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【3】

  PM 12:45
    百合園女学院 学生寮



 午前の授業が終わり、昼休みになった。その休み時間を見計らって、鬼崎 朔(きざき・さく)高原 瀬蓮(たかはら・せれん)の部屋の前に居た。
 ただ、直接会いづらい。
 同じようにドアの前に立っていたことを思い出す。瀬蓮が眠り姫になっていた時のことだ。あの時、朔は瀬蓮を助けに来る人間の邪魔をした。瀬蓮を想っての行為だったけれど、結果的にそれは瀬蓮の邪魔になった。
 だから、会いづらい。
「……これしかあるまい」
 鍵穴に道具を差し込み、かちゃり、かちゃり。
 それほどの時をかけずに、鍵が外れる音がした。
 悪い事だろうと思いつつ、ピッキングを実行した。なんだかどんどん会いづらい状況を自分で作っているような気がするけれど、今はこうでもしないととてもじゃないが、会えない。
 瀬蓮が寝ていることは、なんとなくわかった。それでも慎重に、気配を絶ってそろそろと部屋に入って行く。
 案の定、瀬蓮は眠っていた。少し苦しそうに息を吐いて、吸って、吐いて。たまに「ん、」と呻く。
 テーブルにあったタオルで汗を拭いつつ、右手を額にかざす。朔にはナーシングの心得がある。すぐに効いてくるかはわからないがやってみる。と、少しだけ顔色が良くなったと思う。呼吸も落ち着いた。
 それから、頭の下に敷いていた氷枕の中身を取り替えてやって、ベッド脇の椅子に座る。
「聞いてくれないか、自分の話を」
 ごく小さな声で、囁くように話しかける。無論、返事などない。
「瀬蓮。お前は何というか……自分の妹に似ている。
 姿形は全然似ていないが、ちょっと夢見がちなところや友達に甘えるところは妹の花琳を思い出させる……」
 膝の上に肘をつき、てのひらで自分の顔を覆う。暗くなった視界に、妹の姿が浮かんで消えた。
「……花琳が死ななかったら、こんな風に育っていたのかなと考えるとな……どうしても、お前には強く幸せになってほしいと想ってしまう。
 ……所詮、自分の一方的なお節介、自分の嫌いな醜い独りよがりのエゴを押しつけてるだけなのはわかってる……。
 でも……そう想わずにはいられないんだ」
 語りかけて、それが終わって、しばらく同じ格好のまま微動だにしないでいた。
 聞こえてはいない。伝わってはいない。結局はこの独白だって独りよがり。
 ただそれでも、瀬蓮に伝えたかった。
「……また来る。来れたら、だが。早く治せ。……おやすみ」
 微笑みかけて、テーブルの上に手土産の妖精スイーツを置いて去ろうとした。
「ありが、とー……」
 その時、瀬蓮の声が聞こえて。
 ただの寝言かもしれない、その可能性の方が高い、でも。
 なんとも言えない気持ちになって、朔は部屋を出た。


