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part2  エリュシオンに抗する者たち


「あんたら、ちょいと待ちな」
 パラ実生の隊列をさえぎる影があった。長い黒セーラーに二丁拳銃。『おハジキのチエ』こと、御弾 知恵子(みたま・ちえこ)である。みすみの抱える洗面器の中のフタバスズキリュウをビシッと指差し、見下ろすようにして睨む。
「そいつは恐竜じゃなくて首長竜だ。分類学的にはトカゲや蛇の親戚で、騎士団の崇める恐竜様とはなんの関係もない。つまりあんたらは、無価値な木偶人形を後生大事に護送させられてるんだよ!」
「なん、だと……?」
 パラ実生たちは色めき立った。
 しかし、凶作は慌てる素振りも見せない。
「それがどうした! 頭でっかちなガクモンなんぞ知ったことか! わしが恐竜と言えば恐竜、神と言えば神なんじゃあ!」
「聞いたか、あんたら!? こいつは嘘をついたと自分で認めた。こんな詐欺教師にへいこら従うのかい!?」
 パラ実生たちはざわめき、互いに顔を見合わせる。
 夢野 久(ゆめの・ひさし)が隊列の中から歩み出た。顎を捻りながら凶作に冷たい視線を注ぐ。
「首長竜うんぬんはよく知らねえが、俺もお前には一言ある。……お前、誰だ?」
「ワシが一年の担任、縄張凶作じゃあっ!」
「いや、それは聞いたけどな。担任ってなんだ? 校長が任命したのか? くだらねえ。荒野の掟は弱肉強食、恐竜騎士団も似たようなもんだ。お前は俺たちの頭につくにふさわしい強さを持ってんのか?」
 凶作は筋肉質な腕を組んで豪快に笑った。
「ほう、つまり、わしの権威に疑問があると。ならかかってこんかい!」
「話が早くて結構。全力で挑ませてもらうぜ!」
 それまで沈黙を保っていた獣人マフィア、ジルヴァニアファミリーの面々が、額に青筋を立てて割り込んでくる。
「おうおうてめえら」「勝手に話を」「進めてんじゃねえ!」
 裾を地面に引きずっているトレンチコートの裏ポケットから、トカレフを取り出す。
「ルルール!」
「はいはーい!」
 久の言葉に応じ、彼のパートナーであるルルール・ルルルルル(るるーる・るるるるる)が元気良く手を振った。蒼穹に手をかざした姿勢のままアシッドミストを詠唱。濃密な酸霧がジルヴァニアファミリーを襲う。
「ぎゃあああああああ」
 ジルヴァニアファミリーの山高帽子も、ネクタイもトレンチコートも高そうな革靴も、みるみるうちにゲル状に溶けていく。
 ルルールは人差し指の先をチロリと舐める。
「あはっ、デッロデロになっちゃったあ。やーらしぃ♪」
「こんのアマああああっ!」
 ファミリーの一人が銃弾を発射した。
 途端、炎の聖霊が降臨。ルルールを狙った鉛玉を蒸発させ、炎を撒き散らす。辺りは火の海と化し、ジルヴァニアファミリーは素っ裸で逃げ惑った。
「行け! 踏み潰せ!」
 久が命じると、ヒポグリフ、ドンネルケーファー、牧神の猟犬といった幻獣が、パラ実生の隊列に突撃する。
 ならず者の集団とはいえ、ほとんどがほやほやの新入生。実戦経験のないものも多く、生徒たちは大混乱に陥る。
「畜生、一年だからって舐めやがって! 俺が相手してやる!」
 三鬼が駆け出そうとするが、凶作が大きな手の平で押しとどめた。
「お前らは引っ込んどれ! これはわしが売られた喧嘩、手出しは無用じゃ! ガキが何百人かかっても勝ち目がないっちゅうこと、わしがこの手で思い知らせたる!」
 伏見 明子(ふしみ・めいこ)が目をギラギラと光らせた。
「たいした自信ね、担任さん。その自信がいつまで持つかが楽しみだわ。パラ実は私たちのものよ。そこをぽっと出のヤクザに好き勝手させるなんて許せない。十秒で片付けて、帝国抜きの遠足をさせてもらうわ!」
 彼女のパートナー、魔鎧のレヴィ・アガリアレプト(れう゛ぃ・あがりあれぷと)は、セーラー服の形状で明子の体を覆っていた。
「へ、いつもだったら無茶って言うトコだが、今回は俺様も賛成だな。せいぜいその腕っ節とやらを、俺たちの目ん玉に見せてもらおうか!」
 明子はディフェンスシフトを自分の体にかけながら凶作に向かって疾駆した。
