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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日

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【猫の日】『キトゥン・ベル』の奇妙な開店日
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第5章 猫たちは大騒ぎ

「にゃあー(ダリルー)!!」
 猫ルームからルカルカは声を上げ、ガラス壁の向こうでエースと何やら話をしているパートナーのダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)を呼んだ。
 呼んだところでダリルには猫の鳴き声にしか聞こえないことは承知しているが、意識を引きつけることができれば勝機はあると確信している。
 知り合いのエースがこの店にいるのに気付いて来店したダリルだが、ガラス壁越しのルカルカのアピールに気付き、何事かという目でまじまじとしばらく見ていたが、エースに猫ルームに入る断りを一言いれると、扉を開けて入ってきた。室内の猫たちを一折見回してから、
「……。ずいぶん興奮している子がいるな」
 不思議そうに呟きながら近寄ってきたダリルに、さらに自分を分かってもらうためのルカルカのアプローチが始まる。
「にゃっ」
 ダリルのポケットに飛びついて、チョコバーを抜き取る。いつも彼がルカルカを懐柔するために持っているものだ。それを床に置いてちょんちょん、と前肢でつついてアピールする。これを食べる人物を彼が想起するように。
 ダリルはしばしそれを見ていたが、
「悪いな、これは猫が食べてはいけない物なんだ」
「にゃーにゃー(それは知っているけどー)!」
 確かに猫にチョコは駄目なんだけどそういう意味じゃないんだってば、と訴えかける間もなく、屈みこんでチョコバーを回収してしまう。だが、体勢が低くなったのを機と見て、今度は素早くその腕を伝って肩に駆け上ってみた。
「あ、おい」
『ダリルー、ダリルー! 大変な事が起きてるんだってば、早く気付いてよー!』
 頭に乗っかり、尻尾を振り、懐いているアピールをするも、
「ずいぶん威勢のいい子だな」
 全く分かっていない様子で頭から引きはがされそうな感じなので、慌てて左肩の上に移動して、肩掛けのような状態になって両前脚でモールス信号を叩いてみた。
『ダリル、大変なのにゃー』
「おや痛い痛い、あんまりやんちゃするんじゃないぞ」
 ただ悪戯していると思われたのか、両手で抱えて床に下ろされてしまった。
「あとで猫クッキーやるから、大人しくするんだ」
(何で分からないの!? ダリル……本当に気付かないの!?)
 猫になってもいつもの自分らしさ全開アピールと、持ち前の分析力とが合わされば、ダリルには分かると思っていた。
 そもそも自分が猫になったなどと思いもつかないのだとしたら、どうアピールしたら気付いてもらえるのか。万策尽きた感で尻尾を垂れてしゅんと俯いてしまったルカルカに気付き、ダリルが手を伸ばした。
「あ……すまん。ルカ」

 次の瞬間、ダリルの目の前にいたのは、座り込んで瞠目する、しかしいつものルカルカだった。
「……。最初から気付いてたでしょ、ダリル」
 ぶんむくれるルカルカに、零れそうになる笑みを押し隠してダリルは飄然と言ってのける。
「それほど切羽詰ってなかったようだし、似合ってたからな」
「なんにゃとーっ!」
 猫っぽいぱーんち、と拳を突きだすルカルカをさらりと躱し、
「さてと、こんなことになっている元凶を何とかしないとな」
 ついでにルカルカの不満もさらりと脇に流して、ダリルはさっさと本題に入ろうとしていた。



(あれは……!!)
 猫タワーの上で寝そべっていた樹は、思わず身を乗り出す。ルームに入ってきたのは緒方 太壱(おがた・たいち)、そして緒方 章(おがた・あきら)だった。
「ネコだー! ネコ、ネコ〜」
 太壱は目を輝かせて、ルームにたむろする猫たちに駆け寄っていく。猫(に)まっしぐら。
「ネコ、ネコだぁ……ネコさわり放題や〜……」
 至福の表情で猫をもふりまくる太壱を、後ろから太壱の従者のミャンルー(うにゃーさん)とともに入ってきた章は苦笑して見つめている。
「やれやれ……」
 樹はパートナーたちの喧嘩に嫌気がさして空京に行ってしまって、それから連絡が取れない。探さなくてはと思うのだけど、部類の猫好きの太壱がこの『キトゥン・ベル』の開店に目を付けていたらしく「お袋捜しがてら猫カフェで飯でも喰おう」とかなんとか言って、ちゃっかりここに入ってきてしまったというわけである。
(それにしても、樹ちゃん、どこに行ってしまったんだろう)
 仕方なく、章も適当なスペースに腰を下ろし、暇そうに寝転がっている猫を構いながら、店の中を観察していた。
「人懐こい猫だなぁ」
 そんな章の背中に、おずおずと樹が歩み寄る。
(アキラ……。ええと……どうすればよいんだ)
 飛びつく、にゃんにゃんアピール、胸ダイブ――今までいろんな契約者猫がやって来たことをタワーの上から見ていたが、どれも自分にはできそうにない……というか絶対無理だ……
 しばらく一人で悶々と考えた末に、ちょこんと樹の背に寄り添うように丸くなってみた。
(こんなでは……無理だろうか……)

