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ようこそ! リンド・ユング・フートへ 4

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2 チルチルとミチル、思い出の国にやってくる

「ねえタケシ、アホい鳥って何だと思う?」
 旅に出た5人を見下ろして、リーレンは首をひねる。

「ああ? 青い鳥だろ?」
「ううん、アホい鳥だってセレスティアさん言ってた」
「何だそりゃ? またリストラが変な方向に転がりだしたのか?」
 闇のなかからタケシが現れ、同じように5人を見下ろす。

「ううん、まだ。多分大丈夫だと思う」
「ま、何が正しいリストレーションなのかって、だれも知らないんだし。べつにいいんじゃねーの?」
「アホい鳥が?」
 うさんくさそうにタケシを見返したが、リーレンも知らないので絶対違うとも言えない。

 まあ、もう動き出してるんだし。
 これはこれでいーか。

 そう結論づけると、リーレンはナレーターの役割に戻った。



「チルチルとミチル、それに<光>と<猫>と<犬>は夜更けの森のなかを歩いていました。
 そうしてどんどん歩いているうちに夜が明けたのか、あたりが明るくなっていきます。
 けれど、そうして追いやられた闇ととって代わるように現れたのは、深い深い霧でした。
 霧はとても濃くて、自分の足元や手の先までしか見えません。それも<光>の放つあかりによって見えているもので、彼がいてくれなければ2人は一歩も進めなくなっていたことでしょう。

 どことも知れない道を歩いているうち、チルチルは1本の大きな古いかしわの木にでくわしました。
 かしわの木には1枚の札が下がっており、そこには『思い出の国』と書かれていました」




「チルチル、これを見ろ」
 <光>のグラキエスが持ち上げた手の先で、木の板が揺れていた。
「お兄ちゃん、あれは何?」
「なんだろ」
 横の木を登って木の板がぶら下がっている枝に行き、引っ張り上げて見る。そこには『思い出の国』という文字があった。

「『思い出の国』? ここからは『思い出の国』なの?」
「そうだ。その名からして、おそらくここに住んでいるのは思い出の住人なのだろう」


(グラキエス…)
 淡々と話しているように聞こえるグラキエスの声から、わずかに苦悩をかぎとってベルテハイトはあごを引く。


「じゃあここには、死んだおじいちゃんやおばあちゃんがいるかもしれないのね!
 霧も薄れてきてるみたいだし。早く行きましょ、お兄ちゃん!」
 高峰 結和(たかみね・ゆうわ)扮するミチルが元気よく走り出した。
「あっ、待て結――ミチル。そんなに走ると木の根につまずくかもしれないぞ」
 後ろからアンネ・アンネ 三号(あんねあんね・さんごう)のチルチルが少々あわて気味に追いかける。

 やがて霧が薄れ出し、周囲の様子が少しずつうかがえるようになったころ。
 前方にぼんやりと黄色いあかりが浮かび上がった。

 あたたかな、見る者をほんのりとしたぬくもりで包み込むような、やさしい光。
 光に誘われるように、チルチルたちはそちらへと歩いて行く。
 近付くにつれてだんだん光が強くなり、大きくなって、辺り一面を照らすほどになったとき。
 彼らの前には一軒の農家の前庭で開かれているティーパーティーの光景が開けていた。

「あら?」
 大きなイチゴタルトのホールケーキを手にしていた遠野 歌菜(とおの・かな)が、チルチルたちに気付いて笑顔で振り返る。
「かわいらしい訪問者さんたち。こっちへいらっしゃい。歓迎するわ」

 向けられた笑顔がとてもすばらしくて。本当に自分たちが来たことを歓迎しているように見えたので、チルチルは用心してミチルをかばいながらも近付いた。

「2人ともイチゴタルトは好き? 今朝摘みたてのイチゴで作ったから、とっても新鮮でおいしいよ?」
「歌菜、俺が切り分けよう」
 月崎 羽純(つきざき・はすみ)がナイフを手に席を立って、歌菜からケーキを受け取った。
「ありがとう、羽純くん」
 両手が自由になった歌菜は、さっそく2人のためにイスを引く。

