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絶望の禁書迷宮  追跡編

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絶望の禁書迷宮  追跡編

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第9章 決意、そして異変

 五つの房すべてで、灰の間を開くために魔道書が口にした案は同じだった。


「パレット自身の手でしか、灰の間は開かれん」
「だから、パレットが灰の間を開く気を起こすよう、仕向けるしかない」
 と、騾馬とオッサン。


「あいつが灰の間を開く気になる方法で、確実と言えるのは一つだけだ」
「そう。それは……僕らが結界を解くこと」
 と、姐さんとヴァニ。


「おいらたちが結界を解いたら、結界の消滅に感づき、おいらたちに何かあったと思うだろう」
「パレットは絶対に、私たちの危機を見過ごさないの。だから灰の間を開いて、出てきてくれる、きっと」
 と、リシとお嬢。


「でも、この方法は、危険もある。……結界は、魔道書全員の力で、紡がれているから」
「結界が消えれば、この中のすべての空間の境界が曖昧になる」
 と、ベスティと揺籃。


「そうしたら、房の壁も脆くなる。暴走した司書の攻撃とか侵入者の攻撃とかが、この中まで届く可能性もあるの」
「我等や蔵書に危険も及ぶのは無論のこと、ここにいるそなたらも巻き込まれる可能性がある」
 と、キカミと爺さん。


「それでも大丈夫?」「覚悟はある?」「やってもいいの?」





 星の見えるテラスで、リピカは椅子に腰かけ、光の欠片を集めて作った石盤のようなものを見つめていた。
 契約者が入ってくるのに気付くと、光の石盤はしゅんっと消えた。

「リピカ、大丈夫?」
 アリアンナ・コッソット(ありあんな・こっそっと)が、声をかける。そう声をかけずにいられないほど、彼の顔が懊悩に青ざめて見えた。
「何か、私たちが力になれる事はある?」
「力……ですか?」
 その言葉自体ピンとくるものがないかのように、力なくリピカが繰り返す。
 契約者たちに敵意がないことは、了解しているようだった。それでも、例え助力を申し出たとしても、何を助けてほしいのかも自分で分からないといった様子だった。契約者たちはそれにすぐに感づいた。
「ちょっと、話そう。……話せるよな?」
 源 鉄心(みなもと・てっしん)が声をかけると、リピカは銀色の髪を微かに揺らして、「はい」と小さく頷いた。
「今回のこと……まぁ、俺個人としてはそれで事件が解決するなら、別に構わないと言う意見なんだが」
 正直なところを、鉄心は口にする。
 函に封印して、火口に廃棄。災いの元を絶てるし、魔道書達が灰の司書を見て心を痛めることもなくなるだろう。合理的といえば、合理的な判断だろうと思う。
「確かにそうじゃ。火口に捨てれば全部終わり、リスクも消える」
 追い打ちをかける格好の名も無き 白き詩篇(なもなき・しろきしへん)の言葉に、リピカの顔が強張る。それを確認してから、白き詩篇は続けた。
「――じゃが、それでは納得できんのじゃろう」
 鉄心も頷いた。
「そうだな。パレットや俺たちはともかく、他ならぬ君自身が、それで良いとは思ってない。そうだろう?」
 リピカは顔を上げ、二人を見た。だが、やがてまた力なく肩を落とす。
「確かに、私は……できることなら、パレットの指示を実行したくはありません。しかし」
「ならば、別の方法を見つけるしかあるまい。
 どうしても嫌だというのであろう。そのおぬしの意思を大切にすればよい。わらわ達にも意思があるのと同じように」
 リピカの言葉を遮って、白き詩篇が言い切る。「だけど」や「しかし」で後退する、意気地のない言葉は聞きたくないかのように。
「白の言う通りですよ。君が諦めれば、すべて終わりになってしまいます」
 御凪 真人(みなぎ・まこと)が言い添える。
「……。私がパレットの指示に反対できなかったのは、反対してまで司書をどうこうしてやるという考えが、無かったからかも知れません」
 やがてリピカは、ひどく静かな口調で、そんなことを話し始めた。
「パレットは、他の仲間がそれとなく目を逸らしていた司書の前途のなさを、一人だけ真っ直ぐ見据えていた。そうして考え出した結論です。
 それが残酷なものだったとしても、私は彼のその結論に対抗できるだけの考えを、選択肢を持っていない……」
「今からだって考えられるんじゃないか? 別の可能性、別の選択肢がないか」
 鉄心が強い口調で言った。
「私も、存在することを諦めたくないと思っています」
 ロレンツォ・バルトーリ(ろれんつぉ・ばるとーり)が進み出てそう言った。
「あなたはどう思いますか。人の思索の結果が記された本が、魔道書となって今、逆に人間を拒み疎外する様を」
「……それは、私たちとて、書として生まれ落ちた時には思いもしない未来でした」
 答えると、おもむろにリピカは、先程見ていた光の石盤のようなものを空中に出現させた。その石盤はまるでタブレットPCのように、その上に他の房の様々な様子を映し出して見せた。
「これはアストラル光によって作った、本来は見えざるキャンパス。残念ながら、私の魔力ではこれに映し出せるものは限られています。
 その限界が、私を著した人物の器の小ささゆえか、それとも著述自体に不足があったためか、分かりません。
 私は『リピカ著「アカシャ録」』と言います。リピカとは、天界に属する霊的存在、記録する天使だそうです。
 もちろん、天使が直接書いたわけではなく、天使を呼び出して、全宇宙の記録と呼ばれるいわゆるアカシックレコードについて、口寄せをしたものを筆記させたものだそうです。
 しかし、私を著した人物は不品行で問題を起こし、結果的に私も信用するに足らない記として貶められ――今に至ります」
 そして、リピカは光の石盤を消した。ロレンツォは、リピカの語る出自に、思いもかけず自分が置き忘れていこうとしているものを掠めそうな要素があったことに微かに動揺しつつ、口を開いた。
「人も同じです。この世に生まれようとして生まれたわけではなく、また望んだように生きられるとも限りません。
 何にかわからない大いなる力が、この世界に生まれておいで…と、まだ人間でなかったころの『私の素』に語りかけ、そうして生まれ出てきました。
 そうして生きてきて……私が何を成す者なのか、いまだ判りません。
 ですが、足掻きながらでも前に進むのが、存在を止めない者の性。力になりましょう、だから力を貸して下さい」

