百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

さよなら貴方の木陰

リアクション公開中!

さよなら貴方の木陰
さよなら貴方の木陰 さよなら貴方の木陰

リアクション

 子供達はちらちらと劇が行われている電脳空間を気にしている。人が隣の部屋に集まっていて、ざわついているからだ。
 そんな彼らを見てフューラーは声をかけた。
「君達、見に行ってもいいんだよ?」
「僕はママのお手伝いをするから、いい」
「こたもがんばるから、いいれす」
「でも休憩もしないのは絶対にいけない、お茶にしようか」
「って、俺はガキじゃねえって、いくつだと思ってるんだ」
「あだっ!」
 ピオス先生までフューラーはちびっことしてひとまとめにしやがったので、容赦なく杖の制裁はくだった。
 クッキーの缶や飲み物を用意しながら、フューラーは提案をした。
「じゃあその代わり君達に、ぼくから短いけどお話をしてあげよう。昔読んだ小説に、こんな部分があったんだ」
 このあんまり何考えてるのかわからないにーちゃんが何を話してくれるのか、興味深々だ。
「記憶はどこにあるか、わかるかな?」
 みんな、そろって頭を指差した。
 フューラーはあははと笑って、実は別のところにも、世界の最初からの記録が残されているんだよ、と嘯いた。
「記憶はあらゆる場所にある…」
 ―かつて立てられたすべての音は、最後の恐竜の断末魔でさえ、世界をめぐる風の叫びのどこかに残されている。
 あらゆる光景も、すべての花の色も、太陽の光に包まれて宇宙の果てに保存されている…
「記憶はそこにあるんだよ。ただ、アクセスコードはだれにも分からないんだ」
 ちびっこ達は、いまひとつぴんとこないようだ。
「…たとえばシャンバラの女王さまの号令も、この世のどこかに残っているってこと?」
「そういうことになるね、山びこで跳ね返ってきた声はどんどん反射して、小さくなっていくけれど、音の波というものは理論上どこまでも進み続ける。そんなふうに女王様の号令も、世界をめぐって今フィック君の素朴な疑問のことばの傍にたどり着いているかもしれない」
「あくしぇすこーどって、どんらもの?」
「んー、コタ君の楽しい思い出は何かな」
「ねーたんにほめられる!」
「んじゃあ、その楽しいというか、嬉しい思い出から樹さんのことを引き算してみよう」
「…うー?」
 やだな、かんがえたくないな、という顔だが、フューラーがそれを継いだ。
「きっと、誰ということも、顔もわからない人から、ただ『褒められた』っていう嬉しい記憶だけがある。この場合君にとっての樹さんが、君のアクセスコードなんだ」
「しらにゃいひとにほめられるより、ねーたんにほめられるのがいいお…」
「ボクも、ママたちを絶対忘れたくない」
「マリーはきっと、そういう記憶を見て、聞いているんだと思う。アクセスコードを失ったままでね」
「…うあーんまりたん、こたがんばるれすよー!」

 劇の上映のおかげか、記憶が一部戻り、記憶回路や知覚に対する解明は少し深まった。
「今反応あった場所マッピングして!」
「しました! ログ回収、グラフは?」
「待って、今ゲイン調整…」
 レリーフの写真が、マリーの枕元に引き伸ばして飾られている。
 オルゴールもあわせ、視覚聴覚の多角的な視点からもデータは少しずつ蓄積されているが…
「…まだまだ、足りませんね」
「そうね…。そうだ、こないだの迂回経路の考察、聞いてくれないかな」
「バイパスの数が妙に多かったところですか?」
「あれは指先の部分だからさ、繊細な作業をするためと思っていたけどさ」
「ああ、そこは私も。逆に指先はもっとも耐久が必要になる部分でもありますよね」
「そうそれ」
「ママ、それはこないだ、ここにメモ書きしてたよね」
「あー、それこたのめも!」
「…すみません、落書き用紙ではなかったんですね…」
「ねえこの計算式っぽいものは何? 数字、だよね?」
「まりたん、でーたとりにはったてーぷがぴりぴりすうって、ぴりぴりしないおーに…」
「…それ、どの機械? ノイズはいってないかしら!?」