「<光>さんは?」
「俺のことは気にするな。おまえたちだけ呼ばれるといい」
 気を使って振り返ったミチルに対してそう言うと、グラキエスはさっさと後ろの木の所まで行って、<猫>や<犬>とともに待機に入ってしまった。

「さあどうぞ」
 羽純が放射状にナイフを入れて切り分けていくタルトを皿に移して、フォークと一緒に2人の前に置いた歌菜は、農家の方を振り返った。
「マビノギオンさん、おじいちゃんを連れてきてくれる? 今日はこんなにぽかぽかして気持ちいいし、お客さんも来てくれたことだし。きっとおじいちゃんも楽しめると思うから」
「分かりました」
 2人のために飲み物の用意をしていた蒼天の書 マビノギオン(そうてんのしょ・まびのぎおん)が笑顔で答えて農家に引っ込んだ。


「さあ主。2人が来ました。いよいよ出番ですよ」
「ほんと?」
 中でお菓子をつまんでいた芦原 郁乃(あはら・いくの)が振り返る。
「うう……緊張するなあ」
 郁乃はぶるっと体を震わせた。おびえているのではなく、武者震いだ。
 思えばリストレーションには初期から参加してきた郁乃だったが、真面目に、シリアスに、リストレーションするのはこれが初めてかもしれない、と思っていた。

(わたしは前回も結構真面目にされてたと思うんですけどね)
 そんな郁乃を見ながらマビノギオンは思う。
 でもツッコんだりしない。ここでそんなことをしたら、もしかすると郁乃はテレて心にもないことを口走ってしまうかもしれないから。心配するのも同様だ。物事に真面目に対処しようという考えはとてもすばらしいことだし、そんな郁乃のやる気をそぐような真似はしたくない。
 だからマビノギオンはこう言った。
「主、がんばりましょうね。私も精一杯お手伝いさせていただきます」

「うん! この本のリストラもだけど、今もどこかできっと泣いてるに違いないジーナに私たちの想いを届けよう!」
 それはまるで小さな太陽のような笑顔だった。


「おじいちゃん、こちらへどうぞ」
 マビノギオンに手を引かれて現れた郁乃扮するおじいさんのため、歌菜はイスを引いた。
 おじいさんがマビノギオンの手を借りて空いた席に座ると、すぐに羽純からタルトの乗った皿が回ってくる。
「ありがとう」
 受け取ったおじいさんは、そのときミチルがじーっと自分を見つめていることに気がついた。
 タルトを食べていた手も止めている。

「どうしたね? 老人がめずらしいかね?」
「あ、ううん。ごめんなさいっ」
 あわててタルトに目を戻す。
 少し恥じ入ったようにうつむいているミチルを見て、おじいさんはふぉっふぉっと笑った。
「いいさいいさ。このしわくちゃ顔がめずらしいなら、よく見るといい」
「違うよ。ミチルが見ていたのは、おじいさんが俺たちのおじいさんに似ているからなんだ」
 チルチルがフォローする。
「ほう。私がかね。それはうれしいことを、ありがとう」
 おじいさんの目がチルチルの方を向いた。
「ときにおまえさん方、何の用でここへ来たんだね?」

 チルチルは言われて気付いたように、食べる手を止めて背筋を正した。
「青い鳥を探してるんだ。おじいさんたち、知らない?」
「青い鳥とな。ホホッ、見たとも言えるし、見なかったとも言えるかのぉ」
「えー? 何それ?」
 うさんくさそうに眉を寄せる。
「おまえさん方よりずーっとずーっと長く生きておるからの。そういうことがあったにしても、思い出すにはちと時間がかかる。
 なぜ青い鳥を探しているのだね?」
「持ってるとしあわせになれるからさ!」

「ではきみは、しあわせではないというのかい?」
 そう言ったのは、飲み物のおかわりをついでいたマビノギオンだった。
 チルチルはうっと詰まって、少し考え込んだあと、首を振る。
「分からない」

