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老魔導師がまもるもの 後編

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老魔導師がまもるもの 後編

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2/傷ついた人々に

「わかった、そのまま東にまっすぐ行ってくれ。次の連絡は五分後に」

 佐野 和輝(さの・かずき)は、陽一からの通信にそう応え、また彼の要求に対し既に動いていることを伝える。
「ああ、空京警察にはこちらから連絡してある。大丈夫だ、いざというときは国軍に出動を要請することもありうる」
 彼のパートナーであるアニス・パラス(あにす・ぱらす)が張った、この結界の中。
 通信の向こうへと言葉を返しながら、彼は首を曲げて、肩の向こうを見る。
 そこでは、禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)が。杜守 柚(ともり・ゆず)が、御凪 真人(みなぎ・まこと)が、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)が──四人がかりで交互に、額に汗を浮かべながら懸命の治療を行っている。
 背後から深く斬りつけられ、重傷を負った老魔導師、スランの命をつなぎとめんと、一心不乱に治癒魔法を彼女へと浴びせ続けているのだ。
「く……やっぱりこれ、暴走した人からの傷なんかじゃないです! こんなに深くって……ねじこむようになんて……!」
「見ればわかる。うろたえるでない」
「これで、背中の傷の止血はどうにか……。次は、腹部に貫通している刺し傷を……!」
 偶然、彩夜をかばって負ったはずの傷はしかし、一見してそうではないとわかるほど深く、重かった。
 彩夜をかばって受けたのなら、その傷ひとつのはず。だが、傷はひとつではなく。背中の切り傷に加えて、混乱に乗じ何者かがつけたのであろう右腹部を貫通する裂傷が、老婆の身体にはあった。
「彩夜はしっかり、お婆ちゃんの手、握っててあげて。大丈夫、必ず私たちが助けるから」
 そしてその手当の続く中、ずっと彩夜は老婆、スランの手を握っていた。
 強く、強く。皺だらけの手を、掌の内で握りしめていた。
 自分のせいだ。自分があそこでやられそうにならなければ、背中から斬りつけられることもなかったし、その混乱に乗じて更に深い傷を受けることもなかった。そう、自分自身を責めながら。
「……彩夜」
 手を休めぬまま、美羽が俯く彩夜を見やる。
 その目線の先で、老婆の手を握る彩夜の、もう一方の手を火村 加夜(ひむら・かや)がそっと握る。
「せんぱい」
 その仕草は、喫茶店でともに働いていたときとなにも変わらない。日常だろうと──こんな、非日常だろうと。
 無言で微笑む加夜。そんな先輩に、苦笑気味に表情を返して彩夜は再び、治療を受け続ける老婆へと目を落とす。
 どうか、死なないで。無事で、いてください。
 四人がふたりずつ、入れ代わり立ち代わり交互に治癒魔法を施していく。今は、柚と美羽だ。
「こっちも、これで止血できたはず……!」
「油断するでないというに。……だが、この老いぼれだからな、一度に強い力を加えられんのが痛いところだが……治癒はくれぐれも少しずつ、な」
「わかってます」
「最小限の力をずっと、か。たしかに傷だけ治しても、婆さん本人の体力が立ち直れないくらい消耗してちゃあな」
 魔法も使えないくらいに老いていたのだから、無理もないか。
 周囲の警戒をしながら、エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)がそう言い、杜守 三月(ともり・みつき)と頷きあう。
「柚も、無理しないでね。最小限の力で出す魔法を少しずつずっと、なんて。辛くなったら、すぐに他の人たちに交代を」
「はい。ありがとう、三月ちゃん」
 パートナーに礼を言いながらも、柚の額には珠の汗が浮かぶ。相棒の顔を仰ぎ見る余裕も、微調整の断続のために今は無いようだった。

