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【五 地獄への門】

 天音は、むっつりと黙り込んでしまっている理沙とセレスティアに視線を向けた。
 実はこのふたり、今ここに居る面子の中では数少ない、フィクショナル経験者なのである。だが、そこで起きた事象と、その後に続く強敵オブジェクティブとの戦いは極めて苛烈であり、天音が説明を続ける間にも、それらの記憶がまざまざと蘇って、つい口数が減ってしまっていたのである。
「オブジェクティブが最初に現れたのは、フィクショナル内の仮想世界だった……で、間違い無いかな?」
「……うん、その通りだよ」
 理沙が苦り切った表情で、しかしはっきりと頷き返した。セレスティアも微妙な顔つきで、理沙に追随する形で天音に是と応じる。
「その……オブジェクティブっていうのは、一体何なんだい?」
 北都が改めて、疑問を呈した。
 答えたのは理沙でもセレスティアでもなく、天音だった。
「元々は、フィクショナル内でコントラクター数十人分の脳波データを獲得したコンピュータ・ウィルス……の筈だったんだけど、オブジェクティブ・エクステンションという技術を使って、現実世界に擬似物質化して姿を現したのが、奴らの正体だよ」
 天音の説明に、本当に良く調べ上げたものだと、理沙が思わず感嘆の声を漏らした。実際にオブジェクティブと何度も遭遇している理沙やセレスティアでも、ここまで正確な説明を加えるのは難しいかも知れない。
 ここで北都が、しかし、と異論を口にした。
「でも少し、おかしくないかな? 賢狼やアンダーグラウンドドラゴンが姿を消した現在、僕達は既に仮想空間内に居るという理屈になるけど、でも九条さんは逆に、仮想から現実に抜け出しているような状態だよね。矛盾しないかい?」
 北都のこの指摘もまた、的を射ている。
 天音も流石にそこまでは分からないらしく、ブルーズと顔を見合わせるしかない。
「現在、このヴァダンチェラ内は現実空間なのか仮想空間なのか。仮想空間であるとすれば、一体いつの間に自分達は引きずり込まれてしまったのか……分からないことが多過ぎますね」
 白竜が降参して、軽く両手を挙げた。
 疑問は、後から後から矢継ぎ早に湧いてくるのだが、誰ひとりとして、納得のいく説明を加えられる者は居なかった。
「ですが、ここでただ議論を戦わせているだけでは、何も始まりません。生憎、私のゴーレムも姿が見えない……ということは、ペットや使い魔の類は、この仮想と現実が入り混じった世界では存在すらしないと考えるべきでしょう。ならば、その世界のルールに従って行動するなりして、一刻も早く、調査隊の皆さんを救い出すのが先決ではありませんか?」
 クナイが強い口調で、その場の全員に呼びかけた。正論である。
 最初に頷き返したのは、天音であった。
「全くその通りだね。議論は全ての救出を終えてからでも、遅くはないかな」
 それから天音は、ジェライザ・ローズに視線を向けた。
 既にジェライザ・ローズも、自身が置かれている異常なまでに異常な状況を理解しているらしく、緊張した面持ちではあったが、その瞳の奥には決意の色が強い意志の光を伴って浮かび上がっていた。
「これで益々、九条先生の経験が重要になってくるね。先生、しっかり頼むよ」
 理沙に背中をどやしつけられたジェライザ・ローズは、僅かに苦笑を浮かべた。いわれるまでもなく、そのつもりであった。
「よし、良い感じだ。綺麗どころがまたひとり、ってな」
 羅儀の軽口が、一同の間に張り詰めていた硬い空気を若干和らげたが、それもそう長くは続かなかった。
 この直後、ラムラダが七人の悪魔の手に落ちたという緊急連絡が飛び込んできたのである。
 事態は思ったよりも早く、険しい方向へと転がり落ち始めているようであった。

     * * *

 フェイスプランダーにラムラダを奪われた第二班は、鮮血の濃霧が掻き消えた後、しばらく周辺の捜索へと切り替えていたのだが、一向に手がかりらしい手がかりが得られず、次第に焦燥の念が部隊の間に色濃く蔓延し始めていた。
 そんな中、白銀の狼姿で南天 葛(なんてん・かずら)を背に乗せて歩くダイア・セレスタイト(だいあ・せれすたいと)が、この不気味な石造りの閉鎖空間内で、ラムラダと思しき反応を見出していた。
「ダイア、分かるの?」
 問いかけられたダイアは、狼特有の鋭い眼光を薄闇の輝かせながら、背に乗せる葛に向けて、僅かに視線を巡らせた。
「ラムラダ様に、遭難した時に見つけ易いようにってことで、ストーンウェル長官から少し高価な装飾品を借りて持ってて貰ってたんだけど、どうやらそれが私の感覚に引っかかったみたいね」
