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薔薇に捧げる一滴(ひとしずく)―NL編―

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薔薇に捧げる一滴(ひとしずく)―NL編―
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薔薇の香りに包まれて

 赤エリアのメイン広場。ここには、ゆっくりとお茶を楽しみたい人たちが集まった。
 メイン広場とあって、用意される紅茶の種類もお菓子の種類もエリア1。舌の肥えた人たちでも満足できるような物を取りそろえているところが、薔薇学らしいのかもしれない。
 しかし、そんな中で暗い顔をしている人物がいた。アルカナ・ディアディール(あるかな・でぃあでぃーる)は椅子に腰掛けるもどこか落ちつきがなく、時折溜息を吐いては遠くの薔薇を眺めている。
 その理由は、一緒にきたメンバーにあるのだろう。パートナーであるサトゥルヌス・ルーンティア(さとぅぬるす・るーんてぃあ)にこのお茶会へ誘われたときは、イエニチェリの薔薇園ということで興味があり、何よりサトゥの誘いなので断る理由すらなかった。
「ちょっとアル、聞いてるの?」
 そう、この声の主カーリー・ディアディール(かーりー・でぃあでぃーる)こそが暗くなる原因だ。口にするほどおぞましい過去のせいで、姉はおろか女性恐怖症になってしまったのだから無理もない。
「このミニケーキ、とっても可愛いよね。アル君もそう思わない?」
「あ、あぁ……そうだな」
 始終ニコニコしているのは嬉しいことのはずなのに、サトゥはずっと姉と話してばかり。薔薇の蕾が可愛いから始まり、色が参加者が、終いにはお菓子まで。可愛い物が好きな2人の話は止まることはなかった。
(それだけならまだいい……!)
 カップを持っている手に僅かながら力が入り、ちらりと2人の様子を盗み見ると、これみよがしにサトゥに寄り添って……こちらを見る、得意げな瞳。
(あの悪魔……っ)
 ガタン、とわざとらしく音を立てて立ち上がり、新しい紅茶を貰ってこようと空になったポットを手に取る。
「ついでに、新しいお菓子が出てきたら取ってきてよね。もちろん可愛いの!」
「……あぁ、わかってる」
(サトゥは何故、姉貴も誘ったんだ。悪魔さえいなければ穏やかなお茶会だったのに)
「アルー? 何か言った?」
 文句など絶対言えない。自分が少し我慢するだけで平穏が手に入るのだから、自己主張などする気もない。そもそも、長年植え付けられた恐怖から、逆らうだなんて選択肢はとうの昔に消え去っている。
「いや、急いで行ってくる」
 慌てて取りに行く様子も、遠目から見れば仲良く冗談を言い合っているようにも見えて、1人で来ているペネローペ・桜城(ぺねろーぺ・さくらぎ)は微笑ましく眺めていた。
(僕も、誰かを誘えば良かったかな)
 出来ることなら薔薇の学舎へ入学したかったペネローペにとって、今回のお茶会はどうどうと訪問出来る理由となった。さらには、大好きな薔薇に囲まれて優雅にお茶を楽しめるのだから喜びもひとしお。静かに薔薇を愛でたいので1人で訪れたが、誰かと分かち合いたいという気持ちもあって、楽しそうな様子に目がいってしまったのだろう。
「失礼、この席は空いていますかな」
 ふと視線を上げれば落ち着いた容姿の男性、セオボルト・フィッツジェラルド(せおぼると・ふぃっつじぇらるど)が立っていて、まさか声をかけられると思わなかったペネロ―ペは一拍の間を置いて微笑んだ。
「ちょうど誰かと薔薇を愛でることが出来ればと思っていたんだ」
「それは良かった。自分も落ち着いた方とご一緒したいと思っていましてな」
 優雅に腰掛けるその仕草に、ペネローペはふと疑問を口にする。
「左を……キミは剣の心得が?」
 お茶会に参加するにあたり、武器類は預けることになってしまったので腰には何も刺さっていないが、相手に隙を見せる動作をするときは武器を庇うもの。それを見抜かれたセオボルトは、口の端を上げる。
「おや、凜とした居住まいの薔薇の君には見抜かれてしまいましたか。実に興味深いですな」
 何故か同性に好かれてしまうセオボルトにとって、女性と共通の話題があることは何よりもチャンスだ。ペネローペは服装こそ男装を好むようだが、その物腰は明らかに女性。このお茶会に女性を口説きに来たつもりはないが、こうして出逢えたことも何かの縁だろう。
