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リアクション
■?.Minute Waltz
夜月 鴉(やづき・からす)は慣れないタキシードに息苦しさを覚えていた。先に準備を終えたのはいいが、どうにもこういった衣装は身体を締め付ける。首は苦しいし、ハイキックでもしようものなら股が裂けて下着が挨拶しそうだ。鴉は蹴りのお見舞いを必要とする相手が現れないことを祈りながら、なんとか余裕を確保しようと襟元に指を突っ込んだちょうどその時だった。
純白のドレスに身を包んだユベール トゥーナ(ゆべーる・とぅーな)が、ドレスを少し持ち上げながら鴉の下へとやってきた。
「ごめん、待った?」
「い、いや……」
鴉は首を振りながら、見慣れているはずの彼女から目が離せなかった。綺麗に整った髪には髪飾り、気品溢れるピアス、美しいラインのドレス。いつものパートナーなのに、よく知っているはずなのに、まるで別人のよう。鴉は襟に指をつっこんだまま、言葉を失っていた。
「あの、どうかな?」
「そっ、それほんとに貸衣装?」
「えっ?」
ちゃんと思考が機能していない鴉は思わず彼女の意表を突いてしまった。何を言ってるんだろう、俺は。鴉は言ってから気が付く。
「そうだけど……似合ってない?」
不安げな目をするトゥーナに、鴉は両手を振って否定した。
「いやっ、そのっ……すす、すごく似合って、る、よ……」
言葉尻に向かうに連れ赤くなっていく鴉を見て、トゥーナも同じように頬を染めて黙った。
いつもは元気っ子なのに、今日の彼女は何かが違う。おしとやかで、ドレスが似合っていて、綺麗だ。
それを認識してしまった鴉の体温は余計に上がり、いてもたってもいられなくなる。
「とっ、とりあえず、踊ろうか!」
「う、うん……」
鴉の言葉に顔を上げ、トゥーナはそのぎこちない手を取ると、二人はダンスフロアの中央へと抜ける。
ピアノの落としていくリズムに身体を揺らしながら、二人は踊った。
ふっと、華やかな香りを鴉は自覚した。ダンスは、想像していた以上に二人を近づけるものである。思えば、彼女とこんなに近い距離で何かをすることなんてあっただろうか。
「そういえばあたし……」
緩やかな円を描きながら、トゥーナは口を開いた。
「鴉に封印を解いてもらった時、泣きながら抱きついちゃったんだよね」
「そういえば、そんなこともあったな……」
「ちっ……どこだよ、ここ……」
鴉は見知らぬ森に迷い込んでいた。いつもの帰路を少し森の中へ入れば近道になるんじゃないか。気まぐれにそう思ってしまったのが間違いだった。
進めば進むほど森は深く、そして闇もまた深くなっていく。道を戻ろうにも、もうどっちが来た道なのかわからない。
じっとしてても仕方がないし、鴉はただひたすら進むことにした。
「おっかしいな……」
そこまで広い森でもないはずなのに。嫌な汗がじんわりと滲み出す。
そんな時だった。一本の木の根元に、風景に溶け込まない物を鴉は見る。思わず、鴉はそれに近付いた。
少女が横たわっている。生きているのか死んでいるのかもわからない少女が、静かに眠るように。
「まさか、死体じゃないよな……?」
それにしても可愛い少女だった。何を意ともせず、ただ惹かれるように手を伸ばすと、空間に鋭い光が弾けた。
「うわっ、あっ!?」
鴉は驚いて尻餅をつくと、少女の目が開いたことに気が付く。少女はじっと鴉のことを見据えていた。
「あ、えっと……大丈夫か?」
しかし少女は何の反応も見せず、話しかけても答えなかった。鴉は四つん這いで彼女に近付き、その緑色の瞳をそっと覗き込む。次第にその目が潤んだかと思うと、彼女は大粒の涙を流して鴉の首に抱きついた。