 マビノギオンには、チルチルと二重写しになっている三号の姿が見えていた。
 三号は気付いていないかもしれないが、チルチルと同じ表情をしている。

「しあわせって何? あなたは知っているの?」
「さてね。『ものみな美しい』という言葉があるのを知っているかな? それぞれ美しいが、その美のある場所は違うこともある。それと同じで、どんなときでもしあわせなことってのはあるもんだ。
 例えば、きみは恋をしたことはないかい?」
 声に出して言ったあと、ふふっと笑う。
 三号はともかく、チルチルはまだ小さな子どもだ。恋の妙技を知るにはまだ早い。
「わたしは今生きてることに恋してるんだよ。ときどきはうまくいかなくてがっくりくることもあるけれど、予想以上の結果が出たときの喜びといったら…。それにね、恋してなきゃ笑顔なんて出せないよ。
 恋をなさい、いろいろなものに、たくさん。そうして楽しみ、笑いなさい」


 最後まで楽しみ、笑ってなきゃもったいないんですよ。
 そうじゃないですか? ジーナさん。


「恋はすてき」
 答えたのは歌菜だった。
 ティーカップを両手で包むように持って、そのかぐわしい香りを吸い込むと、夢見るようにほほ笑む。
「相手を見た瞬間に分かるの。ああ、この人だ、って。心のピースにぴたりとはまり込むんだ。それまでそんな穴があったことにも気づいてなかったのに。そうして初めて自分が満たされたことに気付く。
 私にとってはこの人がそう。森の遺跡のなかで眠る彼を見つけたときから分かってた」
「俺は悟るのに歌菜よりもう少し時間がかかったが。まあ、そうだな」
 苦笑した羽純の手がテーブルに戻った彼女の手を包む。
 やさしく絡めあった指を口元へ運び、そっとキスをした。互いを見つめ合ったまま。

 きらきらとしたあたたかな光が2人を包んでいるのが見えた。

「……怖くないんですか」
 ミチルが問う。
「そんなにも大切なものを持つことって。いつか、失いそうで……そのときが来るのが怖くなったりしません?」


 結和だ、と三号は思った。今のはミチルでなく、結和の言葉だ。
 それと知りながらも、三号は黙ってカップに口をつける。


「怖いよ。でも、だからって手放すのはあまりにばかげてる。
 出会ったときのこと、初めて手を繋いだ日、初めてのキス。告白、プロポーズ、結婚式……2人ですごした日々は、全部覚えてる。
 生きてる限り、人にはいつか、必ず訪れる別れの日がある。それはとてもさみしくて、つらいこと。多分、心が壊れそうなくらい泣き叫んじゃうと思う。
 でもね、別れは全てを奪えない。どんなさびしさも、苦しさも、痛みも。決して奪えないものがあるんだよ。
 それが思い出。
 彼のあたたかい手や笑顔。声。なんでもないしぐさひとつひとつ。思い出すと、それだけで心に火が灯るの。永遠の別れがやってきて、たとえもう二度と会えなくなったとしても、同じように、きっと羽純くんもそうしてくれると信じられる。
 それって、とても素敵なことだと思わない?
 思い出のなかで、私たちはいつでも、何度でも、また会うことができる。だから人は思い出をたくさん作るの。その思い出がしあわせの形なの」
 ねえ、羽純くん。

 無邪気なまでに彼への愛にあふれた歌菜の目を羽純は見返した。

「生きている限り、何者も死から逃れることはできない。いつかは俺も、歌菜も、その日を迎える。そして「死」の瞬間、人は例外なく「たった1人」だ。そこにはだれも存在しない。
 いつかこの肉体が滅びるとき。俺は独りかもしれない。だが最期に俺を見届けられるのは俺だけ。そして、たとえ傍にいなくても、必ず今日のような歌菜を思い出す。歌菜との日々を。
 そのとき俺は「1人」かもしれないが、決して「独り」ではない」

 淡々と述べる羽純、そしてしあわせそうな笑顔で彼と見つめ合う歌菜を見て。
「すてきですね」
 結和はほうっと息をつき、ミチルのなかへ戻っていく。

 人はだれも1人ではいられない。ともに生きて、思い出を紡いでいく。
 つらいことも共有して、やさしい思い出で塗り替えて。それはきっと消えることはない。
 長い年月をかけて磨かれて、珠のようにきらきらと光り続けるに違いない。
 やがてきらきら光る思い出は、青い鳥に姿を変えるでしょう。