「……。私は、今まで司書のことを、『死にきれず生きてもいない存在』と考えていました。
 しかし、もしかしたら、司書があの体になった時、“そういう存在”として新たに生まれてきたのかもしれませんね。
 見たことのない命を、歪な異形、滅するのが却って憐れみ、と切り捨ててはいけないように……」
 リピカが呟いた。
 それは彼の中で初めて、パレットの指示に抗しうる考えとして根付き始めた。


「灰の司書のことじゃが……一時的に侵入者と魔道書の繋がりで魔力が活性化しているのであれば、それを利用して灰からの再構築は出来ないのかのう。
 暴走の原因となっている魔道書を安定化させるか、もしくは司書から切り離せれば、暴走も止まるのではないのか?」
 白き詩篇が提案する。
「どうでしょうか。……実際司書のもとへ行って、試して見ないことには何とも……」
「結局、何よりまず灰の間を開くしかない、ということか」
「白の提案が可能かどうか、ともかく試す価値はあるかと思います。例え上手くいかなかったとしても、僕らは助力を惜しみません」
「そうだ。それがだめでも、外の世界、例えばイルミンスールの大図書館にある蔵書には、解決法があるかもしれない。
 アーデルハイトさんのように、長く生きた魔女の知恵を借りることも……」
 鉄心が言うと、ティー・ティー(てぃー・てぃー)も熱心に口添えする。
「そうそう。大ババ様なら司書さんに、別の体を用意したりも出来るかもだし……諦めなければ、取る手はきっとあります。
 私は専門家じゃないから、保証はしてあげられないですけど……
 仲間の命が救える可能性があるなら、1%だって軽くは無いと思ってます」

「……分かりました。灰の間を開きましょう。
 どんな手段が見つかるか、もしくは見つからないかもしれませんが、皆さん、よろしくお願いします」
 リピカは、一同に深々と頭を下げた。



『リピカ、皆、腹は決まったぜ。結界を解こう』
 一分と立たず、他の房とテレパシー回路を繋いだリピカは、すでに決意を固めていた仲間たちの声を聞いた。
『お前がやらないと始まらないからな。頼んだぜ!』


 この書庫の結界は、すべての魔道書の力で編み上げられている。
 縦糸と横糸を緻密に織り合わせて丈夫な布を編むように、複雑な形でそれらは結びついているので、簡単には破られないのだ。
 その代わり、解く時も、闇雲に力を消せばいいわけではない。消していく順序が大事なのだとリピカは言う。
「順序で、一番最初に解くのは私です。
 休眠状態のネミの分は解けないですが、パレットの分は一番最後なので、それまでに全員が解けば、ほぼ完全解除に近い状態になります。
 解除に時間をかけていると、パレットが私たちの企みだと気付くかもしれません。素早くやらないと」
 そう言って、リピカは精神集中した。次の瞬間、すっ…と、空間そのものが一段下がったような感覚を、契約者たちは受けた。
 そんな不思議な感覚が訪れる瞬間が、何度か続いた後。

『リピカっ!!』

 リピカのテレパシー回路に入ってきたのは、パレットの声だった。リピカは青ざめた。
(まだ半分しか解除できてない…!)
 パレットにばれたのかと思った。だが、切羽詰まった声が続いた。

『司書が……いや、あの本の表紙がっ!!』




 予想外の異変が、起こっていた。