「うわぁぁぁぁぁんっ、お父さん、お母さぁぁぁぁぁんっ……!」
両親を魔物に殺害され、トゥーナには何が起こったのかわからなかった。わからないままに暴れていた。目に入るもの全てを破壊しようとした。手のつけようのなかった彼女を、周囲は封印するしかなかった。彼女の感情を、時間の経過に委ねるしか方法はなかったのだ。
鴉は泣きながら抱きついてきた彼女の事情もわからず、その場ではただ慰めるしかなかった。
「あの時は困ったなぁ」
「う……ごめんね」
トゥーナが申し訳なさそうな顔をすると、鴉はいいさと返した。
「あれがなかったら、今俺たちはこうしてないんだからな」
「うん、そうだね」
トゥーナは鴉の言葉を大事に受け取りながら、静かに頷いた。
#
「あら、結構賑やかね」
「とりあえず、何か食べてみましょう」
深いブルーの細身のドレスにコサージュを飾りつけた鳳 フラガ(おおとり・ふらが)が人の多い会場を見渡すと、パートナーのルートヴィヒ・ルルー(るーとう゛ぃひ・るるー)が提案する。
「やぁ、新入生か?」
二人がテーブルに寄ると、不意に別のペアに話しかけられた。
「おや、ぶっきらぼうですねぇ」
「ルーイ」
フラガは食って掛かりそうになるルートヴィヒを静かに止めた。
「失礼したわね。あなたは?」
「俺はエヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)。こっちに来てもうしばらくになる」
「で、ボクはパートナーのロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)だよ!」
「あら、よろしく。私はフラガよ」
エヴァルトの脇から元気よく飛び出てきたロボットボディの少女と、フラガはにこやかに握手を交わした。
「あなた、立派な身体なのね」
「えっへへ、そうかな。ま、この身体のお陰でドレスも着れないんだけどねー」
「いいじゃないか、そのままでも」
エヴァルトが口をもぐもぐさせながら二人の会話に参加する。それを聞いたルーイは食事を皿に盛りながらフラガに話しかける。
「どうやら、素敵なペアなようですね。はい、どうぞフラガさん」
「あら、ありがとう。そのようね」
ルーイから食事の盛られた皿を受け取ると、フラガはロートラウトを見た。
「今日は出会いを振り返る主旨のパーティーみたいだけど、よかったらあなたたちの出会いを伺いたいわ」
ピアノの旋律が流れる中、にこりとするフラガに、ロートラウトは快く話し始める。
「ボクとエヴァルトの出会いは、えーっと……まず、ボクは魂だけの存在で彷徨ってたんだ。色んな人に声をかけても気付いてもらえないんだけど、なぜかエヴァルトだけは違って、ボクの声に応えてくれたんだよ。ね、エヴァルト?」
ロートラウトが話を振る傍で、エヴァルトは料理を頬張りながらこくこくと頷いていた。あれは「後は任せた」の合図である。ロートラウトは思わず苦笑いした。
「その時契約したみたいなんだけど、でも、ところがなんと! ボクは契約してもエネルギー生命体のままで身体がなかったの! だからその時仕方なく、近くにあった車に乗り移って変形を――」
「いや、お前元から体あったろう。車に乗り移って変形とか、どこぞの初代勇者じゃあるまいし」
エヴァルトがロートラウトの話を訂正するが、フラガとルートヴィヒは結局何なのかよくわからなかった。
「ま、つまり! そんなこんなでエヴァルトと出会ったわけ! で? そっちは?」
ロートラウトが交換と言わんばかりにフラガ達の話を促す。フラガは思わずルートヴィヒを見た。
――等価交換は成り立たなそうなんだけど、いい?