「いや、そんな大したことじゃない。……しかし薔薇の君とは僕のことか?」
「お気に召しませんか。野に咲く可憐な花ほど弱々しくなく、侮ると痛い目に遭いそうな雰囲気は薔薇がお似合いかと」
 女性らしい扱いを受けたわけではないが、出来れば名前で呼んでほしい。セオボルトの勝手にあだ名をつけてしまう癖を知らないペネローペは、訂正するように名を名乗る。
「……ペネローペ。僕はペネローペ・桜城だ。キミの名は?」
「セオボルト・フィッツジェラルドと申します。以後お見知りおきを」
 そうして、新たなる出逢いを祝福するように揺れる薔薇の向こうで、怪しい笑みを浮かべる少年がいた。1人で来ている小鳥遊 徹平(たかなし・てっぺい)は、招かれているというのに何故か上質な執事服をまとい紅茶を振る舞っている。その手際などをよく見れば気付く者もいそうなのだが、話に夢中になる参加者のほとんどには気付かれることなく馴染んでしまっているようだ。
(薔薇の学舎だなんて言ってもチョロいもんだな)
 ポケットに忍ばせた小瓶には、アルコール。パラ実生らしいと言えばそれまでだが、未成年として感心しないそのアイテムをティーカップに注ぎ込んだ。色が薄くなったりと違和感がないように紅茶の色に近い物を用意したので、一目見ただけでは気付かれないだろう。
「紅茶のおかわりはいかがですか?」
 銀のトレイにそのカップを乗せ、仲の良さそうなカップルの元へ運ぶ。振り返ったルース・メルヴィン(るーす・めるう゛ぃん)が、お酒の強そうないい大人だったことに内心舌打ちしつつも、声をかけてしまっては後には引けない。空いたカップを下げようと手を伸ばすと誰かが徹平の袖を引っ張った。
「いい香りね〜今度はどんなお茶かしら♪」
「はい、こちらは――」
 若い女性の声に、自分の作戦が巧くいくと心の中でほくそ笑んだ徹平は、営業スマイルで振り返った。確かに若い女性、しかも妖艶な美女がそこにいて、どんな男も目を奪われてしまうのも頷ける。しかし徹平が固まったのはそうではない。
「ねぇ、もっと近くに来て説明してくれないかしら?」
 ヴェルチェ・クライウォルフ(う゛ぇるちぇ・くらいうぉるふ)の少し冷ややかな視線で捕らえられ、徹平は言葉に詰まる。荒んだパラ実で目立つその派手な容姿を知らないわけもなく、またヴェルチェもお金を持っていそうな男を探すために何人もの男を見て回っていたので、滲み出るオーラと不釣り合いの服装でなんとなくだが徹平が薔薇学生ではないことに気付いたようだ。
「おいおい、その若僧が気に入ったのか?」
「やぁっだ、ダーンリンってば! そんなワケないでしょ?」
 ルースの嫉妬をにこやかにかわしながら、徹平の腕を強く引く。
「……明らかに紅茶の香りじゃないけど、毒なんて仕込んでないわよね?」
「は、はいっ! 少し、いやカップ半分くらいアルコールを入れただけで」
 その答えを聞くや否や、興味を失ったかのように徹平の腕を放してルースへ向き直る。
「ダーリン好みの紅茶ですって、楽しみだわ〜♪」
(くっそ……酒好きかよ、面白くねぇ)
 眉間に皺を寄せながらもテーブルを片付け新しい紅茶を置くと、徹平は新しいターゲットを探しに行ってしまった。
(少しくらいアルコール入ってくれた方が、積極的になってくれるかもしれないわね♪)
 そんなヴェルチの策略を知らないルースは、薔薇に囲まれた素敵なお茶会に一緒に来られて良かったと1人平和な気持ちで彼女の手作りお菓子に手を伸ばす。
「おいしい? これ、お金持ちとか金塊とかのイメージらしいわ♪」
 少し不安げに見つめるヴェルチに何と答えるか……まさに男の度量が試される瞬間だ。彼女の初めての手料理はココア風味だと思われるフィナンシエ。見た目は綺麗にハートや薔薇の花をして目を楽しませるので、安心して口に運んだルースだったが、どうしてこの焼き菓子はパッサパサなのだろう。1口食べるごとに口の中の水分が持って行かれるようで、先ほど運んでもらったばかりの紅茶も飲み干してしまった。
 もしかしたら、自分がよく知らないだけで、サックリとした食感の上をいく新食感が今の主流なのかもしれない。現に味はそんなにも悪くないと思う。
(ヴェルチが目の前で幸せそうにしていたら、どんなモンでも旨いだろうなぁ)
 ……どうやらそれは、惚れた欲目でそう思っているだけのようだ。幸せな顔で平らげていくルースを見つめながら、ヴェルチもまた微笑む。
(薔薇園は迷路になってるって話だし、人気がないところだとダーリンも……ね♪)
