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退行催眠と危険な香り

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退行催眠と危険な香り

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1 :名無しの情報提供者:2020/05/16(土) 09:15:43 ID:BarAGaKU
ちーとさぷりの店員と噂の催眠術師について考察するスレ
特徴が一致していることから、同一人物ではないかと推測するが・・・

1.

 空京にある某アパートの一室。一人暮らしをするには広く、入ってすぐのところに待合室、その先に治療を行う部屋があった。
「失礼します」
 と、扉を開けて中へ入る佐々木弥十郎(ささき・やじゅうろう)
「こんにちは。そこのソファに腰かけて」
 弥十郎は言われたとおり、座り心地のよさそうなソファへ腰を下ろす。
「では、まずお名前を聞かせてくれますか?」
 と、トレル・ウォーカーが弥十郎へ振り向く。空色のショートカットをなびかせてこちらを見る顔に、弥十郎は何か違和感を覚えた。
「佐々木弥十郎です。えっと、昔からずっと長袖しか着ないんだけど、それには理由があって……」
「弥十郎さんですね、トラウマですか?」
 トレルもまた、弥十郎の顔に何か感じるものがあったらしく、すぐに目を逸らしてしまう。
「小学校の頃、蔵を探検中にうっかり壺を割ってしまったんです。それには蛇霊が封印されてて、とり憑かれちゃって」
「蛇霊ですか」
「親父と爺さんがすぐに除霊してくれたんだけど、右肩に蛇の鱗が残ってるんです」
 と、弥十郎は自分の右肩を見る。
「それで、ずっと長袖を?」
「はい。人前で肌を見せるのが怖いんです」
 トレルは納得すると、目を合わせないように彼へ向きなおった。
「それは隠さなくても良いと思います。あなたは嫌かもしれないけど、誰だって体に傷の一つや二つはあるものです」
 弥十郎は呆気にとられた。退行催眠をする為にここへ来たのに、何故か慰められている。
「それに蛇霊にとり憑かれるなんて、滅多にないことですよ? そういった意味であなたは特別で、だからこそ、今のあなたがいるんじゃないでしょうか?」
「……はぁ」
「前向きに考えましょう。右肩に残るそれは、恥ずかしいことじゃありませんよ」
 他人からそう言われ、弥十郎は胸が軽くなった気がした。恥ずかしくなんてない、これがあるから自分は――。
「あなたのことは分からないけれど、今の弥十郎さんがあるのはきっと、それのおかげだと思います。だから過去をネガティブに捉えるんじゃなくて、むしろ感謝するくらいポジティブになりましょう」
 弥十郎の中で、それまで囚われていた考えが180度変わっていくのが分かった。
「あとは自分自身との闘いです。少しずつでいいですから、長袖ではなく半袖も着られるようになりましょう」
 と、トレルはにっこり笑う。優しい笑みだった。
「はい!」
 弥十郎の顔にも笑みが浮かぶ。やはりここへ来て、良かった。

