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【6】

  PM 16:45
    ヴァイシャリー市内



 一方で、パートナーが風邪で寝込んでいるアイリス・ブルーエアリアル(あいりす・ぶるーえありある)とラズィーヤは、焦る気持ちと戦いつつヴァイシャリー市内を見回っていた。
「そう早足にならないでください、ラズィーヤ様」
「早足じゃありませんわよ? わたしく、足が長いから人より一歩が大きいだけですの」
「おやおや。これまで何回一緒に見回りしたとお思いで? 気付かないわけがないでしょう」
「……じゃああなたは心配していないとでも?」
「セレンのことですか?」
「他に誰かいまして?」
「していますが……、心配の他に信頼もしてるからでしょうか、不安はないですよ」
「……と、言うと?」
「セレンは皆に愛されてる。シズカ様もね。とすれば、見舞いに来てくれる方が、僕たちの代わりに助けてくれる方がが居るはずです。
 他にも、僕たちを助けてくれたりもする。たとえば今日、女学院の見回りや寮付近の見回り役を買って出てくれた子も居ましたよね? あれだって立派な助けです。だから僕らは今市街地の見回りをしていて、これが終わったらお互いパートナーのところに帰れるわけですよね?」
「…………回りくどいですわ」
「要するに、ラズィーヤ様が心配するほど事態は深刻じゃないってことですよ。僕たちは僕たちに与えられた役割をこなしましょう」
 アイリスはラズィーヤに微笑みかけて歩き出す。
 少し不満げながらも、一応はふっきれたような足取りで、ラズィーヤは市内の見回りへと戻って行った。


*...***...*


  PM 16:30
    百合園女学院 図書室


「母様は、きっとわたくしのことを便利なお手伝いに思っているのですわ」
 同人誌 静かな秘め事(どうじんし・しずかなひめごと)は、何度目かもわからないその呟きと共に、一人図書室でため息を吐いた。

 遡ること数時間前。

「私は静香様に料理を振る舞うから、静香。あなたは静香様の分まで執務をこなすラズィーヤ様のお手伝いをするのよ」
「ええと、母様……? どうしてわたくしが?」
「だって私の身体はひとつしかないもの」
「……ええと?」
「できるなら私が両方ともお手伝いしたいところだけれど、私の身体はふたつじゃないの。だから静香、手伝って?」

 思い出してもちょっと寂しくなる。
「別に、いいんですけどね。いろんな知識を蒐集するのも楽しみですし」
 誰にともなくひとりごちて、事務処理に必要な資料を探し出す。
 この本はあの棚にある。あの本は。
 そうやって図書室のテーブルの上に本を積む。最終的に山のようになった本を見て、辟易した。
「……こんな大量の資料を使うような事務処理なんて、頭が痛くなりそうですわ」
 ラズィーヤに、何を手伝うべきかと尋ねた時、彼女はただ資料を探してくれればいいと言った。
 事務処理なんかは彼女でなければできないから、と。
「なので母様、わたくしがお手伝いできることはここまでなんです」
 だから戻って行っていいですか?
 わたくしだって、母様に甘えたりしたいんです。
「母様の料理、食べたかったなぁ……」
 家に帰ったら、存分にひとり占めしてやろう。
 そう心に秘めて、本を運ぶ。


*...***...*


  PM 15:00
    百合園女学院 近郊


「うん、美人さんだ」
 鏡を見ながら、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が満足げに呟いた。
「……エース、これは」
 そんなエースに、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)は呆れ半分戸惑い半分の声をかける。エースがエオリアに振り返り、
「次はエオリアの番」
 ファンデーションとパフを手に、にこりと微笑んだ。
 およそ十分後。
 エースはエオリアに鏡を見せる。鏡の中には二人の美少女。
 透明感のあるみずみずしい肌。艶のある健康的な桜色の唇。形の良い眉。ぱっちりとした瞳。
 ナチュラルメイクを施された、エースとエオリアが映っていた。
「なんだ、いけるね? 宝塚とかそういう感じ? 俺、目指してみようかな」
「いやいや……ちょっと待ってください、エース。どうして僕達は百合園の制服を着て、化粧してるんですか?」
「郷に入っては郷に従え。昔のえらい人が残した言葉だよ、エオリア」
「エース。それはちょっと使い所を間違えていると思うのですが……」
「だって俺達で女子寮の高原を見舞いに行くわけにも行かないだろう? だったら、アイリスさんを早く帰れるようにいろいろと手伝った方が効率的じゃないか? アイリスさんも心配してるだろうし、さ」
「お見舞いでしょう? 寮に入ることくらい、できると思いますけど――」
「ちっちっち。違うんだよ、エオリア。女性って、寝ている時とかは心を許した相手以外が居ると実は休まらないって言う俗説があるんだ。風邪必要不可欠なものは、たっぷりの栄養と休養。高原にはゆっくり休んでもらいたいから、俺達は行けないんだ。
 ……それに、ヒロインの知らないところで動いてる、っていうのも、ヒーローっぽくていいだろ?」
 はにかんで笑い、「いざ行かん!」と百合園女学院に潜入しようとした。

