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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア

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終わりなき蒼空、涯てることなきフロンティア
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リアクション


●未来へ……

 真新しい徽章が、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)の左胸に輝いていた。
 ルカはその後も国軍に所属している。
 指揮官として軍務に邁進した結果、部隊『鋼鉄の獅子』での功績をはじめとするさまざまな活躍が認められ、彼女は然るべき地位にまで昇っていた。
 今、与えられたばかりの徽章はその象徴だ。ルカルカの念願がひとつ、叶ったといっていい。
「よく似合う」
 金 鋭峰(じん・るいふぉん)は晴れ晴れとした表情を浮かべ、ルカはといえば感極まったように、
「恐縮です!」
 と、力強く敬礼を返した。
 同時に、ドーム型の広い会場に集まった大勢の将兵たちから温かくも盛大な拍手が巻き起こった。
「皆に見せてやるといい」
 鋭峰は目に笑みを見せて、ルカルカに振り向くよう指示した。
「はいっ!」
 ルカルカ・ルーは軍人らしい美しい姿勢で回れ右をして、新たに授与された階級章を衆目に知らしめるのである。
 もう一度、さらに大きな喝采が巻き起こった。
 壇上を見上げる顔ぶれに、ユマ・ユウヅキ(ゆま・ゆうづき)クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)の姿が見える。
 見回せば同じ壇上に、ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)らの姿も見えるだろう。(ローザの隣には、謎めいた黒髪のパートナーが黙って屹立していた)。
 二階席では金元 シャウラ(かねもと・しゃうら)金元 ななな(かねもと・ななな)が立ち上がっていた。小暮 秀幸(こぐれ・ひでゆき)も少し笑みを浮かべてその近くにいる。 
 そればかりではない。たくさんの、本当にたくさんの戦友が祝福してくれている。
 それだけでルカの胸は詰まってしまうのだが、それでも、なんとか絞り出すように彼女は述べた。
「私ルカルカ・ルーは……いえ、パートナーのダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)カルキノス・シュトロエンデ(かるきのす・しゅとろえんで)夏侯 淵(かこう・えん)を含めた私たちは、今後もたゆまぬ努力で国防に資することを誓います!」

 昇進式を兼ねた叙勲式は無事終了し、羅 英照(ろー・いんざお)とともに控え室に下がろうとした金団長をルカルカは呼び止めた。
「何か……?」
「本日は、本当にありがとうございました!」
「貴官らの武功に報いるに当然のことをしたまでだ。むしろ、私も少し肩の荷が下りた気分だ」
「この場に……」
 とルカは少し視線を曇らせて、
「リュシュトマ少佐がいらっしゃらないこと、それが残念です」
「そうだな」
 と告げた鋭峰の胸にも、故人の思い出が去来したのだろう。彼はしばし目を閉じた。
 ――ジン、あなたは少佐を喪って以来、ますます孤独を深めている……。
 ルカルカの胸は痛んだ。余計なことを口にした気もした。
 ここ数年、鋭峰は自分のパートナー以外の者を、周辺から遠ざけるようにしていた。個人的に親しくする部下はいない。イルミンスールや蒼空学園の有力者とも、公の場以外では会わないようにしているようだ。常に忙しくしており、プライベートな時間を作らないようにしているようにもルカルカの目には見えた。
 王者は孤独なものだ。それはわかっているのだけれど。
 ――あなたの弱いところを認めてくれる人間、それがきっとリュシュトマ少佐だった。彼亡き今、あなたは常に強い人間であろうとし続けなければならない……。
「だがルカルカ・ルーは健在だ。それでいいのではないかな?」
 ルカは、はっとして顔を上げた。
 英照が告げたのだ。彼はそれだけ言うと、
「今後も励んでくれ」
 とだけ言って、鋭峰に並んだ。
 そうだった――気づかされた思いだ。鋭峰は、いや教導団は、これからも未来に邁進し続けなければならない。おこがましいかもしれないが、自分は彼の理解者として、側近として、その弱い部分すら含めて団長を支えていくべきだろう。
 責任感と忠誠心と、そして誇りを胸に、ルカルカ・ルーは金鋭峰に敬礼した。
「金団長がこれから何を目指すとしても、私はずっとあなたと共に生きます!」
「頼むぞ」
 鋭峰の返答は短かった。だがそこには、言葉では言い表せぬほどの信頼がこもっていた。
 幼い頃、鋭峰と上海万博で出会ったのは運命の引き合わせだったと、今でもルカは思っている。
 ならばその運命に殉じるまで。この身涯てる日まで。
 いや、この身が涯てようとも――。

