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水宝玉は深海へ溶ける

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水宝玉は深海へ溶ける
水宝玉は深海へ溶ける 水宝玉は深海へ溶ける

リアクション

「明かり、全部復旧してる訳じゃないんだね。当たり前だけど」
 飛び飛びの頼りない明かりの廊下を歩きながら、
リキュカリア・ルノ(りきゅかりあ・るの)は努めて明るい声を出していた。
 今彼女と共にを進むのは上杉 三郎景虎(うえすぎ・さぶろうかげとら)
 そして彼らのパートナーの五百蔵 東雲だった。
 彼は生来の虚弱であった。
こちらへ渡ってからは元気に過ごす事も出来ていた日もあったが、しかし進んで行く時は止められる事は無く、
ある原因を身体に受けたその日から静かに終わりに向かいつつ有る。
幾日もの眠りと短い覚醒の日々を過ごすうちに身体はいよいよと衰え、
彼も、彼のパートナーも来るべき日への『覚悟』を決める事しか出来なくなっていた。

「(東雲は分かってるんだね。自分が、もう……)」
 東雲への想いから時々悲愴に目を伏せるリキュカリアに、東雲は幼き日を思い出していた。
 周りの大人から『悔いのない人生をおくって欲しい』と、そう望まれていた気がする。

悔いの無い人生とは、自分にとって如何なるものだろう。
全ては何時か消えてしまうものと何処か希薄に過ごして来た自分に、
残してはいけない思いが一つでも有るとすれば?

 夕闇の中で、立ち上がるのにも難儀な東雲に景虎は同行を頼まれた。
『同行しか』頼まれていなかった。
 死霊術師の術を自らに以てまで無理矢理動く東雲は、
「もしもの時は頼む」とリキュカリアに執拗に念を押している。

「(術師(リキュカリア)が東雲に頼まれた術。
どれも禁術に近いのでは? 術師はどうも反対出来ないらしいが、過去に何かあったのだろう。
 しかしそうまでしても、あの娘を救いたいのだろうな、東雲は)」
 透ける様に薄い身体を引きずって進む東雲と、彼を気遣うリキュカリアの背を見ながら、景虎は思う。
「(命を賭けて救われたとて、その娘が喜ぶものか)」
 東雲に言われるままに従うのが本当に良い事なのか、自分達はいずれ話し合う必要があるだろう。
しかしそれは多分、全てが終わってからだ。
「(死の決意すらある東雲も、気丈に振る舞う術師も、
そして救出対象のあの娘も、どうしてこうも痛々しいのだろうな)」
 遣る瀬無い思いを胸に、景虎は今にも消沈してしまいそうな仲間達の背を守り歩き続ける他ない。
「確かに明かりも俺達の力も頼りないが――
 兎も角躁急に例のろりこんとかいう男から水宝玉の欠片の情報を引き出し、

 東雲が懸想している娘を救ってやろう」
「け、懸想?
 ……彼女はその、俺の大切な友人で――」
「……そう言う事にしておくか」景虎が話を終わらせようとした時だった。
 向こう側から足音が聞こえてくる。この状況下でまるで自分は此処に居ると言わんばかりに主張するのは、
死にたい奴か自分の腕に自信がある者だけだ。 
 景虎が来るべき敵に相対する為腰を屈めると、足音は止み、代わりに言葉を投げてきた。


「五百蔵 東雲。前に会った時は車椅子だったはず」
 点いたり消えたりを繰り返す明かりに、彼らが探していた敵の大将首の姿が照らし出される。
 相手は東雲の『背中の後ろ』を怪訝な顔で見つめながら恐らく――ため息を吐いた。
「アレクサンダルさん、隊長……なんですよね。
 だったら――お願いです。アクアマリンの欠片の在処を教えて下さい。
 あれがなければ、彼女は生きていけない。
 何でもします。俺に出来る事なら……

 いいえ、出来ない事でも!」
 1も2も無く発せられた懇願に、アレクは苦笑し言う。
「話がある。二人でだ」応えを聞くより前に東雲とその後ろのリキュカリア達の間に氷結の壁が現れた。
「東雲!! 東雲ッ!!!」
 必死に壁に拳を叩き付けるリキュカリアの手に、景虎は手を添えて首を振った。



 氷結による壁に囲まれ薄ら寒い空気の中、
冷たい床に座った東雲の前でアレクは壁に凭れ機械的な早口で話し始めていた。
「こんなイカレた事やってたのはな、はじめ二人だけだった。
 さっき時間稼ぎに妙な議論した所為で
元々は復讐なんだか、正しい世界を作る為だったか……それとも憂さ晴らしだったかもう俺自身も忘れたが、
 兎に角俺の頭のイカレた部分を認めたトーヴァの二人だけの遊びだった。
 最初からこんな組織じゃなかった。
気づいた頃には識別の為にこんな衣装まで着込まなきゃフレンドリーファイアしそうな位の人数に膨れてた。
 確かに今俺はあいつ等の隊長だ。俺が命令を出せば隊士はその通りに動く。
 でも同時にこれはただの作られたカリスマに過ぎない。
 俺の力と経歴を利用して担ぎ上げ、組織を強化しているのはリュシアンの方だ。
 それからこの組織にはスポンサーも居る。
 アデーレって名乗ってやがる自称科学者で、兵器を作り出しておいて、それで人が死ぬのは厭なのだと言う
俺と同じ巫山戯た野郎だ。そいつがリュシアンと共に組織を此処迄作り上げた。
 奴は何時も隊士連中相手に話していた。
 パラミタの史書にすら存在しないアクアマリンという機晶石だか宝石だかとセイレーンと言われるバイオロイドの話だ。
 他人の感情をコントロールし、未来を予知する死すらも超えた超常の力を有しながら、正しく使われる事の無かった代物だと。
 それを何時か見つけ出して研究し、人々の役に立てたいとか阿呆臭い理想を語ってた。
 俺はそれを奴の冗談だと――幾ら此処にいても其処迄オカルト染みた話は信じられなかった。

