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あの日あの時、あの場面で

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あの日あの時、あの場面で
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【それぞれの還る所】



 一万年。
 言葉にすると簡単で。けれど、想像もつかないような遥か古にあった都市が、ようやくその鎖から解かれ、正しい姿へと還っていき、一つの歴史と伝説は終わりを告げた。
 が、それを見送った者達にとっては、そこから先も明日は続いていくのだ。

 そして……そんな日常の壁に最初にぶつかろうとしている友人、ディミトリアス・ディオン(でぃみとりあす・でぃおん)に、遠野 歌菜(とおの・かな)はぽんぽんと背中を叩いた。
「大丈夫ですよ。アニューリスさんは、ディミトリアスさんのことを良く判ってらっしゃいますから!」
「……ああ」
 励ますようなその明るい声に頷きはしたものの、その表情は硬い。その原因は、失った腕のことだ。
 とは言っても、ポセイダヌスに体を貸していたときの事であり、正確には本物の肉体ではないディミトリアスの身体である。既にきちんと見た目は回復しているのだが、一度は犠牲にしたのもまた事実だ。
 勿論不可抗力ではあるのだが、かつてそうやって自身を犠牲に恋人を封印したという前科のある男である。その封印を受けた相手であるアニューリスの、目の前で恋人を失う絶望と当事の深い悲しみを思えば、彼女の反応に不安を覚えるのも無理からぬ話だ。思わずといった様子で溜息を吐き出したディミトリアスに、歌菜は苦笑した。
 自身も戦う者として、ディミトリアスの気持ちはわかるし、一方で同じ女性として、アニューリスの気持ちも理解できる。
(でも……多分大丈夫だと思いますけどね)
 ディミトリアスの懸念に対して、歌菜はあまり心配はしていなかった。先の彼女の言葉通り、アニューリスはディミトリアスのことを誰よりも理解していると知っているからだ。が、それでも歌菜が放っておけないでいるのは、彼自身の性格と性質に由来する。
 歌菜から見たディミトリアスは、少々天然で、何かにつけて不憫な男であり、事実、ディミトリアスとはそういう男なのである。野暮とは思いつつも、アニューリスのもとへ向かう道すがらに、とんとん、と歌菜はその肩を叩いた。
「いいですか、ディミトリアスさん。まずは、目を見て「ただいま」を言って下さい」
 忘れられがちではあるが、ディミトリアスの見目はかなり良い方だ。女性ならば、見つめられればそれだけで、少なくとも一瞬見蕩れる。それが作戦だ。こくんと素直に頷いたディミトリアスに歌菜は続ける。
「それから、心配してくれた事への感謝を伝えるんです。謝っちゃ駄目ですよ? 有難うを伝えるんです」
 自分のやりそうな言葉を言い当てられて、ぐと詰まったディミトリアスは、既に教師に教わる生徒よろしく、はい先生、とばかりに頷く。感謝、感謝か、と、言葉を捜しているのか既に怪しい予感がするディミトリアスの横顔に、これが必殺、と、歌菜は両腕を胸の前で組むようなジェスチャーをしてて見せる。
「そして……ハグ! これで完璧ですっ!」
 私なら、問答無用で許しちゃいますねっ、と、女性ならではの目線で力説する歌菜に、ディミトリアスが「成る程」と目を瞬かせている隣で、同じく「成る程な」と呟いたのは月崎 羽純(つきざき・はすみ)だ。
「それ、使えそうだな」
 自分がディミトリアスのような状況に陥ったら使おう、と、企んだ顔が言うと、歌菜は頬を膨らませた。
「もう、羽純くんっ!」
 それは、その一連を「手」として使おうとすることへの抗議のようであり、そんな状況に陥るなんて考えないで欲しい、と訴えるようであり、羽純はそんな可愛い恋人に「冗談だ」と笑って見せた。
「そんな顔するな」
 そうして、宥めるように歌菜の頭を撫でた羽純は、踏ん切り悪くそんな二人を眺めていたディミトリアスに思わず苦笑して肩を叩き、そのままその背中をぐっと押した。
「行って来い。しっかりな」
 声に手に背中を押されたディミトリアスは「ああ」と頷くと、ある種彼にとっての最大の難所へと向かっていったのだった。


