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【第五圏・ケルベロスの打裂き】

 ジゼルを心配する兄達然り。弥十郎を手伝う八雲然り。
 弟妹に頭が上がらない、そして死ぬ程心配な兄がここにも一人。
 蔵部 食人(くらべ・はみと)
 セイレーンとの戦いの日、文字通り死にかけた身体を引き摺って、入院先の病院からこっそり抜け出して来た彼の目的は、妹の蔵部 千衛(くらべ・ちえ)が心配で心配で仕方なかったからである。
 ニット帽を目深に被り、マフラーを顔にぐるぐる巻いて覆い入店した彼の姿は、今が五月ということを考えればかなり怪しかった。
 布一枚分を透過出来る邪気眼レフの能力に頼って視界を確保している食人だが、見た目はバレバレだし、帽子を脱げば女性を透視してしまって(ウブ過ぎる性格故)鼻血卒倒コースが確実視されるというのに、そのくらいの判断力すら、今の彼は失ってしまっている。
「(いつもなら剣道着だからすぐ見つかると思ったのに――おかしいな?)」
 食人はレンズに写る女性達の中から、剣道着の少女を必死に探していた。
 確かに彼女は普段何時も剣道着ばかり着ている。
 が、これが食人の馬鹿なところで、合コンに行く女の子が剣道着を着ている訳が無いのだ。
 千衛だって今日はばっちりオシャレをしていた。
「(何処だ!? なんで見つからないんだ!!)」
 こうして周囲をキョロキョロしていた馬鹿――じゃなかった食人は、ジゼルと雅羅を偶然視界に入れ、先に彼女達に挨拶をしようと椅子から立ち上がった。

「隊長。めっちゃ怪しい奴がジゼルちゃんに近付いていくっス」
『まずは様子を見張れ。怪しい動きがあるようならば即、撃って構わん』
「Wilco.
 狙撃班通達。警戒レベルをCからAへ。Cats、ポイントFの2へ移動。
 報告はいい。察知した時点で目的を射殺せよ」
 こうした通信はネイティブなスピードの軍隊英語で行われている所為だろうか、それとも意識がまだ霧の中にある所為だろうか。
 思いきり物騒な内容を堂々と話しているにも関わらず、そこを通り過ぎた食人は通信の目標が自分になっている事を知らないまま、ジゼルと雅羅の元へ辿り着いた。



「ジゼルさん、雅羅さん。合コンにきてたんだね。
 意外だな」
「意外なのはあんたのその格好よ」雅羅のツッコミも、朦朧としている食人の頭には入らないらしい。
「でもジゼルさん、こういうところに来る男達には警戒しなきゃ駄目だよ」
「今一番警戒した方がいいのはどうみてもあんたよ食人」
 これもやはり頭に入らない食人は続ける。
「まず、間違っても俺にしたように『下着姿でハグ』をしたりしちゃ駄目だ」
 ジゼルの両肩に手を置こうとした瞬間、食人は横に倒れた。
 広がっていく血の海に、雅羅はそれを踏むまいと「ひぃっ!」と長い足を上げた。
 空かさず雑巾を持ったキアラが走ってくる。
「ああっ! 倒れた拍子にストロベリーソースが零れちゃったんですね!
 お客様ったらホントにドジっ子さんっ☆」
「ごめん。片付け頼むよ」と微笑んで(と言ってもマフラーで隠れているので分からないが)立ち上がった食人に、キアラは息をのんだ。
 食人は何事も無かったかのように頭を掻いてジゼルと話しを続けている。
 だが、今さっき、キアラの目の前で、食人は頭に金色の弾丸を頭蓋に喰らった筈なのだ。
 そして通信先の兵士も同じ事を伝えている。
『アルジェント一等軍曹。自分は確かに目標の頭に――』
「分かっている!
 (……一体この男――、何者なんスか!?)」
 キアラの背中に嫌な汗が伝っていく。食人はジゼルと話しを続けている。
「それからジゼルさん、その……前にしてくれた『ほっぺにキス』だけどさ、ああいうのも――」
 ダブルタップ。
 狙撃班の精鋭による二発の銃弾は、食人の頭を二回貫いた。
 ――はずだった。
「それでねジゼルさん……」笑顔で話しをしている食人に、ジゼルも笑顔で答えている。因に雅羅はドン引きしていた。
 異常な状況に震えているキアラの元へ、隊長からの通信が入る。
『アルジェント一等軍曹』
「あわわわわわ」
『キアラ・アルジェント』
「わわわわわわ」
『キアラ!
 落ち着け。一度退け。
 ベースへ戻って状況を説明しろ』



