンに微笑みかけた瞬間、瑠奈の顔がぴくりと表情を変えた。彼女は常に周囲を警戒していたから、そのセンサーに何かが引っかかったのだ。
「……何処だ? 歌のする方向に居るのか?」
 かつみが歌の聞こうと耳を澄ます。
 するとアデリーヌが俄に強烈な光りを発し、害意を見抜いて声をあげた。
「いえ、あちらですわ!」
 彼女の指差す方向を向いてハーティオンはそれを目に捉えた。
「むっ?!」
 鮮やかな菓子のなかに、一つだけ鈍色に輝くもの。ハーティオンは回復中だった瑠奈の肩に手を置いて立ち上がる。
(あれは……病院の機材を模った敵か!)
「仲間達には手出しはさせんぞ! たあーっ!」
 ハーティオンが胸から取り出した光り輝く剣――勇心剣で真正面斬り合ったのは、全長1メートルはあるかという銀色の刃物だ。
「これって……メス!?」
 離れた位置から仲間達を応援するラブが声を上げるのに、姫星が槍の石突で彷徨う様に彼女のところへ飛んできた注射器を跳ね上げ、素早く柄を回転させ、穂先でハーティオンの剣と激突し動きが崩れかけているメスへ向かって狙いを付ける。
 だが多くのギフトのように、本来あるべき“武器を扱う人間”が居ないというのは、存外やり辛いものだ。
「全く……どこの誰だか知りませんが、病院の器具をこんな風に使っちゃメですよ!!」
 姫星が言うと、メスが“起き上がろう”とするのを、輝がランスを投げ、託がチャクラムで弾きながら邪魔して、敵の動きを読み易いものへ変えてくれる。
(今ですね!)仲間に心の中で問う様にして、姫星は駆け出した。
「はぁぁぁっ、チェストォォォーーー!!」
 ギインッと激しい音を響かせて、姫星の槍とメスが激突する。
 彼女の刃、ハーティオンの刃と、メスが契約者にぶつかるのは二度目だったが、流石医療器具と言った所なのだろうか? 刃先にひびが入っただけで、未だ破壊には至らない。
「真面目に相手してるだけ時間の無駄だよ」
「先に脱出するっスよ!」
 キアラの声に反応して、睡蓮の聖獣達とファイティングパンダが、露払いと動いた。
「美羽、行こう!」
「うん! 皆、ここは私達に任せて!」
 美羽は機晶魔弓イニミークスから放つ光の矢で、セラフィックフォースを発動させパワーアップしたコハクの日輪の槍と共に、彼等の進路を阻む包帯を斬り裂いて行く。
「さあ皆さん、こちらです!」
 睡蓮の導く声は清廉そのものだが、彼女の弓は隠れた敵を一匹も逃すまいと拡散し射抜いていくので、天使なのか、夢魔なのか、ハンターなのか何なのか――。
 兎に角彼女に導かれて、キアラが非常口の扉に手をかける。
「開く?」
「わかんないっ鍵掛かってないみたいなんスけど、向こうから抑え付けられてるみたいな――!」
 キアラが冷や汗を額に滲ませながら押したり退いたりがちゃがちゃとドアノブと格闘している。
 一行の後ろにはメスが迫ってきている。唯斗と真と左之助が動いた。
 唯斗の実体型分身が四体現れた事に、メスが行くべき方向を見失い速度を落とすと、そこへ左之助が真の拳と己の槍の突きで両側面から交互に突きと殴打を喰らわせた。
 皆の攻撃を何度も受けていたメスはひしゃげるようにしながら、べったりしたヌガーの上に落ちてびくびくと痙攣を繰り返す。
 これで時間が稼げる! と、振り向いた瞬間、キアラが「わ!」と声を上げた。
 非常口の扉が強い光りを伴って砕け散る。
 思わず瞑った瞳を、ゆっくりと開くと、契約者達の前に光りの翼を広げたトーヴァ・スヴェンソン(とーゔぁ・すゔぇんそん)が剣を突き出していた。彼女は帝国へ行っていた筈だが、これもあの幻影のような世界の延長なのだろうか?
