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新年の挨拶はメリークリスマス

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新年の挨拶はメリークリスマス
新年の挨拶はメリークリスマス 新年の挨拶はメリークリスマス

リアクション



第7章


「ううう、なんといううらやましい……!!」
 TVモニターや巨大プラズマモニターを通して流される人々のイチャイチャ映像を、悔しそうにムギギギギとハンカチを噛み締めながら眺めるのは皆川 陽(みなかわ・よう)だ。何がそんなに悔しいのかと言われれば、言うまでもない。言うまでもないから言ってやらない。いやしかし言うまでもないがあえて言ってやろう。

 イチャイチャする相手がいるのがうらやましい! 自分にはそういう相手がいないのが悔しい!! 今世界で一番このボクが悔しい!!!

 ああそうとも、生まれてこのかた一度だってモテたことなんかないよ、女の子とデートなんて都市伝説だよ、むしろ彼女とか伝説の生き物だよ幻想種だよ、それどころかまともに喋ったこともないよ、通ってるのは男子校だよ、そもそもここんとこ女の子見てないよちくしょう!!!

 と、ハンカチを噛みちぎるような勢いで悔しがる陽。
「……見てやる」
 ぼそり、と呟いた。
「眺めつくしてやる、世の中のカップルはどんなクリスマスを過ごしたのか見つくしてやる……!!!」

 その行為は虚しくないのか、という突っ込みはしない方向でお願いします。

 さて、その隣のパートナー、テディ・アルタヴィスタ(てでぃ・あるたう゛ぃすた)は陽とは真逆の反応である。
「お、あれ僕じゃん!」
 TVに映った自分の姿に喜ぶテディ。背景がクリスマスということは、その隣には陽がいる筈なのだ。

 やっぱ映った、ヨメだ! 画面で見てもヨメ最高! 隣でハンカチくわえてる姿も萌えるけど、この日のクリスマスの思い出はまた格別っていうか! うっひゃーやべえ眩しすぎて見れねえ! あ、ウソウソやっぱ見ますちゃんと見ます、何しろこの日のクリスマスはもう最高だったし!!!

 と、嬉し恥ずかしそうに身もだえしながら画面を眺めるテディ、隣の陽とは見事に明と暗のコントラストをなしている。
 ちなみに『ヨメ』とは陽のことだ。
 パラミタでは同性同士の恋人はそれほど珍しくない。外見から性別が分かりにくい者も多いし、女性同士、男同士もアリだ。
 だが陽は地球生まれの日本育ち、特別そういう習慣はないし、ごく自然に恋人といえば異性のことだ。パートナー契約を結んでからのテディのヨメ発言に関しては、『パラミタの人たちは面白い冗談を言うなあ』程度でスルーしていたのである。

 画面では、クリスマスの街を並んで歩いている二人がいる。
「ああ……あまりに寂しくてどしようもないから、しかたなく男同士で街に出かけたんだっけ……既に黒歴史だよコレ……」
「うっきょー! そうそう、街で二人でデートしたんだよな!! もうクリスマスムード満点で雰囲気もバッチリ!!」
「えっ」
「えっ」
 互いに顔を見合わせる二人だ。

 クリスマスの二人は、街を行くカップルをのんびりと眺めている。
「そうそう……溢れかえるカップルのピンクのオーラにあてられてもう、あまりの怒りにあれほどカップルが憎いと思ったことはなかったよ」
「やっぱ街はカップルが多かったし! でもこっちもバッチリカップルだし負けてないよな!! もうヨメも顔を真っ赤にして照れてたし!」
「えっ」
「えっ」

 そしてクリスマスの思い出のクライマックスは、二人で手を繋いで街を歩いたことだ。
「ああ……うっかり手袋忘れたから手がかじかんで痛かったんだよ……男同士で手を繋いでってどんな罰ゲームだよ、もしくは悪夢だよ。クリスマスに一人者は死んだらいいの? 分かったよ死ぬよ、今死ぬよちくしょう!!」
「ムッキャアアアアア! もう嬉しくて恥ずかしくて死にそうだし!! あの小さくて柔らかくてちょっとだけ冷たいヨメの手を自分の体温で暖められるあの幸せ!!! きゅっと握るともう可愛くて自分が守ってやんなきゃって思えるんだ!!」
「えっ」
「えっ」
 延々とすれ違い続ける二人だった。