「あの、彼が心配なので傍で見ていても良いですか?」
 久途侘助(くず・わびすけ)の後ろに付いてきた香住火藍(かすみ・からん)が問う。
 トレルはにっこり笑うと、ソファとは別の椅子を指さした。
「ええ、どうぞ。お連れの方はこちらへ」
 火藍は侘助から視線を逸らさないように、その椅子へ座る。
「お名前は?」
「久途侘助だ」
「クズさんですね。今日はどういったご用件でしょうか?」
 と、トレルが侘助へ向きあう。侘助は少し俯きながら言った。
「思いだせない記憶があるんだ。催眠術がどういうものかは分からないけど、思い出せないかと思って」
「分かりました。では、リラックスしてください」
 侘助が力を抜いてソファへと座り直す。その間にトレルは棚の上に置かれたキャンドルに火をつける。
「両目を閉じてください」
 と、椅子を彼のそばへ移動させ、近くから侘助を見る。
「想像してください。これからあなたは、記憶の世界へ移動します。そこであなたは、忘れていた記憶に出会います」
 いち、に、さん……トレルが数字を数えると、侘助は真っ暗な世界へと放り込まれた。
 何も見えない、けれどもどこかから声がする。
「何が見えましたか?」
「暗くて、分からない……」
「何か音は聞こえますか?」
「……く、ず……」
 お前は呪われている、呪われ者の侘助だ――いつか聞いた恐ろしい声が耳を奪う。聞こえる、また誰かが俺を『クズ』と呼ぶ。
「あなたの近くに誰かいますか?」
「いる……親戚の、人……みんな、俺を」
 一様に『クズ』だと罵る。優しい声は聞こえない。しかし一つ、さらに恐ろしい声がする。
「ま、もの……?」
 その姿をはっきりと思いだした侘助は、瞬間の内にすべてを思い出した。魔物に襲われた両親、引き取ってくれた親戚も魔物に襲われて……いつからか『クズでノロマ、呪われ者の侘助』と言われるようになった。
 苦しそうな顔をする侘び助にトレルが声をかける。
「クズさん?」
 ああ、そうだ。……俺は、クズだ。
『侘助さん!』
 差し伸ばされた声にはっとする。そうだ、俺は久途侘助だ。火藍が呼んでくれた……その名前だけで十分だ!
「両目を閉じてください。これから数字を三つ数えると、あなたは元の場所へ戻ってきます。いち、に、さん……」
 ぱちっと両目を開けた侘助は、頭がぼーっとして、少しの間、それが現実か分からなかった。けれども、口からは無意識に言葉が出る。
「だから、何だってんだ……トラウマだか何だか知らんが、そんなもんに負けてたまるか!」
 火藍はただ彼を見ていた。
「俺の名前は火藍が呼んでくれたんだ。侘助って、呼んでくれた……それで十分だ。俺は俺だ!」
「その通りです」
 椅子を立った火藍が侘助へと歩み寄る。
「あんたは『クズ』でも『久途』でもどっちでも、侘助さんに変わりはありません」
「……火藍」
 侘助はにっこり微笑んだ。

 アパートを訪れるものは後を絶たない。無償だと言うから当然だ。
「一応、診てもらったらどうかと思うんだけど」
 そのアパートを目指しながら、エルザルド・マーマン(えるざるど・まーまん)土御門雲雀(つちみかど・ひばり)へ言った。
「あたしは……もう、トラウマは治ったよ」
 と、雲雀。
「本当に?」
「っ、大丈夫だっつの!」
 すっかりいつもの調子に戻っている。彼女の中で本当にトラウマが癒えたかどうかは分からないが、エルザルドは安心しても良さそうだと判断した。
 せっかく催眠治療を受けさせようと思って連れてきたのに無駄足だったか。そう思った時だった。
「あ、あれ……!」
 雲雀が突然声を上げた。エルザルドもそちらに目をやる。それは紛れもなく目的のアパートだった。
 そしてその一室から出てきた人物もまた、すぐに二人がいることに気がつく。
「ルディさんではありませんか!」
 ルディ・バークレオ(るでぃ・ばーくれお)は雲雀たちのそばまで来ると、にっこり笑みを浮かべた。
「確か秘術科の、土御門雲雀さんと……」
 と、エルザルドを見る。
「エルザルド・マーマン。俺のことはエルで良いよ」
 そして二人してにこっと笑う。
「先輩も、何かトラウマがあったのでありますか?」
 と、雲雀が尋ねる。ルディは少し口をつぐむと答えを返す。
「いえ、催眠治療を学ぼうと思って訪ねたの。そうしたら、治療と勘違いされてしまって」
「やはり何か、過去に?」
 と、エルザルドがルディを見つめる。
 ぱっと見ただけでもルディは何か胸に抱えていることが分かる。異様なほど白く染まった髪もそうだし、彼女が見せる笑みにも陰がある。
 つい先ほど、思い出したくない過去と向き合ってきた彼女は、ほんの少しでいいから誰かに話をしたかった。この二人なら信用できる気がして、ルディは言った。
「……内緒にしてくださる?」
 雲雀とエルザルドはちらりと目を合わせると、頷いた。
「もちろんであります!」