 ――「え? 何、うにゃーさん?」
 両手に猫でにそにそと笑っていた太壱は、ミャンルーに引っかかれて振り返る。何か驚いているらしいうにゃーさんに促されて『パラミタがくしゅうちょう』と筆箱を貸すと、太壱と意思疎通する時には恒例の、絵による情報伝達が始まった。
「なになに……、!? 『お袋と、そっくりな、臭いのする、ネコが、いる』?! …んなバカな!」
 驚く太壱に、さらに絵による情報が伝えられる。
「親父の背中の……って? え、この三毛猫?」

(……!?)
 いきなり抱き上げられて、樹はびっくりして、その腕の主を見上げた。
(こ、これはバカ息子……って、抱きつくな纏わり付くな撫で倒すな!)
 全力で暴れて太壱の腕から逃れると、フシャーと威嚇した。
「いって! メチャクチャ暴れる!!」
「どうしたんですか、太壱君? 騒ぐと猫が逃げちゃいますよ?」
 章が振り返ると、太壱は不服そうに樹を指差して「この三毛猫抱かせてもくれねぇ! さっきまで親父の背中に寄り添って寝てたのに」と訴えた。
「いつの間に……あぁ、大丈夫ですよ、ほら、優しく撫でてあげれば、大人しくしてるじゃないですか」
 章の手に撫でさすられて、樹は大人しくなる。……どうすればいいのか分からず、半分は固まっているのだが。
 その間に、うにゃーさんと不満顔の太壱によって、さっき伝えられた情報が章にも伝えられた。
「樹さんの臭いのする猫……?」
 章の手に緊張しているかのように固まっている三毛猫を、章はしばらくじっと見つめていた。
「……。もし“そう”なら……」
 背を撫でていた手をそっと、三毛猫の首にかける。

『!!?』
 首に走った接触の感覚が、首を絞められて殺されかけた過去を呼び起こし、反射的に樹はその手に爪を立てて飛びのいた。
(……あ、す、すまん、アキラ……痛かった、だろう、な……)
 すぐに我に返り、申し訳なさそうにおずおずと歩み寄ると、その手に走った赤い筋にぺろりと舌を這わせた。
「やっぱりそうだ……樹ちゃん? 樹ちゃんだね?」
 その言葉に、びくっとして樹は顔を上げた。
 よく知っている、温和な顔がそこにある。
(分かってもらえた……のか?)
 首に触れられることに強い拒否反応を示す樹の癖を、章は知っていた。
「……樹ちゃん、帰ろうか? 喧嘩はみんな反省してる」
 その目に映る樹はすでに、驚いたように目を見開いて自分を見つめ返す人間の姿だった。

「……なんで、お袋が、猫になってたんだ……!?」
 目の前で猫が樹に姿を変えたことに、驚きすぎて呆然と座り込んだ太壱は、至極当然のその疑問をぶつける相手が見付からず――目の前で言葉もなく見つめ合う両親にはさすがに話しかけにくい――仕方なくうにゃーさんに問いかけたが、うにゃーさんは「知らないです」という表情で首を傾げるしかなかった。




 猫ルーム内の、猫が飲む水を入れた給水ポットの水を取り替えているのは東條 カガチ(とうじょう・かがち)である。
「もふもふはいいよね。幸せだよねこんな仕事」
 ご機嫌である。
 先程からやたら作業に時間がかかっているのは、作業が難しいからではない。
「よしよし、こっちにいちゃだめだぞ」「ここは掃除するからちょっとこっち行っててくれなー」などと、作業にかこつけて猫を移動させるという名目で猫と触れ合いまくっているからである。
 そもそも何かにつけてホールより猫ルームに入る用事を作って出入りしまくっているので、バイトの名分を利用してかなり個人的な嗜好を満たしている風だ。
(というか)
 そんなカガチが気になっていることはといえば。
(さっきから何か、黒い猫に注目されてるんですが)
 隻眼の黒猫が、休憩用バスケットの上で香箱を作ってじっと視線を自分に注いでいるのを感じていた。
(片目の黒猫って珍しいなあ……事故かなんかで保護された子かねえ)
 その黒猫の正体に、カガチはまだ気づいていない。