                              ☆


『ああ……んむ』
 画面の中で抱き合って唇を絡め合っているのはセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)の二人。
 パートナーでもあり、恋人でもある二人が抱き合っているのはどこかホテルの一室だろうか、高級な調度品が並ぶ上品な部屋だ。
 暗がりの二人の姿はそれだけでも扇情的だが、時折見せる表情はさらに蠱惑的と言うべきだろう。元より妖艶なセレンフィリティとスタイルの良いセレアナが絡み付く様は男子必見であるが、暗がりでその姿がはっきりお店出来ないのが残念ではある。


「という風に二人の夜は濃厚に過ぎていったのでした」
 と、セレンフィリティは巨大モニターに映し出される自分たちのシルエットを満足気に眺めている。
 その妖艶なボディを面積の小さなトライアングルビキニで包み、その上からコートを羽織った彼女の姿は、それだけで目立つ。特にプール帰りというわけではなく、これが彼女の普段着なのだ。そもそも、今は夢の中でも1月だ。
「……」
 セレアナは、モニターと横のセレンフィリティとを交互に眺めてはそっとため息をつく。
 今巨大モニターで映しだされている映像は、ほとんどがセレンフィリティの妄想である。実際のクリスマスには彼女らはつつましく過ごしており、もちろんそこは恋人同士のこと、それなりに愛のある一夜であったが、少なくとも画面の思い出には一部捏造の思い出が混じっている。

 この場合の一部とは、90%ほどを指すのだが。

 だが嘘の思い出とは言え、自分たちのあられもない姿が巨大モニターで放映されていることに変わりはない。セレンフィリティと違ってこれはさすがに恥ずかしいセレアナは顔を真っ赤にしてうつむいてしまう。
「あれ、どうしたの?」
 実にあっけらかんとした表情でセレンフィリティが尋ねた。
「どうしたのじゃないでしょ……!! こんな映像、恥ずかしいに決まってるじゃない……!!」
 ああ、そういう意見もあったか、と手を打つセレンフィリティ。言われるまでそこに気付かないあたりが彼女らしいというか。
 もちろん恥ずかしがるセレアナをひたすら眺めているのも実に楽しいのだが、あまりしつこくしてヘソを曲げられてもつまらない。どうせ楽しい夢の中なら、もうちょっと楽しくしようじゃないか。


『ちょっと、何よこれ……!!』
 画面の中ではセレアナが鬼の形相でセレンフィリティに迫っている。その手には何かの写真。どうやら、セレンフィリティに浮気の疑いがかけられているらしい。もちろんベッドから跳ね起きた二人なので、裸のままだ。
『い、いやその……それは違うの、ね? 落ち着いて?』
 珍しくうろたえるセレンフィリティだが、当のセレアナはそれどころではない。
『くやしいーっ!! あの女とは切れたって言ってたじゃないーっ!!』
 その辺の枕や時計を涙ながらに投げて抗議するセレアナである。


「……別な意味で何よこれ」
 モニターの映像のアホらしさに耐え切れなくなったセレアナは呟いた。セレンフィリティを横目で睨む。
「私……あんなこと言わないし、しないと思うんだけど」
 取り乱した自分の姿を見るのは、それはそれで恥ずかしい。セレンフィリティはと言うと、そんな彼女の心情はどこ吹く風だ。
「退屈な日常にちょっとしたスパイスを加えてみました?」
 やれやれ、と肩をすくめるセレアナだった。