*...***...*


  PM 16:15
    百合園女学院 学生寮


 百合園女学院の寮は基本的に男子禁制である。
 しかし訪問が可能となる例外がある。
 たとえば今のような、風邪が流行っているとき。身元がはっきりしていて、かつお見舞い目的ならば許可している。
 そのため、久我 雅希(くが・まさき)は今こうして瀬蓮のお見舞いに来ることができているわけで、
「前回も寝ていたが……今回も寝ているんだな」
 笑いながら話しかけると、瀬蓮は「あう」と言葉に詰まった。
「別に、好きでそうしてるわけじゃないもん〜……」
「そうだよな、悪い。喉乾いてないか? 水飲むか?」
「うん、ありがとう」
「わかった、持ってくる」
 冷蔵庫に入っていたミネラルウォーターをコップに注いでから、ふと思い出す。
 鞄に入れてきた風邪薬。地球で普通に売られている、何の変哲もない薬だが、果たしてパラミタで引いた風邪にも効果はあるのだろうか。
「ま、飲んでおけ」
 『のどの痛み・発熱に、鼻づまりに』とパッケージに描かれた銀色の箱を瀬蓮に放って渡し、それからコップを渡す。
「なぁに、これ?」
「風邪薬。まあ飲んで毒ってこともないだろ。よくなりゃ儲けもんだし」
「……苦い?」
「錠剤だからそこまで苦くない」
「そっかぁ、よかった」
 不安げに聞いてきて、否定すると嬉しそうに笑う。
 風邪を引いていると聞いて、正直かなり焦ったが元気そうで安心した。
「うえぇ……くすり、にがいよぉ……」
「嘘だろ? すぐに飲めば苦くない」
「舐めちゃった……」
「……なんでそんなベタなことをするか。……ホラ、飴玉」
 赤い包み紙を破り、口に放り込む。と、はの字だった眉がへにゃりとゆるんだ。幸せそうな顔をする。
「あまい〜♪」
「そりゃ良かった。ほら、横になってろ」
 瀬蓮を横たえる。不安かな、と思って手を差し伸べると、瀬蓮は少し躊躇ってから雅希の指先を握った。少し照れ臭そうに笑う。
「なんだか、お兄ちゃんみたい」
「あら? ワタシたち、お邪魔虫だったかしら」
 その時、部屋の入り口から声がした。振り返ると白雪 魔姫(しらゆき・まき)が腕を組んでドアに凭れかかっていた。
「魔姫ちゃん。お邪魔虫ってどういうこと?」
 言葉の意図を理解せずに雅希を見る瀬蓮と、
「そういう関係じゃねぇよ……」
 どこか苦々しそうに言う雅希。
 再び二人を見てから、魔姫がくすくすと笑った。
「からかっただけよ。だってあなたにはアイリスが居るものね」
「??」
「……駄目ね、からかいがいがない。意外と大丈夫そうだし、あとはエリスに任せるわ」
 そう言って魔姫は窓辺に行ってしまった。突然話を振られたエリスフィア・ホワイトスノウ(えりすふぃあ・ほわいとすのう)だが、静かににこりと微笑んで瀬蓮の傍に歩み寄る。
「お見舞いの品です」
「あ、ありがとー。わぁ、ゼリーだ♪」
「冷やしておきますね。あ、それとも今召し上がられますか?」
「うんっ♪ 食べる〜」
 嬉しそうに言った瀬蓮に微笑んで、エリスはビニールを剥がす。プラスチックの使い捨てスプーンで、瀬蓮にゼリーを食べさせると、たちまち瀬蓮は笑顔になった。
「美味しい〜♪」
「さっきから甘いものを食べてばっかりだな?」
 雅希がからかうように言うと、恥ずかしそうに笑った。
「ねえ、換気するわよ? 空気感染とかしたら嫌だし」
 魔姫が言って、窓を開ける。五月らしい、暖かくて緑の匂いを含んだ爽やかな風が部屋に入ってくる。
「気持ちいい。魔姫ちゃん、ありがとう」
「別にお礼を言われるようなことをしたわけじゃないわ」
「あと、心配してくれてありがとう」
「心配? 何言ってるの? 単なる冷やかしだけど?」
 つっけんどんな物言いをする魔姫を見て、エリスはおろおろと挙動不審になった。そして瀬蓮に頭を下げる。
「ごめんなさい……、魔姫様、悪気があるわけじゃないんです。言い方はアレなんですけど……」
「ちょっとエリス、余計なこと言わないでね?」
「余計というかっ……」
「ううん、エリスちゃん、大丈夫。瀬蓮にはちゃーんと、わかってるから」
 にこりと笑うと、瀬蓮はもう一度「ありがとう」と言った。
「別に……」
 風で魔姫の髪がなびく。ちらりと見えた耳が、少しだけ赤かった。