 すると傍らで、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が成る程、と感心した様子で相槌を打った。
「へぇ……それは、良いアイデアだね」
 決して、お世辞などではない。エースは心底、トレジャーセンスという極々平凡な能力を、この局面で絶大な効果を誇る技術として発揮しているダイアのセンスに、賞賛の意を示しているのである。
 どんなに優れた技術や戦術も使いどころを誤ればただのお荷物に成り下がるし、逆にどれだけ平凡で見向きもされないようなありふれた技能でも、使い方によっては唯一絶対の効果を発揮し得る。
 エース達はラムラダを守るに於いて、戦闘に備えた防衛策はほとんど完璧に近い態勢を敷いていたのだが、拉致に対しては無防備に近く、スカイブラッドとフェイスプランダーの合わせ技を駆使した誘拐劇に際しては全くの無力であったといって良い。
 これに対し、ダイアはトレジャーセンスのみで、連れ去られたラムラダの現在地をおぼろげながらに把握しようとしているのだから、エースが本当に心の底から感心するのも、無理からぬ話であった。
「全く、迂闊だったよ……攻撃への対処方法は、自分でいうのも何だが、まるで隙が無い程に色々対策を練っていたんだけどね」
 エースに続いてメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)も一杯食わされたといった面持ちで、幾分ばつが悪そうに頭を掻いている。
 ところが、あまりにダイアばかりが褒められるものだから、ヴァルベリト・オブシディアン(う゛ぁるべりと・おびしでぃあん)が如何にも面白くないといった様子で、唇を僅かに尖らせて口を挟んできた。
「なぁ、オレのダウジングだって結構役に立つんだぜ。きっとこの後で、大活躍するに違いない!」
「……寝言は寝てからいいなさい。でかい口は、結果を出してから叩きなさい」
 ダイアに一蹴されたヴァルベリトは、悲哀の色を背中に映し出しながらその場にしゃがみ込み、指先で冷たい石床に『の』の字を描き始めた。
 流石に気の毒に思ったのか、エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)がヴァルベリトの傍らで上体を屈め、肩をぽんぽんと叩いてやった。
「ま……まぁ、きっと、そのうち大活躍して頂く場面が出てきますよ。そう、気落ちなさらずに……」
「良いよ別に……どうせオレなんかよぉ……」
 矢張りヴァルベリトとて、なんだかんだいいつつ十歳程度の少年である。エオリアは苦笑を浮かべてエースに肩を竦めると、エースも仕方なさそうに、やれやれとかぶりを振りながら笑みを返してくる。
 それにしても、とメシエは不思議な思いに駆られる。
 同じ悪魔でもヴァルベリトは、外観も言動も年相応の可愛い少年であるのに対し、七人の悪魔達は外観から残虐非道な行為に至るまで、その全てがヴァルベリトとはまるで性質が異なる。
 本当に、同じ種なのかと疑問を強くするメシエだったが、しかし悪魔本来の定義から考えると、寧ろヴァルベリトの方が例外であるのかも知れない。
 メシエがそんなことを思い耽っていると、不意に正子が彼らの前にその巨躯をのっそり寄せてきて、葛とダイアの目線の高さに合わせるように、上体をゆっくりと屈めてきた。
「ラムラダの現在地について、大体のあたりをつけているそうだな」
「あ、はい、正子さん!」
 今年の元旦、葛達と一緒に初日の出を見に行った仲間である正子は、その強面とは裏腹に随分と人当たりが良い人物であることを、葛は知っている。
 同じような年頃の子供であれば、間違い無く怯えているであろう正子のいかつい容貌に対して、葛は穏やかな笑みで小さく頷き返すばかりである。
「ダイアが、案内します。どうか皆さん、ついてきて下さい」
「頼りにしてるよ」
 エースが正子に代わって、いい添えた。今はどんなに小さな手がかりでも、喉から手が出る程に欲しい時であった。

 葛を背に乗せたダイアを先頭に立たせ、その周囲を正子他、エースやルカルカ、ザカコといった面々が防備を固めつつ、第二班はラムラダの気配を追ってひたすら前進を続けた。
 道中、これといった障害は何も無く、第二班の面々は狭い石造通路を抜けて、再び広い空間へと出た。
 そこは半円形の広間らしき一室であり、弧を描く奥側の壁には、七つの鉄製扉が等間隔に並んでいた。
 何となく嫌な予感を覚えた第二班の面々だが、不意に室の中央付近に、長身の影が半透明の姿で、空間中から滲み出るようにして姿を現した。