 そして、だ。

「っ!?」
 エヴァルトが、一瞬遅れて三月が各々の装備や武器を手に身構える。彼らと同じく周囲を警戒していたセルファ・オルドリン(せるふぁ・おるどりん)もまた、同じように。
「何か……くる? 真人っ」
 注意して、とパートナーたちに促す。
 結界はあくまで、呪いをいくぶん阻害するものにすぎない。侵入を拒むものではない。
 草を踏む音が、その駆け足が近付いてくる。
 じり、と身構えて。三人が迎撃の態勢をとる。そしてそれは──いや、それらは。転げるように、結界内に身を投げうち進入する。
「ここは……あれ? さっきの教会?」
 それは、白髪の痩身。非不未予異無亡病 近遠(ひふみよいむなや・このとお)。そしてその手に引かれた、ユーリカ・アスゲージ(ゆーりか・あすげーじ)
「近遠ちゃん! アルティアちゃんが!」
 どこをどう逃げてきたのか。どう、走って来たのか。
 わからぬ二人に、追撃者が迫る。明確な殺気を感じ、とっさにふたりと、追跡者との間にエヴァルトが割って入りガードをする。
「うおっ!?」
 想像以上に、重い一撃だった。武器と装甲とがぶつかりあい、エヴァルトがのけぞると同時、相手もまた下がり距離を取る。
 セルファが、三月が。エヴァルトのフォローをするように彼の後方につく。
「ま、待ってください!」
 その追跡者は、ただ殺気に満ちた目で一行を睨みつける。その向こうの近遠たちさえ、両目から放たれる眼光は射抜かんばかりだった。
 それでも、三人を近遠は制止する。
「その子は、僕の!」
 僕の、パートナーです。近遠の声と、追跡者──アルティア・シールアム(あるてぃあ・しーるあむ)の跳躍とが重なった。
 しかしそれは再びの襲撃のためではない。横薙ぎに切り払われた刃を避ける、回避がために。
「イグナ!」
 飛び退いたアルティアに対し、息を切らせたイグナ・スプリント(いぐな・すぷりんと)が向かい合う。互い、近遠のパートナー同士。こうなることなど、いつ予測しえただろう。
「そんな、ふたりが戦うなんて!」
「わかっている、斬りはしない。あくまで動きをコントロールするだけだ! だが、相手が相手だ、手加減もできん!」
 それは、手合せではなく殺し合い。害意を向けられ、その火の粉を振り払うための戦い。
「手伝う!」
 エヴァルトが、イグナに加勢をする。だが振りきった拳の先に、暴走した剣の花嫁の姿はなく。
「はやいっ!?」
「気をつけろ、後ろだっ!!」
 見た目、大人しそうな外見なのに。殺すわけにはいかない以上、どうしても手心が知らず知らずこちらは加わることを、加味したとしても。どうみても、あの反応は限界を超えている。心中で舌打ちをしながら、エヴァルトは身を翻す。
「衝動で──つまり反射だけで衝き動かされているせいか、反応速度が異常なのだ。普段のアルティアでは考えられんほどに」
「く……そりゃあ、なんとまあ」
「厄介な呪いだね」
「ほんと、まったくだわ」
 三月が、セルファが、まわりこみアルティアを囲む。四対一の、数の暴力ならば。単純だけれど、これが一番手っ取りばやい。
 その、やりとりの向こう側で。
「ベアトリーチェ。……あなたは、大丈夫?」
 治療の手を休めぬまま。美羽はパートナーである剣の花嫁、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)へと背を向けたままに、声をかけていた。
「ええ……大丈夫、です」
 美羽は、疲労から。ベアトリーチェは、呪いへと抗するその苦痛から。
 ともに、額に汗を浮かべ、眉根を寄せて言葉を交わす。
「美羽さんも、無茶はしないでくださいね」
「ん、ありがと」
 背中越しで見えずとも、伝わるはず。無理に笑顔をつくり、ベアトリーチェは全霊を注ぐ相棒へと、笑いかけた。

 彼女は、抗い続けている。
 彼女だけではない。多くの人々が呪いに侵され、それに抗っている。戦って、いる。

 皆、必死に。抗しきれなくなりながら。抵抗が、長くはもたないことを理解しながら。

 誰かが、どうにかしなくてはならない。
 呪いそのものを再び封じ、断ち切るしかない。
 和輝がちらと、老婆の手を握り続ける彩夜を見降ろした。
 彼女の肩を抱く彩夜が、その視線に気付く。
 互い、言わんとしていることはわかっている。その言葉に声はなく、暗黙のうちに両者はやりとりを交わす。
 このまま耐え続けるだけでいいわけがない。いつかは、耐えきれなくなる。そのための手が──足りていないこと。
 視線と仕草の交錯で、それらをふたりは確認した。
 そして承知をしたうえで彩夜の手を、加夜はより強く握った。今はまだ、この後輩を安心させてやりたかった。その小さな我儘には多少の罪悪感が伴ったけれど。しかしそれでもなお、そうする自分を加夜は心配に憔悴する後輩の姿に、抑えきれなかった。