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【歪な侵略者】鏡の国の戦争(第3回/全3回)

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【歪な侵略者】鏡の国の戦争(第3回/全3回)

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【鏡の国の戦争・決戦7】




 走る、走る。
 元々、南坂光太郎は運動は得意ではない。それだけならまだしも、ここ数日は隊長がすぐれず、重しを背負っているかのような倦怠感が常に彼にまとわりついていた。
 わき腹がきりきりと痛む、息も吸ってるんだか吐いているのだか自分でもよくわからない。
「……フ」
 物陰から、ふらりと姿を現した蘆屋 道満(あしや・どうまん)が光太郎の道を塞いだ。
 気持ちは彼を避けようとしたが、既に体の主導権は別の誰かに移ってしまっていたようで、足がもつれて光太郎は派手に転んだ。
 息苦しさと疲れとわき腹の痛みと低血圧と吐き気がまざりあって、顔をあげるのも辛い。げほげほとその場で咳き込む。
「……まだ大して走ってないだろうに、少しは体を鍛えたらどうだ」
 追い詰めた側である道満は、立場も忘れて思わずそう口にした。いくらなんでも貧弱過ぎるだろう、と。
 助け起こそうか迷っていると、別の足音が近づいてくる。人間の足音とは少し違う。現れたのは光太郎の護衛のワーウルフだ、だらりと垂れた左腕を押さえながらこちらに走ってきたワーウルフは、道満の姿を認めると鋭く睨んだ。
「……フ」
 光太郎に手を貸すのを止め、わざとらしく距離を取った。ワーウルフは光太郎に駆け寄り、そしてまた後ろの別の足音に振り向く。
「むむむ、道満よ、何かしたでありますか?」
 マリー・ランカスター(まりー・らんかすたー)は地面に突っ伏す光太郎と道満を交互に見て、そう尋ねた。
 道満は首を振る。何もしてない、事実だ。
「ここまでか……」
 ワーウルフはマリー、カナリー・スポルコフ(かなりー・すぽるこふ)、道満をそれぞれ見てそう零した。
「鬼ごっこ終わった?」
 カナリーはワーウルフと、その後ろで死にそうな光太郎を見やる。
「あのお兄ちゃん、大丈夫?」
 どう見ても大丈夫ではないが「……フ」と道満が言うには、命に別状は無いようだ。
「しかし、残念だったな。今やこの男はただの人間でしかない。ここで討ち取られたとしても、ザリス様には何の害も無い」
「今、なんと? どういう事でありますか?」
「この男に、貴様らが望む価値はもはや無いと言ったのだ。誰のものだったか……いや、そんな事はどうでもいい。貴様等の持ち物の中に、契約を一時的に解除する道具があったろう? あれを解析し、この男も愛々様も、それぞれ契約を白紙に戻した」
「契約を解除したの? 自分から? え?」
 カナリーは首を傾げる。
 マリーも道満も大げさな動作はなかったが、そう語るワーウルフの言葉を慎重に値踏みした。契約者が契約によって得るものは大きい、それを自ら捨て去るというのはいくら何でも相応の理由があるだろう。
 たかだか人間の小僧と小娘の命を優先したとは思えない。彼らの目的が達せられれば、諸共死ぬはずなのだ。
「わかりやすい嘘までついて、彼を助けようとする心意気は―――」
「嘘などではない! ザリス様もダルウィ様も、強すぎる力を押さえ込む為に契約を必要としたのだ。ザリス様の力は自身で制御できるものではなかった故、このような男で妥協する羽目になったがな」
 ワーウルフの態度からは、嘘を言っているように見えない。
「いまいち、信じられん話だな」
「そのような力があるのなら、最初から使えばよかったはずでは?」
 ワーウルフは、マリーを見返す。
「ザリス様は、我らが主の中で最強の名を冠していた」
 主とはザリスやダルウィのような、契約者達が司令級と呼んでいるものの事だろう。
「記憶を共有しつつも個の意思を保ち、無制限に自らを複製する。母体などはなく、全てが同等に同等の価値を持つ。この恐ろしさを、理解できないわけはなかろう?」
「……」
 ザリスとダルウィの個々の強さで比較すれば、圧倒的にダルウィに軍配があがる。だが、ザリスとダルウィが戦った場合、勝つのはザリスでありそれは決して覆らない。
 ザリスはダルウィが倒れるまで、百回でも千回でも一万回でも、繰り返し挑み続ける事ができるのだ。無制限のコンティニュー、勝利するまで続けるから故の必勝。最強というには随分と泥臭い。
 そしてこれには、対処法が存在しない。一度に全てのザリスを倒せばいいというのが解決策だが、果たして自分達の目の前にいるので本当に全てなのか、確かめる術はないのだ。たった一人見逃してしまえば、あるいは一人どこかに隠しておけば、その時対峙した数よりも多くの物量を持って帰ってくるだろう。
「だが、我が主はそのようなあり方を快くは思っておらなんだ」
「そういう話が、ありましたな」
 ザリスは唯一の一人になりたいと考えていた。
 自らの価値に逆行する思考だ。彼は最初から壊れてしまっていたのかもしれない。
「自身の意思に反して行われる増殖を押さえ込むために契約を必要としていた……か、筋は通っているな」
 空港にはザリスが大挙して押し寄せているという。
 心変わりしたのか別の理由があるのか、ともあれ、増殖する事に制限が必要無いとなったのであれば、ザリスにとって光太郎の価値は無くなったといっていい。
 道端に捨てなかったのは、ザリスなりの義理なのだろう。
「なるほど。光太郎君に価値が無いというのは納得しましょう。しかし―――」
「あ、もしかしてあれが天使?」
 マリーの言葉は、空を指差すカナリーによって止められた。
 カナリーの指差す方向、その先には確かに三対の翼を持つ天使のような何かが、恐ろしい勢いでこちらに向かって進んでいた。
 一瞬、だった。
 五人の頭上を瞬きする間に天使が通り過ぎていってすぐ、あまりの速さで発生した衝撃波によって周囲のビルや瓦礫が崩れ、舞い上がる。
 何の準備もしていなかった五人もばらばらに吹き飛ばされる。いや、空中でワーウルフが光太郎を抱えるのが一瞬だけ見えた。だがすぐにそれも、舞い上がった塵芥によって覆いかぶさって見えなくなる。
 次の瞬間がマリーに訪れるのに、相当な時間を要した。
 体をあちこちにぶつけたのだろう。全身のあちこちから痛みのシグナルが発して、どこが痛いのかはっきりしない。
 周囲の風景もすっかり様変わりし、ここがどこであるかもよくわからない。なるほど、移動するだけでここまで破壊を振りまく天使が、二体で争えば都市が形を保っていられないのも納得できる、とどうでもいい事がまず浮かんだ。
「伝えなければ……天使が、千代田基地に……」



