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空大迷子

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空大迷子

リアクション

 人々の間を縫うように駆けていく。これがいつもの空京大学ならその辺の教授に捕まって説教されてもおかしくなかった。
「待ちなさい、チェリッシュちゃん!」
 渡り廊下を駆けていく空色のショートカットに、佐々木弥十郎(ささき・やじゅうろう)佐々木八雲(ささき・やくも)は顔を見合わせた。
「さっきのって……」
「ああ、トレルだな」
 途端に身だしなみを気にし始めた兄に、弥十郎は『行動予測』にて彼の言い出すであろう言葉を思い浮かべた。それからそわそわと落ち着かない八雲へ言う。
「気になるなら追いかけたら?」
 八雲ははっとすると、やはり服装を気にしながらトレルの消えた方向へ駆け出していった。弥十郎の用事にたまたまついてきただけだったので、あまりお洒落じゃなかったのだ。
 そんな兄を見送って、弥十郎は近くのカフェへと足を向けた。――どうせ、また「トレルに何か甘い物を」と言い出すのだろう、あの兄は。

 自由見学会だからか、外は騒々しくて当然だ。
 白砂司(しらすな・つかさ)は膨大な数の資料を前にして、パートナーのサクラコ・カーディ(さくらこ・かーでぃ)へ言った。
「獣人の歴史を調べるなら当人たちに聞いて回るほうがいいが、それだと誇張も多くなるし、神話に変容して信憑性に欠けることも多い」
 サクラコの手にした『桜獣説話集』は彼女の先祖について調査した本だったが、裏付け資料が少ないため信憑性に乏しかった。
「つまり、獣人とは一線を置いた立場の資料にこそ、客観的な歴史が書かれていると考える。その点、名家や大商人の帳簿は記録範囲も広く、貴重だからな」
 隣の研究室から何やら騒々しい音が聞こえてきたが、司は気にしないよう努める。
「一流研究機関である空大にはこれほどの資料があったわけだが、量が多すぎて整理は困難だ。つまり、この膨大な印刷物の中から獣人にまつわるもの、中には直接獣人と書かれていないものまで、一つ一つ確かめていくしかない、というわけだな」
「そうですね。地道な作業ですけど、古王国時代の表舞台に獣人がいたかどうか、それだけでも分かれば、まず一つ大きな前進といえますしねっ」
 と、サクラコがやる気たっぷりに言う。
 二人が手分けして資料に目を通し始めたとき、再び隣室から物音がした。
 思わずそちらを見てしまった司にサクラコが口を出す。
「ユリちゃんが気になるなら、混ざればいいじゃないですか」
 司ははっとすると慌てて言葉を返してきた。
「べべべ、別に、藤原のことなんて俺は何とも思ってないからな!」
「そうですか? ほっとくと荒野の方とかにユリちゃん取られて、あんなことやこんなことですよ?」
 じーっと視線を向けられ、司はわざとらしく資料へ目を向けた。
「だ、だから何だと言うんだ。ここには研究をしに来たんだ、藤原に関わっている暇などない」
 サクラコは疑いの目で彼を見ていたが、その内に飽きて作業を再開させた。
 すると、司ががたっと席を立って吐き捨てるように言う。
「……ちょっと休憩だ」
「――行くのは良いですけど、司君はまず、裸見ても鼻血を出さないようにするとこからですよねっ」
 以前の出来事を蒸し返されて、司はその考えにとりつかれてしまう。それとともに、彼の足は動きを止めてしまうのだった。

