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リアクション
第三章
1
月島 悠(つきしま・ゆう)は、自らの判断の甘さを悔やんでいた。
いや、判断が完全に失敗だったかといえば、そうでもない。
悠の睨んだ通り、ゾンビたちには光輝属性の攻撃がそれなりに効果的なようだし、その数をみるみる内に減らしている。この戦果はむしろ期待以上だ。
ある意味で悠の判断は正しかったとさえ評しうる。
だが、ならばなぜ。
「オバケなんて、滅んでしまえーーーーー!!!」
なぜ自分は、床に伏せつつ、パートナーの暴走に振り回されているのだろう。
まあ、なぜもなにもパートナー、麻上 翼(まがみ・つばさ)が心霊現象を大の苦手としている事実をすっかり忘却していたことがその原因なのだが。
「お、落ち着け翼ー!」
「いやああああ! 来ないでえええええ!」
呼びかけるも、翼の耳には一向に届いた様子がない。
手持ちの銃と、レーザーガトリングをあれだけ乱射していれば無理もないが、果たして悠の声が届いたところで、その内容を判じるだけの余裕があるかどうか。
翼はゾンビも含め、心霊やら怪奇現象やらがとことん苦手らしい。もはや怖がるを通り越し、錯乱している。
そんな有様でも、周囲を取り巻く無数のゾンビたちを正確に屠っているのだからたいしたものだ。
などと妙な感嘆な念を抱きつつ、悠はそこらの部屋からヒロイックアサルト『怪力』で引き剥がした扉を数枚重ねて盾を作成。流れ弾から身を守る。
「ん? な、なんだあれは……!?」
と、悠の目が驚愕に見開かれる。
おそらくはゾンビ、である。
だがその速度がゾンビではありえない。資料にあった走れる個体なのか、まるでゴッドスピードのスキルを使用しているかのように轟然と、翼へと迫る。
ガトリングの掃射をかわし、徐々に翼との距離を詰めていく。多少手足に被弾した程度ではまったく怯む様子もない。
まるで、その背中にある白い羽根のようなものを使って舞っているかのようだ。
光源が翼の放つ光条兵器のみであるせいもあり、この時点での悠が知る由もないことではあるが。
そのゾンビの正体は朝野 未沙(あさの・みさ)。教導団の士官候補生である。
飛空艇の修繕を手伝うためにこの工場に居合わせ、テロに巻き込まれた彼女は、見事にゾンビ化を果たした。彼女の身のこなしは、真実、ゴッドスピードによるものである。
ちなみに余談だが、未沙は女の子が大好きだ。
「ひっ、やだやだやだ! 来ないでよぉおおおお!」
狂ったように噴き出されるガトリングの弾幕も、未沙の進行を阻むには至らない。
「くっ、翼!」
助太刀に入りたい悠だが、弾幕は悪いことに、彼女の進行を阻むには十分な厄介さを誇っていた。
「いやいやいや! 来ないで来ない――」
と、不意に、翼の絶叫じみた悲鳴が止んだ。
訝しんだ悠が視線を上げると、未沙はすでに翼の直近へと到達。その手を翼の身体に伸ばしていた。
翼の身体に触れたその手が――なんだか異様にワキワキと動いているのは、目の錯覚だろうか。
「……っ、い」
涙目になった翼が、ひときわ大きく息を吸い込む。
理性を失っている未沙は頓着した様子もなく、甘噛みでもしようというのか、控え目に口を開き、
「いーーーーーやーーーーーーー!!!!!」
翼が全力で振るった光条兵器の銃身に首を薙がれ、大きく後方へ吹っ飛んだ。
一回、二回。都合三回床をバウンドし、錐揉みしながら壁へと突っ込む。頭部にダメージでも受けたのか、未沙はそれきり動きを止めた。
「な、なんだったんだ一体……」
その光景に、悠は呆然と呟くしかない。
仰向けに倒れた未沙の顔は、なぜか物凄く恍惚としていた。
2
「うぅ……まさかここへ来るまであんなに苦労するなんて……」
「い、いやー、ごめん」
「面目ない……」
冷や汗を流し謝るエールヴァントとアルフへ、水心子 緋雨(すいしんし・ひさめ)はじっとりとした視線を送った。
と、パートナーの天津 麻羅(あまつ・まら)がkすくすと忍び笑いを漏らす。
「まあ、凍った床で目を回したおかげで、緋雨のただでさえ鈍い方向感覚がさらに狂ってしまったからのぅ」
「ちょ、言わないでよー!」
「まあまあ、お二人のおかげで、目的は果たせそうなのですから」