 けれども、そんな幸せそうなテーブルの隣ではどんよりとした空気が漂っている。薔薇学生であるクライス・クリンプト(くらいす・くりんぷと)は、憧れのイエニチェリの庭園に来ているとは思えない落ち込みようで、一緒に来ているパートナーのサフィ・ゼラズニイ(さふぃ・ぜらずにい)も呆れ顔だ。
「こーんなに可愛い子が付き合ってあげてるのに、何が不服なの?」
「……すみません」
(いや、素直に謝られると自画自賛しちゃったあたしは恥ずかしいんだけど)
 薔薇も美しく咲き、美味しいお茶に豪華なお菓子。申し分ないこの状況の価値を半減するクライスの態度をなんとか浮上させようと、地雷ともなりえる紙一重の話題を振ってみる。
「もう、過ぎたことでくよくよしない! 何なら私がいい子紹介してあげようか、薔薇学生だしたぶんモテモテだよ?」
 思い人に誘いを断られて落ち込んでいる相手には、キツイ一言かもしれない。けれども、少しでも前向きになって欲しいというパートナーとしての心配からなのか、彼女お得意の嘘でからかっているのかは、その表情からは読み取れなかった。
「そう、ですか? それなら、その方達にデートで行ってみたい所聞いてきてください。今度こそ、あの人を誘って……」
 前者だと受け取ったクライスは、前向きに考えて自分に好意を持つであろう女の子たちの意見を参考にすると言い出した。女の子が選取り見取りだと提案したにも関わらず、目の前の騎士様はたった1人の女性しか見えていない様子。
(本当にもう、これだからこの騎士様は……純粋と言ってあげるべきなのか、欲がないと罵ってあげるべきなのか)
 言葉どころか、どんな顔をしてあげれば良いのかわからないサフィは、微苦笑を浮かべて誤魔化すようにお菓子をつまむ。
「サフィさん。そんな変な顔をさせてしまうほど、僕はおかしなこと言いました?」
「どっちだと思うー?」
(わからないから聞いたんだけどな……)
 もし、勇気を出して先に誘っていたら、あの人は一緒に来てくれただろうか。渡したい手紙も用意して、会えるならと同じエリアを選択したにもかかわらず、彼女は先に奥へ行ってしまったらしく、一目見ることすら叶わなかった。
「だーから、暗いってば」
「す、すみません……」
 シュンとするクライスに、弄りがいがないとつまらなそうな顔をすると、独り言のように呟く。
「諦めきれないならウジウジしないの。常に釣り合う男でいようっていう気概はないワケ?」
「あ……」
 いつか、気付いてもらえたらいい。今の自分を認めてもらえればいいと受け身な発想をしていたクライスにいとって、それは真逆なものだった。今の自分のままでは、別の人を選ぶ彼女の考えを変えることは出来ない。あの人になるのではなく、あの人を超える人物にならなければ振り向いてもらうことは不可能だろう。
「でも、あの人に勝つなんて……」
「だったら、なんで諦めないのよ。自分の中で答えなんて決まってるくせに」
 言われて初めて、心の中と向き合えた気がする。こうして中途半端な距離でいることも嫌なのに、真っ向から勝負をして負けるのも嫌だなんて自分勝手だ。
「ありがとうサフィさん。もう少し頑張ってみるよ」
(……ちょっと、喋りすぎたかな)
 ゲームは面白い方がいい。簡単に堕落していくようでは、契約したときから始まっているゲームがすぐに終わってしまう。
「ま、あたしを楽しませてくれたらチャラにしてあげるわ♪」
「はい、今日はお付き合いしますよ!」
 元気を取り戻したクライスに、サフィは苦笑しながらお茶会を楽しむのだった。
 そんなお茶会の様子を見守っている4つの影。高台にはジェイダス、ルドルフ、そして警護の真城 直(ましろ・すなお)と3人にお茶を振る舞うヴィスタ・ユド・ベルニオス(う゛ぃすた・ゆどべるにおす)がいた。
「このような普通の茶会なら、何もここで催さなくても良かっただろう」
 下の様子を見て溜息を吐いたジェイダスは、ルドルフの意図がわからないと言いたげにちらりとヴィスタに視線を飛ばす。
「そうご心配されずとも、何か案があってのことではないでしょうか」
 普段は口の悪いヴィスタも、目上の人間ばかりの場所ではいつもと違った口調で頭を下げ、気持ちが安らぐハーブティを新しく淹れ直す。ジェイダスのカップを取り替えると、ほんの僅かだが眉間に寄せられていたシワが少なくなった気がした。
「まぁ良い。我が生徒たちであっても、そう簡単に見つかる物ではないだろう」
 未だに納得のいかない様子ではあるが、中止にせよと言い出さない分ありがたいことだ。
 ルドルフは口元に笑みを浮かべながら、参加者の様子を伺っていた。