――貴女さえよければ。
目配せでそんなやりとりをすると、フラガはロートラウトに向き直った。
「私たちの出会いは、まだ私の髪が腰まであった頃――」
ここからは遥か遠い、フランスのとある街角。
フラガが宵闇の小雨に打たれながら歩いていると、目の前に白髪の男が現れて突然跪いたのだ。
「えっ……」
足を止め、見下ろすことしか出来なくなったフラガは、彼の言葉を聞いた。
「わたくしめは姓をルルー、名をルートヴィヒと申す、しがない吸血鬼でございます。その月光よりも美しき金の髪、知性を秘めた青の瞳……。唐突ではありますが、わたくしは貴女に運命を感じました。貴女はわたくしの運命の人でございます。是非、わたくしめと契約を交わして頂きたい。もちろん断ることも――」
「いいわ」
ルートヴィヒの言葉を遮って、趣旨がわかると同時にフラガは頷いた。
「なっ、本当ですか……!」
「ええ。吸血鬼に契約って、例の大陸の話でしょう? もともと興味があるし、断る理由もないわ」
そう言って、フラガは少し湿った自分の長い髪をふわりとかき上げた。
「しかし、わたくしめは吸血鬼。契約を交わすには、貴女の血を吸わなければ――」
「だから早くしなさい」
「はっ……?」
ルートヴィヒは話の進み具合のあまりの速さについていけなかった。
「ほら、あなたのために髪をのけたのよ、ルートヴィヒ? その代わり、変なことはしないで頂戴ね」
「その溢れんばかりの賢明さ。あの時から、わたくしはフラガさんの虜なのです」
「私のことを運命の人だなんて変わっているけど、でも彼を信頼してるわ」
ルートヴィヒが終止符を打つと、フラガはそう添えた。
「おお〜。なんだか、すごい関係だね〜」
話を聞き終えると、ロートラウトは何を思ったのか関心して拍手までしていた。
「あら、ありがとう。今思えば、三年も前の話になるのね」
フラガが一度目線を落として、それからルートヴィヒを振り返ると、彼は優しく微笑んでいた。
「三年?」
ロートラウトがそれを聞いてぴくっと反応した。
「ボクたちが出会ったのも三年前だよ!」
「そうなの? それは奇遇ね。私たちが今日ここで会ったのも、何かの縁かしら?」
「そうかもね〜!」
不思議な偶然もあって、フラガとロートラウトはすっかり打ち解けていた。
「おや、どうやらフラガさんに新しいご友人が出来たみたいですね」
ルートヴィヒが食事をかっこむエヴァルトに少し近付いてそう言うと、エヴァルトは水を飲み干してから口を開いた。
「それは良かった。それだけでも、このパーティーに参加した甲斐があるな」
ペア同士の絆が芽生えたことを、二人はお互いのパートナーを見守りながら感じ取っていた。
#
「あれ、ネノノ、まるで別人だね。っていうか別人?」
レロシャン・カプティアティ(れろしゃん・かぷてぃあてぃ)は、パートナーのネノノ・ケルキック(ねのの・けるきっく)を見るなり、つっけんどんにそう言い放つ。
「あ、レロシャンったらひどいですね。ワタシだって、ドレスを着ればこれぐらいになるんですよ? ほら、馬子にも衣裳って言うじゃないですか」
「ああ、そうだね。まさにそれだよ」
恐らくネノノは勘違いして覚えてるんだろうなと思いながら、それでも面白い方向に意味は通ってるのでレロシャンは強く同意しておいた。
「ほら、お互い綺麗に着飾ってるわけだし、とりあえず踊ろうよ」
「そうですね、踊りましょう!」
ネノノは笑顔でレロシャンの手を取ると、二人は華麗に舞い始めた。さすがに運動神経の良い二人なだけあって、ダンスも見事なものだ。
周囲を魅了するその舞踏の中で、ネノノはぽつりと呟いた。
「レロシャン、どうしてワタシと契約してくれたんですか?」
「えーっと、何となく面白そうだったから」
レロシャンは毎度ながらの眠そうな顔を見せつつも、ダンスのリズムは決して崩さなかった。ネノノも、その返答はわかっていたような表情をする。
「そういえば、私たちが出会ったのって……上野だっけ? あ、下高井戸?」
しかしそのレロシャンの発言には、さすがのネノノもムッとした。
「もぉ、レロシャン。飯田橋ですよ、飯田橋!」
いつかの飯田橋。