 画面では、とうとう銃撃戦にまで発展した二人の痴話喧嘩にホテルが丸ごと炎上し、大惨事になっているところだ。

 映像が切り替わると今度は年末、正月準備で大忙しな二人。着物の着付けに苦労したり、新年を迎えたと言うのに年賀状の準備ができていないセレンフィリティに文句を言うセレアナ。大急ぎで印刷しようとしたらプリンタが壊れたり、イモ版を彫って刷ろうとしたら余ったイモと一緒に煮込んじゃってもう大変。


「……」
 セレアナはもう呆れて言葉も出ない。自慢げなセレンフィリティの横顔をただ眺めるばかりだ。
 よくもまあ、ここまで事実とかけ離れた妄想ができるものだ……とため息をつくが、はたと気付いた。

 ひょっとして、二人きりで過ごしたクリスマスの思い出を隠しておきたかったのだろうか?

「……」
 そう思うとなんだか顔が熱い。それをごまかすかのように、そっとセレンフィリティと手を繋いだ。そのままぴとんと腕を組む。
「……どうしたの?」
「……なんでもない」
 ダメだ、まだ顔が熱い。と、うつむいてしまうセレアナだった。


                              ☆


 黒崎 天音(くろさき・あまね)は夢の中のカフェテリアのテラス席で街の様子と巨大モニターの画面を眺めている。
「ふむ……面白いな」
 ぼつりと呟く天音に、パートナーのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は応えた。
「何が」
「見てみなよ、ここはツァンダの街だと思うんだけど、細部細部がずいぶんと違う。まあ、今はろくりんスタジアムに包囲されているけれど、それにしたってベースになっている街が随分と曖昧なんだ」
 ブルーズは興味なさそうにホットワインが入ったカップを呷った。
「ふん、夢の中だからな。それに、複数の人間の夢が混じっているんだ。本物とは違って当然だろう?」
 だが、微笑みを浮かべた天音はそれをやんわりと否定する。
「――いや、いくら複数の夢が混ざっているとはいえ、ベースになるのはあくまで招待者――カメリアの知識がメインのはず。夢では自分が知らないことは出せないからね……」
「……」
「とすると、彼女はツァンダのことをよく知らないのか? それとも……逆に縁が深いけれど、それを意図的に隠しているのか……興味深いね」
 ふむふむと喉の奥で笑う天音を、ため息混じりに眺めるブルーズ、どこかで聞いた気がすると思ってその主を探すと、TV画面の中だった。


『ん……そこ……うん、いいよ……』
 場所はよく見えないがどうやら自室のようだ。天音とブルーズ声がムード満点のアダルトなクリスマスサウンドをBGMにして響いている。
『……ここか?』
『っ! ……ああ、そこだ……上手だよ』


 ガタっと椅子を跳ね上げて立ち上がるブルーズ。だが、目の前の天音は涼しい顔をしている。
「やだなあ、何を慌ててるの? そんなに困るような記憶もないでしょ?」
 画面がクローズアップすると、脚立に乗った天音がクリスマスツリーの飾りつけをし、ブルーズがその脚立を支えている。
「どうしてただそれだけのことを、ああもいがわしく脚色できるかが不思議でならない」
「その方が面白いかと思って……もっといかがわしくしようとしてたんだけど、どうも映像自体にもカメリアの意思が反映されるみたいだね」
「もっといかがわしくって……はぁ」
 重々しくため息を漏らし、二杯目のホットワインを飲み干すブルーズだった。


                              ☆


 神代 明日香(かみしろ・あすか)は光る箒を操り、飛んで逃げるカメリアを追っていた。
「カメリアちゃ〜ん、おいたはいけませんよぉ〜」
 飛んでいるスピードはかなりのものだが、明日香の口調がのんびりとしているため緊迫感に欠ける。
「はっはっは! 待てと言われて待つ奴はおらーん!」
 こちらも緊迫感に欠けるカメリア、二人して追いかけっこを純粋に楽しんでいるようにも見える。
「どれどれ、お主の思い出はどんなかな?」
 カメリアが逃げながらバキュー夢を操作すると、巨大モニターにい明日香の思い出が映し出された。


