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あなたと私で天の河

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あなたと私で天の河
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●VICISSITUDES OF FORTUNE

 焼きそば屋台の暖簾をくぐって、精悍な顔つきの少年が姿を見せた。
 少年、と呼ぶには大人びたところがある。
 しかし、青年と呼ぶにはまだ、少年らしさが残っていた。
 そんな顔だ。整った顔立ちであることも言い加えておく。
「ここにいたか。少し、探した」
 柊 真司(ひいらぎ・しんじ)であった。
「久しぶりだなユプシロン。いや、今はユマ・ユウヅキか」
「柊真司さん、でしたね。その節は……」
「元気そうだ」 
 二つ、と注文し、代金をテーブルに置いて真司は告げた。
「少し、顔を貸してもらえないか?」
「あの……ちょっと待って下さい」
 小走りで戻り、
 いいですか、とユマは琳鳳明に問うた。
「いいけど……もしかして、彼……」
 鳳明はそっと、ユマに耳打ちする。
「もしかして、ユマさんの……恋人?」
「えっ? なぜですか!?」
「いや、なんとなくそんな気がして……」
「そういうのじゃないです。そもそも、私、ずっと収容されているからあまり教導団以外の方とは接点が……」
「ふーん。それならそれでいいですけど……じゃあ、好きな人だったり?」
「だからどうしてそういう話になるんですかっ。会ったのは二度目ですし、そもそも彼は面会に来てくれたことだってありません!」
「来てほしかったんですね?」
そりゃあ少しは……ですからっ!」
 いちいち真剣に応じるユマはなんとなく可愛らしかった。
「なーんて、あんまりからかっちゃだめですよね」
 ふふふと笑い、いってらっしゃい、と鳳明はユマを送り出した。

 数分歩いて、人のまばらなあたりまで来た。
 真司は焼きそばの入った袋を、
「持っててくれ。ほしければ、食べてくれていい」
 パートナーのヴェルリア・アルカトル(う゛ぇるりあ・あるかとる)に手渡した。
 受け取りはしたものの、ヴェルリアはあまり納得顔ではない。
「真司。その人は誰ですか?」
 やや声が怒っている。
 真司に七夕祭りに誘われて以来、ヴェルリアは本当にこの日を楽しみにしていた。
 しかし、来てみれば真司はずっと人捜しをしていた。祭りより人捜しが本題だったかのようだ。
 それだけならまだいい。
 ようやく会えた相手というのがあの美人だ。すっとした一重瞼、儚げな雰囲気もある。少なくとも自分よりずっと大人っぽくて、真司と並ぶと似合いに見えるところもヴェルリアにとっては不満だった。
 そんなパートナーの心の機微を察さず、真司は簡単に答えた。
「ユマ・ユウヅキ、前彼の知り合いだ」
 そして彼はユマと話した。これまでのことを、短いながら確認しあう。
「何体かお前の姉妹に会ったが、個性的な連中ばかりだな」
「でしょうね……本当はいい子も、いるのですけれどね……Ρ(ロー)やΠ(パイ)のように……」
 予告もなく、真司は言葉の伝え方を変えた。
「テレパシーだ。聞こえるか?」
 ユマがうなずくのを見て、続けた。
「今日、おまえに会いに来たのはほかでもない。高周波による会話プログラムを、教えてもらえないかと思ってな。おまえたち、クランジの姉妹(シスター)が会話に使っている種類の……」
 ユマは首を振った。
「ごめんなさい。機密事項ですので。この知識はもう、教導団の財産です。下手に他校に漏洩すると、私はともかく、お目付のクローラ・テレスコピウムさんが罰されるかもしれません」
 ユマは頭を下げた。
「すまなかったな。俺も配慮すべきだった」
 真司は通常の発声で告げた。
 しかし、ユマの話はこれで終わりではなかった。彼女は、
「私の兄弟(ブラザー)なら力になれるかもしれません」
 と謎めいた一言を加えたのだった。
 そして真司から目線を外したユマは、信じがたいものを視界の端にとらえた。
 反射的にユマは悲鳴を上げた。
 絹を裂くような悲鳴を。