まだ契約を終えていないネノノは、自分のパートナーとなる地球人との素敵な出会いを求め、東京に下りてきていた。
「熱いスピリットを持つ人はいないのかしら……」
しばらく歩き回ってみても、ネノノの直感に反応する人はなかなかいない。慣れない東京の街に少し疲れてしまった彼女が休憩できる場所を探していると、眠たそうな顔をして皇居外堀の川を見つめている一人の少女が目に付いた。
そこで初めてネノノは、自分の中で何かが脈打ったことに気が付く。
「あっ、あの!」
そう話しかけてネノノは反応を待った。しかし彼女は気付いていないようで、もう一度、今度は肩を叩いて声をかけてみる。
「あの〜」
「うん? 私ですか?」
彼女はまさに今寝かけていたところらしく、半開きの目をこすりながらネノノを振り返った。
「お金なら、持ってないですけど」
「いえっ、そうでなく!」
一体ワタシのどこを見て出てきた言葉なのだろうとネノノは半ばショックを受けつつも、その時にはもうこの人がパートナーだと確信していた。
「ワ、ワタシを見て、何かピンと来ませんか?」
ワタシがこんなに直感しているのだから、彼女にも何かあっていい。ネノノが必死にそう問いかけると、眠そうな少女はネノノを下から上まで一通り眺め、こう言った。
「……変なコ?」
危うくコント風にコケそうになった足をなんとか抑えて、ネノノは会話を続ける。
「じゃあ、パラミタに興味はありませんか?」
「パラミタ? パラミタ大陸?」
そう繰り返す彼女の目が少し変わったのをネノノは見逃さなかった。同時に、本当に自分には興味がないんだということも思い知ったが、今はそれは問題じゃない。
「そう、パラミタ大陸。実はワタシは機晶姫なんです。ワタシと契約すれば、パラミタへ行けるようになりますよ!」
なんだかだんだん悪徳商法みたいになってきている気がしながらも、ネノノは妙な罪悪感から目を逸らした。
「へぇ〜、なんだか面白そうですね」
乗ってきた彼女に、ネノノは胸を躍らせた。
「じゃあ……!」
「はい、契約しましょう。私の名前はレロシャン・カプティアティ――」
ネノノは踊りながら眉をひそめ目を瞑った。
「そういえば、レロシャンは本当にワタシに興味がなかったですよね」
「……そうだっけ?」
忘れていること自体がいい証拠だった。
「でも、今は違うよ。改造してあげたいくらいには、仲良しじゃない?」
「う、嬉しいんですけど、改造はよしてくださいね?」
こんな会話を交わしながら、ネノノは自分に問う。出会った時、彼女に感じたあの不思議な感覚は本物なのだろうか。
それは不安とは違っていた。まだ確かめる機会がないだけで、きっと自分の目は間違っていない。ネノノは自然とそう信じている。
「これからもよろしくお願いしますね、レロシャン」
ふと口からこぼれた言葉に、レロシャンは一瞬どうしたものかと眉をあげたが、すぐに元に戻していた。
「よろしく、ネノノ」
#
バーテンダーの衣装をびしっと決めた火村 加夜(ひむら・かや)とパートナーの金烏 玉兎(きんう・ぎょくと)はカクテルカウンターを担当していた。
「玉兎さん」
「なんだい、加夜?」
「ここだけガラッガラですね」
頬杖をついた加夜が深い溜め息をつくと、玉兎はキュッとグラスを磨いた。
「これからじゃないかな」
「それにしても、そのエプロン可愛いですね。鶏にひよこ」
「そうだろう?」
バーテンダー姿には似合わないエプロンに満面の笑みな玉兎は、さらにキュッキュと音を立てた。
「あっ、お洒落なカウンターがあるわよ!」
そこへ、山本 ミナギ(やまもと・みなぎ)が唐突に駆け込んできた。
「いっちば〜ん!」
彼女がカウンターで待っていた二人の正面を陣取る。玉兎は相変わらずグラスを磨きながら微笑んだ。
「何にします?」
「あたしはお酒! お酒よ!」
未発達で小柄な体型のどこからどう見ても未成年な彼女は、カウンターを勢いよく叩きながら大人の要求をしてくる。そんな相手にも、玉兎は笑顔を絶やさない。
「わかりました。ミルクですね?」
あまりにも当たり前のように言う玉兎に向かって、ミナギは思わずカウンターに顔を打ち付けそうになっていた。
「そんなピヨピヨなエプロンつけて、あんた何聞いてたの!? お酒よ、お・さ・け!」