*...***...*


  PM 16:15
    ヴァイシャリー某所 崩城家別宅


 ヴァイシャリーにある別宅の自室で、崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は眠っていた。
 ……ついさっきまでは。
 今はと言えば、何故か腰の辺りに桐生 円(きりゅう・まどか)(お泊り準備万端のパジャマ姿である。無駄に愛らしいから無下にできない)がしがみついていて、
「小夜子くん! おなかのお肉が大変危険な状態に!」
 などと騒ぎ立てている。
 報告をされた冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)は、うろたえつつも「ひょっとして花見の時に私が血を吸いすぎたから……」と全く関係の無い(主に体型に)ことを呟いておろおろとしているし、もちろん亜璃珠としては、
「人が体重気にしているのを……! そんなことないでしょう!? そんな危険なわけ――」
 と、反論の一択なのだが、それを口にしかけた瞬間、むにぃ、とおへそのあたりをつままれて、
「やんっ」
 あられもない声が漏れた。
「ぁ、やっちょ、どこ触って……!」
「ふふふ、ぷにぷにありすー」
「だかっ、円!! ちょっと、もうやめ……」
「聞いてくれみんな。ボクは今非常に気持ちいい……!」
「だからぁっ!」
 こうして、腹やら何やらを揉まれながらも寝ていられるほど感度が鈍いわけではない亜璃珠が眠れるわけもなく。
 その上、
「まぁーちゃん! 見つけた!」
「それはありすちゃんのはぶらしね! ミバちゃんよくできました!!」
 ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)樂紗坂 眞綾(らくしゃさか・まあや)がしきりにそんな放っておけない発言をするので、仮に感度が悪かったとしても眠ってはいられない。
「ちょっと、ミネルバ! 歯ブラシはちゃんとあった場所に戻しておきなさいっ」
「えー、じゃあ、こっちはー?」
「下着じゃないのっ!! もっとダメ!」
「じゃあ歯ブラシ、もーらいー」
「ダメだってば!」
「おこってるありすちゃん、げきしゃー!」
「なっ!?」
「はい、ありすちゃんー、ぴーすっ」
「ぴ、ぴーす?」
 天井付近をふわふわと漂い写真を撮る眞綾にツッコミが追いつかず、思わずピースを向けてしまい写真を撮られ――そこで、ああ判断力が鈍っている。どうにかしなければ、と焦った次第で――、
「そうじゃないでしょうっ、病人にカメラ向けるなんてどういう神経――」
「じゃあつぎー、あえいでー☆」
「喘ぐ!? なんなのさっきから際どいわね! ……ああもうだめ、熱上がってきたわきっと……」
 そう呟くと、すかさず小夜子が額をくっつけてきた。ひんやりとした小夜子の額。気持ちいい、と目を閉じると頭を撫でられた。
「少し、上がったかもしれませんね、熱……」
「ありすの脇腹も温かくなっているよ。これは熱が上がっているねぇ。たいへんだーたいへんだー」
「へんたいさん? へんたいさん?」
「そうだよミネルバ、ありすは変態さんだ覚えておくといい」
「ミネルバちゃんおっぼえたー! ありすちゃん、へんたい!」
「違うわよ! 円、変な知識を植えつけないの!」
「変じゃないよ。変態だよ」
「〜〜!!」
「亜璃珠さん、じっとしていて。お身体に障りますし……」
「うーん、おこりんぼありすちゃん。ほかのおかおもとらないとアルママにおこられちゃうー」
「じゃあ小夜子、代わりに止めてよ……」
「まぁーちゃん! タオルは? タオルはほめられる?」
「私が……」
「うーん、ぽいんとひくいって、アルママが」
「……ごめん、無茶振りよね……はぁ」
「ぷにぷにありすの脇腹とこの温度……ボクは、いま、すごく穏やかに眠れるよ……」
「無力で申し訳ございません、亜璃珠さん。代わりに、というわけではないのですが、お身体を拭きますね。べたべたして気持ち悪いでしょう?」
「お願いするわ、はぁ……」
 熱い。自分でも自覚する。息を吐いて、首筋の汗を拭ってもらい――来訪を告げるインターホンの音が聞こえて、ああ、安息の場所はどこにあるのかしら、と亜璃珠は目を閉じた。


*...***...*


  PM 16:00
    学生寮


「ヒバリめぇ……風邪で寝込んでもオレサマやなぁ……」
 はぐれ魔導書 『不滅の雷』(はぐれまどうしょ・ふめつのいかずち)――通称カグラは、両手に一本ずつペットボトルをぶら下げた格好で、青空を見上げながら歩いていた。
「起きて第一声が『カグラ、飲み物買って来い』やろ? はぁ〜、もう少し弱弱しくなれば可愛げもあるっちゅーに……そもそも徹夜で勉強とか慣れないことするからやー」
 呟きながら、歩く。ああ、こんなにいい天気なのに自分は、パシリ。
 そう思っていたら、身体に衝撃。
「ふぬっ」
「あ?」
 硬い何かにぶつかって、倒れ込んだ。顔を上げると霧島 玖朔(きりしま・くざく)が立っていた。
「ほら」
 怖い外見とは裏腹に、倒れたカグラに手を差し伸べて引っ張り起こしてくれる。
「あ、えろうすんません。……く、ヒバリにもこれくらいの気遣いができれば……」
「ヒバリ?」
「ああ、申し遅れまして。オレ、土御門 雲雀(つちみかど・ひばり)のパートナーで、カグラって言います」
「土御門がどうかしたのか?」
「いや〜それがね? ヒバリってば徹夜で勉強とか慣れへんことしよって、風邪引いてしもたん。あんた、よかったらお見舞い来いひん? ヒバリも退屈そうやねん」
 地面に転がったペットボトルを拾いながら説明。「ああ」玖朔が頷く。
「見舞いに行ってやる」
「おおきに! ほな案内するわ。あ、オレのことはカグラって呼んだって!」