 ルカより一足早く帰宅したダリル・ガイザックが自室にて上着を脱ぎかけると、背後から差し出された手があった。
「上着くらい自分で脱げる」
「そうつれないことを言うでないよ。あたしだって、惚れた男には尽くしたいのさ」
「……なら、任せよう」
 ダリルが力を抜くと、前に回された小さな手が、彼の上着のボタンをひとつひとつ丁寧に外し、するりと上着を奪い取った。ついでにネクタイまで外してくれる。
「まったく……誰がシャツのボタンまで外してくれと」
 いつの間にかダリルのシャツの襟元ははだけ、引き締まった胸板が顔をのぞかせている。
「そのほうが男前だよ」
「まったく、そんな仕立て屋みたいな台に乗ってよく言う」
 ダリルは振り向いた。呆れたような語調に反して、彼の声色は上機嫌である。口元にも涼やかな笑みがあった。
「ほら」
 捕まえた、と言わんばかりの口調で、彼は背後にいた少女……脚立のようなものに上がって、一生懸命ダリルの上着を脱がせネクタイを取ってくれた桃色の髪の少女を抱きしめた。
「やっ……そんな不意打ちされると……あたしだって恥ずかしいよ」
「勘違いするな。これはお前を台から下ろすための措置だ」
 とやや冷たげに言って、次に、
「不意打ちというのは、こういうものを言う」
 突然、ダリルは妻……デルタ・ガイザックにキスしたのである。
 唇を離して、優しく告げる。
「ただいま、デルタ」
「おかえり、ダリル」
 デルタ・ガイザック、旧名クランジΔ(デルタ)
 薄桃色の髪はセミロング、ややモコモコとした巻き毛だ。瞳は猫っぽい吊り目、頭の回転の速そうな顔立ちで睫毛も長い。イメージとしては、昔の少女漫画によく出てくる『クラスの女王然とした意地悪なお嬢様』といった感じだろうか。しかし背は極端に低い。あの夏侯淵(140cm)にすら僅差で負けているのだからなかなかのちみっ子である。全体的に童顔だ。かつては身長の低さをカバーするためか極端に背のある山高帽を被っていたものだが、教導団の制服を着るようになってからは似合わないのでやめている。(プライベートでは被る) 特徴的なモノクル(片眼鏡)は、したりしなかったりのようだ。ちなみに今日はしていない。
 ご記憶の方もあるだろう。彼女はかつて、クランジの残党ミュー(現・結城霞)と共に、リュシュトマ少佐をさらって決戦を仕掛けてきた最後のクランジだ。泥や土を使って環境を『創造』するという最強最大の能力を持つ機体である。
 しかしデルタはダリルに敗れ、結果として国軍に捕縛された。
 その後長い取り調べこそあったものの、デルタは犯罪者として処罰されることはなく、二年間の保護観察に置かれている。罪を問われなかった理由のひとつには、リュシュトマ自身が生前、彼女の減刑を嘆願する書き置きを残していたことにあるという。
 その二年間、デルタの監督をしたのは他ならぬダリルだ。
 収容されはじめのごく初期に、アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)らがデルタのもとを訪れたことがある。この日からデルタは変わったようだ。硬直した態度を少しずつ和らげていったらしい。
 その次に起こった現象には、ルカルカも大いに仰天したのであった。
 ダリルとデルタ、ふたりが恋に落ちたのだ!
 剣として【最強の兵器】の称号をもつダリル、
 最後にして最強のクランジであったデルタ、
 ある意味理想的なカップルではないか。
 なおこれを知ったルカが、「ふたりが惹かれあった理由がわかった! どっちも『頭文字がD』だからだね!」と思いつきで発言したものの、ダリルには完全にスルーされたという……。
 保護観察期間が終わると、デルタは希望してルカルカの家……正確にはダリルの部屋に同居することになった。
 それからまた年月が流れて、ダリルとデルタは入籍している。
 以来、彼女は『デルタ・ガイザック』が正式名になったのである。
 本日の式典については、敵の首領だった自分に複雑な気持ちを抱いている出席者もあるだろうから、と言ってデルタは出ていない。
「ルカは?」
「帰宅はしばらく後だ」
「だったら」とデルタはダリルにしなだれかかった。「ちょっとイチャイチャできるんじゃないかい?」
 ふっとダリルが微笑した。仕方ないやつだ、と言っているかのように。
 ところがこのとき壁の向こうで玄関が勢いよく開いて、
「ルカー! 今日は家族で泊まりに来たぞー!」
 と言う声と、どかどか賑やかな音がした。カルキノス・シュトロエンデに違いない。
「おお、入れ入れ」
 と呼びかけているのは夏侯淵だろう。
 小さな足音はきっとカルキノスの子どもたちで、おじゃましますという声は、カルキノスの妻ローズディーテのものと思われる。
「……さて、出迎え出迎え、と」
 デルタは苦笑いして玄関に向かった。

