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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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魔女が目覚める黄昏-ウタカタ-(第1回/全3回)

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 応接室を出た七刀 切(しちとう・きり)が向かったのは、イェクタネア・ザイテミル・エスタハの元だった。
 東カナンを訪れる都度都度で、切は何度か彼を見かけたことがあった。1度も口をきいたことはなかったが、バァルの傍らで、それとなくその言動を見聞きはしていた。いつもにこにこ笑顔を崩さない――うさんくさい男だ。
 そしてイェクタネアもまた、切のことを知っていた。
「お邪魔してすいませーん、ちょっといいっすかー」
「やあ」
 と、自分の方へまっすぐ歩いてくる切を、細い目を線のようにして満面の笑顔で出迎える。
 12騎士はバァル派と反バァル派(ナハル派)に分かれている。イェクタネアは間違いなくナハル派だ。バァルと親しくしている自分など、心良く思ってはいないだろう……と、思うのだが。
 全く他意が読み取れない。どう見ても心から切の来訪を歓迎しているようにしか感じられないのだ。それが彼をうさんくさいと思い、警戒してきた一番の理由だった。
「ワイはシャンバラの方から来た七刀 切っていうんですけどー」
「うん、知ってる。バァルさまの友人だ。何度か顔合わせたことあるよね。でも、そうかー。正式にあいさつするのは初めてかな。ずい分前から知ってるから、てっきりもうすませてるものだとばっかり思ってたよ。
 よろしく。ボクはイェクタネア・ザイテミル・エスタハ。舌噛みそうな名前でしょ? ネアかテミルって呼んでくれていーよ」
「あー……じゃあワイのことも切で」
「うん、分かった。これからよろしくね……って、なんだか今さらっぽくて照れるよねー」
 あははーとお互い笑いあって。切が想像していたのと全く違う、妙になごやかな空気で2人のつきあいは始まった。
「それで、何の用?」
「あ、えっとー。何が起きたかはネイトさんから聞いたんだけど、今イチ想像つかんくて。やっぱ、こーいうのって実際現場歩いた方がいいかなー? と。そんで、道案内ついでに当時のこと解説してくれる人いないか捜してたんすよ」
「あー、それでボクに行きあたったんだー。12騎士を案内人で使おうって、きみなかなかスゴイよねー。一応ボク、東カナンで10指に入る存在なんだよ」
 あははー、とまた笑う。
 こりゃ断られるかな? と思ったとき、イェクタネアがくいっと指を動かした。
「いいよ、気が向いたからつきあってあげる」
「え? いいんすか?」
「うん。どっちにしろ、きみたちだけじゃ図書室には入れないしね。今、あそこはボクたち以外の者は絶対に入れないように通達されてるんだ。
 えーと。実際歩くなら、賊が通った道順がいいよね。とすると中庭か。さあ、こっちだよ」
 言うなり、切がついてくるかも確認せずさっさと歩き出したイェクタネアのあとを追って、切は横に並んだ。
 細身で小柄な印象があったのだが、横に並ぶとイェクタネアはほぼ切と変わらない体格の持ち主だった。むしろ切より数センチ高そうだ。腰に佩いている剣はバスタードソードより長くて細い。柄の部分も指2本分ほど長く、細いシルバー製の鎖が巻きついていて、何か仕掛けがあるように見える。そして背中に2刀目の短剣。間合いをとるのは難しそうだ。
 そんなことを思ってちらちらうかがっていると、イェクタネアが話しかけてきた。
「きみたちさ、ボクやナハルさまのことを疑ってるんでしょ。これはバァルさまやネイトさまたちを失脚させようというたくらみだって」
「え? いやー、そんなことはないっすよ」
「そうなの?」
「あなたたちがバァルをどう思ってるにせよ、自ら事件を起こしたりはせんでしょ。もしそうならネルガルの乱のときだって、ザナドゥのときだって、いくらだってバァルの足引っ張ったり弑することはできた」
「……うん、そうだね。ナハルさまやフェネルさまたちはそう考えてたのかも」
「ネアさんは違うの?」
「ボク? ボクはねー、ばかなんだよ」にこにこ笑顔のまま、イェクタネアは言う。「もうすくいようがないくらい頭悪いの。だからそういう頭使うことはナハルさまに任せてる。ナハルさまがやれって言ったら、やったよ。だってそれは絶対に東カナンのためになるんだから」
 虚とも実ともはかりかねる言葉に、切は考え込む。普通に考えれば、こちらを惑わそうとしているように思えるのだが……やっぱり、どう見ても真実そう思っているように見えるから困る。
 無言で廊下を曲がったとき、イェクタネアが何かを見つけた。
「あれ、なんだろ?」
 図書室へ続く廊下の手前で、何やら騒ぎが起きていた。



「だーかーらー! リリたちは賊の一味ではないと言っているのだ!」
 前をふさぐ騎士をにらみつけながら、リリ・スノーウォーカー(りり・すのーうぉーかー)は強弁した。
 普段は冷静沈着なのだが、今回ばかりはめずらしく熱くなっている。
「バァルの友人のシャンバラ人なのだ! 幾度もこの城へ来たし、おまえたちの国家神イナンナとも面識があることを知っておろう! 盗みや破壊行為など行うはずがないのだ!」
「いや、あの、しかしですね…」
 対する騎士はしどもどで、なんとか落ち着けようと四苦八苦している。見るからに癇癪を起こしている子どものリリを、どう扱えばいいか迷っているようだ。
「先ほどから申していますように、ここから先は12騎士以外は何人たりとも通してはならないという、通達があって…」
「ぐぬぬ…」
「無駄だ、リリ。彼は命令を忠実に実行しているだけだ」
 後ろで見守っていたララ・サーズデイ(らら・さーずでい)が、ちらちらと騎士から送られてくるヘルプの懇願の眼差しを無視しきれず、口をはさむ。
「しかしこれくらいのこと、知っていて当然なのだ! なのにまるでリリたちが賊であるかのように疑うとは!