「こらこら、身分不相応な訴えをしてはいけませんよ」
ミナギの後ろから獅子神 ささら(ししがみ・ささら)が顔を覗かせた。
「すみませんね、バーテンさん。うちの未成年が迷惑かけて」
加夜がいえいえと手を振ると、玉兎はさりげなくミナギの前にミルクをことんと出していた。
「あんたは黙ってなさいよ! 玲はどうしたの? っていうか、だからミルクじゃないって言ってんでしょ!」
「ワタシにはミルクじゃなくて、サムライ・ロックとかできます?」
ミナギが各方面に大忙しなのをささらがからかいながら注文していると、後ろから二人のパートナーの獅子神 玲(ししがみ・あきら)がいつの間にか近付いていた。
「呼びましたか? えっと、ミカグラさん?」
賑やかな三人組の最後を飾る玲は、その手一杯に料理を確保していた。当然、口ももごもごやっている。
「うっわ、何よその量! 争奪戦じゃないんだから少しずつ取りなさいよ! っていうかいい加減名前覚えろ!」
「用がないのなら……私はご飯を食べなければなりませんので……」
そう言いながら玲は食事の並べられたテーブルの方へと引き寄せられていく。
「あ、あいつ大丈夫なの……? ところでね、マスター。主人公たるあたしの軌跡を知りたい?」
「はい、是非」
ミナギが玉兎に向き直ると、玉兎は笑顔で対応した。
「いい心がけね! じゃあ、特別に教えてあげるわ! 山本ミナギの主人公道を! そう、あれはあたしが『ナラカウォーズ』というゲームで――」
「賑やかな方たちなんですね」
加夜が彼女らを肴にサムライ・ロックを飲んでいるささらに声をかけると、ささらは一瞬動きを止めて、静かにグラスを置いた。
「今はね」
「今は?」
ささらはカウンターに肘をかけて、料理をつついている玲を見る。
「あの子も今はああして、馬鹿みたいにただの大食いキャラやっていますが……色々あったんですよ、色々とね。まぁ、一言で言うなら、独り身で荒れていたあの子を親戚の誼で引き取った、ってところですかね?」
加夜が黙って聞いている傍で、ささらは残りのサムライ・ロックを飲み干した。
「バーテンさん」
「あ、私、火村加夜です」
ささらの真剣な目を向けられ、加夜は思わず付け足す。
「じゃあ、加夜さん。見たところ、あなたはいい人みたいだし、良かったら彼女と仲良くしてあげてくれませんか。あの子、結構寂しがり屋なんですよ」
「あ、はいっ。私でよければ」
「ふふ、ありがとうございます」
ささらが空のグラスをことんと置く。
「――そこで出会ったのが玲ってワケ。あの強さを見て、あたしの部下はこいつしかいない、って思ったの。以上よ、わかった?」
「はい」
玉兎は終始笑みを崩さず相槌を打って、ミナギに思う存分喋らせた。
「あんた、気に入ったわ。ピヨピヨエプロンだけど聞き上手ね! 部下にしてあげてもいいわよ?」
「はいはい、そこまで。ほら、お兄さんに絡んでないで、玲が会場の料理を食べ尽くさないか面倒見に行きますよー」
「うわーっ! 子供扱いするなーっ!」
ほんの少し酔っているようなささらが、じたばたと抵抗するミナギを連れてカクテルカウンターを後にした。
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そんなミナギたちを目で追っていたのは、ちょうど厚切りハムを口へ運んだところのシャルル・エンペラード(しゃるる・えんぺらーど)だった。
「シャル? どうした?」
「あ、いえ。あちらの方たちが賑やか、と言いますか、騒がしいと言いますか……」
「ふーん」
シャルルのパートナーである皇祁 光輝(すめらぎ・ろき)も同じ方向に目をやる。
「賑やかと言えば、若がお生まれになった時も大層賑やかなものでしたね」
「そうなのか?」
「ええ、それはもう」
光輝がコップを傾けながら見ると、シャルルは嬉しそうに頷いた。
「シャルル、そんなところにいないで、こちらにいらっしゃいな」
シャルルが廊下から物珍しげに顔を覗かせていると、優しい声が室内へと招いてくれた。
「し、失礼します」
半開きだった戸を静かに開け、やや緊張しがちに中へと入る。それを見て、大柄な男性が口を開いた。
「そうか。お前は赤ん坊を始めてみるのか」
