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リアクション
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セラフィーナ・メルファ(せらふぃーな・めるふぁ)がエイプリルフールについた嘘。
その全貌を聞いて、琳 鳳明(りん・ほうめい)は呆然としていた。
「どうしたんです、鳳明?」
「ついていい嘘とそうでない嘘があると思うんだっ!?」
あらあらと、悪びれた様子もなく口に手を当てたセラフィーナへと、お説教すること一時間。
「――わかったっ?」
鳳明が、息を切らせるほどきつく言い聞かせても、
「じゃあワタシの代わりに謝ってきてください」
セラフィーナは鈴を転がすように笑い、すっと封筒を差し出した。受け取る。厚さは便箋一枚分か。
「何、これ?」
封筒を、ひっくり返してみながら呟く。セラフィーナはにこやかに「謝罪文です」と言った。そういうものは自分で渡そうよ。もっともな意見を口にする前に、ぐいぐいと背中を押されて玄関まで追いやられた。
「ちょっとぉセラさん」
「さあさあどうぞ、行ってらっしゃい」
半ば強制的に送り出され、ひとり、工房までの道を行く。セラフィーナには反省の色はなかったし、なら彼女の言うとおり、自分が行って代わりに詫びたほうがまだ良さそうだ。
(お詫び、かあ)
セラフィーナの謝罪文がどのようなものかは見当がつかない。
(もし、叱ったときの反応と同じようなものだったらどうしよう……)
その場合、逆効果もいいところだ。彼女も大人だから、きっとそんなことはないはずだけど。
(少しでも私が誠意を見せないとっ)
そして、彼女が決めたことは。
「……一日家政婦?」
「うん! なんでもするよ!」
任せて、と鳳明が笑いかけると、リンスは表情の薄い顔に少しの疑問符を浮かべて、はあ、と不明瞭な相槌を打った。
「何したらいいかな?」
「さあ」
「えっ」
「俺、家のことあんまりわかってなくて」
だろうなあ、と納得した。それもどうかと思ったが。笑顔のまま頷いて、ひとまずクロエを捜すことにする。
クロエは工房の外にいた。丁度いいことに、洗濯物を干している。高く張られた物干し竿へと、踏み台を使って背伸びして。
ひょい、と洗濯物を受け取って、皺を伸ばしてから竿にかける。クロエがぱっと振り向いた。大きな目が、鳳明を見つめる。
「私がやるよ」
笑いかけると、クロエも笑った。隣に並んで、洗濯物を干す。
「ありがとう。でも、どうして?」
「今日は一日家政婦さんなんだ。ここの」
「かせいふさん?」
「うん。セラさんがエイプリルフールに洒落にならない嘘をついたから。そのお詫びかな」
「ふうん」
「……ね、クロエちゃん。リンスくん、怒ってた?」
「エイプリルフールのひ? ええとね。ええと、たしか、よかった、っていってたわ」
良かった。
その言葉は、あの日ふたりで話している時にも聞いた。無事で、良かったと。
「そっか」
「うそじゃないわよ?」
「うん。わかってる。ありがとう、クロエちゃん」
「うんっ」
洗濯物を干し終えると、風呂掃除。
それが終わると、昼ご飯の支度。
合間合間に、仕事に没頭するリンスへとお茶を淹れたり話しかけたりなんかして。
「クロエちゃんって、忙しいんだね……!?」
予想以上に動き回る彼女に、つい口をついて言葉が出た。クロエはきょとんと首を傾げていた。
「リンスくんは、家事とかやらないんだ」
「たまにするわ。おしごと、すくないとき」
「今は忙しいんだね」
「そう。だからね、はなしかけてあげてね」
「? 忙しいのに?」
「だからよ。ぼっとうしすぎるのもよくないの」
「ああ、なるほど。じゃあちょっと、お茶勧めてくるね」
「おねがいします」
キッチンで、ふたり分のコーヒーを淹れた。ほっと一息つける匂いだ。砂糖とミルクを添え、トレイに乗せて運ぶ。
「リンスくん」
「……」
「おーい」
「……」
呼びかけても、近くにコーヒーを置いても無反応だ。しばらく呼びかけを続けて、ようやく顔を上げてもらえた。
「休憩しよ?」
「ああ。うん」
提案に、リンスがこくりと頷く。リンスは砂糖のポットから角砂糖をひとつ取って、コーヒーに入れた。スプーンで混ぜる、かちゃかちゃという音が静かな空間に響く。
「集中力、すごいね」
「そう?」
「うん。クロエちゃんが気にするのもわかる」
「?」
よくわからない、といった表情をしながらコーヒーカップに口をつけるリンスの様子を見た。冷まして、もう一度混ぜて、一口含む。白い喉が動くのを見るのはなんだかいけないことのような気がして、ふっと目を逸らした。
逸らした視界の端で、リンスが首を左右に傾けているのが見えた。
「疲れてるの?」
「ちょっとね」
「肩揉む?」
「疲れない?」
「大丈夫」
椅子から立って、背後に回る。薄い肩に指をかけ、力を込めた。
「痛くない?」
「うん。大丈夫」
「凝ってるねえ」
「そうなの?」
「うん」
短い会話をしては黙る、そしてまた話す、を繰り返していると、テーブルの上に置かれたままの封筒が気になった。来てすぐに渡したのだが、リンスはもう読んだのだろうか。
「あれ、読んだ? セラさんの謝罪文」
「まだ」
「失礼なこと書いてないといいけど」
「じゃ、今読む」
封を切り、中身を取り出す。一枚の便箋につらつらと綴られた言葉は、出掛けに鳳明に対して取ったようなひょうひょうとしたものではなく、丁寧なものだった。
(やっぱセラさんも大人だね。ちゃんと謝れてるし、良かった良かった)
安堵し、手紙から目を離した一瞬。
「…………」
リンスの態度がやや硬化したように思え、そしてすぐに嘆息めいた息を吐いたので驚いた。
「どうしたの?」
「琳」
「うん?」
「家政婦、もういいから」
「へっ?」
「普通にしてて」
「えっ、でも誠意」
「もう見たから。そもそも怒ってないし」
「急にどうして? 私何かした?」
「違う、誤解させてごめん。そうじゃなくて。……なんだろうね? 反抗?」
「何に?」
「内緒」
そう、きっぱりと言われたらこれ以上は聞けない。リンスは椅子から立ち上がり、クロエ、と呼びかけた。みんなでお茶しよう、と。
鳳明は、テーブルの上の便箋に目を落とす。きっと何か、余計な一言があったのだろう。
(たまにはこういうの、悪くなかったんだけどなあ)
だけど、普段通りももちろん、良いので。
(どっちも楽しめて、良かった? かな?)
クロエを連れてテーブルに戻ってきたリンスに微笑みかけると、リンスも薄く笑ったようだった。