 そんな風に日常を送っている間も、やってくる人は途切れないでいる。
 鈴倉 虚雲(すずくら・きょん)はカシャカシャとルービックキューブの腕を確認していた。これをマリー達に見せるのだ。
 アイドルレア写真集・雨雪の夜(ぷれみあばんりんのれあしゃしんしゅう・くれっしぇんどすのう)はじっと眠るマリーを見つめている。
 発掘隊が持ち帰った遺物のデータを参照して、雪はそれを画像やリストとして記録はしたが、今目の前で眠る機晶姫に関する関連は理解しきれないでいた。
 雪にとって、全ての事象は音声のないコマ落としの映画を見ているようなものだ。ただ漠然と情景が流れていくに過ぎないのである。
「さ、電脳に降りようか」
「…やはりマリーに皆がここまでする理由理解できない。だがマリーの最期の願いを叶えたいという感情から来ていると考察」
 何故マリーに皆がここまで色々手を尽くすのか、その熱意の源を解明できればと思う。
「そもそもボクには”記憶”というものが存在しない。知識と記録のみ。
 思い出というものはただ写真の中の人物という定義。それを媒体にして自分の”記憶”として扱っているだけ」
 雪にとって、感情というものは等しく他人のものなのだ。
 (…雪にはこの気持ちが分からないのか…)


「初めましてマリーさん、お久しぶりヒパティアさん」
 神倶鎚 エレン(かぐづち・えれん)プロクル・プロペ(ぷろくる・ぷろぺ)と共に電脳空間を訪れた。
 大樹の下で、二人は姉妹のように寄り添っている。
「…お話は聞いております、マリーさん。私はあなたがたに伝えたい。
 死は決して終わりではありませんわ。それは命の繋がりの一区切りにすぎませんの」
 エレンは、特にヒパティアに伝えたかった。
「子孫だけが命を継ぐものというわけではありませんのよ。誰かが生きてきた、その人生と接した者がなにかしらの影響を受ける。それがどんなに些細なものであっても、いいことや悪いこと、なんであれそれらが自身の考えや生き方に必ず影響を与えますわ。それもまた命をほんの少しであれ受け継いだのだと言えます。
 例えまったく気づくことが無くとも命は連綿と繋がっているのですわ」
「プロクル達には人のように子孫を残すという機能はないのであるが、なにも残せないというわけではないのである。プロクル達が生きてきた、その証は残っているのである。出会った人々、パートナー、さまざまな出来事とその結果……世界そのものにプロクル達は記録されているのである」
 ヒパティアは、機晶姫であるプロクルの言葉に聞き入っている。
「見た目が変化せずとも寿命はあるのである。それは悲しむことではないのである。プロクル達もまた人と同じということであるのであるから…そうそう、エレンが言っていたのである。
 いつかAIであるヒパティアも、ひとつの命として…」
 その横でエレンはマリーに、ひそりと話をされた。
「誰かにきちんと伝えなければ、と思っていることがあるのです。宜しければ聞いていただけますか?」
「…私でよければ」
「その時になったら、私はちゃんと言うことができないでしょうから…」


「What、マスター、どうしました?」
「…あ、何でも…ない。…彼女が、マリー…か?」
 眠るマリーを見て、アシャンテ・グルームエッジ(あしゃんて・ぐるーむえっじ)は何かの既視感を覚えた。
 シャルミエラ・ロビンス(しゃるみえら・ろびんす)はそんな主を心配そうに見つめた。
 電脳空間で、今度は微笑むマリーを見て、またぼうっとするアシャンテがシャルミエラは気になった。
 (マスター、今誰かを思い出されていたのでしょうか?)
「Hallo、こんにちわ。マリー様、お加減はいかがでしょうか?」
「こんにちわ、あら、あなたも大丈夫なのですか?」
 マリーはシャルミエラの顔のヒビに悲しそうな顔をする。
「Noproblem、大丈夫です。私は一度壊れ、修理が成功した個体ですので」
「まあ、不都合はありませんか?」
「Sorry、残念ながら、修復前の記憶はございませんし、時々マスター達に迷惑をかけてしまうのです」
「私も一度は、機晶石を交換できればと思いました。しかし現在代わりが手に入る可能性はありませんでしたし、皆様の手を煩わせるわけにもゆきません」
 それに交換してしまえば、記憶が失われる可能性のほうが高い。機晶石は、機晶姫の魂そのものと言っていい。
「ただの未練なのです、あの人の輪郭をもっと、はっきりさせたかった。それだけだったのです」


 島村 幸(しまむら・さち)は頭を抱えている。
 先日、マリーにあることを聞いた。
「今の技術では機晶姫を一から作る技術はありません。だから、私は貴方に残酷な事をお聞きします。
 機能停止後、パーツを提供する意思はありますか…?
 貴方の手が誰かの手になり、希望を掴む。貴方の足が誰かの足になり、自由に走り回る。
 貴方から生まれる、救われる命は貴方にとって子供と同じなのです。
 目に見えないものは移ろいやすく残しがたいもの。科学者の私はそれが耐え難い。
 私は貴方の縁を見える形で残したいのです」
 それにはマリーはすぐにうなずいてくれた。
「おそらく私の手足は、皆様のおかげでパーツとしてはそれほど悪いものではないと思いますから。
 私の手足で、救われるだれかがいらっしゃると信じております」