 そんなに疑うのであれば、好きなだけ身体検査なり何なりすればいいのだ!」
「い、いえ、そこまでしていただかずとも…」
 城を訪れているシャンバラ人はバァルの友人だ。さすがにそれは不敬にあたると、騎士は恐縮しきって首を縮める。
「リリ。あまり無茶を言って、困らせるな」
「困らせられているのはリリの方なのだ! 肝心の盗難現場の現場検証ができないと――」
 と、腰をひねってララの方を振り返った瞬間、リリの視界にこちらへ近付いてくる切ともう1人、12騎士の姿が入った。
「どうかしたの?」
「ちょうどいいところへ来たのだ。この先へ入れるよう、この男に言ってやってほしいのだ!」
「え? 入りたいの? どうして」
 イェクタネアは首を傾げる。
「現場検証は捜査の基本なのだ」
「んー。でも、特にこれといっておかしなとこはないよ。特別室へのドアが開いてて、始祖の書が1冊盗まれてただけで」
「そんなことは見てみないと分からないのだ。別の目で見て、何かが見つかるというのはよくあることなのだ」
「そういうものかな?」と、イェクタネアは騎士を見る。「入れてあげてもいいよ。ただしきみか、ほかの者が必ず同伴してね」
「分かりました」
 イェクタネアの許可がもらえて、騎士の方こそホッとしているようだった。
「あ、でも、特別室へは入れないよ。あそこは平時でも、領主家の者の許可がないと入れないからね」
「なんだと?」
「領主は不在だから、鍵は今ナハルさまの預かりになってる。入りたかったらナハルさまの許可をもらってくるしかないねー」
「鍵を閉めたということは、現場を動かしたのか!?」
「そりゃー、だってドアを開きっぱなしにはしておけないもの。ほかにも始祖の書はあるし、そのほかの書物だってあるんだから」
「ここはカナンだ、リリ。捜査に用いる道具や方法など、シャンバラとは違う」
 近代的な設備は一切ないのだ。現場保存や鑑識といった捜査手法はまだ確立されていない。
「むう」
 リリとかわって、今度はララが質問した。
「私はララ・サーズデイという。入室の許可をくれてありがとう。少し訊きたいことがあるが、よろしいか」
「なに?」
「先ほど始祖の書は複数あるような言い方をされていたが」
「38巻あるねー。盗まれたのはそのうちの1冊。5巻だけだよ」
「ということは、賊は内容を知っていたというわけか」
「うむ。その場でいちいち読んで確認できる量ではないのだ。やっぱり内通者がいたのだ」
 ララと視線を合わせ、リリがうなずく。
「へー。きみたち頭いいねー」
 そのとき、切が口を開いた。
「ネアさんは内容を知ってる?」
「もちろん。12騎士は1度は読むことが義務だからねー。東カナンの歴史書みたいなものだし。古語な上、もったいぶった言い回しが多用されてて退屈だから2度読みたいとは思わないけど」
「では5巻には何が書かれていたのだ?」
 勢い、身を乗り出したリリの前、イェクタネアは「えーと…」と考え込み、言った。
「忘れちゃった」
 期待していた分、がくーーーーっと脱力してその場にへたり込みそうになる。
「だって、読んだの10年以上前だもの。あ、でも、なんとなく覚えてるイメージはあるよー。唯一あの巻だけ、面白いとこがあったから。たしか、銀の魔女が出てくる話。竜退治の話じゃなかったかなぁ?」
「うろ覚えなんだねえ、それも」
 ぽん、と切が後ろから肩をたたく。
「うん。ミカに聞けばいいかもだけど。彼、伝承とかああいうの好きだから。
 でもこれ、東カナンではわりと有名な話だよ。いっぱい本になって出てるし。本屋へ行けば子ども用から大人用まで……あー、あと、宗教本みたいなのでもあるなー。アタシュルク家の」
「ではなぜ「忘れた」などと――」
「だってあっちは「物語」だもの。山あり谷あり、いろんなバージョンがあって面白いから、寝る前にでも読んでみたら?
