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蝉時雨の夜に

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蝉時雨の夜に

リアクション

「ちょっとエリー!? あんた、カーマインなんて物騒な銃、何時の間に手に入れていたの!?」
 少し離れた所では、パートナーの不意の発砲を回避したローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)もまた驚きの声を上げていた。その直後、脳内にエリシュカ・ルツィア・ニーナ・ハシェコヴァ(えりしゅかるつぃあ・にーなはしぇこう゛ぁ)の戸惑いが響く。
『はわ……ローザ、どうして、なの?』
「……エリー? 何かおかしいわね」
 自分と同じ反応を見せるエリュシカの声に、ローザマリアは動揺に呑まれ掛けた思考を一瞬にして切り替えた。いつもと違ったエリュシカの雰囲気、口を開く事も無く頭の中へと直接響く声、そしてどうやら同じ状況下に置かれているらしいエリュシカの様子、云々。そこから弾き出された答えに、ローザマリアは表情を引き締めた。
「エリー、それは私じゃない。どういう仕掛けか分からないけど、私のニセモノ、劣化品よ。遠慮はいらないわ。あんたには、そんな私のニセモノを造作もなく倒す事が出来る力が在る……躊躇わないで。殺るか殺られるか、よ」
 告げる言葉と共に、ローザマリアの手にも光条兵器のグリルナイフが取り出される。
「エリー、私はいつだってあんたの事が大好き。だから解るのよ――目の前のエリーが本物か、そうでないのかくらいね!」
 言うや否や駆け出したローザマリアは、【隠形の術】を用いて偽物の背後へと回り込んだ。咄嗟の対応の遅さは矢張り能力の劣化故か、そこにも彼女が偽物である確証を得て、ローザマリアは皮肉気に笑みを浮かべる。
「さて、と――残念ながら私の可愛いエリーはそんなおいたはしないわよ?悪戯が過ぎる悪い娘には御仕置きが必要ね」
 死角からの一撃。容赦の存在しない、正確なナイフの一撃が、真っ直ぐに幻影を切り裂く。パートナーを形作っていた光の粒子を浴びるローザマリアの頭の中に、パートナーの声が届いた。
『うゅ? 偽物……? 解った、の……もう躊躇わなくていいなら、とっても楽になった、の』
 言葉の前半と後半で、エリュシカの声は大きく異なっていた。無邪気な残酷さを秘めたエリュシカの声に、ローザマリアは満足げに頷く。
『おまえはエリーのパートナーじゃない、の……エリーのだいすきなローザは、おまえみたいに弱くなんてない、なの』
 冷めた声音で告げるエリュシカは一瞬の隙をついて幻影の懐へ潜り込むと、カーマインの銃口をそのこめかみへと押し当てた。かちり、躊躇う間もなく引き金が引かれ、低く銃声が轟く。
『うゅ……ローザ、終わったの』
「お疲れ様、エリー。――パートナーの実力を測る善い機会だと思ったけれども……残念だわ。私のエリーは私が育てた最高傑作にして芸術品よ。……彼女の力はこんなものじゃ、ない」
 誰にともなく言い放ったローザマリアは、今度こそ本物のエリュシカを探すべく、ナイフを片手に歩み始めた。