 出来る限り相互に拒絶を起こさなくなるような、システムの解明と開発を急がなければならない。
 しかしデータは、やはりあまりにも足りない。マリーに残された時間は、もはや秒読みだった。
 大抵の機晶姫は、簡単に手足を外すことはできない、大掛かりな手術が必要だ。それは負担になり、間違いの元ともなる。
 例えば、取り外ししやすい義肢ができたなら…
「資料ここにまとめといたからな、幸、あんまり根詰めすぎんなよー」
「ありがとうございます、」
「あんまり悩むなよ、長年医者やってきたんだ。どうしたって救えない命も、応えられない期待もあるってわかってる」
「ここに到って、解体派の気持ちがわかった気がしますね…」
「俺達には俺達のやり方があるんだ。みーんな同じじゃ、世の中つまらないだろ?」
 そのためには何よりもヒパティアのデータが必要になるかもしれない。
 彼女の演算を真似られたら、あるいは。

「ヒパティアさん、フューラーさん、電脳世界にマリーさんの意識を取り込むことって出来ないかな?
 身体は再生不能だけど、精神だけでも電脳世界で生き続けるって選択肢を与えられないかな?」
 3Dモニタ越しに、朝野 未沙(あさの・みさ)はヒパティアに試してみたいことを伝えた。
「今、私の中彼女を写し取ったとしても、それはデッドコピーですらありません。
 私の中に、別の個体を住まわせることはできないし、また生み出すこともできません。
 この子も、私の中で生きていると思われるでしょう。それでもしかし、プログラムのひとつ、私がそうあれと願って、猫らしいパターンでそう振舞うだけのもの…」
 モニターの中でAI猫のピート君が、ヒパティアに寄り添って鳴いた。
「マリーのプログラムを、私の中に移植することはできるかもしれません、しかしそれはもう私に所属するものになってしまう。
 私はそれを『マリー』とは定義することができないでしょう…それは嫌です」
 フューラーもまた、すげなく否定した。
「マリーだけでなくすべての機晶姫を、完全にプログラムとして置き換える技術はありますか? ないでしょう」
「じゃあ、私達や機晶姫が電脳空間に入れるわけって、どういうものなんですか?」
「それは、単なる脳活動、思考の観測とそのフィードバックにすぎないんです。
 あなたがたの魂を抜き出して、電脳空間で再現しているというわけではありませんから」

「それに、仮にプログラムにコンバートできたとしましょう。
 完全な記憶をもち、マリーとして思考し、感じ、会話し、振舞うものができたとして…。
 それをマリーと言い張ることは、ただの感傷と、感情論にすぎなくなります」
「…それでも私は、それをマリーだと信じるよ」

 たまたまそれらをピオスは聞いていた。聞きたいことがあってフューラーを探していたのだ。
 彼らの言うことはわからなくもない。
 ほかには例えば、マリーの手足を別のパーツに入れ替えれば、彼女の何割が『マリー』であるのかと問うようなものだ。
「まあ、なーんていうかさ。魂がプログラムできりゃなあ…」
「そうですね、その手段があればいいのですが」
「…ちょっと待て、まさかあんた…」
 フューラーはおそらく、ピオスが感じ取ったものに気づいて煙に巻いた。
「死者は天国へ、罪人は地獄へ、戦士はヴァルハラへ。
 パラミタの方々がナラカの他にどこへ行くと信じているのか、不勉強なものでわかりませんが…。
 僕は、できれば彼女と同じ場所へ逝きたいと願っていますよ」

「あいつ…ヒパティアに魂があるかどうか、マリーで実験してやがったのか?!」
 あんたならわかるだろうと、ピオスはシラードに掴みかかった。車椅子ががたりと音を立てた。
「実験という点では反論はしきれんですな。ただそれは前提が間違っております。
 あやつが知りたいのは魂の有無ではなく、真偽なのです」
 人目のないところではシラードは、知の英霊のピオスに対して、現代も変わらぬ敬意を払う。
「わしも愚かなもんです。単純にあやつは死を学習させる絶好の機会を逃さなかっただけじゃ…」
 フューラーは、マリーと関わるようになってからずっと電脳空間に降りていない。
 ヒパティアはいつも全幅の信頼をおいて無邪気に彼を見上げる。彼はその瞳を見返すのが怖いだけなのだ。
「おそらく、一番信じていたいのは、あやつなのです。それを分かってやってくだされ」

 マリーの死に際してヒパティアが感じるものが、まさしく悲しみであるのだとは、誰が定義できるだろう?
 皆がマリーに抱く思いを学びとり、ヒパティアがそうして自ら発するものが皆と同じものであると、誰が信じられるだろう?