 ところ変わって、雲雀の部屋。雲雀はベッドに横たわったまま、机の上に積まれた本をぼんやりと眺めていた。
 先輩方に後れをとりたくなくて、秘術科、研究棟にあった本を読み漁っていた。没頭するあまり気付けば朝だったり、食事を忘れたり、今振り返れば風邪を引いて当然のことだったのだが。
「……情けないなぁ」
 この一言に尽きた。ため息。
「たっだいまー! ヒバリええ子にしてたぁー? 飲み物買うてきてやったで!!」
 そこにパートナーの大きな声。
 カグラの声は高くて澄んでいて、それはもう綺麗だ。
 だが、声質と声量の関係で、正直うるさい。
「あんだよカグラ、あんたの声は頭に響くからでけー声出すな……って先輩!?」
「よぉ。……マジで風邪なんだな」
「な、な、なんで女子寮の部屋に霧島さんが、っていうか何でカグラが一緒に、え、ええ???」
「あ、オレがクザクにぶつかってもーて。何かあかんことした? オレ」
「いや、いけないっつーか……」
「で、どうした風邪を引いたんだ、土御門」
「う、えぇ!? ……あんな理由、恥ずかしくて言えないでありますよぅ……」
「なんだ? 風呂上りにすぐ髪を乾かさなかったのか」
「そんな子供みたいな理由じゃありません! うぅ……自分に対する霧島さんの見方、ちょっと知りたくなかったです……」
「冗談だ。熱はあるのか?」
「朝よりはよくなったであります」
「あるのか?」
「……あります」
 額に大きな手を乗せられて、そのあとデコピンされた。
「……痛いであります」
「風邪に思い当たる節は?」
「う、ですから恥ずかしい……」
「そんなアホな理由なのか?」
 そこで玖朔が机の上に目をやった。本。それも、分厚い書物が大量にある。はみ出たしおり。拡げられたノートとシャープペンシル。
「アレか?」
「……はい。…………地球でワルしてた頃はこんなに一生懸命になったことなくて……うぅ」
「ワルって何してたんだ?」
「えええ、あっ、ちょ、今のはナシで……お願いでありますよぅ」
 掛け布団を目元まで手繰り寄せて、赤くなった顔を隠す。そんな雲雀を見て、カグラが「こんなヒバリの反応見たことないわー……」などと言っているが睨む余裕すらない。
「カグラ、お茶! 先輩の分も!」
「はいはい。ほなオレ飲み物用意するわ、ごゆっくり〜」
 そう言い残してカグラが席を外して数秒後。
「……ふむ、じゃあそのお願いを飲む代わりに、土御門。服を脱げ」
「へ?」
「汗。気持ち悪いだろう」
「は、恥ずかしいでありますよ……そんな」
「嫌か?」
「自分には色気も何もないでありますし……」
「嫌ならいい。無理強いをするつもりはないからな」
「……お願いするであります」
 上半身を起こし、纏っていたパジャマを脱ぐ。圧迫されて苦しかったのか、ブラはつけておらず、雲雀は両手で自分を抱くようにして胸を隠した。
 タオルを手にした玖朔が、丁寧に汗を拭っていく。首。肩。背中。胸を隠していた手を持ち上げて、脇の下。
「く、くすぐったいであります……」
「我慢しろ」
 両胸の側面を丁寧に拭い、羞恥で真っ赤になる雲雀を見て。
 なんというか、こう……少しいじめたくなった。
 くすぐったがりそうな箇所を見定めて、わざとゆっくりと拭く。脇腹や、へそ。くすぐるような手つきで、そろそろと。
 びく、と震えて引き結んだ唇から「んっ」と声が漏れた。なんとも言えぬ色香がある。
「先輩……、いけませんです。こちらは抵抗する体力もありませんのに……」
「こんなに身体を熱くさせて。本当は風邪じゃないんだろう?」
「か、風邪、でありますっ……ぁんっ」
 玖朔の手が雲雀の胸に伸びて、雲雀が啼いた。その時、
「飲み物お待たせー……ってクザク!? あんた何してーん!!!」
 カグラが部屋に入ってきて絶叫。
「風邪で寝込んでる相手に何してんのやっ!! ヒバリから離れえーっ!!」
 ばちばちっ、と火花が散る。電術が飛んでくる、と思った時にはすでに直撃していた。
 玖朔は当然として、玖朔と触れ合っていた雲雀にも。
「……ありゃ。ヒバリまで痺れてもうたわ……」
 少し申し訳なさそうにカグラは呟いて、けれどすぐに「まぁええか。強制オネンネや、はよ風邪治してもらいたいしな〜」自己完結と自己満足。鼻歌混じりに雲雀の服を着せ直すのだった。