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リアクション
第2章 至大至高
視界が遮られる霧の中では、もちろん日光も十分に届くことはない。それが普段でも薄暗いイルミンスールの森の印象を、ますます陰々滅々とするものに変えてしまっていた。
「アーデルハイト様ー! エリザベートこうちょーう! ミーミルちゃーん!」
未だ姿の見えない三人の名前を大声で呼んだのは五月葉 終夏(さつきば・おりが)である。声はそのまま頭上の霧の中に吸い込まれるだけで、返事が聞こえることはなかった。
「どこにいらっしゃるのかな……、って、うわっ!」
「危ない!」
足元の草の根に躓いた終夏を抱きとめたのは、同じくエリザベート達の救出に来ていたリアトリス・ブルーウォーター(りあとりす・ぶるーうぉーたー)だった。
「大丈夫? 終夏ちゃん」
「あ、ありがとう。まったく、こんな草の根っこも、体が小さくなければ気にも止めないのにね。やんなっちゃう」
そう言いながら、終夏は苦笑した。
イルミンスール魔法学校の生徒である終夏にとって、イルミンスールの森は勝手知ったる住処であり、校庭でもある。またエリザベート達が散歩をしていた場所は学校からそう遠く離れてはおらず、森の中でも最も安全かつ見通しのいい場所だった。
しかし魔法の霧の中では、見慣れた景色は別世界に変わっていた。まず自分たちの身体が小さく、雑草の中に完全に埋もれている為に、前後左右の見通しが全く効かないのだ。おまけにいつもは一跨ぎで越せるような木の根や岩が、ちょっとした地形と化して行く手を遮るため、日頃の土地勘を頼りにすることはできなかった。
「あ。でも、虫さんにはまだ出会ってないよね。助かるなぁ。これってリアトリスさんが先に仕掛けてくれた蜜のお陰だよね!」
リアトリスは霧の中に入る前に、周囲の手ごろな木に蜜を塗っていたのだ。
「蜂や蝶が集まってるのを見たから、効果はあったみたい。でも、さすがに全部の虫が霧の外に出て行ったのかはわからないよ。中には肉食の虫もいるから……」
「肉食……」
終夏がごくりと唾を飲み込む。
「なるべくなら、虫さんとは出会わずに、エリザベート校長たちのもとに行きたいなー……」
「いざとなったら僕が助けるから、大丈夫だよ。それにほら。他にも頼りになる仲間もいるんだし」
そう言うとリアトリスは、エリザベート達の救出のために同じく霧の中に潜入した者たちに目をやった。
「エリザベートちゃーん! ミーミルちゃーん! あとついでにおばあさま―!」
「アーデルさーん、どこにいらっしゃるんですかー! アーデルさーん!」
リアトリスが視線を向けた先には、丘のように隆起している木の根がある。その上には、メイド姿の少女と鎧を身にまとった青年が立っていた。メイド姿の少女、神代 明日香(かみしろ・あすか)が声を張り上げて校長とパートナーの守護天使の名前を呼べば、その隣に立つ青年、ザカコ・グーメル(ざかこ・ぐーめる)も、負けじと大魔女の名前を呼ぶ。
「エリザベートちゃーん! ミーミルちゃーん!」
「アーデルさぁーん!」
「……他の人たちはともかく、あの二人はエリザベート校長やアーデルハイト様一直線だから、虫が出てきても気付かないんじゃないかなー……」
「ははは……」
終夏の冷静な分析に、リアトリスは苦笑した。
「……ちょっとエース、どこに行く気ですか?」
エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)は、己の主であるエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)の腕を慌ててつかんだ。エースは突然、終夏やリアトリス達が進むのとは全く別の方向にふらふらと歩を進めていたのだ。
「え、いや、今さっきあっちの方に、珍しいハクギンオニユリの姿が見えたから、ちょっと見てみようかなーと思って……ダメ?」
引きつった笑顔を見せるエースに、エオリアは大きなため息をついた。
「僕たちが今何をしているのか忘れたんですか? ここにいるのはあくまでもイルミンスール魔法学校の校長たちを助ける為であって、植物観察の為ではないんですよ?」
「でも、今だったら葉脈の一筋、花粉の一粒までこの手に取って確かめられるんだぜ!? こんな機会今しかない………って、ちょっと待ってくれ」
突然真顔になったエースに、エオリアは怪訝な顔をした。
「どうしましたかエース。また何か変わった草でも見つけたんですか?」
「いや、花たちが騒がしい……。どうも向こうで蟻が大勢集まっているんだと」
エースは、自身の持つスキル「人の心、草の心」を使って花たちの声を聴いていたのだ。
「蟻が大勢……、まさかエリザベート校長たちが狙われているのでしょうか」
「エオリア、他のみんなを呼んできてくれ。すぐにだ」
パートナーの緊張した声に、エオリアは終夏たちのいる場所に向かって一目散に駆け出したのだった。