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早咲きの桜と、蝶の花

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早咲きの桜と、蝶の花

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■第六章


 宵闇に沈む屋敷、浮かぶ丸い月。
 桜色の淡い煌めきを宿す、ほぼ満開の桜蝶の樹を背景に、ステージで踊る一人の男の姿があった。

 ラジカセの奏でるは和風の旋律。着物を身に付けた花京院 秋羽(かきょういん・あきは)は、蝶にも負けぬ優雅な動きで右へ左へ舞い踊る。決して激しいだけの動きではなく、可憐さを備えた舞いの型。すらりと細い首を反らして空を仰ぎ、秋羽の舞は続く。
 ふと、舞い降りた一匹の蝶。秋羽の白い指先へ静かに留まり、彼の動きに合わせ、離れては寄ってを繰り返す。滑らかな身体の動きは豪ではなく柔を思わせ、肌蹴た胸元から覗く薄い胸板はまるで女性のそれの如く妖艶な色を帯びている。
 暫しの時を経て、秋羽の舞は終わった。優雅に一つ礼をしてステージを降りていく彼を真っ先に拍手で出迎えたのは、讃岐院顕仁だった。
「気に入った。どうだ、我と少し語らわぬか。酒と肴は幾らでもある」
「俺は酒は飲めないが、是非ご一緒したい」
 そう言って、顕仁は弥十郎たちのシートへと秋羽を導く。細い肢体とは裏腹な秋羽の食べっぷりに一同が驚くのは、それからすぐのことだった。
「ほう、そなたは女形を……道理で」
「気に入ってもらえたのなら嬉しく思う、お望みとあればもう一曲舞おうか」
 では何か、との顕仁の要望に応え、秋羽の身体が再び舞を描く。踊る桜蝶と共に満開の桜に映えるその様子に、酒の入った一同からも拍手喝采が上がった。


 庭の中心から少し離れた場所、照明もあまり届かない一角へ小型飛空挺を止め、矢野 佑一(やの・ゆういち)ミシェル・シェーンバーグ(みしぇる・しぇーんばーぐ)を伴ってベンチへと腰を下ろした。仄かに輝く蝶のお陰で、ベンチからも桜の美しさはよく見える。そんな幻想的な光景を眺めながら、佑一は静かに口を開いた。
「桜蝶って初めて見たけど、綺麗だね。ねえ、ミシェル……?」
 揺れるミシェルの楽しげな様子に促され紡ぎ掛けた問いかけは、しかし気付けばぴたりと身動きを止めてしまったミシェルの様子を受けて疑問符へと切り替わる。縋るようなミシェルの視線を受けて、佑一はすぐに異常に気付いた。
「大丈夫だから、少しじっとしていてね」
 優しく宥める言葉をかけながら、異様に盛り上がったウサ耳フードの中へ、そっと手を入れる。そうしてそこへ潜り込んだ蝙蝠を優しく掴むと、夜空へ向けて放した。
「ありがとう、佑一さん」
「どういたしまして。まだ痛む?」
 薄く血の滲んだミシェルの首筋へ手早くハンカチを当てながら、心配そうに佑一は問い掛けた。涙目のミシェルを宥めるように片手でその頭部を柔らかく撫でると、ミシェルは素直にこくこくと頷いた。
「もう大丈夫。びっくりしちゃっただけだから、そんなに痛くないよ」
 ミシェルの言葉に、佑一は安心した様子で胸を撫で下ろした。
「良かった。また蝙蝠に襲われないように、こうしていよう」
 言って、佑一は丁寧にミシェルの手を取ると、そこを守るように包み込んだ。ミシェルの頬が淡く朱に染まり、嬉しそうにミシェルは双眸を綻ばせる。控えめにそこを握り返すミシェルの指先に、佑一もまた安心したように一つ頷いた。
「うん。それにしても綺麗だね、佑一さんと一緒に夜更かししてよかったよ」
 血は吸われちゃったけど、嬉しいな。繕いなく笑みを浮かべて述べるミシェルに、佑一も目元を綻ばせると、手を繋ぎ合ったままミシェルの視線を追うように美しく揺れる蝶の花へと目を戻した。


 満開の桜の樹から少し離れた、茂みの近く。遠目に桜蝶の輝きを窺えるその場所に、リュース・ティアーレ(りゅーす・てぃあーれ)ルディ・バークレオ(るでぃ・ばーくれお)の二人がいた。人混みを避けるように静かな場所へと移動してきた二人。おもむろにリュースの差し出した片手に、一拍間を置いて、ルディはその手を取る。
「エスコートですか。お受けしますわ」
 ムードにやや欠けた屋敷の庭を、リュースはルディを先導して歩いていく。やがて見付けたベンチへまずルディを腰掛けさせると、その傍らへ浅く腰を下ろした。
「ルゥさん」
「お話出来ませんわ」
 何か言いたげなリュースを制するように、先手を取ってルディが言い切る。戸惑うリュースへ、微笑みを浮かべたまま、ルディは緩く頭を振った。
「……オレは、ルゥさんの黒髪が白髪になった理由を知りません。多分、教えてくれないと思います」
 しかし、リュースは食い下がる。この機を逃すつもりはなかった。
 ルディの笑みは崩れない。だから、リュースは言葉を重ねる。
 彼女の笑顔の奥を知りたい。その奥に隠された彼女の悲しみを、少しでも解す力になりたい。
「オレだって話せないこと、ありますけど、でも、ルゥさん、いつもどこか寂しそうですから……気にかけてるんです」
「寂し……そう? 私が?」
 その言葉が、何かに引っ掛かったらしい。思わず驚いたように呟くルディへ深く頷くと、リュースは慎重に、はっきりと言葉を重ねる。
「ルゥさんは以前の自分とは違う、と言いますけど、オレは、ルゥさんのこと、信じてますから。だからオレ、ルゥさんの力になりたいんです……って、ルゥさん?」
 驚いたようなリュースの声。ルディの瞳からは、気付けば涙が零れ落ちていた。リュースが慌てて差し出したハンカチを受け取り、そっと目元を拭うルディ。しかし、涙が収まる様子はなかった。
「寂しそう、ですか……ふふ、ありがとう、リュース」
 瞳を潤ませながら、それでもルディは、笑みを浮かべて見せる。ハンカチを差し出したリュースの掌をそっと両手で包み、ルディは穏やかに言葉を重ねた。
「子供だとばかり思っていましたが、いつの間にか女性を気遣える青年に成長していたのですね。……なんだか、久し振りにときめきましたわ」
 本音か冗談か、ルディの真意を理解するだけの力は、未だリュースには無い。だが、掌から伝わる温かな温度と、月光に照らされたルディの面持ちが酷く美しく見えたのは確かだった。そしてリュースは、緩く頭を振ってその感情を振り払う。
(この甘さは、彼女と別れたオレにはまだ早いから)