 クリスマスの夜、エリザベート・ワルプルギスに手編みのマフラーをした明日香。
 元よりエリザベートが大好きでお付のメイドである彼女、さっそくエリザベートがマフラーを巻いてくれたことにうっとりとしている。
 マフラーが長すぎることに気付いたエリザベートが、ふわっと明日香にもマフラーを巻いてくれた。
 二人は、肩をくっつけてクリスマスの夜を過ごした。
 他愛もないおしゃべりをして、ただ、それだけ。
 でも、それが最高のクリスマス。幸せな時間――


「ああ、エリザベートちゃん可愛かったぁ……」
 いやもちろん今も可愛いけど、と明日香はうっとりと当時を思いだす。
 思い出なのでかなり美化されてはいるものの、おおむね間違いないあたりだ。
 カメリアはというと、特にイジリ甲斐のない思い出と判断したのか、ふんと鼻を鳴らした。

「ふん、ちょっと肩が触れたくらいでデレデレしおって、見よ、この顔」
 画面に明日香の顔がアップで映される。確かに、その目元は下がりたい放題下がり、口元は笑みに緩んでいる。
「ふ、ふーんだ。いいじゃないですか、大好きな人と過ごすクリスマスなんですから。誰だってそういう顔になりますよ」
「そういうもんかのぅ。それに、相手はまだ子供ではないか」
「あら、エリザベートちゃんの魅力が分からないなんて可愛そうな人ですねぇ」
「……大きなお世話じゃ」
 軽口を叩き合いながらも飛行を続ける二人。そこに割り込んで来る影があった。

 飛空艇ヘリファルテに乗った七刀 切(しちとう・きり)だ。
「待て待てーい! カメリアちゃんはワイが守るーっ!!」

 無理やり明日香に平行飛行し、徐々に距離を詰めて妨害していく。
「何ですか? 邪魔しないで下さいよーぅ、これからあの娘にエリザベートちゃんの可愛さを教えてあげるんですからぁ」
「いいや認めない! ワイはカメリアちゃんを守る! 可愛い少女のために!!」
 キリッと顔だけは真面目な顔をする切。

「思い出の幼女より目の前の少女!!」
 ――台無しである。

「はぁ……何でしょうこの人……」
 あきれ顔を返す明日香に、切が言ってはいけない一言を漏らした。
「それに、やっぱ間近で見たカメリアちゃんの方がエリザベートちゃんより可愛いし。あんなワガママ娘よりカメリアちゃんのほうが〜♪」
「――なんですって!?」
 瞬間、明日香の形相が変わった。
「エリザベートちゃんの可愛さが理解できないなんて! それにエリザベートちゃんはワガママじゃありません! ちゃんと年相応よ!!」
 ぎりりと歯噛みする明日香。
「ふ、というわけでワイはカメリアちゃんを全面的に支持! この体を張って守らせて貰うぜ!!」

「じゃあ死ね!!」
 渾身のサンダーブラスト!!
「ぎゃあああ!」
 いくら飛空艇に乗っていようとも、雷はかわせない。直撃を受けて黒コゲになる切だが、そんなことで倒れる彼ではない。

「まだまだぁ!」
「こっちもまだまだよぉ!!」
 続けてサンダーブラスト!!
「ぎゃあああ!」

 だが、そこは【何度でも立ち上がる】七刀 切!
 どんな危険おかしてもカメリアを守る盾になるさと明日香に喰らいつく!
 ついでに言えば明日香も充分にかわいいからこれはこれでイイし!!

