校長室
そんな、一日。~某月某日~
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2???年??月??日 久しぶりに旅行でもしようか、と思って出向いた先でこんなことになるなんて、誰が予測出来ただろうか。 真っ暗な空間でエメリアーヌ・エメラルダ(えめりあーぬ・えめらるだ)は重い息を吐いた。どうやら私は、随分とトラブルに愛されているらしい。 ちっとも嬉しくなかったが、それも私の物語だと思うと嫌な気持ちにはならなかった。昔からそうだ。昔から。そう、一人になるずっと前から。一人でいた時から。 取り留めのない思考に身を委ねていると、近くで物音がした。次いでうめき声が聞こえる。 「……誰か居るのか」 エメリアーヌのため息が聞こえたらしい。低い男の声だった。 声の主は、ほどなくしてエメリアーヌの前に現れた。ぼろぼろのコートとベレー帽を身につけた若者だった。彼もこの事件に巻き込まれたらしい。怪我をしているらしく、血の匂いがした。 「大丈夫?」 「なんとかね」 皮肉っぽい笑みを浮かべながら、青年は答える。エメリアーヌは自分のすぐ傍を指さして、「そこに座りなさいな」と言った。青年は不思議そうにエメリアーヌを見た。 「傷を治すくらいなら出来るわ」 「医者か何か?」 「ただの魔導書よ」 素直に傍に来た青年のコートを脱がせ、傷の具合を見る。大きな傷からそこそこ出血したようだったが既に血は止まっており、他は細かい傷が多かったものの大事には至らないようだった。それも治してやると、青年は傷口を見て「へえ」と感嘆の声を漏らした。 「すごいな、綺麗さっぱりだ」 「だけど失った血は戻っていないわ。しばらく大人しくしていることね」 脱がせたコートを畳んでやりながら答えると、ふと、コートのサイズが気になった。青年の体つきより、このコートはいくぶん大きいようだ。ベレー帽もぴったりというわけではなく、まるで……。 青年に目を移すと、ホルスターに収められていた銃が見えた。そして、エメリアーヌは微笑んだ。 「体力が戻るまで、ちょっと私の話に付き合いなさいな」 「話?」 「そう。こんな暗闇の中でじっとしてるのはまっぴらごめんなの」 「気が合うね、俺もだ。きみがいてよかったよ」 「そうね。暗闇の中で一人、ってのは怖いもの。……私はその怖さを、よーく知ってる」 「…………」 「恐怖に慣れてしまうくらい、一人で居たわ。生まれる前、人の姿を取る前も。別れの後、自分だけが生き続けた刻も。私はずっと、一人だったのかもしれない」 青年は、何も言わない。ただ静かに、エメリアーヌの言葉を聞いている。 エメリアーヌには、それがひどく心地よかった。 「あいつも言ってたのよね。過去があるから現在があり、現在があるから未来がある。ただ、過去に囚われちゃいけない。 ……そう、知ってたはずなのに。それなのに、私は過去に囚われているのかもしれない。 誰よりも遠い未来に生きながら、私は過去のままだったのかもね。自分だけの物語を、まだ、綴れてないのかも」 話しながら、内容が沈んだものになっていることに気付いた。いけないわね、と頭を横に振る。 「悪いわね、こんな湿っぽい話をして」 「いや……」 歯切れの悪い青年に申し訳なく思いながら、エメリアーヌは銃に目をやる。 「その銃、ライジング・トリガーでしょ」 銃を見た時に、懐かしい気持ちが湧いてしまった。これまで一人でやってこれたのに、昔のことを思い出してしまった。何百年も前の、暖かな世界のことを。 「それ、私の弟子が作ったのよ。色々教える前だから、私の手は全く入ってないんだけど。 まだ使えたのね……大したもんだわ、あの子も」 懐かしんで言葉を続けると、不意に青年が「なぁ」と声を発した。「なぁに?」と青年を見返す。青年は、真面目な顔でエメリアーヌを見ていた。 「弟子の話を聞かせてくれないか? その頃の、きみの話も」 「……そうね。じゃあ、少し昔話をしましょうか」 −−− 2106年冬。 ”魔道書”としての父であり 友である男がこの世を去った。 希望を託して旅立つ日まで、と言ったその言葉の通り 多くの人々に見守られて旅立っていった姿には 恥ずかしながら涙をこらえ切れなかった。 人前で泣いたのは初めてだったかもしれない。 −−− 21XX年。 ”一番弟子”、去る。 その妻たる機晶姫に今後の身体の管理を申し出るも断られる。 答えはわかっていたものの この子との別れもそう遠い話ではないと思うと少し、寂しくなる。 お互い見た目は若いのにね。などと笑い合った。 −−− 2200年春。 ”最後のパートナー”もこの世を去る。 世界を愛し、愛された女はそれにふさわしい終わりを迎えた。 子供達や、子孫に囲まれたその生は 彼を失ってからの100年も孤独ではなかったに違いない。私も同じだ。 あの時の仲間の多くは去った。 本人やその子達とはともかく、孫の代ともなると疎遠にもなる。 同じ様に永き時を生きる者達はこの感情を、どう受け止めてきたのだろう? −−− 2XXX年、秋、現在――。 「こうして、あんたと喋ってる」 長い話を終えて、エメリアーヌは微笑みかけた。 「付き合ってくれてありがとう。もう回復した頃かしらね? 立てる?」 促すと、青年はすっと立ち上がった。エメリアーヌは満足気に頷く。 「よろしい。男の子だわね」 エメリアーヌの声に青年が苦笑するような息を漏らした。 さて、とエメリアーヌは見渡す。 「後はここから出るだけだけど……あんた、パートナー契約してる?」 「あいにく。俺一人の力じゃ脱出はちょっと無理そうだ」 そう、と頷いて天を仰いだ。エメリアーヌにも、脱出する力はない。昔はあったが、今はパートナーロストの影響で人並みかそれ以下だ。 とはいえ今回の騒動が外界に一切の影響がないとは思えず、待っていれば助けが来るだろうと予想していた。それまで、のんびり待てばいい。青年を安心させようと言葉を口にしかけた瞬間、 「じゃ、行こうか、プリューデンス」 と青年が言った。思わずエメリアーヌは、「は?」と素っ頓狂な声を出す。 「私……名乗ってないわよ」 「でも、きみは素敵八卦だろ?」 「そうじゃなくて、なんで知ってるのって……」 「俺の名は、アルパトリア・ジェニアス」 聞き覚えのあるファミリーネームに、エメリアーヌは目を見開いた。コートを羽織り、ベレー帽をかぶり、くっと口角を上げて笑う表情が、あいつを思い出させる。 そうか、そういうことか、と、エメリアーヌは遅まきながら悟った。 「私が一人だった時間なんて、なかったってわけね」 「そういうこと。……で、どう? 一緒に行ってくれる?」 差し伸べられた手を、エメリアーヌはぎゅっと握りしめた。 「いいでしょう、アルパトリア・ジェニアス。私は今からあなたと共に、新しい、素敵の物語を綴りましょう。 ただし、私は覚えてるだけ。考えるのはあんたの仕事よ」 「オーケー。二人で愛と勇気と希望の物語を、この世界に轟かせてやろうじゃないの!」