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第1章 乙女とお菓子の甘い関係
 
百合園女学院校長室。
 桜井 静香(さくらい・しずか)は「本日の業務分」の書類の山に取り組んでいた。校長先生というのは、人知れずけっこう仕事があるものみたいです。
「静香様。そろそろ時間ですよ」
 十六夜 朔夜(いざよい・さくや)は、空になったカップを静香の前からそっと下げながら声をかけた。
「えっ!もうそんな時間……?!うわぁっ、急がなくちゃ!……あ、カップありがと」
 静香は顔を上げて、朔夜の姿をまじまじと眺めた。
「十六夜さん、ステキだねっ!それ、明日の衣装?」
 細身の黒いスーツに身を包んだ朔夜は、端正な顔立ちが映えて一層美しく見える。
「ありがとうございます。明日は、精一杯お手伝いさせていただきますね」
「うんっ、ありがとっ!明日のお茶会、楽しみだねぇ」
「楽しみですわね。明日はどんなお菓子をいただけるのかしら。静香様、早く見に行きましょうよ」
 ラズィーヤ・ヴァイシャリー(らずぃーや・う゛ぁいしゃりー)は、しびれを切らしたように言った。こういう時の彼女は、まるで、だだっこだ。
「ラズィーヤ、もう終わるから。もうちょっと待ってねっ」
「ラズィーヤ様、それにもうすぐ来客もあるのでは?」
 先ほど朔夜が静香に声をかけたのは、お菓子作りを見に行きたいというラズィーヤのためだけではないのだ。
「あっ、そうでしたわ。もうそろそろ、いらっしゃるはずですわよね。お庭で迷っているのかしら」
 ラズィーヤも時計を見て、心配そうに眉をひそめたところに……

こんこんっ

控え目なノックの音がした。
 静香が返事をすると、扉がそっと開き、透き通るように白い肌をした、少女が現れた。
「いらっしゃい。百合園女学院へようこそ」
「失礼、いたします……」
 迦 陵(か・りょう)は、静かな口調で言うと、朔夜に促されて、応接セットのソファに腰を下ろした。
「明日のお茶会で、歌を歌ってくださるんですよねっ」
 静香は陵の前に腰を下ろすと、本題を切りだした。
「はい。私でお役に立てるのであれば」
 陵が話す声は、まるで鈴の音のように、ころころと美しく響く。
「もちろんっ!陵さんの歌、とっても楽しみにしてるよ!あっ、もちろん、陵さんもお茶会はしっかり楽しんでね」
 静香と陵の前に紅茶を出すと、朔夜はそっとラズィーヤに囁いた。
「ラズィーヤ様、私と一緒に先に家庭科室に行かれますか?」
「うー……、そうですわね。静香様っ、十六夜さんと一緒に先に行っていてもよろしいですか?」
「うん。大丈夫だよっ!十六夜さん、よろしくね」
 静香はラズィーヤに優しい笑顔を向けた。朔夜は静香に向かって軽く会釈をすると、ラズィーヤのために校長室の扉を開けた。


* * * * *


 百合園女学院家庭科室。
 大和撫子を目指す百合園女学院の中では、もちろんとても充実した設備を誇る特別教室のひとつである。
 広々とした空間には、銀色に光る調理台とその上からは、ピカピカに磨き上げられた、レードルやターナーなどがつりさげられている。お菓子を作る生徒たちのために、静香とラズィーヤが用意した材料も、調理台いっぱいに広げられている。
 小麦粉や砂糖、たまごやチョコレート、ドライフルーツ、色とりどりのキャンディーやチョコレートスプレーなど、どう組み合わせても美味しそうな材料たちが、行儀良くお皿の中で出番を待っている。待っているのに……
「なななななんで!そんなものを入れようとしているんどすかっ」
 清良川 エリス(きよらかわ・えりす)は、ティア・イエーガー(てぃあ・いえーがー)の腕を「がっ」とつかんだ。ティアは可愛らしくスプーンとイチゴジャムの瓶をエリスに見せた。
「いやぁね〜。エリスってば、どうかしましたの?」
「それどすっ!それっ!!」
「これはイチゴジャムですわよ」
「その瓶がイチゴジャムなのはわかってるんどす!でも、今なにか、混ぜたどすよね〜??」
「なんのことかしら?エリスってば、怖い顔していると、ずっとその顔で固まってしまうわよ?ね?」
 急に話しを振られて邪馬壹之 壹與比売(やまとの・ゐよひめ)はビクッとした。
「えっ?え?……イチゴジャムはイチゴジャムでございますよね……?」
「そうですわよ」
 ティアがにっこりと笑顔を作ると、しかたなくエリスも口を閉ざした。
 次回はしっかりと、証拠をつかんでやるどすよ!

 イチゴはジャムにしても美味しいけど、もちろんそのままでも美味しいし、でもなんといってもイチゴのミルフィーユが最高だよねっ。
 秋月 葵(あきづき・あおい)は、ペティナイフでイチゴの葉をキレイに切り落とす。
 洗われたイチゴは瑞々しく、見るからに甘く美味しそうだ。
「あああっ!なにを混ぜ込んでるんどるか!!」
 ボウルに開けたイチゴジャムを前に、エリスの突っ込む声が聞こえるが、ティアは相変わらずどこ吹く風だ。
「んーと、どうかしたのかな?」
 なんだかさっきから揉めているらしい、エリスたちのところに、葵はぴょこんっと顔を出した。
「んー?イチゴジャムをね、クッキー用に、もう少し煮詰めたほうがいいのかなと思っているのですわ」
「ジャムクッキーにするなら、焼く前にジャムにグラニュー糖をかけるといいんだよ〜」
「あら、詳しいんですのね。よかったら、一緒に作りましょう。あたしたちみんな、そんなに家庭科は得意じゃないのよ」
「うんっ、いいよー!あたしでよかったら教えてあげるねっ」
 葵が自分の調理台に用意した材料を取りに行った。
「わたくし、手伝うでございますよ」
 壹與比売は、葵のあとをついていく。
「ティアー!!」
「なぁに?今日はエリス、騒がしいわよ?」
「秋月さんまで巻き込んで、どうするつもりどすかー!」
「巻き込むなんて……エリスってば、人聞きが悪いですわ。あたしたちみんな家庭科得意じゃないのは、本当ですわ」
「そ、それはそう……どすけど……」
「一口サイズのケーキを作りたいって、上手に作れる自信、ありますのー?静香様に食べていただきたいなら、美味しいものを作りたいですわよね?」
「う……、そう、どすけど」
「じゃあ、教えてもらうのがいっちばんじゃない!」
「そ……、そうどすなぁ……」
「あ……、おかえりなさいですわ。あら、美味しそうなイチゴですわね」
「おっまたせー!うんっ。イチゴのミルフィーユだよ。今、パイ生地はねかせてるとこっ」
「それは、スゴイでございますね」
 バレンタインですっかり甘いものに恐怖心を持った壹與比売でさえも、天真爛漫な葵の笑顔に、お菓子への興味がちょっと湧いた様子。
「すごくなんてないけどっ。でも、美味しいよ!さてっ、みんなは何を作りたいのかなっ?」
 葵は張り切って腕まくりをし、ティアはにこやかに寄り添った。そんなティアをエリスは少し心配そうな表情で見つめた。