 初手は、歌菜の読み勝ちと言うべきか。
 立場が圧倒的にアニューリスの方が上であるとは言え、恋人からの眼差しは開きかけた口を閉ざすには十分効果的で、ディミトリアスの「ただいま」はその表情を緩やかにさせた。とは言え、そこは長年に培われた関係性がそうさせるのか、すぐに空気はひやりとしたものを纏い始めた。
「……聞いているよ。その腕のこと」
「っ、あ、ああ……」
 反射的に謝罪を吐き出しかけたのを、先程の歌菜のアドバイスを思い出してぐっと堪える。そんなディミトリアスの反応が珍しかったからか、普段どちらかというと閉じているように見えるアニューリスの目がじっと恋人を見上げた。
「その体を貸し与えた事も聞いた。貴方は、どれだけ私を心配させれば気が済むのだろうね?」
 普段、友人達に対するのと口調も声音も違うアニューリスの言葉は、一言一言が確実にディミトリアスを劣勢に追い込んでいる。あれは厳しい、と羽純も思わず同情の目を向けざるを得ないが、今加勢に出ては彼の努力を無にしてしまう、とぐっと堪えた。
(が、頑張ってディミトリアスさん……!)
 遠巻きに様子を伺う歌菜も、手に汗握って拳を握り締める。その思いが通じたのかどうか、暫くお小言を耳にしていたディミトリアスは、ついに謝罪は口に出さないで乗り切ると「巫女」と静かにアニューリスを呼んだ。
「……心配をしてくれて……ありがとう」
 あわや謝罪か、と思ったところで、その言葉はすとんと空気の中に自然に落ちた。目を瞬かせるアニューリスに、ディミトリアスはようやく硬い表情を緩めて少し笑む。
「君が想ってくれているから、俺はここに帰って来れる。どんな事があっても……必ず帰って来なければならないと、今はちゃんと、判っている」
 そうして、再びの「ありがとう」を口にすると、ディミトリアスはその腕をアニューリスに回して抱きしめた。その動きが先程の歌菜のジェスチャーをきっちり再現していたのは、見ていた彼女達にしかわからないことだ。
 二人の埋まる距離に、自然とアニューリスのほうからも腕を回すのを見届けて、ふう、と歌菜は息を吐き出した。いざとなれば助太刀しようと遠巻きにしていたが、この様子ならもう大丈夫だろう。羽純も安心したように、知らず力の入っていた肩を解している隣で、歌菜は「残る一人」に向けて報告を終えていた。
「……と、言うわけですから、お二人は大丈夫ですよ」
『……そうか』
 電話の向こうから聞こえてくるのはディミトリアスの双子の兄アルケリウスだ。
 先の邪龍との戦闘の折、力の殆どを使い尽くしてしまった事や、自身の恋人の下へ戻るため、一足先に帰ってしまっていた彼も、二人のことは気にかかっていたらしく、普段は人を寄せ付けない雰囲気の声が、今は少し穏やかだ。
『……世話をかけたな。礼は、する』
 基本的に会話を拒む男に、そんな言葉まで言わせてしまう程、アルケリウスにとってディミトリアスとアニューリスは大事であり、同時にその関係性にやきもきしているのだと悟り、歌菜は思わずくすりと笑みをこぼし、返答を探して「そうですね」と少し考えてから口を開いた。
「……今度手あわせしていただけませんか?」
『……手合わせ?』
 電話の向こうから首を傾げる気配がするのに「はい」と歌菜は頷く。
「槍使い同士、一度お手合わせ願いたかったんです」
「……どうせなら何か賭けたらどうだ?」
 そんな歌菜の言葉に、割り込んだのは羽純だ。
「負けた方が甘味を奢るとか」
「もう、それ、羽純くんが食べたいだけじゃないですか?」
 歌菜が小さく口を尖らせていると、電話の向こうから珍しく少し笑ったような息の音が聞こえてきた。
『……いいだろう。覚悟をしておけ』
 それは、槍のことについてだったのか、奢りの件なのかは判らなかったが、アルケリウスの挑戦的な声に、歌菜は受けて立ちますとばかり、はいっと明るく応じたのだった。



 そうして、ディミトリアスの顛末を見届けた後。
 花束を抱えた羽純と共に、その足でクローディスの病室を見舞ったその帰り。
 不意に歌菜は、記憶を共有した彼――イグナーツのことを口に乗せた。
 初めて、その記憶に触れた時の事だ。奇妙な感覚と、見覚えの無い景色に戸惑いながらも、不思議と他人のような気がしなかった彼の気配。全くの他人で、遠い時代の人で、なのに何故か懐かしさすら感じるほど、覚えのある身近な感覚。
 それが何故なのか、ずっと考えていたのだが、こうして隣に並んでいると、その理由に思い至る。
「羽純くんと、同じ匂いがしたの」
 首を傾げる羽純に、歌菜は続ける。
「勿論、見た目は似てないけど……でも、似てるの」
 もどかしげに歌菜は言ったが、実際にイグナーツを消え行く遺跡の中で見ていた羽純は、そうか? と更に首を傾げた。
「全く似てないと思うが……」
 神殿の中、歌うその姿は穏やかで、柔和で、思慮深そうで。自分のように誰か一人を熱烈に愛したり、とそういう情熱的な部分は薄いように見えたのだ。だが、そんな羽純の評価に「そうじゃなくて」と歌菜はその感覚を言い表す言葉を見つけられず、眉を寄せる。
「上手く言えないんだけど……例えば……そう! イグナーツさんね、甘いもの、凄く好きだった見たい」
 見つけた共通点にぱっと歌菜は顔を輝かせたが、やはり羽純は怪訝げなままだ。甘い物好きの男なら、それこそ沢山いるだろう、とその顔が語るのに「ううん」と歌菜は首を捻った。
「どうすれば上手く伝わるかなあ……」
 いつかまたどこかで彼に会えたら、その答えも見つかるだろうか。
 そんな歌菜の言葉に「そうだな」と羽純は頷く。
「もう一度会えたら…何所がどう似てるのか、きっちり説明して貰うさ」
 そう言って微笑んだ羽純は、自然と歌菜の手を取って、優しく握り締めていた。
 歌菜の話で聞くイグナーツという男が、自分と似ているかもしれないと、思うのはその求めたものだ。心と心を繋ぐ、家族と言う存在。ただそれが恋人という暖かくも熱く激しいものではなくて、安らぎと穏やかさであった点だけが違うものの、彼が得られなかったもの、得たいと願っていたものを自分は持っている。
 そう思うと羽純は、恐らく歌菜も同じく思っているだろう、祈りに似たようなものを胸の内に抱きながら、月の光を浴びてきらきらと輝きながら波打つ海を見やった。


 ――願わくば、出会ったあの人達が、輪廻の先、今度は思うように道を歩めるように、と。