「このまま生きていったら私たち、そのうち青い鳥に埋もれちゃうかもしれませんね?」

 そっと手を伸ばし、三号の耳元で冗談ぽく笑う。
 結和と違い、三号はだんだんと落ち着きを失ってざわつきだした自分の胸を感じずにはいられなかったが、あえて無視して無表情を保ち、そして言った。

「人が生きた軌跡は……すごく些細なものでも「世界」に作用していく。多分それは個々の想いが作用して――それは決してどれも末梢的な事象ではなくて――そうやって、皆が世界の一部になって生きていく……んだね。反響板のように、互いを響かせ合いながら。そしてそのたくさんの音は歌となって……連綿と続くんだ」

 それが命であり、存在意義、証でもある。
 この流れは途切れることはないのだとあらためて思う。そして自分もまた、その大きな「世界」の1つなのだとジーナにも感じてもらえたら……。

 テーブルの下で、結和がぎゅっと三号の手を握った。


「ここの2人は、ともにおることにしあわせを見出しておる。同じ人生を共有することに」
 おじいさんはお茶を吹いて冷ましながら告げる。
「メイドは周囲すべてに恋をし、いとおしみながら毎日をすごすことに。おまえさん方はどうじゃ? 
 青い鳥を得ることでおまえさん方のしあわせが手に入るというのなら、あるいはそうかもしれん。しかし「青い鳥」そのものがおまえさん方のしあわせではあるまい。
 青い鳥を捕まえて、どうなったらおまえさん方はしあわせなんじゃ?」

「それは…」
(どうなの? ミチルちゃん)
 結和はミチルの心を探った。しかしミチルは幼すぎて、意味が分かっていないようだった。青い鳥探しも兄との楽しい冒険程度にしか考えていない。
 一方、チルチルはといえば。
「お金持ちになるんだ!」
 三号が気持ちを探る必要もなく、大声で返答していた。 

「あったかい大きなお屋敷に住んで、おいしい物いっぱい食べて、おもちゃもいっぱい買えるし!」

 この返答におじいさんは目を丸くし、そしてふぉっふぉっと高笑った。
「なるほど。金持ちになって、贅沢に暮らすか。それはいい」
「……おじいさん、ばかにしてるの?」
「いやいや。まだおまえさんには少々早すぎたと思うただけじゃ」
「やっぱり子ども扱いして、ばかにしてる」

 ぷう、とほおを膨らませたチルチルの前、おじいさんが立ち上がった。すかさずマビノギオンが傍らについて体を支える。
 おじいさんはほがらかな笑顔でチルチルにおいでおいでをしてそばに寄ることを促した。
「今の状態が変わることが幸せにつながるかもしれん。たしかに変わることで掴むし幸せもあるじゃろう。しかし『いつもと変わらぬこと』の価値というのもあるんじゃよ」
 眉をしかめるチルチルの頭を、ぽんぽんとたたく。
「分からずともいい。わしとて、この歳になってもその時その時でしあわせの中身なぞ変わる。ただ、しあわせを求める旅をするのなら、しあわせが何かについてはちゃんと考えて、見つめておくべきじゃと思うぞ。もしかしたら、おまえさんはとうにしあわせなのかもしれん」
「……そうとは思えないけど」
「そうかそうか」
「それで、何?」
「うむ。ジジィの繰り言につき合わせて、いらぬ時間をとらせたからのぉ。お詫びにワシからお前さんに贈り物をあげよう」


 おじいさんがチルチルたちを導いた場所は大きな木の下で、枝には青い鳥がたくさんとまっていた。
 まるで青い鳥でできているように。

「青い鳥がこんなにいっぱい!」
「おじいちゃん、ほんとにもらってもいいの?」
「ああ。好きなだけ連れてお行き」



 チルチルは急いで1羽を捕まえ、からっぽだった鳥かごのなかへ入れた。
 ビー玉みたいな美しい真青の羽をした小さな小鳥。
 けれど、みんなにさよならを言って『思い出の国』を出た瞬間、青い鳥は黒い羽を持つ黒ツグミへと変わってしまったのだった。

 驚き、『思い出の国』へとって返そうとしたけれど、またしても周囲を深い霧に包まれ、2人は二度と『思い出の国』への道を見つけることはできなかった。