 しばらくして、帰宅したルカと、ダリルとデルタ、カルキノス一家、淵で食事となった。なんとも賑やかなその席で、
「この場を借りて……来年早々、挙式する予定だと報告しておきたい」
 ダリルが立ち上がり、同じく立ち上がったデルタの肩を抱いて宣言したのである。
「知っての通り俺たちは先日入籍したが、やはりけじめとして、結婚式は挙げておくほうがいいとふたりで決めたのでな」
「まあ……そういうことさね」
 デルタはやたら気恥ずかしげに頬をかいている。
 これで一気に場が盛り上がり、カルキノスは持参の包みを剥がした。
「今日はルカの祝いとダリルたちの祝いか! こりゃとっておきの酒を開けないとな!」
「なんの祝いであろうと開ける気だったろうにー」
 という夏侯淵のツッコミなど聞き流し、カルキノスは包みから赤ワインを出し爪先でコルクをひっこ抜くと、そそくさと皆に注いで回るのである。
「今日はとことん飲もうぜ! なあ!」
 ……それから、数時間後。
 カルキの家族は皆寝室に引き上げ、デルタもまた、ダリルにしなだれかかって寝息を立てている。
 酒豪のカルキと淵のみチビチビと、いつの間にか日本酒に変わった杯を舐めるようにして宴を続けていた。
 ルカルカはだらしなく机に突っ伏しているが、一応まだ起きているらしく「ふにゃあ、ねむーい」などと呟いていた。
「だったら寝ればいいだろう。たんぽぽ頭め」
 ダリルのみ平然と、小さなカップでエスプレッソを口に運んでいる。それでも彼の空いたほうの腕は、しっかりとデルタの体を支えていた。
「……でもー、寝ちゃったら……この楽しいひとときを忘れてしまう気がしてー」
「しっかりしろ。今日のことがあって、より一層、団長を支える立場になったのだろうが」
「うん」
 団長の名前を出されると弱い。ルカは身を起こし椅子の上に正座する。
「聞け。組織を直接動かせるのは上層部だけだ。団長をより効率的に強く支えたいのなら、お前はもっと上に行くべきだ」
 一拍おいて、ダリルは続けた。
「俺たちももっと上に行く。シャンバラの剣として参謀として、俺がお前を押し上げてやる」
 ルカはここで顔を上げた。眠気はどこかへ消えている。
「……なんだか昔、あなたにそう言われる夢を見た気がするわ」
「正夢だな」
 ダリルはにこりともせず言った。
「きっと、そうね」
 ここで少し、彼は相好を崩して、
「夢は叶えるためにあるのだと、俺が言ったら……笑うか?」
 ううん、とルカは首を振った。
「今のダリルなら……言うと思ったわ」
「そうか」
「そうよ……」
 ダリルは小さくうなずくと、小さな包みをテーブルの下から出してきた。
「これは今日のことの祝いだ。本当は、明日の朝に渡すつもりだった」
「本当!? ありがとう!」
 開いてルカルカは満面の笑顔になった。
 腕時計、それもトノーケースのスケルトン仕様だ。ブランドからデザインからベルトまで含めてすべて、ルカの趣味ど真ん中である。しかも彼女はつい最近、新しい腕時計を買いたいと思っていたところだったのだ。
 ルカはさっそく巻いて、うっとりと、溜息交じりに言ったのだった。
「素敵……!」
 ところがここで我に返ったように、
「でもダリル、どうしてちょうど、こういうのが欲しいって思ってたのがわかったの!?」
 ダリルのことだから、『お前の最近の行動を観察して、計算で導き出した』とでも言うのだろうとルカは思っていた。それがダリル・ガイザックという人物なのだから。
 ところがダリルが言ったのは、次の一言だった。
「勘だ」
 ルカルカはぷっと吹きだし、やがて声を上げて笑ってしまった。
「え? なんだ?」
 夏侯淵とカルキノスがぎょっとしてこちらを見ている。
 未来のことは、わからない。だって、ずっとパートナーのダリルのことだって、ときどきこうして、わからないのだから。
 それだけに、知りたい。知る価値があると思った。
 今日はただの通過点、まだまだ、ルカルカ・ルーたちの旅は終わらない。