「できれば直接殴ってほし――」
「いい加減にしなさい!!」
 どこまでもサンダーブラスト!!
「ぎゃあああ!」

「――危ない!!」
 交戦に夢中になっている二人は、カメリアの声で正気に戻った。いつの間にか眼前に迫ったビルの壁に驚く。

「――え」
「きゃあああ!!!」
 派手な爆音と共に盛大にクラッシュする切の飛空艇。明日香もその爆風に巻き込まれて見えなくなった。

 そこから離脱して飛び去って行くカメリアを、クド・ストレイフ(くど・すとれいふ)が見上げていた。
「……ふむ、切が上手く引き付けてくれたようだ……俺も動くとするかな……」


                              ☆


「暝き腐敗の園より――出でませ、死の霧よ」

 刹姫・ナイトリバー(さき・ないとりばー)は、彼女独特の呪文を唱えてアシッドミストを発生させた。そして、その毒性の霧を氷術で凍らせ、カメリアを追う者たちを妨害していく。
 フリルのついた黒いゴシック&ロリータに身を包み、包帯を眼帯の代わりに巻いて右目を隠している。
 彼女は特にカメリア達にも追撃者にも興味はない、ただ楽しそうだから妨害しているだけだ。強いて言えば、あえて秩序を乱す行動をすることでその退廃的欲望に対する飢えを満たそうとしている、と言ったところか。凍った霧に身動きが取れない追撃者たちを眺めて嘲笑う彼女。だが、次の瞬間その表情が一転する。

「黒き浄化の炎よ――罪深き愚者を焼き払い給え」

 刹姫の発生させた凍った霧がこれもまた独特の詠唱と共に炎術で消されていく。
 誰の仕業かは分かっている。刹姫は、振り向きもせずに語り掛けた。
「来たわね――ヨミ」
 ヨミと呼ばれたのは黒井 暦(くろい・こよみ)、刹姫のパートナーである。刹姫に対して白いゴシック&ロリータにその身を任せた彼女は、刹姫を見下ろすような形で佇んでいる
 何故パートナーである暦が刹姫の邪魔をするのか語らなければなるまい。
 巨大モニターと街中のTVに、赤い炎に包まれた街が映った。


 それは刹姫が14歳のクリスマス。
 とある一冊の本がクリスマスのプレゼントだった。その本の名は『シュバルツ・ブルート――深淵の契約者』、著者は『黒姫 サクラ』。
 刹姫は喜び勇んでプレゼントの包みを開ける。だが何ということだろう、その呪われた魔本は、刹姫の『闇』を操るという秘められた力に反応して人の姿を取ったのだ。
 それが黒井 暦と刹姫 ナイトリバーとの始めての出会いだった。

 そして暦はあろうことか刹姫の家族をその手にかけ、人々を呪い、街を蹂躙し、全てを支配しようとした。
 だがその暴挙は長く続かなかった、家族を喪った深い悲しみから立ち上がり、自らの強大な潜在能力を解放した刹姫により阻まれる暦。
 それは、一晩中続く長い戦いだった。しかし、暦の中の闇の力と自らの闇を同調させ、強制的に契約を結び、暦の力と凶暴性を抑えこむという刹姫の荒業により街は救われたのである。

 これが、刹姫と暦の出会った『鮮血のクリスマス』の一部始終である。


 ――という設定である。

 念の為に言っておくが、画面で語られた『鮮血のクリスマス』はほとんどが刹姫の捏造である。

 14歳のクリスマスのプレゼントが『シュバルツ・ブルート――深淵の契約者』なのは本当だ。
 だがそれを書いたのは刹姫だ。黒姫 サクラは彼女のペンネームだ。
 内容は当時の彼女が書き連ねた自作小説で、いわゆる黒歴史ノートだ。
 つまりただの同人誌だ。良く言っても自費出版だ。
 ご両親は今も実家で息災だ。
 自費出版されたその本を目にしたご両親に、その内容の酷さに二時間ほど正座で説教されたのも今ではいい思い出だ。
 そして実家の倉庫に封印されたその本にいつの間にか宿っていたのが暦だ。
 最近、ひょんなことから掘り返された際、刹姫との契約に至った、というわけだ。

「ふふふ……思いだすのう、サキと初めて会ったあの日のことを。どうかな、自らの過去を晒される気分は」
 もちろん、あの日とは『鮮血のクリスマス』のほうである。
 刹姫と暦の間では、そういうことになっているのだ。どうか勘弁してやって欲しい。