 時計の長針を四周ほど撒き戻す。
 都市部にして、怪物達と戦いが繰り広がられる中、一隻の大型飛空艇がそれていった。ハーポ・マルクスという名の大型飛空艇だ。
 ゆっくりとそれた先には、瓦礫で多少でこぼこになっているが、なんとか着陸できそうな広場があった。ハーポ・マルクスはゆっくりとその広場に降下する。
 無事着陸したハーポ・マルクスの周囲には、ゴブリン達が集まってくる。だが、着陸してから微動だにしないハーポ・マルクスをどうするべきか、悩んだ様子だった。
 緊張した空気を壊したのは、ハーポ・マルクスからあがった空砲だ。一瞬怪物達は攻撃が来たと身構えるも、真上に打ち上げられたのを目にし、緊張が困惑に変わっていく。
「さぁて、どうなるかな」
 ドリル・ホール(どりる・ほーる)は操舵室でほくそ笑む。この時点で、目的の半分以上は成功している。
「カメラの準備、OKですか?」
「うむ」
 ジョン・オーク(じょん・おーく)の言葉がインカムから流れ、夏侯 惇(かこう・とん)は頷きつつそう返す。
 ジョンは身を屈めたまま舞台袖へと移動し、残り五秒までは口で、そこから先は指を追ってステージの真ん中のカル・カルカー(かる・かるかー)に残り時間を伝えた。
 ジョンの最後の指が折られると同時に、今度は火花散る花火があがり、ハッチが開く。いくつものライトが舞台全体を華やかに照らし、舞台の置くに設置された大型モニターには、マイクを持ったカルの姿が大きく映し出されていた。
「戦は元々は神事だったっていう。だからこいつは、お祭りだー!」
 どこかヤケクソな感じがしないでもないカルの声が響く。
「俺達、歌って踊れる教導団ー! まるで夏の高校球児さ♪ なぜって、ハッキュー(薄給/薄給)にセイシュン賭けてるんだからなー!!」
 怪物達の懐疑と困惑した視線を集めながら、叫びきったカルの背中を押すように、音楽が鳴り始める。
 マイクを握り締めたカルは、緊張を解きほぐすように全身でリズムを取った。正直、銃もって走り回る方がまだ心に優しい。
「―――♪」
 なんとか歌い出しでタイミングと音を外さずに済み、そこからは段々と慣れていった。
「おお、様になった踊りではないか。カル坊も、大物だ!」
 カルの踊りを撮影しながら、惇は少し満足そうだ。若いモンのステージとか、何が流行りかとかはよくわからないが、練習風景は見ているため、成功しているのか失敗しているのかぐらいは見分けがつく。完璧だ。
「怪物達は静かですね……」
 カルの歌と踊りに混乱しているのか、怪物達は静かに見守っている。
「……、少し数が増えているような」
 ジョンがそんな疑問を持った頃、カルの歌が終わった。
 曲が最後まで流れきると、ここが戦場であった事を思い出させるように、そう遠くない距離から戦いの音が聞こえる。
「……はぁ、はぁ」
 マイクで音を拾わないように、カルは息を整えながら怪物達の動きを見守った。十分な時間は稼いだ、役割は果たしている。
 怪物達のとった行動は、それぞれ腕をあげ、そして粗末な発声器官で思い思いに吼えた。それが、歓声と呼ばれるものだと理解するのに、僅かばかりの時間が必要だった。
 それだけでは終わらない。
 怪物達はそれぞれに手を叩いたり、瓦礫にまざっていたフライパンやらを叩いて音を出して、ばらばらに体を動かしはじめた。今度は自分達の番だ、とでも言うかのように。
「おいおい、なんだよそりゃ」
 色々高まっていた緊張が、解れて力が抜けていく。
 怪物達のそれは、ダンスというにはつたないものだったが、彼らの統一感の成せる技か、やたらリズムが合っていて、見ようによってはかなり壮観だ。
 と、突然新しい音楽が流れ始める。
「カル坊、こちらも負けてられんぞ」
 カメラマンが満面の笑みで言う。
「散々ワカラン、ワカラン言ってた癖に、一番ノリノリじゃねーか」
 曲は流れ続けている、もうすぐ歌い出しだ。
 こっちだって、今日のために相当練習したのだ。即席の踊りに負けてはいられない!

 トマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)は背中に聞こえるカルの歌を聴きながら、大通りだった道路の端を注意しながら進む。彼の装着したパワードスーツ、フィアーカー・バルのキラキラにデコレーションした襷を装備し、派手に、しかし隠れながらと大変矛盾した行動だ。
 この道路を一本挟んだ裏路地だった瓦礫道では、三船 敬一(みふね・けいいち)の隊がほぼ平行に進軍している。できれば敵と戦いたくないが、そうなったら相手をするのは自分達である、という悩ましい事情によるものだ。
「うまくいってるかな」
 背中に聞こえる歌は続いている。怪物達にはまだ何もされていないだろうが、音と光に寄っていく怪物達はこれからも増えるだろう。無茶苦茶な作戦の主軸を担わせておきながら、無事を祈らずにはいられない。
「おっと」
 先頭を走っていたテノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)が足を止めると、横道からゴブリンが二体、転がり出てきた。というより、転がってきた。誰かに突き飛ばされたかのような動きに、敬一が頭に過ぎるが、それは道路の反対側だ。
 ゴブリン二体は、テノーリオ達ではなく、道路の方を見て、謝るような仕草をする。そこからは、この戦場で何度も見た怪物のっそりのっそり歩いて出てきた。
「レッドライン、のちっちゃいのね」
 ミカエラ・ウォーレンシュタット(みかえら・うぉーれんしゅたっと)を含め、小隊三人が相手を確認する。この戦場に、ごくごく僅かだが、小さいレッドラインの発見報告がなされている。
 レッドラインと比べると、シルエットがスマートなその怪物は、トマス達をちらりと見ると、ゴブリンに対して顎をしゃくって見せる。戦え、とそう言っているのがトマス達にもわかる。
 やぶれかぶれのようなゴブリン二体の突進を、適当にあしらって対処すると、レッドラインは情けないとでも言うように首を左右に降った。
 そして、腰から吊り下げていた段平を引き抜いた。
 その立ち振る舞いから、かなりの使い手であるのを三人は感じ取った。一対三の状況に、怯んだ様子も無い。
「掴まった、そっちは?」
 小声で敬一に通信を行う。
「問題無い。陽動がうまくいっているようだ。敵の気配すらしない」
「了解、そのまま進んで」
「わかった。武運を祈る」
 通信が終えると、レッドラインはもういいか、と伺うような仕草をする。なるほど、こいつはこいつで随分な戦闘狂らしい。
「待たせたな、僕達が相手になってやる」

「ふぃー、しんどかった」
 テノーリオはフィアーカー・バルのヘルメットを外すと、額を腕で拭った。
 小型のレッドラインは、大型のレッドラインとは動きも戦い方も全く違っていた。盾など使わず、力で押し切るタイプの戦闘スタイルは、どこかダルウィを思わせるものがあった。
「姉さんは大丈夫だったか?」
「ええ、パワードスーツを用意してなかったら危なかったけど……けど、これもしばらく修理にだす必要がありそうね」
 ミカエラのフィアーカー・バルは、肩からわき腹にかけて、ざっくりと刀が通った後が残っている。あと半歩前に出ていたら、一緒に自分の体ごとやられていただろう。
「強敵だったね。偶然だろうけど、こっちに出てくれて助かったよ」
 トマスは最後に、レッドラインが機能停止した事を確かめる。そのトマスには既にフィアーカー・バルが無い、戦闘途中に廃棄したのだ。
「どうする、追うか? っても、なんとか動くの俺だけだなんだけど」
 かくいうテノーリオのも、かなりダメージを受けている。走るぐらいは大丈夫だが、ダルウィを相手にするなら足手まといになるかもしれない。
「カル達が心配だし、ハーポ・マルクスに……アレ?」
 長く険しい戦いの最中は聞こえていなかった、カルの歌がまだ続いている事にトマスは気付いた。
 すぐさま、テノーリオのパワードスーツからハーポ・マルクスでお留守番をしている魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)に通信を繋ぐ。
「いやぁ、思ったよりも大人気でして、アンコールが止まないんです。しかし、そろそろカルカー少尉の持ち歌も切れてしまいそうで困っております」
「ああ、うん、そう、なんだ。あ、うん、一旦戻るから、よろしく」