『我はいま流行りのポータラカ人、ンガイ・ウッド(んがい・うっど)である! 呼び難ければシロと呼ぶが良い!』
 と高らかに名乗りを上げたところで、人の耳にはにゃあにゃあとしか聞こえないし、猫たちは呪術にかかった自分たちの今後を案じて一様に暗い顔をしているしで、まともに聞く者などいない。
(ううぬ、本当に人語が喋れなくなっているらしい……) 
 ンガイもまた、他の契約者同様、謎の鳴き声を聞いて気が付いたらこの猫カフェにいたというクチだ。
 ただ、ポータラカ人である彼は、そもそも猫の姿なのだ。
 見た目は何も変わらず、ただスキルや人語だけが奪われて……普通の猫と同じになっていた。
 それは中途半端な変容である。気付いた時には驚きにくれたが。

 いつもと大して変わらないんじゃね?

 ということに気付いたンガイは、開き直って「猫カフェライフ」を謳歌することに決めた。
 黙っていても、ここには大喜びで猫をもふりに客がやってくる。
『ふふふ……我を満足させる人間などそうそういまいが、せいぜい頑張るがいいわ!』
 いかなる者の挑戦をも受けようぞ、と堂々と胸を開く――つまり腹を見せて喉をゴロゴロ鳴らして寝転がっていると、八雲がやって来た。
「おや、なんか凄い分かりやすい(構って)アピールだな」
 なかなかない機会なので、と、この部屋に入ってからずっとにやけながら思う存分に猫を撫で可愛がっていた八雲だったが、やりすぎるとほとんどがそのうち逃げていってしまう。なので最初は様子を見ながら控えめに、アピールしているお腹を撫でていたのだが、ンガイが『まだまだだ! その程度で我をうっとりさせられると思うでないわ!!』と叫びながらにゃんにゃんごろごろすりすりと強烈に擦り寄っていくにつれ、
(……なんだか、挑戦されてるような気がする……?)
 強くなるアピールに応えて、いつの間にか撫でぐり回してもふっていた。
『おぉう……なんと、尻までそのようにもふるか! 短時間のうちになかなか腕を上げたなそなた!
 だがまだまだ……心なしか手の動きがなかなかどうしていやらし……しかし我を簡単に屈させられると考えられては困……ってぎゃああああああ』
 いきなりンガイが悲鳴を上げた(八雲には全部みゃあみゃあにしか聞こえないが)のは、八雲のせいではなく、ガラス壁越しに上杉 三郎景虎(うえすぎ・さぶろうかげとら)の姿が見えたからである。
『あそこに見えるはネガティブ侍!
 奴に気づかれたら猫カフェライフは終わりである! 隠れなければ!
 ……さらばだ若きもふり道の求道者よ! 次に我と会う時まで精進するがよい!』
 好き勝手な言葉を八雲に投げつけ(もちろん八雲には全然通じていないが)、慌てて逃げ出した。
 残された八雲は「あ……やっぱりやりすぎたか……」と、ちょっとすまなそうに呟いた。

「猫かふぇ……とな?」
 見覚えのある「物の怪」の姿を追って、三郎景虎はこの『キトゥン・ベル』にやって来たのだが、そもそも猫カフェがどんな店なのかも知らなかった。
 入ってみて、「なるほど確かに猫まみれだな」と納得して呟いた。
(東雲がいれば喜んだだろうに)
 体調が悪くて家で留守番をしている五百蔵 東雲(いよろい・しののめ)のことを思い浮かべながら、猫ルームに入った。どこか違和感を感じる猫や、変に獣臭い感じの従業員のことなど少し気にはなったが、猫カフェのことを知らないのもあって「そういう経営方針なのだろう」と思っていた。
(物の怪が騒動を起こす前に回収しなければ。
 この中から探し出すのは時間がかかりそうだが……。他の猫達に罪は無いからな)
 物の怪とはもちろんンガイのことである。

