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【カナン再生記】迷宮のキリングフィールド

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【カナン再生記】迷宮のキリングフィールド

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■第1章 坂上教会

 夜明け前が最も暗いとは、だれが言ったのか。
 ギィ……と蝶番がきしむ音を立てて、坂上 来栖(さかがみ・くるす)は教会の重いドアを押し開いた。
「これは直させなければなりませんね」
 そんなことをつぶやきながら中に入る。
 真っ暗で何も見えない。
 ここは坂上教会。来栖がそうあることを望み、成った場所だ。全精力を注ぎ込んだ場所。完成するまで何度となく足を運び、来栖自身、汗を流して働いた。そうして、やっと完成し、達成感に胸をふくらませたのがつい先日だというのに。
 その場所が今、こんな状態になっている。
「……ナメた真似をしてくれたものです」
 ふつふつと胸にたまり始めたものを自覚しつつ、足を運ぶ。
 祭壇があったはずの場所にふよふよと浮かんでいる――ように見える――5つのドアを足場に、一番上のドアまで飛び上がった。
 ドアの前にある見えない足場に悠々着地し、来栖は怒りのまま、ドアを蹴り開く。
「モレク!」
「……やぁ、来栖。だったっけ? モートの下の」
 正面、赤絨毯の続く玉座に、まるで居眠りでもしていたような怠惰な座り方をした青年モレクがひらひらと手を振って見せた。
 とんでもなく長い――教会の規模を思えば絶対にあり得ない――その距離を、来栖はずかずか歩き、階段の最上階をダンッ! と踏みしめた。
「おや、相当おかんむりのようだ」
「よくも私の教会を私抜きで好き勝手してくれたものですね…」
「ああ、ここってそうだったっけ?」
 何がそんなにおかしいのか……来栖から向けられた苛立ちの波動すらも笑えると、肩を震わせながらモレクは来栖を腕の下からねめつけている。
 知らないはずはないだろうに、ケロリとした顔でうそをつく、その態度が鼻につく。
「……アバドンさんに言われたので教会を使うことは良しとしました。
 ですが――誰がこんな素敵アトラクションにしろっつった、この阿呆がぁー!」
 来栖はいきなり飛び蹴りを放った。
 しかし来栖の足はモレクの体を突き抜け、残像を踏み締め玉座を蹴り倒すのみに終わる。
 耳障りなくつくつ笑いは続いていた。――来栖の背後から。
「キミは短気だなぁ。それでよくモートが我慢したものだね。僕にはとてもできないや」
 笑ってはいたが、声も視線も、突き放すように冷たい。
 来栖はまず、ここで見誤った。
「……始まったものは仕方ありません。今後、私がこのゲームの「ジャッジ」を務めます」
 大仰にため息をついて見せ、あくまで場を仕切ろうとする。
「ふぅん?」
「モレクさんも参加者、ラスボスなんですから公平な審判を下す人がいないと…ね。
 ジャッジをするうえでモレクさんの力でルールを設定してもらいます。ここはあなたが作った空間なんですから、できるでしょう?」
「うん、まぁ、できるけどね」
 横柄な態度を面白がるように、モレクはポケットに指を突っ込み、斜に構える。
「1.誰も私に干渉するな(ジャッジをしたら攻撃される、なんて御免ですから)
 2.私が敗者と決めたものは強制排出(触る等のアクションで)」
「それだけ?」
「もう1つあります。審判を務めるわけですから、私に解毒剤を渡してくれませんか?
 もちろんそのまま逃げたりしませんよ? なんでしたら「私は教会から逃げられない」ってルールをつけてもらっても構いません」
 自分で蹴倒した玉座を起こし、座って頬杖をつく。
 来栖の二度目の過ち。
 悠然と足を組む来栖に、モレクは告げた。
「ほかには?」
「そうですね……仮面をください。あとは今は思いつきませんね。思いついたらお知らせしましょう」
「ああそう」
 次の瞬間、来栖の下で玉座が消えた。
「!?」
 声を上げる暇があればこそ、何もない闇の中を、来栖はどこまでも落ち込んでいく。
「ばかな子どもだ」
 やれやれと肩をすくめる。
 来栖を飲み込んだ闇が消えたあと、そこには再び彼の玉座が鎮座していた。
「モートも自分の子飼いぐらいきちんとしつけておいてくれなくちゃ困るなぁ。ルール(きまり)を守れない子は、僕はキライなんだよ。
 ま、モートに免じて殺さないではおいてあげるけどね」
 いや、これも殺したことになっちゃうのかな?
「まぁいいか。どっちでも」
 座り直し、ずるずる背中を滑らせた。まるでだれも来なかったと言わんばかりに、来栖が現れるまでと同じ姿勢で頬杖をつく。
 横に流した彼の視界に、ミニテーブルに乗った解毒剤が入った。
 ステンドグラスからのかすかな光を弾くそれを見て機嫌が直ったのか、再びモレクの口端が釣り上がる。
「あーあ。早くおいでよ、イナンナの希望たち。せっかくこの僕がこうやって待ってあげてるんだからさ」
 その嗤いは、しかしぎらつく金の瞳まで届いてはいなかった。