「……お前、本当に火藍か?」
 目の前のパートナーの姿へ、久途 侘助(くず・わびすけ)は訝しげに問い掛けた。疑い半分、と言うよりは、否定を望む色合いの方が強い。それもその筈で、パートナーの手には切っ先を侘助へと向けた大鎌が握られていたのだった。
『? 何の事ですか、と言うかあんたどこにいるんですか』
 怪訝とした香住 火藍(かすみ・からん)の声は、何故か頭の中に響いた。正面の火藍の姿が口を開いた様子も無い。それを見た侘助は、安心したようにほっと一息を漏らした。
「お前の声が本物だ! なら、俺の目の前にいるのは……偽物か」
 侘助はにやりと愉しげに笑みを浮かべて見せると、すらりと伸びた刀を抜き放つ。
「いい機会だ、火藍とは一度手合わせ願おうと思っていたんだ!」
『は? あんた、どうしたんですか!?』
「そいつは俺の偽物だ、火藍! お前も手加減すんなよ!」
 焦りを露にした火藍の声に、彼もまた己と同じ状況に置かれていることを悟ると、侘助は力強く言い放った。
「おらおら! 火藍だったらこれくらいの攻撃どうってことねぇだろ!?」
 休む間もなく繰り出される侘助の攻撃に防戦一方の幻影は、間も無く彼の刃の前に倒れ伏した。緩やかに表面から薄れ消えていく偽物の体には傷一つ無いものの、達成感の滲む瞳でその様子を眺めているうちに、侘助は段々と己の心が鎮まっていくのを感じた。否、それは沈んでいく感覚に近い。
(……俺は、火藍を殺した?)
 思わず刀を取り落し、何の手応えすら残っていない掌を見つめる。
『偽物なんかに、負けていられないんですよ! ……そっちはどうなんですか?』
 不意に届く火藍の声は、どこか苦しげなものだった。それすらも侘助の胸を打ち、目の前の光景を錯覚させる。虚無を映す侘助の瞳には、ありもしない傷付いた火藍の幻覚が映し出されていた。
 怪訝と投げ掛けられた問いに、慌てて我に返る。
「あ、ああ、終わったよ。もっと楽しみたかったんだけどな」
 精一杯の強がりは、しかし通用するような相手ではなかった。
『そんな苦しそうな声で楽しみたいって、何考えてるんですか! 待ってて下さい、すぐにそっちに行きますから』
 お互いに、自分がどこにいるのかすら定かではない。そんな中でも迷い無く告げられた火藍の言葉に侘助は僅かに救われるような心地を得つつも、重ねて込み上がる罪悪感に強く頭を抱えた。




 ミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)は、真紅の双眸を驚愕に見開いた。
 気付けばパートナーのシェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)とはぐれ、一人暗闇の中を彷徨っていたミレイユは、不意に闇から現れたシェイドの姿に安心して彼へと近寄った、その筈だった。
 油断していたのは確かだ。だからこそ、彼の牙が首筋へ深々と突き刺さるまで、何の抵抗も出来なかった。
「……シェイ、ド……? なんで、急に……首に咬み付いてるの……?」
 不安や驚き、様々な感情の入り混じったミレイユの喘ぐような声にも、パートナーの姿をした何かが反応を示す事は無い。反応は、代わりに別の所で起こった。
『ミレイユ!』
 脳内に響く声は、確かに信頼する彼のものだった。焦ったような声音は、ミレイユを案じているのだろう。その声が、ミレイユの思考を動揺から強く引き戻す。
(シェイドは……こんな食い千切るような咬みつき方、しない……!)
 振り払うようにミレイユが身体を揺らすと、偽物は簡単に離れていった。首筋のじくじくとした痛みが、これは現実の出来事なのだと強く物語っている。
『ミレイユ、すぐに助けに行きます。ですから気を強く持って下さい、それは私の偽物です!』
 シェイドの声の合間には、乱れた呼吸の音が挟み込まれていた。彼もまた戦っているのだろう、恐らくは――自分の偽物と。そう判断したミレイユは、こくんと強く頷く。
「分かった、ありがとう……シェイド」
 はっきりとしたミレイユの言葉に安堵を覚えたシェイドは、一先ず自身の置かれた状況を打破すべく、攻撃をかわしつつ周囲へと視線を滑らせた。偽物と分かっていても、ミレイユの姿をしたものを攻撃することは、どうしても躊躇われた。
 そんなシェイドの視界に、丁度輝夜たちの戦闘が映った。蝉へと彼女の攻撃が直撃した瞬間、偽物らしき敵の姿が掻き消える所までをしっかりと確認したシェイドは、すぐにミレイユの傍らの蝉の存在を確認すると、間髪入れずにナラカの蜘蛛糸を放った。
 蝉がそれを避ける様子は無かった。羽を絡め取られた蝉は地に落ち、儚く消滅していく。同時に始めから存在しなかったかのように消え去るミレイユの偽物を見届け、シェイドは声を上げた。
『ミレイユ、蝉を攻撃して下さい! それで、私の偽物は消える筈です』
「蝉……? わかった、蝉に向かって光術をぶつけてみるね」
 同じく防戦一方であったミレイユは、シェイドの言葉に安心したように了承を返した。普段落ち着いている彼がミレイユの無事を案じるあまり焦燥を滲ませ語調を荒げている様子が、この状況下にあって、ミレイユには少し嬉しかった。
 ミレイユの放った光術が、迷い無く蝉を撃ち抜く。シェイドの言葉通りに消えていく偽物を見送ると、ミレイユはぺたりとその場に座り込んだ。