秀幸が執り成す。
彼女たちも秀幸たち一向と合流し、エールヴァントとアルフが目をつけたこの飛空艇へとやって来ていた。先着していた二人の仕掛けたトラップで、到着までに少々の苦労があったのは余談である。
「後はここからどうテロリストを探し出すかですが……」
秀幸が呟く。飛空艇の内部にいることは判明したが、どうやらこちらが乗り込んだことに気づかれたらしい。テロリストは移動を繰り返しており、正確な所在が掴めない。
千歳たちに見張りを頼んでいるので、少なくとも外部に逃げてはいないものの、アルフにサイコメトリーで探ってもらおうにも、
「まずい、来た!」
エールヴァントが警告を発する。
通路の前方から、ゾンビの集団が迫ってくる。先ほどから何度も遭遇を繰り返し、探る暇を与えてもらえない。
「任せて。麻羅!」
「了解じゃ」
麻羅が一歩進み出て、ゾンビの前に立ち塞がる。
次いで彼女が取り出したのは、加速薬だ。
その意図するところに気づき、秀幸は慌てた。
「な、なにを……!?」
「なぁに。ちょいと鬼ごっこをするだけじゃ」
不敵に笑むなり、加速薬を飲んだ麻羅は床を蹴り、ダッシュローラーでさらに加速。たちまちゾンビたちの間をすり抜け、彼らが作る人垣の向こうへと姿を消した。
ゾンビの腕が伸びても、麻羅は器用に身をかわしていた。見事な身のこなしだ。
彼女に気を取られてか、ゾンビたちは反転してそれを追い始める。
「大丈夫。簡単に捕まったりしないから。それより、今のうち」
緋雨の言葉に、アルフは床に手を添え、サイコトリーを発動する。
「……見つけた」
アルフの先導で、通路を駆ける。
「レモさん!」
と、緋雨が呼び出したのはパートナー、レモリーグ・ヘルメース(れもりーぐ・へるめーす)である。
「緋雨ちゃん、状況は?」
レモリーグの問いに、緋雨は手早く状況を説明。状況を理解したレモリーグは、すぐさまヒュプノシス使用の準備に入った。
「私とレモさんでワクチン狙うから、フォローお願い」
緋雨の提言に、その場の全員が了解の意を示す。
「ここだ」
そこでちょうど、エールヴァントが足を止める。
全員が立ち止まると、互いに目配せし、呼吸を整えた。
「いきます」
秀幸が代表し、扉を開く。
開かれた扉の向こう。果たしてそこに、黒い服を着た男――テロリストは佇んでいた。
3
敷地内の滑走路は、昇り始めた朝日の光で赤く照らされている。
「……しつこいなぁ。あいにく、あたしはホラー映画って好きじゃないのよね。特にゾンビ映画は!」
至近に迫ったゾンビをサイコキネシスで荒々しく吹き飛ばす恋人、セレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)の様子に、セレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)は小さく溜息をついた。
その傍ら、女王の加護とオートガードの併用で、自分と恋人の防御を固めることは忘れない。
セレンの打ち漏らした個体を槍の穂先で薙ぎ払いつつ、
「こういう場合、映画じゃ凄まじい悲鳴を上げて逃げまわるんじゃなかったっけ?」
冷線銃を乱れ撃つセレンは聞いているのかいないのか、
「ついさっきまでセレアナとHしてたのにさー」
と、この発言である。セレアナは思わず赤面せざるをえない。
要するに、セレアナとの情事を人手不足だなんだで任務に邪魔されたことによる八つ当たりである。
いや、責任はともかく、その原因の一端は目の前のゾンビたちにもあるわけで、そう考えれば正当な怒りと言えなくもないが。
「大きな声で言わないでよ。……どうせ今夜はその続きでしょ? いいわよ、もう」
「ほんと!?」
セレアナの言葉に目を輝かせたセレンは地面を蹴り、一息にゾンビへ肉薄。至近距離でのサイコキネシスの大盤振る舞いである。
たまらずゾンビは、血を撒き散らしながら吹き飛んでいく。
現金なものだ。
と、苦笑するセレアナの聴覚が、不穏な破砕音を捉えた。
「なに……?」
「うん?」
油断なく目の前のゾンビを屠りながら二人が振り返る。
視線の先、格納庫から、煙が立ち昇っていた。
4
「ぐっ、ク……ソ……ッ!」
レモリーグのヒュプノシスがテロリストを捉え、全員の胸が勝利の確信に高鳴った、瞬間だった。
