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リアクション
●取り戻した絆……それは家族
爽やかな緑色の風吹く五月。
小高い緑の丘を、アゾート・ワルプルギス(あぞーと・わるぷるぎす)が歩いている。
十年の月日が、少女を大人に変えていた。背は伸びた反面、髪は肩の辺りまでで短く切り揃えていた。服装はぐっと落ち着いたものになり、スカートの丈も長くなっている。
それでもやはり、彼女は美しい。
かつては造花の薔薇のようだった美しさが、野に咲く雛菊のような美しさに変化はしていたが。
アゾートは小さな幼児の手を引いていた。そうやってふたりで、丘の頂上にたどりついた。
一見女の子のようで実際よくそう間違われるが、その子はれっきとした男の子だった。年齢は三歳。名はフィル……フィル・フウマ・ワルプルギス、アゾートと風馬 弾(ふうま・だん)の息子だ。
顔はどちらかといえばアゾート似だろうか。深みのある二重まぶたで眉は細く、水晶のような蒼い目をしていた。ただし髪の色は栗色で、これは父親譲りのようである。
フィルはずっと、母に手を引かれおとなしく歩いていたが、突然、
「おとーさーん!」
大きな声をあげ、母から手を放して駆けだした。
「あっ、フィル! ダメだよ!」
アゾートは声を上げるがもうフィルは止まらない。たたたたたた……と、弾丸のような勢いで丘を下っていく。
丘の下に、彼の父親、すなわち弾の姿が見えたのだ。
しかし丘はなだらかとはいえ、勢いよく下るのに適した地形ではない。ましてや、三歳の幼児にとっては。たちまちフィルは足をもつれさせ、前のめりになって鞠のように跳ね飛んだ。
フィルの体は宙で半回転したが、無事だった。
スライディングして飛び込んで来た弾が、しっかりと受け止めたからである。
「大丈夫?」
背の低い草に頬をなでられながら弾は言った。
「うん」
フィルは怖かったというより、何が起こったのかいまいち理解していない様子でにこっと笑った。
「またキミはそうやって甘やかすー」
そこにアゾートがやってきた。不満げな口調である。
「こんな丘で転んだくらいじゃ泣くくらいで怪我らしい怪我もしないんだから、親が大慌てでキャッチしたりしたらダメだよ」
「まあいいじゃないか」
大事な宝を抱くようにして、弾はフィルを抱き上げた。
「子どもは可愛くてね。泣くところなんて見たくないんだよ」
ねー? と言いながら弾はフィルをあやす。フィルも「ねー」と返して、大好きな父親の首に両腕を回してはしゃいだ。
「やれやれ」
とは言うもののアゾートも、弾とフィルの笑顔に癒されたのか笑みを隠せないでいた。
「さあ帰ろう」
弾は宣言し、三人は連れだって家路についた。
現在弾は孤児院設立を目指し、冒険や事件依頼などをこなして資金を集めている最中だ。孤児院育ちの弾なので、こうやって何らかの形で社会に恩を還元しようとしているのだった。
弾とアゾートの交際は順調に推移して、その後結婚に至っている。
そうして生まれたのが、長男のフィルなのだった。マイペースな甘えっ子、顔はアゾートに似ており素頭は良さそうだが、今は幼児らしく身の回りの色々なものに興味津々だ。
アゾートは結婚後、かつてほど賢者の石に執心しなくなった。もちろん研究は継続しているが、今はそれより、フィルの育児のほうに関心があるようだ。「賢者の石のことは、フィルの育児が一段落してから」と言っている。
さて家が見えてきた。
このときにはフィルは眠って、弾に背負われていた。
「今日は、ノエルが遊びに来るんだったよね」
その言葉を聞くとフィルはぱっと目覚めて、「わーい!」と叫んで家に駆けていった。
「さっきまで熟睡していたのに……現金よね」
苦笑気味にアゾートは言う。フィルはノエル・ニムラヴス(のえる・にむらゔす)に大いに懐いているのである。
「お久しぶりです」
ノエルは家のドアを叩き、丁重にお辞儀した。手に提げている包みは、土産品のシュークリームである。
「おねえちゃん、ひさしぶりー♪」
フィルがさっそく、ノエルのスカートにまとわりついている。
「新しい本、買ったよ。売れているみたいだね」
という弾の言葉を聞いて、フィルは不思議そうな顔をした。
「ほん?」
「はい。フィルちゃんが普段ママに読んでもらっているような絵本ではなく、字ばかりの本です。
変わらぬ若さを保った私は、文筆活動に勤しんでいます。
変わらぬ若さを保った私は、作家が昔からの夢だったので。
大切なことなので二回言いました」
「かわらぬ……? にかい?」
「失礼。フィルちゃんにはまだ難しい言い方だったかもしれませんね」
ノエルは自身が言った通りの人生を送っていた。人気作家として日々、取材や講演、執筆活動に忙しい日々なのである。
そうした活動の合間を縫って、ノエルはときどき弾の家を訪れていた。その際、フィルのことは甥のように可愛がるので、フィルからも大変好かれている。「お姉ちゃんとお呼びなさい」とノエルはフィルには常日頃言い聞かせているが、まるで衰えぬその美貌を見る限り、そんなことを気にする必要は当分なさそうだ。
さてその後夕食をともにして、食後の茶を手にしつつ三人は、懐かしい思い出話に花を咲かせていた。
そんななか、
「おつむのほうが残念で脳筋な弾さんと結婚して、後悔していません?」
突然ノエルがそんなことを言ったものだから、弾は飲みかけのお茶を吹きそうになった。
「ちょ……! それはいくら何でも……!」
けれどアゾートは、膝にフィルを座らせたままこう返したのだ。
「ボクはそんなに残念だと思わないけどなあ……。まあ、抜けているところがないとは言わないけど、それはボクもお互い様だし。それに、なんといってもフィルにとっては『大好きなお父さん』だから……後悔なんてしていないよ。むしろ、もっと早く結婚しても良かったと思うくらい」
「おほほほ……思わぬノロケが聞けてしまってびっくりですよ」
ノエルは安堵していた。弾が、心から愛する人と一緒になれたことを誰よりも喜んでいる。ノエルの以前のパートナーは、戦争で亡くなってしまった。それだけにノエルは、弾の幸せを願う気持ちが誰よりも強かったのだ。
しかしそんな心の動きを表に出さず、ノエルはニヤっと小悪魔的な笑みを浮かべた。
「それではせっかくですのでここで、若い頃の弾さんが、いかにアゾートさんにデレデレしていたかという、とっておきのエピソードを披露いたしましょう」
「聞きたい!」
アゾートは一も二もなく賛成するが、弾はかなり困っているようで、
「ち、ちょっとノエル!? それはそれで……恥ずかしすぎるっ!」
顔を赤くし、眉を『八』の字にしてしまうのであった。
それは、ごく平凡なお喋りだ。だがそんな平凡が一番難しくて一番幸せなのだ。
弾はそう思っている。
弾が幼い頃に失った『家族』という絆、それは今、彼の元にある。
おそらくは、これからもずっと……。