「……違うねぇ、誰だいお前さまは?」
 静かな声で言い放ち、佐々良 縁(ささら・よすが)は槍を構えるパートナーへ大きく首を傾げて見せた。
 無表情に穂先を向けるそれが最愛の相手である筈が無い。これといった確証が無くとも、縁にははっきりと分かっていた。彼女の確信を裏付けるように、脳内に他でもない佐々良 皐月(ささら・さつき)の声が響く。
『……よすが! それ、ワタシじゃないからね!』
「大丈夫、分かってるよ。……さて、お前さま……嫁の姿を騙って無事でいられると思うな!」
 縁が吼えるのと同時、偽物の皐月が一息に彼女へと接近した。真っ直ぐに左腹を狙い突き出される穂先に、縁は苦々しげに歯を噛み締めると寸でのところでそれを避け切る。
「ちっ、くっしょ!」
 体勢を崩しながらも取り出したライフル、偽物の耳付近を狙い銃弾一発を撃ち込むと、それが怯んでいる隙に縁は一目散に駆け出した。スナイプの基本は、身を潜めること。建物の影へ逃げ込んだ縁を見逃した偽物は、きょろきょろと視線を彷徨わせている。
「お前さまが嫁の姿を騙ろうなんざ、百年早いよ。出直しな!」
 そのまま建物へ登った縁はライフルを構えると、スコープに映る皐月の額へ、正確無比な一撃を撃ち込んだ。タン、と静かな銃声が響き、ぱたりと皐月の姿が倒れる。それもすぐに掻き消え、光の粒子となって天へ昇って行った。
『よすがの狙いはもっと正確だよ!』
 その頃には皐月もまた偽の縁の銃口を氷術で塞ぎ、不審な蝉へと槍の一撃を繰り出していた。消え去る姿を見送り、ふう、と一息つく。
『こっちも終わったよ、よすが』
「そうかい、じゃあ少し辺りを散策してみようか」
 手がかりも何もない、だだっ広い闇の中。互いの声を掌のように絡め、二人は歩き出した。


***


 瀬島 壮太(せじま・そうた)は、呆然と辺りを見回した。飛空艇で帰路を辿る途中の出来事だった。
 たまたま知り合いの縁たちがふらふらと森に向かって行くのを見掛け、何とは無しに着いて行ってみた。すると薄暗い森の中、異様なまでに響き渡る蝉の音の中で、たくさんの人々が倒れているのが目に入ったのだった。
「……何でこいつら全員、こんなとこで寝てんだ?」
 良く見れば知り合いのエメや、ヴラド達も眠りに落ちていた。いつの間にか、森へ入ったばかりの縁たちもぐっすりと眠り込んでしまっている。軽くゆすったところで、誰も起きる気配が無かった。
「仕方ねぇな……このままじゃ風邪ひいちまうだろ」
 ぽりぽりと後ろ頭を掻いた壮太は一人呟くと、一先ず皐月を両手で抱え上げた。近くには見覚えのあるヴラド達の屋敷が、鍵も掛けられず、それどころか扉すら開けっぱなしで佇んでいるのが見えた。
 皐月、縁、エメ、蒼、シェディ、ヴラド――手当たり次第に一人ずつ屋敷の中へ運び込み、絨毯へと寝かせていく。いつもよりラフな服装ながらいつも通りに白いエメは、何となくソファへと寝かせた。
 バイトの後の一仕事を終えた壮太は、ふうと溜息交じりに額の汗を拭った。そこでようやく、何故自分がこのようなことをしているのかとの疑問に至る。しかし深く考えることも無く、ふと目にした縁の寝顔に目を留めた壮太は、にやりと悪戯な笑みを浮かべて携帯を取り出した。
 ぱしゃり。撮影の音にも、やはり誰も目覚めることはなかった。にやにやと意地の悪い笑みを湛えたまま、壮太は慣れた手つきで携帯を操作する。

 件名:佐々良って
 本文:こういう顔して寝るんだなー。可愛くねえ?

 異様な状況の中、友人の一人へメールを送り付け、満足げに壮太は携帯を閉じる。
 それからようやく、さてどうするか、と改めて頭を捻り始めた。