「喰らえ! この一年坊主がっ!」
 歴戦の魔術を放つ。
 びくともしない凶作。
 明子がランスバレストを叩き込む。
 凶作の拳と明子の『ティアマトの鱗』が、まるで金属同士であるかのように甲高い衝突音を立てた。
 凶作が明子を殴りつける。明子はとっさに大盾で防ぐが、それでもビリビリと衝撃が伝わってくる。
「な、なんだ、このおっさんの硬さ。ホントに人間かよ?」
 レヴィが戸惑った声を漏らす。
 凶作は不敵な笑みを浮かべた。
「これが強さ! これがうぬを鍛え抜くということじゃあ! 徹底した自己鍛錬さえあれば、武器は必要ない。魔法も必要ない。毒も必要ない。うぬの拳一つで、どんな化け物とも渡り合う。それがパラ実じゃあ!」
「エリュシオンの犬が知ったようなことを!」
 久のパートナー、佐野 豊実(さの・とよみ)が、武官二人で左右を固めて凶作に襲いかかった。金剛力と怪力の籠手で高められた腕力は、もはや災害級。その力でもって、刀鍛冶に鍛えなおさせた海神の刀を、居合い抜く。
 ブウンと唸る風。さすがに凶作も危険を察し、上体を反らして回避する。
「どうした担任。恐れをなしたか担任。真に強いというなら、私の刀をまともに受けてくれたまえよ」
「誰がそんなみえみえの挑発に乗るかい!」
 豊実は連続で疾風突きを繰り出し、凶作は余裕の表情でそれを避ける。右足を回転させ、明子に蹴りをえぐり込む。
 明子は大盾を握ったまま、五メートルは後ろに吹き飛ばされた。地面に足を踏ん張ってどうにか停止する。
「つ、強い……。なぜあんたほどの奴が帝国におもねってるのよ……」
「帝国も王国も関係ない! 恐竜様一人運べない奴は、どの国の学校だろうと落第じゃあーーっ!!」
 要するに凶作は、エリュシオンやシャンバラの事情などに興味はなかった。彼がパラ実に来たのは、飽くまで強い漢を育て上げるため。どこまでも、悲しいほどに教育者なのだ。
「てめえらの力はこんなもんか!? まだまだ面白いもん見せてくれるんじゃないかいのう!?」
「くっ……」
 豊実は歯を食い縛った。『藤原さん、そろそろだよ』と心の中で呼びかける。
 藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)は、空飛ぶ魔法で凶作の上空に浮いていた。風下と敵の視界を見極め、音もなく降下する。明子と豊実の相手に気を取られている凶作の太い首に、腕を回してロックし、同時に歯を突き立てる。
「うぐ!? ぬうううう!?」
 凶作が目を剥いた。
「ふむふむ、感心感心。極道のお仲間にひては、健全な生活を送ってらっひゃるようですね。なかなか美味な血液でひゅ……」
 優梨子はモゴモゴ言いながら、恐るべき速度で凶作の血を吸い尽くしていく。
 凶作の精悍な肌が干からび、顔が血の気を失う。
「今だ!」
 豊実が海神の刀を凶作の腹に突き立てた。タイヤを刻むような感触と共に、ほとばしる鮮血。
「うがあああああああああっ」
 凶作が咆哮した。
 刀をぶっこ抜き、その同じ動作で豊実を叩き飛ばす。優梨子の細首を鷲掴みにし、一瞬で握り潰しながら地面に優梨子の頭を叩きつける。二人は完全に意識を失い、微動だにしない。
「豊実!? 優梨子っ!?」
「うおおおおおおおおおっ!」
 凶作が両腕を掴み、岩石のような額を明子の額に激突させる。
「くあっ……」
 脳が揺れてよろける明子。
 凶作は明子の体を持ち上げ、へし折り、高々と投げ飛ばす。
 腹から大量の血を流しながらも、双眸は強烈にたぎり、全身からこれまで以上のプレッシャーを放っている。
 まさにバーサーカー。まさに手負いの熊。凶の文字を持つにふさわしい、怒り狂った野獣だった。
「くそ、あの傷であんなに動けるのか。一旦撤退するぞ!」
「りょ、了解!」
 久とルルールは仲間の体を抱え上げ、急いでその場を離れた。
 彼らの姿が見えなくなってからも、凶作は仁王立ちしたまま。傷口を手で押さえようともしない。
「せ、先公。大丈夫か?」
 三鬼が駆け寄った。
 凶作の巨体がどうと倒れる。
「先公おおおお!?」
「ふん、騒ぐな、やかましい。直進行軍、再開せいや……」