「ぁー……」
 大黒美空は足を止めた。悲鳴に驚いて、止まった、というのが正しいだろうか。
 バロウズや朝斗、陣、ローザ、スカサハが美空を隠そうとしたが間に合わない。
「クシー……! 二度蘇って、とうとう私を殺しに来たのですか!」
 ユマは美空を指さしたのである。
「ユマ、どうした! クシーだと……!?」
 真司は反射的にユマを背にかばった。クローラとセリオス・ヒューレーも飛び出してくる。
 だが真司らの制止は間に合わなかった。
 ユマは無助走で宙返りして、着地するや腰を落とし、右膝を付いて左膝を立ててい。
 右腕はまっすぐ、前方につきだされていた。
 右腕からは長さ三十センチ強、直径三センチの尖った鉄串が飛び出してくる……はずだった。一度クシーに殺されかける前ならば。
 それに気づいたか、ぎり、と奥歯を噛みしめ、それでもユマ――クランジΥ(ユプシロン)は強い語気で言った。
「たとえタイプII(ツー)が相手でもただでは殺られません! それに私の大切な人たちにも、周囲の誰にも、怪我ひとつさせない! 命に替えても、倒す!」
 菫色の髪が、戦闘エネルギーの放射を受けてか、ゆらりとかすかに浮き上がっていた。
「あ……! あーっ……!」
 美空は、顔を手で覆って後退した。指の間からずっとユプシロンを見ている。何度もまばたきし、嬰児のように繰り返した。
「あっ……!」
 と。
 その背をバロウズが抱きとめる。
「大丈夫、大丈夫だから。いい? 落ち着いて……!」
 アリアも美空の背中をさすった。燃えるほど熱くなっている。なにかが美空――クランジΟΞ(オングロンクス)の身にも起こっているのだ。
 なだめるべき立場だというのに、バロウズも全身が粟立つのを覚えていた。クランジ同士が呼び合っている。そして呼ばれているのは、自分(クランジΩ)も例外ではないのだ。

 しかしこのとき、激しい緊張状態にあるのは彼らのみではなかった。
 騒然となったこの場所を取り巻く者の中には、クランジΡ(ロー)の姿も紛れ込んでいたのだ。
「クシー、死んだ、はず……」
 ローは人をかきわけ、騒動の只中に飛び込もうとした。
 だが彼女の肩に、力強く置かれる手があった。
「……待ちなさい」
 東園寺雄軒である。
「私は約束しましたね。ミスティーアも言った筈です。あなたを、必ずΠ(パイ)に会わせると。あなたがここで出て行ってどうなるというのです? むしろ、捕らわれるだけ。だから止めます」
「いいわね。落ち着いて、ローちゃん。はい、深呼吸、すー……はー……さあ、ここから離れるわよ」
 ミスティーア・シャルレントもローをなだめた。
「騒ぎが大きくなれば、捕まっちゃうかもしれませんよ。それは嫌でしょう?」
 水無月睡蓮がローの顔を覗きこむと、
「うん……」
 ローは渋々ながら応じた。
「いまのうちなら誰の注目も浴びないよ。急ごう」
 ケイラ・ジェシータが呼びかけ、大柄なバルト・ロドリクス、ドゥムカ・ウェムカ(大ドゥムカ)がローを隠すように後方に立つと、一行は用心しながら離れていった。

 雄軒一行が立ち去るのと前後して、乾いた音が一つ、響いた。
 音はユマの顔が立てた。
 革の教鞭が彼女の顔を横殴りにしたのだ。
 強烈な勢いに、ユマ・ユウヅキは地面に倒されてしまった。
「捕獲しろ」
 顔の右半分が焼けただれた軍人……ユージン・リュシュトマ少佐が打擲したのである。
「聞こえんのかクローラ! ユプシロンを捕獲しろ!」
「……ハッ!」
 血が出るほどに唇を噛みしめ、クローラはユマにサンダーブラストを浴びせ、動けなくなった彼女の後ろ手に電子手錠を填めた。
 ユマは連行された。頬が腫れ、唇から血を流していた。彼女は一度、リュシュトマを上目づかいで見たものの、何も言わなかった。
 真司たちは止めようにも、ユマの立場を考えると手を出せなかった。
 しかし当面の脅威が去ったわけではない。いつの間にか朝斗たちは、包囲されていたのである。
 敵意の籠もった視線も感じる。クランジΞの悪行は、それほどまでに知れ渡っているのだ。
 あのリュシュトマという軍人が一声発すれば、美空は……興奮気味の顔のまま震えているクランジは、捕獲されてしまうかもしれない……。
 そのとき、
「うちの者が迷惑をかけた」
 その声とともに、包囲が左右に開いた。
 金鋭鋒、教導団の団長である。
「彼女……クランジΥはそちらのご婦人を、どうやら敵と誤認したらしい。すまない。教導団を代表して謝罪する。やはりまだ、彼女は外に出せる状態ではなかったようだな。しかるべき罰を与え、独房に戻しておく」
「しかし、確かに『クシー』って聞こえたぞ!」
 一連のやりとりを目撃していた者が、群衆の中から抗議の声を上げた。だが鋭鋒は動じない。
「クシーもオミクロンも死んだ。他人の空似だ」
 と、たったの一声で野次を黙らせたのだった。
 声を荒げたわけではない。しかし、刃物のような目で鋭鋒が周囲を睨め回すと、場は、水を打ったように静まり返った。
 これで騒動は収束する。野次馬は散っていき、会場は平穏、それに楽しい空気を取り戻した。
「感謝します。団長」
 ローザマリアが頭を下げたが、
「公式見解を述べたまでだ」
 鋭鋒は簡単に、そう告げるに止めた。