 空京大学に通う学生には、空京大学を波羅蜜多実業空京大分校と信じ切る者たちが少なからずいた。その一人が藤原優梨子(ふじわら・ゆりこ)だ。
「大学にはもう慣れましたか?」
 と、集まった学生たちへ尋ねる。彼女は先輩として後輩の面倒を見ているつもりだった。しかし、様子がちょっとおかしい。
「講義で分からぬ点がありましたら、前年度のノートをお貸ししますので言って下さいね」
 類は友を呼ぶのか、優梨子の元にいるのは見た目からしてパラ実出身の者たちと、首狩族の者たちだった。しかも優梨子の自作の干し首がいくつも置かれているため、ここが文化人類学の研究室であるとは、一般の人々は想像もしないだろう。
 勉強について行けないと意見したモヒカンの学生に、何者かがぬっとノートを差し出した。振り返った彼は少し驚いたものの、モケレ・ムベンベ(もけれ・むべんべ)のつぶらな瞳は優しげにこちらを見つめていた。
 モケレのくわえたノートを受け取ると、恐竜によく似たドラゴニュートは別の学生へと目を向けた。身体が外に出ている彼女は窓から首を出して優梨子の会合に参加しているのだが、その足下はわいわいと賑やかである。
 後輩たちとのおしゃべりを楽しんでいた優梨子の元に、宙波蕪之進(ちゅぱ・かぶらのしん)が数名のパラ実生と織田信長(おだ・のぶなが)を連れて戻ってきた。
「お嬢、これで全員ですぜ」
 と、後輩たちを先に室内へ入れる蕪之進。
 空京大学へ多くの生徒を送り出してきた夜露死苦荘オーナーの織田信長は、そこに集まった面々を見て目を光らせた。
「早速だが、ここから逃げ出そうなどと考える者はおらぬな?」
 その殺気にびくつく一同。
「結果を出すまで学び舎より逃げ出す事、罷り通らぬぞ!」
 信長の意としては、夜露死苦荘オーナーとして生徒たちの進退を案じているのだった。しかし、ただの説教に聞こえるので怯えざるを得ない。パラ実生などの蛮族でなければ、彼の話などまともに聞けないことだろう。
 空京大学に入ってしまったばかりに、彼らはいつだって信長に見張られていた。彼の目が届かないところには彼のフラワシ『第六天魔王』がいることもあり、言葉通り逃げ出すのは無理だ。
「ああ、そうでしたわ。この干し首のことなのですがけれど――」
 優梨子が少し声を潜めて首狩族と干し首談義を始めた。
 最近作ったばかりのそれに手を伸ばし、優梨子は異変に気がつく。干し首の隣に置いていたはずの『さくらんぼ』が見当たらない。どこかに落ちているのかと探し始める彼女に、蕪之進は嫌な予感を覚えた。
 廊下からちらっと見ただけだが、そこには何やらバドミントンらしきネットが張られていたのだ。しかも、その中心人物はよく知っているあの――。
 蕪之進は冷や汗が流れるのを感じながら、ぼそりと呟いた。
「……デカラビアの旦那、何てことを。まさか、☆首(ほしくび)になりてぇのか……?」
 星だけに。

 研究棟を訪れる見学者たちに南鮪(みなみ・まぐろ)は片っ端から声をかけていた。
「ヒャッハァ〜! お前らも来いよ、空京大分校! そうだな、特別にただでこれをくれてやるぜ!」
 と、取り出したのは『波羅蜜多実業空京大分校卑通勝法』という一冊の本だった。受験生向けの参考書らしいが、どちらかというと一般的ではない。
 しかし鮪は何の疑いもせずに一般人の見学者たちへ言うのだ。
「っつわーけで、絶対来いよな! ついでに新品のパンツも、今はいてるパンツと交換してやるぜぇ!」
 ばっと掲げられたパンティーに、見学者たちは微妙な顔をして鮪から遠ざかっていった。
 すると人形をぎゅっと抱いた女の子が近づいてきて、じっと鮪の頭を見上げてきた。どうもモヒカンが珍しい様子だ。
「ん、お前も空京大分校に入るか?」
 と、また本を取り出す鮪。
「いけません、チェリッシュちゃん!」
 慌てた様子で空色のショートカットのお嬢様が走ってきて、女の子は振り返った。
 そして保護者が追いつく前に再び走り出す女の子。
「ああ! どうしてそんなに逃げ……まったく、将来が心配です!」
 後からのんびり走ってきた猫娘が「トレルの将来も心配だよー」と、二人を追いかけて行く。
 鮪は彼女たちを見送ると、何事もなかったように声を張り上げた。
「おい、そこのお前! 空京大分校に来いよ! 今ならただでこれをくれてやるぜ!!」