「はい」
シャルルはぎこちなく頷くと、赤ん坊を抱いた女性の下へゆっくり近付いた。
「御方様。それが、赤子、とやらでございますか」
「ええ、そうよ。ほら、もう少しこちらへ来て、よく御覧なさい?」
そう言われてそっと覗き込むと、シャルルは思わず声を漏らした。
「ほ〜……」
母親の腕の中で幸せそうに眠っているのは、まだ生まれたばかりの男の子だ。
「小さいので……ございますね」
言いながら、シャルルの手が出たり引っ込んだりする。
「ふふ、シャルル。そんなに恐れずともいいのですよ。優しく触れてみなさいな」
「は、はい……」
勧められたシャルルはこくりと唾を飲むと、人差し指をそっと赤ん坊の手に伸ばしてみる。
「はっ……」
ふとシャルルはそんな声を出していた。赤ん坊の手に触れたかと思うと、次には指をしっかと握られたのである。
「つ、掴まれてしまいました……」
いつの間にか夢中になっているシャルルは、母親に付き添っていた男性にはっはっはと笑われてしまった。
「こんなに小さなお手なのに、温かいのですね」
指を握られたままのシャルルは、すやすやと寝息を立てるその子をしばらく見つめた。
「御方様。名前は……もうお名前はお決めに?」
「ええ。この子には、光輝、と名づけましたよ」
「光輝、様……」
それが、シャルルと光輝の始めの出会いだった。
それから半年ほど経った頃。
「ほら、若、こちらですよ〜」
シャルルが小さな光輝と遊んでいるところに、光輝の父が通りかかった。
「あ、御屋形様」
「おお、遊んでおるな」
「はい。やはり御屋形様と御方様のお子様、それはもう可愛くて可愛くて」
シャルルが光輝を撫でながら抱き上げると、主人は豪快に笑った。
「はっはっは。良いことだ。して、高い高いをしてやってはどうだ」
「高い高い……ですか?」
頬を光輝に遊ばれながら、シャルルは繰り返した。
「初めて聞きました。それはどのようにやれば良いのでしょう?」
「ふむ。まぁ『たかいたかーい』と、適当に天井目がけて放ってやれぇ」
主人が顎をさすりながら言う。
「なるほど、わかりました。では若、それ、たかいたかーい」
しかしシャルルは加減というものを知らなかった。
シャルルが放った光輝は、べちっと音を立てて天井に全身タッチした。
「お」
「はわっ! 若ーっ!」
いつもは肝の据わっている主人も少し驚いた表情を見せ、自分が投げたのにも関わらずシャルルは悲鳴を上げていた。
間もなく腕の中に帰ってきた光輝は、そんなシャルルの悲鳴もよそにキャッキャと両手足をバタつかせ喜んでいる。その姿に、シャルルは胸を撫で下ろした。
「はぁっ、若っ、申し訳ありません! ご無事で何より……」
「あっはっは! いやはや、我が子ながら強い子だ!」
その日、光輝の父である主人は、それを思い出しては笑い、その度シャルルは赤くなっていたという。
「あっははは! おもしれー!」
あの日の笑い声に呼応したように笑う光輝に、シャルルもまた赤くなっていた。
「でもさ、やっぱりシャルは俺が生まれた時から一緒ってことだよな」
「そうですね」
シャルルのそんな話を聞いて、光輝も何か思い出した様子だった。
「そういえば、物心ついた頃の俺が剣を握った時には、シャルはもう相当強かったよな」
「まぁ、若のお兄様たちに稽古をつけて頂いてましたから、それなりには」
そこで少し笑んだシャルルの表情には、言葉では表せないほどの努力が滲んでいた。
「兄貴たちも強かったけど、そんな兄貴たちに何度でも立ち向かうシャルルもすごかった。そういうとこも含めて、俺、尊敬してんだ」
シャルルがふっと振り返ると、光輝は柔らかい笑顔を浮かべていた。
「若……」
「あー、なんだかそう思うと疼いてきたなぁ! シャル、やっぱり帰って稽古するか!」
コップを置いて伸びをする光輝に、シャルルは嬉しそうに答える。
「はいっ、若! これからも一緒に頑張りましょうね!」
「おうっ!」
ピアノの音が流れる中、二人は振り向かずに会場を後にした。いるべき場所へと、二人で揃って。
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華やかな空気の中、やや沈黙を纏いながらリズムを共にするペアがいた。その足並みもどこかぎこちない。
