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第三章:走る。そこに足があるから

「君のせいだよ」
 ずるずると箒を引きずり。
 いつも眠たげな目を今だけは大きく見開いて、五月葉 終夏(さつきば・おりが)はパートナーのブランカ・エレミール(ぶらんか・えれみーる)にそう零した。自分をここまで引っ張ってきたのはブランカだ。甘い匂いがするとかしないとか、そんな事で他校に入るからこんな事になるに違いない。
「眠いっていってるのに、私をこんなところに連れて来るから」
「いやまさか、こんな事態になってるとはな」
 呆れる二人の方向に、得体の知れないものが走っている。中にたっぷり生クリームの入った、小人のような脚の生えた金属のボールだ。
 しかも。
「え……嘘、こっちに来てるよ」
 ぐるりとカーブを曲がり、生クリームが向かってくる。 眠そうに目をしばたたかせながら、五月葉 終夏は箒を手にした。横向きに腰掛けふわりと宙に浮かびあがれば、その足の下を生クリームまみれの生徒達がスライディングしてゆく。
 これは、……手を貸した方がいいかもしれない。
「巻き込んだんだから、責任とって」
「え?」
「君が壁になればいいよ。上から捕まえてみるから」
 そう言い渡すと、終夏は前を向いた。少しだけ重心が前に傾き、箒が音も無く宙を滑る。
 ひゅんと風きり音をたてて、箒が宙を舞う。
 ちょうどその頃。
「どうやら突破されたようじゃな」
 遠眼鏡で様子を伺っていたミア・マハ(みあ・まは)の言葉と同時に、レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)はウォームアップを始めた。
 生クリームの周回ルートから速度が落ちる大きなカーブを選んで待ち伏せる二人。レキが両手に抱えてきたのは、運動会で使う障害物競走のネットだった。確かに進路を邪魔し捕獲するのには向いている。
「どこからこんなものもって来たのじゃ」
「体育倉庫だよ? 運動会の時に使うでしょ」
 もってきたネットまとめると投網のように構え、レキは生クリームを待った。
 反対側に身を潜め、ミア・マハも待機する。
 遠くから足音が近づいてくる。後を追う者の声も少しずつ近くなる。
「なんだか、どきどきするのお」
 身を隠しながらささやくミア。このまま二人で力をあわせれば、足の生えたボールなど簡単に捕まえられる、筈だった。
 だが。
「え? なに?」
 突然横から飛び出てきたブランカに、レキは目を丸くした。
 終夏にせっつかれて待ち伏せする羽目になったブランカ。二人が隠れているとも知らず、生クリームの進路に仁王立ちしたのだった。
「どうしよう、どいてって言わなくちゃ」
「無理じゃ、標的はもうそこまで来ておる」
 その間にも、生クリームはすぐ側まで近づいてくる。更にその後ろを、終夏が箒に乗って追いかけていた。
「仕方ない、とにかく足止めしようぞ!」
 ミアが呪文を唱える。一瞬にして空気が凍りつき、生クリームの足下を捉えかける。しかし。
 カチーン。
 ミア・マハの氷術は見事にはまった。勿論生クリームでなくブランカに。生クリームはまんまとブランカを壁にして術から逃げおおせたのだ。
「何だ? どうして凍って……」
 突然足元を固められ、不思議そうに足を見下ろすブランカの横を、悠々と走り抜けるボール。
 でも待ち伏せは一つじゃない。ネットを構えたレキが、ブランカごと生クリームを捕獲しようとした、そのときだった。
「殺気!?」
 瞬発的に体をかわし、レキは気配へと振り返った。そうして、絶句する。
「何でこんなことになっちゃってるの!?」
 転がって来る。次々と。
 バレーボール、ハンドボール、サッカーボール、二本足のボール、あれもこれもボールのビッグウェーブ。
 ミアの手を引いて避けるレキ。足の効かないブランカだけがボールの波に飲み込まれる。