「まずい……!」
緋雨の悲鳴じみた声。
テロリストは緋雨のサイコキネシスを振り切り、右手に握ったワクチンのアンプルを、壁に向けて投げつけようとした。
「させるか!」
セリオス・ヒューレー(せりおす・ひゅーれー)の声が飛んだ瞬間、テロリストの頭上に分厚い本が現れる。
物質化した六法がその脳天を直撃、テロリストは派手に首を捻り、アンプルは手から離れたものの、速度は緩んだ。
「任せろ!」
続く声はクローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)のものだ。
緊急時に備え、空飛ぶ箒で天井付近に待機していたクローラは、アクセルギアを作動させる。超高速の移動能力を得たクローラは、天井を蹴り、一瞬で壁際へ。ぎりぎりのところで、宙を舞うアンプルを受け止めた。
クローラのファインプレーに、居合わせた面々が快哉を叫ぶ。
「俺の六法が……」
「……御免」
が、当のクローラは、なにやら床に落ちた六法の方へ視線を送っている。
とにかくこれで、と安堵しかけた秀幸の顔に、緊張が走った。
テロリストが懐からなにかを取り出している。アンプルを投げたのは陽動だ。
取り出したのは、銃型の注射器。タンクは紫色の液体に満たされている。
「やめ……!」
制止など間に合わない。
テロリストは獰猛な笑みを刻み、注射器を自身の首筋に押し当てた。薬液がその体内に吸い込まれていく。
「う……が……ぁ……っ!」
「なんだ!?」
「離れてください!」
切迫した秀幸の叫び。
クローラのアクセルギアが、まだ使用の余裕を残していたのは僥倖だった。
やおらテロリストが振り上げた右の拳は、身を伏せたクローラの頭上を擦過し、彼の髪の一部を焦がした。
拳はそのまま、――壁を貫いている。
「ぅ、あ、ああ、がっ……、ッ」
テロリストが藻掻き始め、その全身が脈打った。
変貌はたちまちの内に起こった。
テロリストの黒い衣服が内側から爆ぜる。骨格が歪み、折れた端から再生していく。肉が盛り上がり、巨大なネズミが皮膚の下を這い回っているかのように波を打つ。
「これは……一体……」
呟きは誰のものだったか。
ほんの数秒後には、すでにテロリストの姿は影も形も見当たらない。
代わって現れたのは、身の丈二メートルを超える巨漢。いや、もはやヒトの範疇に含めていい姿ではない。
左右の腕は太さも長さも不揃いで、右腕は床につくほど長く、先端には露出した骨だろうか、刃のように鋭い爪。
首から上は存在せず、顔の残骸らしきものが胸の位置に貼りついている。断末魔の苦悶を刻んだままの顔は、怪物に取り込まれた彷徨える魂のようだった。
怪物。そう、紛れもなく、そこには怪物が顕現していた。
「小暮くん!」
鳳明の声で我に返るのと、怪物が振り上げた右腕の存在に気づくのは同時だった。
回避は間に合わない。
身体に衝撃。踏み止まることもかなわず、秀幸は床に倒れる。
「いったー……、小暮くん、無事?」
「琳殿!?」
『鳳明!?』
しかし秀幸に負傷はない。
代わって、庇いに入った鳳明の腕が、深く斬りつけられたのか、どくどくとおびただしい量の血を溢れさせていた。
まずい。いま怪物に追撃されたら――。
不幸中の幸いと言うべきか。怪物は秀幸の懸念に反し、無造作に振り上げた左腕を、壁へと叩きつけた。
短い代わりに岩のような厚みと硬度を持つ左腕は、轟音と共に易々と壁を砕き、大穴を穿つ。怪物はさらに腕を叩きつけ、広がった穴から外へ出ている。
「テレスコピウム殿」
呆気に取られた一同は、秀幸が声を発するまで、その様をただ見ていることしかできなかった。
「な、なんだ」
「琳殿を連れて離脱、待機中のルー殿へワクチンを届けてください」
「し、しかし……」
「これは命令です」
「……っ、了解」
どちらにせよ、アクセルギア連続使用の反動で、クローラはもう満足に戦えない。彼も、負傷した鳳明も、もう十分以上に仕事は果たしてくれた。
クローラも自身の状態、鳳明には早急に手当が必要なことを理解してくれたのか、素直に鳳明に肩を貸し、外へ出ていく。
「残りの皆さんは、自分と共に外へ。あの怪物を外部へ出してはいけない」
策などない。
ないが、しかし、やるしかなかった。