 研究棟を一歩出たところでラピス・ラズリ(らぴす・らずり)は働いていた。
 飾るには気の早い『2019クリスマスツリー』を柱にし、『ゴブリンの腰布』をネット代わりに張っては消臭剤をシュシュッと吹きかける。
「うん、あとは柱の足に『ネコ車』をセットして……移動式ネットの完成!」
 と、笑顔を浮かべるラピス。
 それはどこからどう見てもバドミントンをするようなネットではなかったが、五芒星侯爵デカラビア(ごぼうせいこうしゃく・でからびあ)はスリッパを手にコート内へ入って来た。
「よし、これで試合が始められるな」
 と、ラケット代わりと思われるスリッパで素振りをしてみせる。人並みに背丈はあるものの、その姿は大きなヒトデだ。
 明けの明星ルシファー(あけのみょうじょう・るしふぁー)もまたテニスのラケットを手にコート内へ来て、相手コートを睨む。
「ジーザス、俺の『ルシファーゾーン』を見るがいい」
「いや、待て。その前にダブルスでやるには人が足りないぞ」
 と、ジーザス・クライスト(じーざす・くらいすと)。彼の手にはかの有名なロンギヌスの槍のラケット版が握られていた。見た目ではこちらの方が強そうだ。
 唐突にコートを横切るようにして走ってきた女の子に、デカラビアたちは視線を注いだ。それに気づいてか、端で立ち止まるチェリッシュ。
「すみません、すぐ退きますから!」
 と、後から来たトレルがその小さな身体に手を伸ばすと、ルシファーが言った。
「そこの小娘を、プレイヤーとして入れてやろう」
「は?」
 再び走り出そうとするチェリッシュをマヤーが捕まえ、ラピスがデカラビアの用意したスリッパをトレルへ手渡す。
「バドミントンだよ」
「え、バドミントン?」
 何やらおかしなことに巻き込まれてしまったようだ。
 困惑するトレルの手を湯島茜(ゆしま・あかね)が引いてジーザスの隣へ並ばせた。
「バドミントンの歴史は古く2000年前のギリシャに端を発し、これがアレクサンダー大王の時代にインドに伝播、ここから東アジアにまで伝わった。日本の羽つきもこの競技の亜種と考えられる。バドミントンが今の形式と名称となったのはイギリス統治下のインドでのことだが、その名前の由来は「バド」+「ミントン」であり、前半のバドはインド最大の哲学者ブッダ、後半のミントンは失楽園を現したミルトンに由来する。シャトルを撃ちあうバドミントンは、神々が焔の矢を投げ合う最終戦争を模したものなのである」
 と、どこかの文章を引用して茜は笑った。
「っていう本を読まされたよ! よくわからないけど空京大学といえばインド! あと神様とか悪魔がいるのも空京大学!」
「え、そうなんですか?」
「そうだよー。だから、空京大学最大のスポーツがバドミントンなのも、仕方がないことなんだよ!」
 よく分からない説明をされ、トレルはさらに困惑する。
「よし、じゃあさっさと始めようぜ」
 と、ルシファーがデカラビアからシャトルを受け取った。しかしそれはシャトル代わりの『さくらんぼ』であり、まともなシャトルではない。
 何の躊躇もなくサーブされ、試合が始まる。ジーザスが、ぱん! と、二つの首を打ち返す。
 トレルはマヤーに目で助けを求めたが、マヤーは呆れたようににやつくばかりだ。すると、腕の中に収まっていたチェリッシュが人形を地面へ落としてしまった。それを取ろうと腕を伸ばすチェリッシュ。マヤーが代わりに拾おうとかがんだところで、チェリッシュは隙を突いて地面へ降りると人形を手に逃げ出した。
「チェリッシュちゃん!」
 チャンスとばかりにスリッパを放り出し、トレルはすぐさまチェリッシュのあとを追った。先ほどまでトレルがいた場所に『さくらんぼ』が落下し、デカラビアとルシファーがハイタッチをした。
 ジーザスがはっとして二人を睨む。
「勝負あったな、ジーザス」
 と、悪魔たちが不敵に笑う。
 研究室の窓から首を戻したモケレがその様子を興味深そうに眺め、対向の廊下では立川るる(たちかわ・るる)が望遠鏡を覗き込んでいた。
「……お星様、見えないかなぁ」
 と、呟くるる。
 再び試合が再開され、空高く何かが飛んでいった。
 大きなヒトデの放ったそれを見て、るるははっと目を瞠る。
「流れ星!?」
 昼間からそんなものが見えることはないので、もちろん違う。それはただの干し首だ。
 そう気づいたるるは、手元のノートに今見えたものを簡単に書き留めた。新しい未発見の星かもしれない。
「星、星……首……? あとで調べなきゃっ」
 地上では変わらず神と悪魔が争っている。
 ――そういえば子どもの遊びとかって神事の真似事とも聞いたことがある気がするよ。もしかしてこれは、遠い星の神話と何か関係が……!?
 るるは彼らの動きを観察することにした。ただのバドミントンでも、星に関係しているなら放っておけないるるだった。