「ったく、無理しすぎだぜ、先公。やるじゃねえか」
 三鬼は手近の生徒に凶作の応急処置をしてもらった。
 凶作に肩を貸して立ち上がらせ、再び百合園目指して歩き始める。凶作の傷は致命傷ではなかったものの、自力で歩くことすらままならかった。


 エリセル・アトラナート(えりせる・あとらなーと)は、パラ実生たちがフタバスズキリュウをヴァイシャリー湖に入れようとしている話を小耳に挟み、慌てて駆けつけた。直進行軍の隊列の前に立ち塞がり、大声で呼びかける。
「皆さん、ちょっと待ってください! フタバスズキリュウさんって確か、日本近海に棲息していたとされる海水棲の首長竜ですよね!? 淡水のヴァイシャリー湖に放流なんかしたら、死んじゃいます!」
 彼女のパートナー、トカレヴァ・ピストレット(とかれう゛ぁ・ぴすとれっと)も言葉を加える。
「よそ者が出しゃばってるって思うかもしれないけど、これがエリセルの性分でね。で、どうなの? あなたたちは考えなしにフタバスズキリュウを学校行事の道具にしてるのかしら? もしそうだったら、全力で止めさせてもらうわよ?」
 凶作が笑った。
「安心せい、フタバスズキリュウ様を故郷の湖に帰すだけじゃ。湖じゃあ、一族郎党が首を長くして待っちょる。なんの問題もない」
 エリセルはホッと胸を撫で下ろす。
「そう、それならいいんです。パラ実のすることだから、ついつい勘繰ってしまいました」
「がっはっはっ、気にするな。お前らの恐竜様に対する忠誠心、たいしたもんじゃあ!」
「別に忠誠心があるわけじゃないのだけれど……」
 トカレヴァは苦笑した。パラ実の担任で、しかもヤクザだから、とんだ極悪人かと思ったが、意外と話の通じる相手のようだ。
 そのときだった。
「今日より明日なんじゃ。どうかこの種モミを……種モミを……」
 体中に矢が刺さり、精根尽き果てた風貌の老人が、よろめきながら隊列の近くを通りかかった。種モミの塔の精 たねもみじいさん(たねもみのとうのせい・たねもみじいさん)だ。両腕にはモヒカンの大好物、種モミを大量に抱えている。
 パラ実生のモヒカン率は他校に比べて驚異的。地球ではほぼ全滅したとも言われるその髪型の持ち主は、今回の行進にも多数参加していた。
「くっ……なんて淫猥な種もみなんだぜ……」「体が引き寄せられる」「いけないと分かっているのに……」
 モヒカンたちは苦渋の表情を浮かべ、ふらふらとたねもみじいさんの方へ吸い寄せられる。
「てめえら、ルートからそれたら失格だぞ!」
 凶作は枯れ木を杖に歩きながら怒鳴った。
 三鬼も声を上げる。
「こっちにも種もみ剣士のみすみがるじゃねえか! 堪えろ! 堪えるんだ!」
「それとこの公然わいせつ行為は、どういう関係があるのかな……?」
 みすみは自分にしがみついている三鬼を睨み据えた。
「すまねえ! こうでもしてないと正気を保てねえんだ!」
 三鬼もモヒカンだったのだ。
 他のモヒカンたちはたねもみじいさんに誘われ、凶作の警告も虚しく隊列を離れていく。
 そこへ、たねもみじいさんのパートナー、南 鮪(みなみ・まぐろ)がスパイクバイクで滑り込んだ。エンジンをボボンボボンと鳴らし、蛮声を上げる。
「ヒャッハァ〜! 伝説のスーパーエリート様のお出ましだ! てめえら、『履いてる』よな!?」
 まるで変質者のセクハラ発言。だが、それから始まったのは純然たる略奪だった。
 鮪はスパイクバイクで縦横無尽に行き巡り、隊を離れたモヒカンたちから――男女関係なく、いやむしろ男が多かった――パンツをむしり取る。圧倒的なレベル差に、一年生は抗う術もない。
「きゃああっ、やめてえ!」「俺は履いてないの! だから許して!」「もうお婿にいけないいいいいっ!」
 地獄絵図。
 女盗賊がいたいけな町娘からパンツを奪うならまだしも、ガテン系のモヒカン・鮪が、同じくガテン系のモヒカン新入生たちから匂い立つパンツを奪っているのである。被害者はショックのあまりオカマじみた悲鳴を上げているのである。
 隊列に残ったパラ実生たちは、ただ目を閉じて耳を塞ぐことしかできなかった。そうでもしなければ、一生モノのトラウマを抱えることになりそうだった。