 したところで、
「なにをしている!」
 アイリスの大きな声が響き渡った。

「エース・ラグランツ。並びにエオリア・リュケイン。……趣味が悪いな、女装して侵入とは」
「……あれー?」
 エースは思わず鏡を取り出して、自分を見た。それからエオリアを見た。
 どこからどう見ても、ただの美少女だ。二人とも化粧前の面影は残っている。残っているが、美少女だ。
 バレるとは思えなかったのに。
 そう、アイリスを見ていると苦笑された。
「僕には通用しないよ。似合っているけれど」
「うーん。バレない自信があったんだけど、なあ」
「ごめんなさい、アイリスさん。エース、悪気があってやったわけじゃないんです」
「それはわかっている。けど、目的がなんにせよ侵入は感心できたことじゃないな。反省文十枚――と言いたい所だけど、一枚で許そう。わかったら着替えて化粧を落として」
 エースはしぶしぶ、といった感じで、エオリアはどこか安心した様子で制服から執事服へと着替え、化粧を落とす。普段通りの二人に戻ったところで、
「俺達、アイリスさんのお手伝いに来ました」
「これ、レモネードです。高原さんと一緒に飲んでください。あとこっち、キャンディです」
 見舞いの品を託し、要件を告げた。
「助かる。じゃあ、今から言うことを手伝って欲しい」
 そして二人は、予想していた通りに『普段なら静香がしているような用事』を言いつけられ任されたのだった。


*...***...*


  PM 15:45
    百合園女学院


「まあ、一日かければ慣れていない仕事でも余裕を持って終わるわけですな」
 道明寺 玲(どうみょうじ・れい)は、溜まっていた執務をしっかりとこなし終え、息を吐いた。
 椅子の上で伸びをすると、ギギッ、と椅子が軋む。
 そのまま椅子の上で伸びたりしていると、机の上にマグカップが置かれた。
「休憩したらええんとちゃいます?」
 振り返ると、お盆の上にティーポットと大量のお菓子を乗せたイルマ・スターリング(いるま・すたーりんぐ)の笑顔が見えた。
「キリええところでさ。どうでしょ?」
「もう終わったから、休憩とは少し違いますな」
「あらま。もう終わったんやぁ〜、貴殿ならできると思うとったけど、ほんまにやってまうとはなぁ」
「個人的休校も、こうやって生産性に富ませば大喜びですな」
「うん、よぉわからんけど。紅茶淹れたで。あと疲れた時は甘いものって相場が決まってはる。食べへん?」
「イルマ・スターリングが食べたいだけ、ですな?」
「ん? 玲殿はいらへん?」
「いただきますな。脳が糖分を欲していますな」
 パッケージを破って、箱を開ける。チョコレートコーティングされたアーモンド。口に放り込むんで噛むと、甘さと香ばしさが広がった。一個のつもりが二個三個。四個目に手を掛けたところでイルマが笑った。
「今日は貴殿も大食いどすなぁ」
「イルマ・スターリングほどではないと思いますな。イルマ・スターリングなら箱からそのまま一気。違いますかな?」
「その通りやんな。でもちゃんと味わってはりますよ? 美味しいでしょ、麿が買ってくるお菓子」
 頷けた。イルマが買ってくるお菓子はいつも美味しい。
「……ふぅ。いい具合に休めましたな。次はアイリス・ブルーエアリアルのところへ行くとしますな」
「何するんどす?」
「イルマ・スターリングがしてくれたように、お茶やお菓子で労うんですな。そして高原瀬蓮のところへ向かわせるんですな」
「なるほどねぇ。ほな行きましょか」
「ああ、そうだ。これを飲んでおきますかな」
「うん?」
 玲は鞄から紙に包まれたものをふたつ取り出す。
 中身は粉薬。さらさらと口の中に入れると、お茶とは別で用意していた水を呷って飲み干した。
「なんやの、それ?」
「漢方薬ですな。風邪の予防になりますな」
 くい、とイルマの顎を取って口を開かせ、「はい、あーん」粉薬と水を流し込んで飲ませると、イルマは涙目になった。
「苦いどす〜……」
「はい、もう一回あーん」
「ぁー……?」
 素直に口を開けるイルマに、チョコレートをざらざら。するととたんににこにこ顔になるから、楽しい。
「さて、予防もできたことだし。行きますかな?」
「はいな、行きまひょ。ほらほら、お見舞いの果物やお菓子もいっぱい持ってはるのよ」
「うん?」
「なんどす?」
「買った量と、見合っていない気がしますな」
 二人は顔を見合わせて、それから苦笑した。
「イルマ・スターリングは風邪と縁がなさそうな存在ですな」
「……むぅ」 