 それより、騎士が後ろで待ってるよ。きみたち図書室へ行きたいんでしょ。ボクは彼を案内しなくちゃなんないし」
 お待たせ、さあ行こう、と切に合図を送る。
「待て、切。きみたちはどこへ行くんだ?」
「賊の侵入路をぐるっと歩いてくるんよ。何かつかめたら知らせるねえ」
 そう言って、切とイェクタネアは元きた廊下との中間にある側路を曲がって行った。
 リリは2人が消えた角をぼんやりと見つめる。
 「物語」と「伝承」は違う。特に盗難にあった本は、始祖の書とつくからには当事者が記したものだろう。だが全くの空想というわけではないはずだ。いくらかは真実がふくまれている可能性がある。――欠片かもしれないが。
「リリ?」
「今行くのだ」
 リリはもう一度だけ2人の消えた廊下を見て、ララたちの元へ向かった。




 イェクタネアの許可により、コントラクターたちは警備についた騎士の同伴で図書室へ入ることができるようになった。
「盗まれた始祖の書に書かれてたことは市販本で読めるって言ってたってリリさん言ってたけど、その本、ここにもあるのかな?」
 図書室の本棚にずらりと並んだ本を見上げながら、ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)が言った。
 図書室は天井の中央部が四角く抜かれた2階建てで、壁に沿って本棚が縦に積まれている。のどを伸びきらせてようやく一番上の天板が見えるような場所だった。
「そうね。あるかもしれないわね」
 プリムラ・モデスタ(ぷりむら・もですた)が答える。彼女は特別室に通じるドアを調べていて、そちらに集中しており、気もそぞろだ。
「騎士さん」
 ミシェルが入り口のドアで控えめに立っている騎士へと近付いた。
「はい、何でしょう?」
「魔女と竜が出てくるお話の本って、ここにあるかな?」
「さあ、どうでしょうか。わたしはここに入るのは初めてですので、存じ上げません」
 申し訳なさそうに騎士は答える。
「あ、そっか。
 じゃあ、侵入者が逃げるときに回廊とか破壊していったって聞いたんだけど、そのほかに壊されてた場所ってない?」
「ありませんでした。幸いなことに、こちらのドアもです。あのカラクリ仕掛けを作る技術は数百年前に失われてしまったそうです。もし破壊されていたら、領主やミカーティーさまがどれほど悲しんだでしょう。そうならずにすんで、ホッとしています」
 騎士は特別室のドアへと視線を移した。
 プリムラはあれこれと触れることをやめ、今は腕組みをして何か考え込んでいる。
「……鍵は特注品。ピッキングでどうにかなるものじゃないわね。それを確認するために試行した形跡もないということは……やっぱり鍵が必要なのを、侵入者は最初から知っていたんだわ」
 鍵を持っているのはナハル・ハダドとバァル・ハダド。ナハルがバァルの不在中に奥宮を訪れることを知っていたとしても、鍵を持ってくるとは限らない。
「領主の部屋から盗んで、図書室の鍵を使用し特別室に入って始祖の書を盗んで外に出る。そこでメイドと出くわす…。そして警備の騎士たちが駆けつけて、カインが来て、中庭から賊は逃げ出した…。筋は通ってるわね、どこから入ったのかさえ分かれば」
 廊下を見に行った狐樹廊たちは戻って合流していた。2人とも丹念に探ってきたが、それらしい痕跡はどこにもなかったということだった。
(このままでは12騎士内に内通者がいたということで確定してしまうわね)
 もちろんプリムラとてその可能性を消すつもりはない。考えたくないことだからといって目をそむけて思考停止してしまうのは愚かだ。でもそうなると、騎士長のネイトはどうなるのだろう?
「このままだと彼の責任問題にふくれ上がりそうだ。そうならないように、なんとかしたいな」
 ここへ向かう途中、佑一がぽつっとつぶやいた言葉を思い出す。
 しかしどうやらそれは避けられないようだと、プリムラは少し気うつに思いながらため息をこぼした。ミシェルに気付かれないように、そっと。