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リアクション
「これね」
帽子のひさしを指で押し上げると、九弓・フゥ・リュィソー(くゅみ・ )は野外ステージにあがった。
肩が出るワンピースの上に羽織ったカーディガンの、波のようなすそのラインが九弓の動きに合わせてさらさらと揺れた。
「鱗粉はあびてないわね」
九弓はおもむろにバッグを開けて、中に入っている者、いや剣の花嫁に異常がないかざっと検分する。
「リンプン……?」
急に光が差して、マネット・エェル( ・ )は小さな手で、これまた小さな寝ぼけまなこをこすった。
手のひらサイズであるマネットは九弓のバッグの中で眠っていたのだった。
「一曲、頼むわよ」
「はいです」
事情が分からないながらもマネットはすぐに起き上がると、いずまいを正した。
前掛けをつけた青いドレスは、花嫁というよりお姫さまといった感じだ。九弓がマネットのために特注している衣装、今日のテーマは「不思議の国のアリス」。
「……それでは、キミヘ ムカウ ヒカリ ですわ」
永い永い時を過ごしてきたマネットには、もはや思い出せないほどに古い、失われてしまった記憶もある。
しかし彼女は、表層の記憶ではない、魂にしみついた「大切なもの」の感覚が決して失われないこともまた知っていた。
九弓が用意した特設ステージに立ったマネットは、澄んだ声で歌い始めた。
はぐれてしまったパートナーを探して、双葉 京子(ふたば・きょうこ)は遊園地の中を走り回っていた。汗で額に髪がはりついている。
(真君、どこに行っちゃったの……!)
ただはぐれてしまったのなら、京子もこんなに心配はしない。自分から、いや、周囲のものすべてから逃げ出すように走っていった椎名 真(しいな・まこと)が心配だった。
蝶の鱗粉によって真もまた記憶を失ってしまったのだろうと見当はついたが、話もできないのでは手のうちようがない。
走り回るうちにマネットの歌が耳に入り、京子は野外ステージに駆け寄る。
事情を説明し、携帯電話の着信メロディをマイクで流してもらおうとする京子に、九弓は事も無げに言った。
「歌ったら?」
「え?」
「相手の心に届けたいんなら、あんたが歌った方がいいんじゃない?」
かわいらしく礼を取ったマネットがマイクの前を退いた。
「私が歌う……」
ごくりとつばを飲み込んで京子はマイクの前に立った。人前で歌った機会はないが、他ならぬ真のためだ。
最初はぎこちなく、だが気持ちをこめて京子は歌った。
携帯電話の鳴る音を無視していた真も、京子の歌声にひかれてふらふらと野外ステージに近づいた。携帯電話の着信音にもなっている聞き覚えのあるメロディは、真が作曲したものだった。
(ねぇ、覚えてる? はじめてあった時……真君、また失望されるのが怖くてお父さんからの電話取れなくて泣いてたよね……私はそのとき流れてた音で目覚めたんだよ? ねぇ、思い出して真君)
歌から京子の思いが流れ込んでくる。
京子に出会う以前の真は、コンプレックスに押しつぶされそうになっていた。そんな時に京子に会って真は救われた。
我知らず、真の頬を涙が伝った。真の姿を見つけステージを飛び降りた京子の、あたたかく、柔らかな手が涙をぬぐう。
「泣かないで……笑ったほうがきっとすてき」
京子のその言葉が、初めて出会った時と同じ言葉だと真にはわかった。
とにかく、いったん気持ちを落ち着かせようと、渡辺 鋼(わたなべ・こう)はトイレに向かった。
水にぬれた手をふくためハンカチを取り出そうと、無造作にポケットに手をつっこんだ。一緒に引き出されたものがひらりと地面に落ちる。
それを鋼は取り上げた。手紙だった。
しかしあて名がない。ひっくり返してみるが差出人の名前もない。
失った記憶の手がかりにも手がかりになるかもしれない。そう思って鋼は中に入っていた便せんを読み始めた。
「……」
そこにつづってあったのは他ならぬ鋼自信の、想い人への言葉だった。
早足で戻ってきた鋼を、セイ・ラウダ(せい・らうだ)は片手を挙げて迎えた。
「おかえり」
「なぁ、自分の様子おかしなかった?」
「いや、わからないな」
「ほな、ええわ」
鋼はそのまま野外ステージに向かって歩き出す。
「ええ?」と了解を取ると、即興で歌い始めた。
紫の蝶に導かれ訪れた未来
未来の自分はあなたといて幸せだった
でもそれ以上に苦しみがあった
何故ならあなたのぬくもりの中で
芽生えた想いに恋があったから
心からあなたを好きになってもいいですか
その先を望んでみてもいいですか
あなたが求めるぬくもりや愛を知るのも
あなたとの違いを知ってまた孤独を感じるのも恐かったんだ
なぜ紫の蝶よ
この想いを消してくれなかった
鋼の歌を聴いて、セイは兄弟のように接してきた鋼の想いを悟った。
そして自分もまた鋼に抱いている想いに気付く。
セイの胸が高鳴った。
でも
だからこそ気付けたのかもしれない
どんな事があってもあなたが大好きなことを
歌い終えてステージを降りた鋼を、セイはステージの下で待っていた。
「俺もだ」
鋼の歌に短く応えて、セイは鋼を強く抱きしめた。
セス・ヘルムズ(せす・へるむず)はしきりに辺りを見回している。
何かを探しているような様子に、パートナーであるアラン・ブラック(あらん・ぶらっく)は声をかけた。
「どうしたんだい?」
「なにかの音が聞こえた気がして」
言われてアランも耳をすます。楽しそうな声や音楽、さまざまな音は聞こえてくるが、どれがセスの気になった音かはわからない。
目をつむり、アランは周囲の音に集中している。
銀の髪が陽光を受けてきらきらと輝くのを見てセスは考えた。
(アランさんが僕のパートナーだって言われてもぜんぜん思い出せないな)
でもアランの悲しそうな顔を見るとなぜかがんばろうと思う。それはやはり、二人の間に絆があるからなのだろうとセスは思った。
「僕、がんばって思い出すからね」
「不安にならないで。なにか思い出せそうな場所があるなら行ってみよう」
「うん」
手伝ってくれるアランさんのためにもはやく思い出したい、アランの優しい微笑みに、セスはあらためてそう決意した。
「セスに聞こえていたのはヴァイオリンの音かもしれないよ」
と言って、アランはヴァイオリンを借りてきた。
(セスとは僕のヴァイオリンの音で知り合ったから、もしかしたら僕の演奏で何か思い出せるかもしれない)
想いをこめて、アランはヴァイオリンを弾き始めた。
(セスに忘れられるのがこんなに辛いと思わなかったよ)
僕のことを思い出してほしい、その願いをこめたアランの演奏。
アランの演奏を聴くセスの顔に、じょじょに笑みが広がっていく。
アランも微笑を返した。
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