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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories

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【Tears of Fate】part1: Lost in Memories
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リアクション

 シータは大きく息をつき、つづいて咳き込んだ。
 クランジは人間とは違う。人間であればとうに死んでいてもおかしくない重傷だが、シータは死を免れていた。
「そもそも私の心臓は右側に作ってもらったのさ……こういう事態を想定してね」
 強がるように笑っているが、顔色は紙のようだし、呼吸は不規則だ。抑えている手の下から、生体オイルのようなものがとめどもなく染み出ている。
「まずいわね」
 駆け戻ってきたパイの顔も明るくはなかった。
「包囲網ができちゃってるわ」
「とすれば突破は難しいね。総指揮はリュシュトマ少佐という人物だろうが、むしろこの手際の良さは、その下のクレア・シュミット大尉の手柄だろうね」
 シータは、チェスの駒を動かすような仕草をした。
「他人に化けられるΚなら脱出できたろうけど、私たちは……」
「危険人物です、という看板を掲げながら移動しているようなものだろうしねえ。顔を出せば一発逮捕だろうさ」
 何を暢気な、とパイは腰に手を当てた。
「あんたの催眠術で抜けられないの?」
「Κに刺されなければそのつもりだった。あれには集中力がいるんだよ。この手傷じゃとても……」
「ならどうすりゃいいのよ」
「さっきの彼……切とかいったっけ? 彼に頼んで、脱出路を確保してもらったらどうだい」
「そ、それだけは御免よ!」
「どうして?」
「ど・う・し・て・も!」
 そのとき、誰かの気配が伝わり、シータもパイも警戒姿勢を取った。
「やっと見つけた」
 その姿は、黒い髪をなびかせたセーラー服女番長、伏見明子だった。
「言っとくけど、窮してもあんた一人くらい相手にできる力は残ってるわ!」
 目を怒らせるパイをシータは笑った。
「……そのつもりなら名乗らずに奇襲したはずだよ。なあ、明子くん」シータは身を起こし、口元を歪めたのである。「どうやって我々を助けてくれるんだい?」
「助けてくれる、って?」
 パイはシータに視線を向けるが、シータはパイを一瞥もしない。
 ただ、眼鏡の奥の機械仕掛けの眼で、明子の返答を待った。
「……くそ、どうしても、あんたのことは好きになれそうもないわ」
 脱出するならこっち、と明子は立って二人をさし招いた。
「あらかじめ、警備が一番手薄な場所を調べておいた。ベルフラマントで気配を消して暗がりを進めば、なんとかなると思う。私が、国軍の兵に話しかけて注意を惹いてもいいし……」
「助けてくれるの?」
 明子はパイに対し、直接否定も肯定もしなかった。
 ただ、独り言のように言った。
「この大地に生まれた以上、クランジだってパラミタの一員だと私は思ってる。ラムダのとき……あのとき、目が覚めたら全部終わってて、しかもラムダは死んでたってのは正直、応えたわ」
「ラムダの代わりに助けてくれる……ってわけ?」
「違う。さっきもちらっと言ったけど、鏖殺寺院だからって、クランジだからって、殺していいとか殺されていいとか、そんな話認めない、ってだけ」
「そこのパイくんは知らないが、逃げる手引きをしてくれたからといって、私たちは改心したり、恩義を感じたりするような人種ではないよ。わかってて、それでも助けるのかい?」
 シータが言うが、まるで聞こえないような顔をして明子は書庫の暗い道を進み続けた。
 パイは不機嫌な顔をしている。『そこのパイくんは知らないが……』というシータの言い方がひっかかったのである。それに、
(「それに……『私たち』って……?」)
 はっと思い当たることがあってパイは振り向いた。
「ようやく気づいたかい?」
 パイに肩を借りて荒い息を漏らしながら、シータは眼鏡を取って自分の服で拭いた。
「パイくんは会うのが初めてだろうね。無論、明子くんも。彼女がクランジΙ(イオタ)だよ」
 ずっとついて来ていたのだ。窮地にあってもシータが平然としていられたのは彼女の存在があったからだろう。
 明子はもちろん、パイも驚きを隠せなかった。
 幼い。パイよりもまだ年下の容貌。下手をすると七、八歳なのではないか。限りなく白に近いプラチナブロンドだが、大きな帽子を被っているからよくわからない。それと、やはり少々大きすぎるような服装。深緑色のその服は、帽子の形もあいまって郵便局員の制服のようにも見えた。そう言えば、たすき掛けしている大きな鞄も郵便配達人のものとよく似ている。
 見られているのが気に入らないのか、猫のように大きくて形のよい瞳を、きっ、と怒らせてイオタは帽子の鍔を引き下げた。