 だがあの日、あの青い光りを見て、『あの娘』がそれだと分かった。
 俺はあの青い光りも、あの娘の存在も、全てを隠しておくつもりだった」
 東雲が律儀に自分を見上げているのに気づいて、アレクは東雲の横に腰を下ろし続ける。
「でもな。リュシアン――俺のパートナー、監視してるんだよ俺を。
 あの日一日連絡しなかった俺を探して、例の映像を『見つけて』追求してきたんだ。
 翌日俺はリュシアンの望む通りに組織の頭としてあの娘の家に行って、誘拐した。
 『証拠は残した』が、お前らが直ぐに辿り着くとも思えない。
 早く帰してやりたかった。怯えるあの娘を前に俺はどうしようもなく焦ってて、
あのアクアマリンの欠片が『只のバイオロイドの彼女を兵器に変える力がある』と言うゲーリングの詭弁を鵜呑みにし、
奴にアクアマリンを渡した。そんな都合のいい話、ある訳ないのにな。

 その日の夜に彼女は『言葉を発せなく』なった。歩けば悲鳴を上げ倒れる様になった。
 見ているのが辛かった。でもそれをしたのは俺だ。俺には贖罪する義務がある。
 ……兎に角彼女を組織から解放しようとし、銃を渡した。
 そのまま隣の部屋に居た彼女に聞こえるように殺害命令を出した」
「ジゼルさんを逃がすつもりだったんですね……」東雲の言葉にアレクそこで初めて表情を変えた。
 それは形容しがたい酷い笑顔だった。
「そうだな。多分、そうなんだ。
 実際結構上手くやってくれたよな。
 俺達がここまで追いつめて、ギリギリのところで友人が助けにくる。筋書き通りだよ。上々だ。

 あとは俺達『偽者』が『本物の正義の味方』にやられるだけだ」
「あなたは……それでいいんですか?
 それじゃあなたは『悪役』になってしまう。
 そんなことしたらジゼルさんにはもう二度と会えなくなるかもしれないのに――!」
「いや、いいんだ。それでいい。
 俺は『手遅れ』だ。

 分からないんだ。考えると……頭が……痛くて、気持ち悪くなる。
 正直な所もう、時間も前も後ろも生も死もまともに認識できない。
 もう何年も浅い眠りを繰り返して、何度もあの日を繰り返して、全てが曖昧で夢のようで――
 
 彼女が本当に在るのか、また何時もの幻覚なのか、目の前に立っていてもそれが誰なのかも……分からない」
「(――それでも助けたいんだ、ジゼルさんのこと)」
「正常ではいられない。いる事を望まれていない。
 俺は狂気の行軍の隊長で、行き先は地獄だ。だからそれでいい」
 冗談と悪趣味で装飾した言葉で捨てて、アレクは冷たい床に座る東雲の前に立て膝を付き黒い瞳を見据える。

「アンタが今しなきゃならねーのは、宝石の奪還じゃない。無事で居る事だ。
 少しだろうと『生きている』なら、
 やるべきなのは、彼女の前で馬鹿面晒して無理矢理でも笑って見せる事だ。
 アクアマリンの欠片は――俺が必ず」
 嘘なのか本当なのか、曖昧というより異常に近い言葉で話すアレクに、東雲は上手く頷く事が出来ない。

 口から出せたのは一つだけ持った疑問点の指摘だけだった。

「……どうして全部話してくれたんですか?」
 真面目な顔の東雲を前にアレクは目を丸くして、それから肩を震わせる。
見れば分かるじゃないかと言いたげな笑い声に東雲の方が恥ずかしくなってしまった。

「そうだな、情けをかけたんだよ。こうでもしなきゃあんた
 自分がどうなってもあの宝石を取り戻しに行くんだろ?
 ……誰だって二目と見られないよ今のあんたの姿は」

 棒切れの様になった骨と皮だけの背中からは、それに相応しい羽根が生えている。
 ガラクタになった身体に無理矢理に動力と痛覚を忘却する術を押し込んだ自分の姿の酷さを指摘され、
東雲は心臓を跳ねさせる。
 その間にアレクは立ち上がり、東雲が顔を上げるのだけを待って薄く微笑んだ。
 東雲はその瞬間、アレクが話した全てが真実と本心から来る物だと悟った。
 傷ついた人を放って置く事ができない、面倒見のいい優しい、普通の人間の笑顔。
「(きっと、この人本当は……)
 あの……!」
「При?атно Shinonome.Желим вам пуно сре?е.」
 立ち上がろうとした東雲の肩を壁に軽く押し付けて去って行く背中が向こう側へ消えるのと同じ頃、
氷壁は消えパートナーたちは傾れ込むように彼の元へやってくる。
「東雲! 大丈夫!? 何かされてない!?」
 捲し立てられる言葉にも東雲は微動だにしない。
「……東雲?」
 アレクが消えた暗闇を見つめ、東雲は茫然としたままぽつりとあの少女の名前を呟いた。

「……ジゼルさん……」呼んでも返事は帰って来ない。

 東雲が求める透明な歌声も、迷わず闇へ進んで行く背中を止める術も、此処にはどれも存在しないのだ。