「ふ、過去などはとうに捨てたわ……そう、私はナイトリバー。夜の河を流れるこの刹那のみに生きる漆黒の女」
 ちなみに、彼女の本名は夜川 紗希であるが、パラミタでは刹姫・ナイトリバーで通している。
「さあ、楽しみましょう……この醒めることのないクリスマスを!!!」

 それが合図だった。お互いに距離を取り、呪文の詠唱を始める二人。
「刹姫・ナイトリバーの名において命ずる――深淵なる死の闇よ、凍てつく結晶となりて、彼の命を奪い給え!!」
 という設定のただの氷術!!!
 ちなみに、『刹姫・ナイトリバーの名において命ずる』の部分は禁じられた言葉だ。呪文はその都度任意だ。

 対する暦も負けてはいない。
「黒井 暦と古の契約において――出よ、漆黒の稲妻、何よりも速きその車輪で全てを蹂躙せよ!!」
 という設定のただの雷術!!!
 こちらも『黒井 暦と古の契約において』部分は禁じられた言葉である。
 詠唱呪文の文句はその都度任意で変更される。

 やっていることは中学生のごっこ遊びなのだが、その魔力は本物だ。
 魔法により発生した氷と雷が空中でバチバチと音を立てて相殺される。
 禁じられた言葉で強化された魔力は、街中に飛び散ってTVモニターやイルミネーションをショートさせ、氷を撒き散らした。
 はっきり言っていい迷惑であるが、そんなことは気にしない二人は延々ト魔法バトルを楽しむのだった。


                              ☆


 神楽坂 紫翠(かぐらざか・しすい)は、呆然とモニターを見上げていた。
 そこに映っていたのは、悪夢だった。


 燃え盛る炎。崩れていく建物。
 子供が泣いている、二人の兄の名を呼びながら。
 双子の兄はその子供を庇って、酷い火傷を負っていた。それでも、懸命に弟を助けようと痛む体に鞭打って、何とかその場を離れようとしていた。
 もう一人の兄は、倒れていた。自殺だった。どくどくとまだ血が流れ、その体はぴくりとも動かない。炎が体を焦がしていく。
 泣いている子供は、紫翠自身だ。
 幼い紫翠は、兄の惨状に、燃え盛る家に何もできずに泣いていた。ただ、兄の名を呼びながら泣いていた。

 血が赤い、炎が赤い、視界が赤い。全てが――ただ赤かった。


「紫翠様、紫翠様!!」
 呆然とする紫翠を、パートナーのレラージュ・サルタガナス(れら・るなす)が揺する。
 ようやく我に帰った紫翠は、辛うじてレラージュの瞳を見返した。額には汗がじっとりとにじんでいる。
「……ああ、自分は……」
「大丈夫ですか……?」
 何とか自分を取り戻した紫翠は、頭をぶんぶんと振って気分を落ち着ける。
「大丈夫……人に……思い出とか、見られると……」
「……?」
「かなり、恥ずかしいものが……ありますね」
 そう言って、苦笑いをして見せた。
 レラージュはその様子を見て、とりあえず大丈夫と判断したのか軽くため息をつく。

 紫翠はというと、額の汗を拭って怒りをあらわにした。
「まったく……忘れていたというのに、嫌な事を思いださせてくれましたね……覚悟してもらいましょうか」
 怒りの矛先は、もちろんその辺を飛びまわっているカメリアだ。
「行きましょう。飛んでいる相手に追いつくには飛空艇が必要です」
 飛空艇を求めて歩き出す紫翠、レラージュはその後に従った。

「それにしても……お兄さんがいたなんて初めて知りましたわ……双子だとは聞いていましたけれど……」
 歩きながら、振り返ってモニターをもう一度見るレラージュ。画面には炎の中から救出される紫翠と双子の兄が映っている。
「? どうしました?」
 レラージュが遅れていることに気付いて、紫翠が呼びかけた。
「何でもありませんわー!」
 と応えて、紫翠に追いつくレラージュだった。