*...***...*


  PM 15:30
    百合園女学院


「高原さんがご病気なんですって? それはさぞかしご心痛なことでしょう」
 と、棒読みで言い放ったのはジュリエット・デスリンク(じゅりえっと・ですりんく)だ。棒読みな心配に、アイリスは苦笑した。でも本当の事なのだろう、反論や何かそういったことは言わない。
「ささ、アイリスさん。この場はわたくしどもに任せて、パートナーの看病にお戻りなさいな」
 しっしっ、と犬を追い払うような動きも加えて、言う。そこに、
「高原さんがご病気……? それはアイリスさんもご心配でしょう! 早急に高原さんの元へ戻れるよう、お手伝いいたしますわ!」
 真剣に真摯な眼差しで、ジュスティーヌ・デスリンク(じゅすてぃーぬ・ですりんく)が言った。
 セリフは同じだが、心情がまったく反対なことが面白い、とアイリスはまた苦笑。
「ありがとう。それじゃあ、僕は別の用事に行くよ」
 アイリスが場を離れる。と、ジュリエットはラズィーヤに向き直る。
「さあ、ラズィーヤ様。いくらでもわたくしに用事をお申し付けくださいまし! ラズィーヤ様の仰せつけでしたら、営繕だろうと縫い物だろうとお使いだろうと事務仕事だろうと、火の中水の中なんでもやってのけますわ」
 きらきらと、心酔している目で。
 さきほどアイリスに言ってのけた棒読みはどこにいったのか、と思わせるほど、信頼と敬愛に満ちた声と言葉で、ジュリエットはラズィーヤに言った。
「……そうですわね、ならば学院内の見回りと、寮近辺の見回りをお願いしますわ」
「それだけでよろしいのですか?」
「ええ、十分ですわ。助かりますもの。ありがとう」
「ラズィーヤ様からそんな……! 勿体なきお言葉。不肖ながら、わたくしジュリエット・デスリンク……言われた仕事をきっちりとこなさせていただきます! さあ行きますわよ、ジュスティーヌ!」
「あら、ジュリエットったら張り切っちゃって……では、ラズィーヤ様。失礼致します。桜井校長にお大事にとお伝えくださいませ」
 こうして二人が学院内の見回りに行き、
「あたしも手伝えること、あったら手伝うしぃ」
 残されたアンドレ・マッセナ(あんどれ・まっせな)がラズィーヤに問いかけた。
「不肖マッセナ。荒事だったら得意じゃん? いいよ、なんでも言いつけて?」
「そうですわね……じゃあ、ちょっと危ないかもしれないのですけど」
「危ないこと? 得意得意! それにそんなことラズィーヤさまにやらせたらジュリエットにぶちのめされるじゃん! 喜んでやってやるし!」
「ふふ、頼りになりますわね。じゃあ、マッセナ? ヴァイシャリー市街の、裏道を見回っていただけると助かります。地図の、この辺りね」
 ラズィーヤが地図を広げてマッセナに見せる。「ふんふん」と頷きながらマッセナが見て、
「湖畔! キミもサボってないで手伝うしぃ!」
 廊下からやってきた岸辺 湖畔(きしべ・こはん)も巻き込んだ。
「サボってたわけじゃないよ、ラズィーヤさんが言いそうな用事を済ませてきてたの」
「そんなの知らないしぃ。本人から仰せつかる用事の方が大事だしぃ!」
「まったくもう……」
 やれやれ、とため息を吐きつつも、一緒に地図を見る。
「ここを見回ればいいの? ラズィーヤさん」
「ええ。不埒な方が居たら、適度に粛清を」
「了解、片っ端から片付けちゃうよ!」
「うんうん、あたしそういうこと得意じゃん! ラズィーヤさま、人扱いに長けてるじゃん! あたし尊敬しちゃうじゃん!」
「ふふ、ありがとう」
「じゃあ行っちゃうじゃん? いい? 湖畔」
「いつでもどうぞ。……まあ、ちょっと休憩したかったけどね」
「終わったら少しくらいは労ってやるし! 行っくよー!」
 走り出すマッセナを見て、湖畔が再びやれやれ、とため息。
 くるり、ラズィーヤに振り返り、
「……ひとつ質問なんですけど、」
 問いかける。
「もしかしてアイリスさんの困った顔、見たかったりしてました?」
「あら? そんなことないですわよ?」
「そうですか。だったら、よかった。ボクたち、仕事ならいくらでも手伝うけど……そういうところは代わってあげられないから」
「いろいろと気遣い、ありがとう。でも大丈夫ですわ」
「うん。じゃあ、ボクも行ってきます」
「ええ。わたくしとアイリスさんは、ヴァイシャリー市街の見回りをしていますから何かあったらそちらまで」
「はい。行ってきます!」


*...***...*


 こうして、何人もの生徒に助けられて。
 アイリスも、ラズィーヤも、仕事を次々片付けて行く。
 待っていて、愛しのパートナー。
 すぐに駆け付けるから。