*          *          *


 バァルと{bold女神イナンナ{/bold、そしてコントラクターたちが書状に記されていた場所に着いたとき、空はもう完全に明けていた。
 文面になかったとはいえ、どこに手勢が潜んでいるとも限らない。警戒し、かなり手前で馬を止め、ディテクトエビルや禁猟区を使う者もいたが、それらしい気配はなかった。
 あの教会以外では。
 坂上教会。
 正面入り口には尖塔があり、脇には小ぶりだが鐘楼塔もある。華美な装飾はない。2階建ての、品よくまとまった素朴な教会だ。
 概観から特定の宗教色をわざと抜いたのにはわけがあった。ここは宗派に関係なく、だれもが「祈る」ために来られる場所。どのような者であれ、分け隔てなく、平等に心の安らぎを得る場所となるよう願いを込めて建てられた場所のためだ。
 そこが「魔」にのっとられた。
 馬上から眺めた限り教会は、これまでの坂上教会となんら変わりなく映ったが…。
「あそこに魔女がいるのね」
 早朝の風に吹き流される髪を押さえながら、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)は頬をゆがめた。
 教会に魔女。
 この皮肉さ。
 あるいは、魔女モレクにしてみればそれもジョークなのかもしれない。あの書状の文面からして、その可能性は限りなく黒だ。
 ただの魔女ならばよかったが、あの魔女は、そこを戦場へと変えてしまった。たとえ建設にかかわった者でなくても、神聖な場が汚されたという不快な気分を払拭できない。
 それだけで緋雨は、モレクという魔女を倒す理由としてあまりあると思った。
「5つの部屋に5枚のカードがあり、そのカードが1枚でも欠けるとモレクの部屋に入る資格を得られない……これって5室全勝しないといけない、全勝した後でモレクにも勝たないといけない、ってわけなのよね。モレク側は1勝でもすればいいなんて。ずいぶん不公平な条件ね」
 こんなの、ルールとは言えないんじゃない?
 緋雨から向けられた問うような視線に、天津 麻羅(あまつ・まら)は素っ気なく肩をすくめた。
「仕方なかろう。わしらのほしいものを向こうが持っておるんじゃ。どうしても向こうに分がある」
「そうね…」
 しかも、相手の言うがまま、相手の土俵で戦うしかないとは。どう考えても不利すぎる。
 もしも相手が1室のみに戦力を集中していたら、それだけで詰んでしまう。こちらは分散せざるを得ないのに。
 だが、そうと分かっていても、受けないわけにはいかなかった。これにはセテカの命がかかっている。
(セテカさん…)
 ほんの数日前、城を訪れた自分たちをにこやかに出迎えてくれたセテカの姿があざやかに脳裏に浮かんだ。
 しがみついた体は温かく、生気にあふれていて……その目も、表情も、いきいきと活力に満ちていた。
 彼女のいたずらにすっかり驚いた顔。まるで鳩が豆鉄砲でもくらったような……今思い出してもくすりと笑いが口をつく。
(あのくらいの悪戯じゃ、まだ私の気は全然晴れていないのよ。だからセテカさんが無事助かったら、もっと意地悪するわ。もっと、もっと、困らせて、たくさん笑わせてあげる)
 だから…………だから、必ず助けるわ。
「行くぞ、緋雨」
 黙りこんだ緋雨の目から固い決意を読み取って、麻羅が促す。
「ええ」
 緋雨は教会を見据えたまま、馬を前進させた。


「ラルム、ここで待てるか?」
 小さな花妖精ラルム・リースフラワー(らるむ・りーすふらわー)を、ひょいっと馬から抱え下ろし、ルーツ・アトマイス(るーつ・あとまいす)は優しく話しかけた。
「ここで…?」
 夜が明けて周囲が見え始めたとはいえ、全く知らない場所。どこに何がひそんでいるかしれないと、葉擦れの音にビクつきながら、ラルムはルーツの言葉をそのまま返す。
 袖端を握り締めた小さな手。出会ったときからずっと、この小さく頼りない手はだれかの服端を握り締めていた。
 風の音にすらおびえるこの小さな子どもは、一体今までどうやって生きてきたのだろう?
 鴉からすれば、その自意識の低さが劣等感の塊同然の卑屈さに見えて、嫌悪につながるのだろうが、ルーツは考えずにはいられなかった。この寄る辺なく震える子どもの身に起きたことを。きっと、それは平坦な道ではなかったのだろうと…。
 いつか聞かせてもらえたらと思うが、さすがに今はその時ではない。
 ルーツはそっと手を開かせ、袖を抜いた。
「いや…! 置いてかないでっ」
 溺れる者が流木を得ようとするかのように、再びルーツにしがみつこうとしたその手を握り止める。
「大丈夫だ。あちらの人たちもここで待機しているそうだ」
 ルーツはラルムの後ろを指す。ラルムが振り返ると、そこには火村 加夜(ひむら・かや)がいて、目が合うとにっこりほほ笑んでくれた。
 優しげなおねえさんに、ラルムも少し安心する。
「ここでの用事が済み次第、私たちも出てくる。どこにも置いて行ったりはしない。あそこに入るだけだ」
「ボク……ボクもついて行っちゃ駄目…?」
「あそこは危険なんだ。おまえを連れて行くわけにはいかない」
「おい、いつまでそんなチビにかかずらってるんだよ。行くぞ、ルーツ。遅れちまう」
 イラついた気分そのままの声で蒼灯 鴉(そうひ・からす)の呼ぶ声がした。
 冷たい敵意の目で見下ろされ、ラルムはこそこそとルーツの影に逃げ込む。
「もう少し待ってくれ。――ラルム、おとなしく聞き分けてくれるな?」
「――う、うん…」
「いい子だ」
 頷くラルムの頭をなでて加夜の方に押し出すと、ルーツはアスカや鴉の元に向かった。離れて行くその背を見送るラルムの足がのろのろと止まる。
「……ボクだけ、置いてけぼり、イヤ…」
「ラルムちゃん?」
 驚く加夜の前、ラルムは3人の消えた教会に向かって駆け出して行った。