「どうしたんです、ソランさん?」
「う、ううん、なんでも」
小柄な少女・ソラン・ジーバルス(そらん・じーばるす)の悩みはまさにそれだった。パートナーの竜螺 ハイコド(たつら・はいこど)と踊っているのだが、彼はどうしてもソランのことをさん付けで呼ぶのだ。口調が丁寧なのはいいことだけれど、パートナーから名前にさんを置かれるのは距離を感じてしまって嫌だった。
そういえば私とハイコドの出会いって――。
ソランの視界は曖昧だった。ピントのずれたカメラを覗き込んでいるようだ。
息も少し荒かった。毛並みの綺麗な白狼の姿を珍しがった人たちが、ソランを捕らえようと手段を選ばなかったのだ。
しかしソランには彼らの行動が理解できなかった。反撃に出るにも理由がわからず、追いかけられる恐怖の中をただひたすらに逃げる。いつしか、ソランは傷だらけの身になっていた。
振り返ってももう人の気配はない。それを確認した彼女が少し気を緩めると、途端にその場に崩れてしまった。
気付けば森の中だった。落ちようとしている日の光が、木々の間をすり抜けていく。
動けない。
それに気が付いたのはしばらくしてからだった。体力の消耗は思った以上に著しく、深い森の中で倒れたまま、ソランは立ち上がることも出来なかった。
誰か、誰か助けて。声にならない声で、ソランは誰に宛てるわけでもなくそう思う。
空から枯れ葉が舞い落ちてくる。それを何気なく目で追うと、視線の先でがさりと何かが動いた。
人間。
ソランは戦慄した。ここまで追ってくるのか。一体私が何をしたというのだ。私がお前たちに何を――!
動けないまま、それでも必死に身を護ろうと、ソランは残る体力で精一杯の威嚇をしてみせた。牙を剥き出しにし、喉を唸らせて。
しかしソランはすぐにそれをやめることとなる。彼女に近付いてきた人間は、こう言ったのだ。
「僕を、呼びましたか?」
彼を見た瞬間、ソランは呼吸を忘れた。追いかけてきた人間たちとはまるで匂いが違う。むしろ、どこか惹きつけられるようなそれだった。
彼はソランを見て言葉を詰まらせた。
「ひどい怪我ですね……手当てしないと」
彼がそっと手を伸ばすと、思わずソランはびくついた。
「そんなに怯えなくても大丈夫です、何もしませんから。僕の家が近くにあるんです。ちょっと、担がせてもらいますよ」
彼の手がソランを包み込むと、ソランは言い様のない安心感を覚えた。
「私を助けてくれた時……」
「なんです?」
ハイコドは不意を突かれて聞き返した。心地良いピアノの音色が言葉を軽やかにしてくれる。
「ハイコドが私を助けてくれた時、私はもう、なんとなくこの人と契約するんだろうなぁって、思ってたよ」
「それは嬉しいですね。もっとも僕は、あなたが獣人だと知った時には驚きましたよ。何せあの時は――」
「何も着てなかったから?」
「そうですね」
ソランが先回りして言うと、ハイコドは照れくさそうに笑った。
「あの時私が感じたのは、なんていうか……ああいうのを『運命』って言うのかなぁ」
「僕はさしずめ、ソランさんの運命の人ってことですか」
「うん、そうなの」
そう言うと、ソランは踊るのをやめて俯いた。
「だからね、お願いがあるんだ」
急に踊るのをやめたソランを気遣うようにハイコドが手を差し伸べようとすると、彼女は顔を上げた。
「私をソランって呼んで」
「ですが――」
「お願い。私は君のパートナーなんだよ。さん付けで呼ぶのはなんだか、ヘン」
言葉を遮られたハイコドは驚いた表情でソランを見た。今まで彼女がそんな風に思っているなんて考えても見なかったのだ。
「ソランさん――」
「ソランって呼んでよ!」
彼女がそう言うのと同時に、ピアノが鳴り止んだ。
曲が終わりを迎えただけなのだが、ソランはそれにハッとした。私は、ハイコドを困らせている。
「あ……ごめん」
俯くソランを、ハイコドはそっとエスコートした。
「曲が終わりましたね。お腹が空きませんか? ちょっと料理の方へ行きましょう」
「……うん」
二人は人の少ないテーブルに近付くと、無言のままそれぞれの方向を見ていた。