(まずいる、だんだん近づいてくるのである!)
 ンガイはなるべく他の猫たちに姿を紛れさせようと、猫が集まっている方へと逃げていく。
 しかし所詮部屋の中である。まだ気づかれてはいないがだんだん、距離を詰められていく。
 そこに、目に入ったのはボックス型の猫のベッド。小さな穴の出入り口に入ってしまえば、外からは見えない。気付かれたらそれこそ袋のねずみ(猫だけど)になってしまう可能性もあるが、上手くすれば一時目を逃れられるかもしれない。
『誰かおるか? おらぬな?』
 小声でボックスに呼びかけ、返事がないと見て(かなり性急だが)飛び込んだ。
 むにゅ、という感覚があった。しまった先客がいたか、と思う間もなく。

『くっさああああああああ〜〜〜〜〜〜!!』

 絶叫が上がった。
 それはもちろん、人の耳には猫の鳴き声にしか聞こえない。だが、三郎景虎が標的の居場所を知るには十分だった。
「そこか物の怪!!」
 過たずボックス型ベッドに辿りつくと、中から猫を引っ張り出す。……だが、それはンガイとは別の猫だ。
「あ、す、済まぬ……というか、なぜ酒臭いのだ……?」
 引っ張り出された猫――シーニー・ポータートル(しーにー・ぽーたーとる)は、三郎景虎が気を遣ってそっと床に下ろすと、ふらふらと二、三歩歩いて「にゃあ」と鳴くと、こてんと横になる。
『ふにゃー(二日酔いで頭が痛いー)』
 酔っ払って寝ていた彼女の撒き散らすアルコール臭が、ンガイの絶叫を引き出したのだった。
 そしてそのンガイは、三郎景虎がシーニーに気を取られている間に、自分でボックスから飛び出し、逃走を図った。
「待て、物の怪!!」
 ンガイは扉へと走る。ちょうど、尻尾をつけた(?)店員が、寝床に使うのかタオルを持って中に入ってこようとしている時だった。
「!!」
 扉を半分開けた店員は、ンガイに驚いて大きく扉を開け放って、尻餅をついた。
 ンガイがそこから飛び出そうとし……しかし一瞬遅く、三郎景虎の手に、首根っこを掴まれていた。
「すまぬ、店員どの。怪我はないか」
「だ、大丈夫にゃん……」
「(にゃん?)」

 その時、隻眼の黒猫が、彼らの横をすり抜けて、さっと外へと飛び出した。
「あっ、こら、駄目だぞ待てよ」
 慌てて追いかけてホールに出たカガチの前で、黒猫は立ち止まり、振り返って一言。

「うなんな」

「は?」
 一瞬呆気に取られた隙に、黒猫は再び駆け出し、バックヤードへと走っていく。
「(うなんな? なんだそれ)おい待てよー」
 カガチもそれを追いかけて走っていった。



 その十数分後。
「なんか騒がしかったみたいだけど、入っても大丈夫よね?」
 休憩時間ということで、自らも猫に癒されようと、舞香が猫ルームに入ってきた。
(店員は変なのが多いけど、猫はやっぱり可愛いわね)
 ――「にゃあああ(まいちゃーん)!」
 舞香の姿を見た三毛猫――綾乃が飛ぶように寄ってきた。
(まいちゃんだ! 捜しに来てくれたんだ!!)
「にゃあにゃあ」
「? やけに懐こいのね、この子」
 1匹だけ異様に体を摺り寄せてくる、その三毛猫に舞香はちょっと目を丸くした。
(何か美味しいものの匂いでもするのかなあたし)
 気になって服の裾を翻して見ている時、綾乃の目に、メイド服のポケットから覗くものが見えた。
(! それは、新作のパラレール!! 嬉しい、買ってきてくれたんだ♪)
 嬉しくなると同時に、舞香に気付いてもらうためのアピール作戦を思いついた綾乃は、ポケットに飛びついてパラレールを引っ張り出した。
「あ、こら! そのパラレールはダメ! 綾乃のお土産なんだから!」
 気付いてすぐに取り上げようとした舞香だが、三毛猫がやけに嬉しげに喉をごろごろ言わせてパラレールにじゃれつくのを見て、手を止めた。
「嬉しいの? 変わってるわね、あなた……
 三毛だからメスでしょう? 女の子なのに電車が好きなんて、まるで綾乃みたい……」
 舞香が呟いた時、三毛猫は急に顔を上げて――まるで我が意を得たりというように――「にゃあ! にゃあ!」と強く鳴いた。
 何かを訴えかけるように……
「え……」
 そういえば、パラレールを床に置いて、ちゃんとどう扱えばいいのか分かっているような様子でじゃれついている。猫にそんなことが分かるだろうか?

「え!? ま……まさか、あ、綾乃なのー!?」

「わーん、まいちゃぁん」
 舞香の目の前で、人間に戻った綾乃が、舞香に泣き付いた。