 上質な生地のタキシードを纏っているが、首から上は病的な程に白い肌で覆われたスキンヘッドの中年男性である。しかし何よりも異様だったのは、露出している皮膚の至るところで、内側から鋭い刃の先端が切り裂くようにして突き出ているにも関わらず、血の一滴も流れ出ていないことであった。
 この怪人こそが、スキンリパーである――その場に居た全員が、ほとんど瞬間的に相手の正体を悟った。
 一斉に散開して警戒態勢を取る第二班に対し、スキンリパーは不気味な程に冷静で、表情ひとつ変えずに、ただ視線だけを左右に広がるコントラクター達に送っていた。
 しばし異様な沈黙が室内を支配したが、最初にこの空隙を破ったのは、スキンリパーであった。
「やぁ、コントラクターの諸君。ひとつ君達に、試練を与えよう」
 まるで最初から決められていたかのような、無感情且つ機械的で、淀みの無いひとことである。どこか合成音声を思わせる無機質な声音に、この場の全員が妙な違和感を覚えていた。
 が、呑気な感想を抱いている場合ではない。
 スキンリパーがいい終えるや否や、高い天井付近に、全身を鋼糸に絡め取られたラムラダの姿が、立体映像によって映し出されたのである。
 瞬間、正子が鼻頭に皺を寄せ、奥歯をぎりりと噛み鳴らした。
「君達の前にある七つの扉の奥では、スイートルームの誇る素晴らしい実験房が君達を待っている。そこで君達が我々の実験に協力すれば、彼は無事に解放される。だが、それだけでは我々としても準備不足だ」
 スキンリパーの淡々とした抑揚の無い声が、コントラクター達の神経をこれ以上は無いという程に逆撫でしていたが、今はまだ、迂闊に手を出せる状況ではない。
 とにかくひたすら、黙ってスキンリパーの言葉に耳を傾けるしかなかった。
「そこで各房には、我が同胞達をも配置した。諸君は実験に協力するか、或いは我が同胞達の手にかかって必要なデータを提供するかを選択する権利が与えられている」
 更にスキンリパーはいう。
 最初にいずれかの鉄製扉が開かれた時点から三十分を経過しても満足なデータが得られなかった場合、ラムラダの全身は鋼糸によってばらばらに解体されるであろう、と。
 要するに、これは脅迫であった。
 ラムラダの命が惜しければ、七人の悪魔に蹂躙されることを受け入れろ、というのである。一方的な申し入れだが、ここで下手に拒否すればラムラダの命が危ない。
 第二班としては、否応無しに七つの拷問部屋へと挑む以外、方法は無かった。
 この時、東 朱鷺(あずま・とき)が一歩進み出て、スキンリパーと対峙する位置を取った。
「キミは……いや、キミ達は一体、何の為にこのような非道な実験を繰り返すのですか? 何の為の知識を得ようとしているのですか?」
 この問いかけは、朱鷺個人にとっては極めて重要な意味を持つ。
 実験、調査、そして研究に重きを置く朱鷺の人生に於いて、スイートルームという存在は極めて奇異であり、且つ放置してはならない存在であった。
 だがそれ以上に、七人の悪魔達が得ようとしている成果にどれ程の意味があるのか――知識を追い求める朱鷺にとっても、それはある意味、避けては通れない道であった。
 すると時の傍らに、コウがすっと身を寄せて、ふたり並んでスキンリパーと対峙する形を取った。
「オレはあのお坊ちゃんとは無関係なんでね。あんた達の掌で踊ってやる気は無い……っていったら、どうするつもりだ?」
 コウの挑戦的な台詞に対し、しかしスキンリパーは相変わらず人間味の欠片も無い能面を一切変化させず、冷たい声音で淡々と応じた。
「どうもしない。協力する気が無ければ、去るが良い。君ひとりが居なくとも、他の大勢のコントラクター達が存分に協力してくれる」
 これにはコウも、黙り込まざるを得ない。ラムラダに関わるコントラクターは、十数人という数で揃っているのである。
 実のところ、コウとしてはブラフをかけたつもりだったが、完全な準備不足、認識不足の為、不発に終わってしまったというのが正直なところであった。。
 ここでスキンリパーは、再度朱鷺に視線を向けた。朱鷺は一瞬身構えたが、スキンリパーは依然として、直立不動のまま凝然と佇むのみである。
「我らの目的を知りたいといったな……ならば、教えてやろう。我らが採取しているのは、コントラクターの脳波だ。他には、何も無い」
「脳波……そんなものの為に、多くのひと達を非道な拷問にかけているというのですか!?」
 この瞬間、朱鷺の腹は決まった。
 ここで得られる知識や研究結果は、朱鷺にとって不要なものである、と。