「えい!」
 距離を取ってレキはネットを放り投げた。
 ちょうどそこへ箒に乗った終夏が飛んでくる。終夏の頭上に広がる捕獲の網。
「何なの、ホントに……」
 ばさばさばさ。
 網にかかった魚の気分とは、きっとこんなだろう。
「ごめんなさい、あの、大丈夫ですか?!」
 飛んでくるボールを避けながら、レキが網へと近寄ってくる。
「まあ、何とか平気。……それにしてもこのボールは?」
「私じゃありません。トラップみたいですけど……」
「どうだ! 今度こそ捕まえられただろう!」
 現れたのは自信満々のゲー・オルコットとやる気なさげなドロシー・レッドフォード。
「目には目を、ボールにはボールを! 名付けてボールTOボール作戦だ!」
「……捕獲対象からは逃げられたけど」
 ふうと息をついてネットを外そうとする終夏をブランカが慌てて止める。
「自分がやるから、君はさわるな」
「どうして」
「バイオリニストの指は宝だ、傷をつける訳にいかないだろ」
 自分だって似たような者だというのに、必死でネットを外そうとするブランカ。
 そこへ。
「どうしてこんなことになってるんだ」
 様子を見に来たウィング・ヴォルフリートが、苦笑いするには十分な状況だった。
 理由を話してカフェテリアを離れる事ができたのは、それから更に三十分ほど経ってからだった。
 その間にもあちこちで被害が広がっている。
 レキと協力し、思い切りネットを引いて捕らえられた終夏とブランカを助け出す。それから、転がって散らばった無数のボールを一箇所に集めた。
「シールをはがせば止まると思う」
 終夏がウィングに止める手段を伝える。
 ゆっくりと頷き返すウィング。
「だったら、私が暴走を止めよう。これ以上怪我人を出してもこまるから」
「じゃ、ここの片付けはボクが引き受けるよ。クリームのお掃除もしなきゃいけないしね」
 レキに後を任せ、ウィングは生クリームの跡を追った。
 とんと壁を蹴り、そのまま一気に駆け上る。
 重力の支配から逃れ、軽身功を用いて疾駆するウィング。結わえた黒い髪がしなやかな尾のように後ろへと靡き、踏み出す足はその名の通り翼をもつような軽やかさだ。
「……いた」 
 目標はすぐに補足できた。
 一気に距離を詰めるウィング。遠当てで少しずつ生クリームの走る軌道を修正してゆく。
 いい感じだ。今度こそうまくいくだろうと、ウィングはそう思っていた。
 ところが。
「……待っていたわ」
 ひりひりと擦り切れるような殺気に、ウィングは思わず左右の刀の柄へと手をかけた。
「誰です」
 殺気の出所に金色の視線を向ける。そこには、アリア・セレスティが、カルスノウトを手に立っていた。
 いつもは控えめでおとなしいアリア。なのに今は、その全身から鬼気があふれている。
 走馬灯のように頭によぎるのは、ほんの少し前に起こった事件。思い出すだけで恥ずかしさで顔が火照る。
 全部あの生クリームのお化けが悪いのだ。
 だから少し手荒な真似も、仕方の無いこと。アリアはそう断じた。そうして。
「轟雷閃!」
 アリアの一声と同時に、ほとばしる電撃! と 生クリーム!
 吹っ飛んだボールに対して更に追撃しようと、剣を構えなおしたアリアに、生クリームが降りかかる。
「きゃあ」
 アリアに出来た一瞬の隙をついて、猛スピードで突進してくる者があった。
 椎堂紗月だ。
 何としてでも自分の手でボールを捕まえようと、走りに走ってここまで来た。
 吹っ飛んで宙に浮いた生クリームを見定め、紗月は大地を蹴った。
「受け取れアヤメーーー!!」
 ジャンプ一発!
 紗月のすらりと伸びた脚が、生クリームにジャンピングボレーシュート。
 コーンという甲高い音とともに、焦げたステンレスボールがアヤメに向かってすっ飛んでくる。
 がっしりと両腕でボールを抱きかかえるアヤメ。
 アヤメが抱きかかえたボールから、シールがぱらぱらと消し炭になって、落ちた。