「おっ、開いた開いた〜♪」
 鍵の役目を果たしたのは、彼女の強烈な攻撃力によるものだったのだろう。傾れ込む様に外へでた契約者たちが未だ夢心地でトーヴァを見上げていると、その横を白い影が風のようにすり抜けた。
「ウィリ!?」
「ヤバい!」
「逃げちゃいます!」
 契約者達が慌てて体勢を整え影を追いかけようとした時、強い魔力の波動を感じて彼等の視線が誘導される。
 適当に束ねられた栗色の長い髪。隙の無い光りを称えた切れ長のグリーンアイズ。双子の弟と揃いの白い装束の男が槍を手にしている。
「アル兄様?」
 キアラがその存在に気付いて名を呼んだのは、トーヴァの恋人アルケリウス・ディオンだ。彼が突き出した槍の先から、雷に似た光が枝分けれして伸び、檻のように敵を捕らえているのが見える。
 つまり敵は一体ではない。契約者達の目に映るのは複数の種族の――女達のシルエットだった。
 串刺しにこそなっていないが、身動き出来ずに悶えているところへ、アルケリウスが追い討ちをかけようとした、その時だ。
「ち……っ、殺す方が余程楽だな」
 舌打ちすると同時。敵を拘束していた光が消えると共に、アルケリウスの輪郭が解けると、普段のゼリー状のサンショウウオのような生き物がそこにいた。小さな体と羽で、ぽとりとトーヴァの肩に乗っかるその姿は、表情こそ判らないものの、ちょっとしょげているようにも見える。先日全力を使い切ったばかりで回復しきってないところに、恋人の前だからと無理をした結果がこれなのだから、仕方が無いかもしれないが。
「もう。そんな顔しないの」
 おおよそ人間からかけ離れた物体相手にそんな顔とはどんな顔なのかと皆が突っ込むよりも前に、トーヴァは恋人をその豊かすぎるバストの間にしまい込む様にして、契約者たちへ向き直った。
「ハァイ皆、久しぶり! トーヴァおねーさんと超獣アルケー君参上!!」
 余りに軽い挨拶に、皆の肩の荷がどっと落ちた。
 彼女が言うには、二人は帝国での事件の遺跡関係の事後処理を済ませてシャンバラへ戻ってきたばかりなのだという。帰って来た足でそのまま向かった基地でこの件について聞いたトーヴァは、パートナーのキアラと友人達を心配し、此処へやってきていた。
「――そしたらキアラちゃんの気配があるのに、本体が無いじゃない?
 アルケリウスは違う空間に居るっていうから、彼に手伝って貰って……」
「こうなった訳っスか」
「そそ。
 でもアレクから“ハインツが気になる話――夢がどうとか言ってるから調べろ”って言われた時は、まさかあんな事になるとは思わなかったわ。
 向こうも大変だったし、こっちも大変だったみたいね。
 皆お疲れ様……って言ってもこっちはまだ終わってないけど、とりあえず」
 伸びをして、トーヴァは胸元を指先で広げながら、そこでむすっと拗ねている様子のゼリー状の恋人に質問する。
「さっきの、詳しい事分かった?」
 ぶにぶにの身体がこくりと頷いたのに、トーヴァは恋人への誇りと尊敬を滲ませた笑顔を彼に向ける。
「じゃあ後で教えてね」
 ちゅっと軽いキスが送られたのに、アルケリウスは傍目には非常に判りにくいが、照れたのだろうか。小さな体を捩って、もう一度頷いた。
「えっと、どうしよう…………」
 キアラが見上げてきたのに、トーヴァは微笑んで首を横に振る。
「今、この隊を率いてるのはキアラちゃんでしょ」
 頼り切りにしていた義姉から認められたのに気がついて、キアラは頬を染めると、仲間のもとへ駆け寄って行く。
 今直ぐ治療すべき怪我は無いか、精神の異常等は無いかなど必要最低限の確認を経て、仲間達と改めて今後の流れを確認しなおし、キアラは背筋を伸ばし皆へ笑顔を向けた。
「帰還します!」