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別れの曲

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【再会】


 2025年、初夏の事である。
 シャンバラ教導団大尉水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)は、パートナーのマリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)と連合陸軍特殊任務旅団の在シャンバラ部隊――通称『プラヴダ』の基地を訪れていた。
 用事と言っても他軍、単なるご挨拶程度のそれが終わり、応接室から入り口へ続く廊下を歩いていた折である。
「めー!」
 と、軍基地には不似合いな鳴き声を耳にして、ゆかりとマリッタは同時にそちらを振り向いた。
「わー可愛い、ね、カーリー!」
 マリエッタは無邪気にそう言うが、日本人のゆかりが形容するならば、黒い団子である。
 角がついている事と、鳴き声という申し訳程度の要素からあれは『黒山羊』ではないかと推測させたが、……ではなんの種族だろうか。
「カーリー? カーリーってば!」
 今ひとつ判然としない気持ちで、そして「どこかで見たような気が……?」と思いながらその黒山羊団子を見つめていると、向こうからどういう訳か足音も立てずに青年がやってくる。
「おいで、スヴェントヴィト」
 あの甘い声、黒いブーツが短く見えてしまう程長い足、均整の取れた体つき、それにあの見事なゴールデンブロンドには覚えがある。
「――あ」
 うっかり声を漏らしながら青年が黒山羊団子を抱き上げる様をまじまじと見ていると、あちらもゆかりに気付いて目が合ってしまった。
 印象的な海色のグレーアイズに、ゆかりは遂に青年を記憶の中の彼と結びつける。
(あの舞踏会の人――!)
 ゆかりが思い出したのと同時に、マリエッタも何かに思い当たったらしい。パートナーが瞬きをしているのを隣に感じる。
「……あの、以前お会いしましたよね」
 そう、確かあの人はハインツと呼ばれていた。
 遠慮がちに声を掛けてみるが、彼の方は薄い笑顔を浮かべながら「失礼、あー……」と口に出すばかりだ。どうやら彼はゆかりを見ても、一切思い出す事がないようだ。更にあの時は女を夢見心地にさせるような気障な台詞がポンポンと出て来た彼だったが、任務中に無駄口は叩かない主義らしい。
「舞踏会です。仮面舞踏会でお会いしました」
 助け舟を出してみるが、逆に皮肉っぽい笑顔で返された。確かに仮面を付けた状態で、知り合いでもない人物を識別するのは難しい事だろう。
 気まずい状態になってしまったと視線を彷徨わせて戸惑っていると、今度は彼の方が口を開く。
「その他にも会ってませんか? 僕は仮面を付けていないあなたに覚えがある様な気がする――」
 と、そんな時。
 静かな廊下に小走りの足音を響かせ、誰かが駆け寄って着た。  
「あ、ハインツ――……」
 足を止めて彼の隣に立ったのは、スヴァローグ・トリグラフ(すゔぁろーぐ・とりぐらふ)ら残りの子山羊を引き連れた遺跡調査団『ソフィアの瞳』ツライッツ・ディクス(つらいっつ・でぃくす)だ。何故彼がこんな場所に用事があるのだろうか。
(一応誰でも入れる区画だけど……)
 訝しむようにしてしまうと、ツライッツはゆかりを振り返って、条件反射のような微笑で軽く会釈し、また彼へ向き直る。と、その腕の中にひょこりと見えるスヴェントヴィトの姿に「ここにいましたか……」と緩く息を吐き出した。
「すいません、ちょっと目を離した隙に飛び出して行ってしまって」
 あなたを探してたんですね、と、申し訳無さそうにもう一度、自身の監督不行き届きを「すみませんでした」と謝罪してから、ツライッツはゆかりを振り返って、こちらにも頭を下げた。
「お久しぶりです」
「こんにちは、お久しぶり」
 当たり障りの無い挨拶の様子を彼が瞳を大きくしながら見ている事に気付いて、ツライッツは物慣れた様子で二人を紹介するためにくるりと身を翻した。
「シャンバラ教導団の水原ゆかり大尉と、パートナーのマリッタ・シュヴァールさんです。
 遺跡調査の折で、何度か助けていただいた事がありまして」
 名前を聞いて答えを見つけた事に、彼は「ああ」と顔を綻ばせる。
「去年横浜で会った方ですね。昼食をご一緒しました」
 あの時はどうも、というように彼が懐っこい笑みを見せると、ツライッツは次いでゆかりとマリエッタへ向き直った。
「シュヴァルツェンベルク侯ハインリヒ。
 地球の連合陸軍の少佐で、プラヴダの副旅団長で……、えーえ、と。夫です」
 かれこれ半年以上経つというのに未だ言い慣れないのか仄かに頬を染めながらのツライッツの紹介に、ハインリヒは片眉を上げゆかりとマリエッタにおどけたように肩をすくめて見せると、すぐにツライッツへ向き直ってスヴェントヴィトを彼へ手渡した。
「ごめんね、もう一カ所寄るところがあるんだ。食堂にジゼルが居るから、一緒に待ってて」
 早口の指示に従順に返事をする頬に軽く口付けたハインリヒが、惜しむように取った細い指先には確かに指環が嵌まっている。
「……やっぱり途中まで一緒に、ちょっとくらいいいだろ」
 甘える瞳は愛する人にだけ向けられる特別なものだ。それは『あの舞踏会に自分を見つめた熱っぽい視線は思いきり作り物であったのだ』と、ゆかりに得心させた。
「それじゃあ僕は任務があるので。失礼します」
 仕事用の薄い微笑みをもってハインリヒがツライッツを伴ってその場を去るのを、ゆかりとマリエッタは敬礼で見送る。そもそも仕事上で考えれば、彼は所謂スーパーエリートで、気軽に会話する立場に無い人物なのだから、それが当たり前だった。


「なんというか……味気ないわね」
 ゆかりが呟いたそれに、マリエッタは興味深げに彼女の顔を覗き込むが、苦笑で誤摩化して首を横に振る。
 ときめくような出会いも、その後物語へと続くのは、主人公二人が互いに独り身だった時だけなのだろう。彼に愛する人が居るように、ゆかりにも恋人が居るのだ。
 この後任務が終わったら、官舎に背を向け彼のもとへ走る予定だった。
「今日も朝帰り確定?」
 からかうようなマリエッタの声に、今度ははぐらかさずに、ゆかりは笑顔を見せた。