そんな二人の下へ、とあるウェイター姿の人物が近付いてくる。
「本日はようこそおいでなさいました」
樹月 刀真(きづき・とうま)が丁寧に頭を下げると、隣にいた漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)もそれに倣った。
「私どもは、本日ご参加下さっている皆様に、お二人の思い出の料理を提供するというささやかなサービスを行っております。何か、そういったご注文はございますか?」
刀真がとても丁寧に笑顔を向ける。
「思い出の料理、ですか」
ハイコドが顎に手をやって考えると、月夜がひょこっと出てきた。
「例えば私なんかは、読書中にこの刀真にお願いするとサンドイッチを作ってくれるんですよ。それが結構美味しくて」
「月夜、それは適切な例なのですか?」
言いながら、刀真が片手で月夜を引っ込める。
「はは、すみません」
「あ、そういえば」
その話を横で聞いていたソランは、ふと何かを思い出したように口を開いた。
「芋もちが食べたい」
「芋もち、ですか」
刀真が目をぱちくりさせて繰り返す。
「ほらハイコド、契約する前に食べたあれ!」
ソランがハイコドにも思い出せるよう訴える。
「ああ、あの時の」
ハイコドの反応を見て、刀真はメニューを承る。
「わかりました。芋もちですね。お好みのアレンジなどありましたらお申し付け下さい」
「じゃあ、芋もちを香ばしく焼き上げたチーズでサンドしてもらい、その上から黒胡椒をかけてもらうことは?」
ハイコドが当時のことを思い出して細かく付け加える。
「ええ、それならお安い御用でございます」
「お願いします。ソランが大好きなんです」
ハイコドがそう言った瞬間、ソランは顔を上げた。突然のことに目を丸くしている。
「ハイコド、今……」
「ね、ソラン?」
念を押すようにハイコドが言うと、ソランの表情が途端に明るくなった。
「うん!」
「わかりました。それでは、少々お時間を頂きます」
刀真と月夜は揃って会釈すると、会場のどこかへと消えていった。残された二人は、互いを見て微笑み合っていた。
#
拡張されたピアノの音色は会場の外にいても聞こえてくる。
曲が途切れたのがわかると、のどかと健はそれぞれ違う理由で溜め息をついた。
「全然ビラが捌けないですなぁ」
のどかがそうぼやくのも当然だ。いつもならなくなる量のビラが、今日と言う今日は大量に残っているのである。
そもそも、このパーティーに参加する人たちは、それこそ掲示された案内を見てきている。おまけに正装でビラの仕舞い場所に困るのを嫌う人たちもいるから、のどかの打率が低いのも仕方がなかった。
出番を待っているビラたちが北風にはたはたとなびいているのを、のどかは振り返る。
「新しい寄生主、なかなかいないわ」
パートナーに聞こえないように呟くのは健だった。こちらはこちらで問題発言だったが、健の思惑も儚く散っているのである。
会場入り口付近で案内をしつつ、現パートナーに代わる新しい寄生主を探すという目論見だったのだが、蓋を開けてみれば今日はパートナー同士の集まりで、しかも皆仲睦まじそうだ。
今日は絆を深めるパーティー。終わる頃にはもっと仲良くなっていること請け合いだ。そんなことを思いながら、健は寒そうにビラを眺めるパートナーを見た。
いつもの健ならば、寒風に吹かれている彼を見て内心笑みを浮かべるような心情だが、今日は少し違った。
同じ寒さに晒されているというのも手伝ってか、なぜだか同情的になる。もう少しパートナーを大事にしなければいけないかなと思えば、そんな馬鹿げた感情などとすぐに振り払った。
しかしもう参加者の来る気配はなく、皆会場に納まっているようだった。日も傾き始めてきたし、この寒さでは芯まで凍えてしまう。
一度身を震わせると、健は冷たい空気を吸い込んで口を開いた。
「そろそろ、帰りましょうか」
「そうですなぁ。帰って、熱いコーヒーでも飲みたいですな」
そう言いながら帰り支度を始めるのどかの背中に、健はコーヒー飲むんだと少し驚いた。
「じゃあ……たまにはそれがしが淹れてあげますわ」
珍しいことにのどかが手を止めて振り返ると、健の口元からふっと白い息が出て大気に溶けた。