「たたたたたいちょうあれ! なんなんスか!
 撃ったのに生き返るなんてなんなな……絶対おかしいっス!!
 あれはゴースト!? それともモンスター!?」
 涙目であちこちに動かしているキアラの両手を掴んで、アレクはそのまま彼女の頭に頭突きを喰らわせた。
「――おい。落ち着いたか脳髄パスタ娘」
「お。落ち着いたっス」頭から煙を吹きながら、キアラは頷いた。
「宜しい。
 恐らくそれはスキルによる特殊能力だ。力尽きても蘇る事が出来るという、な。
 どういう訳か段差に異常に弱くなるらしが……。フロアはバリアフリーだ。利用は出来ん。
 兎に角だ。奴の――目標の魂も無限では無い。
 落ち着いて攻撃を続けろ。いいな」
「Yes,Sir.」
「『キアラはやれば出来る子』なんだろ。お前の能力を見せてみろ」
「やってやるっス!」
 勢い良く飛び出していったキアラから、モニターに映るケーキを食べ続けているトーヴァに視線を移して、アレクは椅子に凭れながらため息をつく。
「俺の可愛い隊士達は、揃いも揃って馬鹿ばかりだ」
 隊長殿は、少々お疲れのご様子だった。



「何、見失った!?」
 警戒に当たっていた客になりすました隊士からの報告に、キアラは急いで視線を動かす。
「(客は120名。そこにジゼルちゃん。客を装った隊士は32名。
 落ち着け。落ち着くんスよキアラ! 153人の中に一人居る奴は……奴は今何処に――)
 居たっス!!」
 思わず声に出してしまいながら、キアラは発見した食人の近く、観葉植物に身を隠す。
 ここならば即、確実に銃撃出来る距離……なのだが――。
「もう、死んでる……!?」

 正座したままお亡くなりになっている食人の前には、千衛が立っていた。
 初恋で酷い失恋を経験して、余り恋愛事に縁が無かった千衛が、そのショックから立ち直る為に折角参加した合コンだというのに、そのショックの原因を作った兄(の方が初恋の相手のタイプだったようだ)がこの場に着ているなどとは――。
 食人の存在に気づいた千衛は彼を床に正座させ、ついでに体術で一回締め上げて、説教を始めたのだ。
「まったく妹の合コンを覗きに来るなんて何考えてるんですか。
 そんなに自分の妹が信用できないんですか。
 大体私が誰と仲良くなろうと兄さんには関係ないでしょう」
 彼女は説教を続けていた。
 ふと視線があった雅羅とジゼルに、昇天した兄は捨て置いて千衛は彼女達の元へ向かう。
「サンダース先輩、パルテノペー先輩。
 初めまして、蔵部食人の妹の千衛です。
 いつも兄さんがお世話に……」
「いえいえ、こちらこそ」
「ねえ千衛。食人はどうしたの? なんだかさっきから動かないけど」
 食人のニット帽をツンツンするジゼルに、千衛は上から声をかけた。
「入院していたのに無理をするからですよ。
 気にしないで下さい。
 全く、兄なんて生物は滅べばいいのに……」

 こうして蔵部食人×4機は、
 3機をプラヴダの隊士に、
 最後の1機を妹千衛の体術によって失い、病院へと送り返されたのである。

***

「うん、このケーキにかかってるムース美味いな」
 ケーキを咀嚼しながら、羽純はそんな事を考えて居た。
 一介のスイーツバイキングにしては味が妙にガチな気がするが、まあ美味しいんだから関係無いし、
周りが地獄絵図な気もするが、それもまた「まあ、俺には関係無いな。うん」と一人納得して。
「それにしても歌菜はどうしてそんな一生懸命なんだか……」
 あちこち回って仲人役を誠心誠意頑張っている妻を遠くに見ながら、羽純は何気なく思った。
「このケーキ、テイクアウト出来るか?」
 そしたら家に帰って一緒にゆっくりと、頑張った彼女にご褒美としてお茶でも入れながら――。
「……あとで店員に聞いてみるか」
 考えてもう一口食べて、寝た。

「あれ? 羽純君、寝ちゃったの?」
 暫くして席に戻って来た歌菜は、テーブルにつっぷしている羽純に微笑んで、そしてテーブルの上のケーキに目を惹かれた。
 ルビーのようなスポンジにのったピンク色のムースがとても美味しそうだ。
 このままここに置いていると味も落ちてしまうし――
「勿体ないからこれだけでも食べちゃおうかな」
 小さな口でぱくりと一口。
 想像以上に美味しい味に微笑んで、やっぱり寝た。



「隊長。遠野歌菜、月崎羽純両名を確保しました。
 これよりご夫婦をご自宅まで送り届けます」
『介入者とは言え民間人だ。
 傷つける事なく丁重に扱え。
 それとお詫びにテイクアウトのケーキとお茶でも付けて差し上げろ』
 こうして真心を尽くして場を盛り上げ、この一日で沢山のカップルを作るはずだった魔法少女とその旦那さんは、夕方に目が覚めると自宅のベッドで二人眠っていた。
 混乱したまま開いた冷蔵庫の中には大量のケーキが入っており
『ごめんね。おわびっス』とキラキラのペンで書かれたシールでデコレーションされた可愛らしいメッセージカードがついている。
 首を捻りながらも、二人はその夜それらを夕食代わりに食べたのだとか――。

***

「スイーツが食べられるからって弥狐に連れてこられたけど……合コンじゃない……」
「合コンって?スイーツバイキングじゃないの?
 まぁいいや、食べようよ」
 パートナーの弥狐の言葉に沙夢は小さくため息をついた。
「端的に言えば男女の出会いの場よ」
「うん? 男の人と出会う場なの?
 へー。
 あ、これおいしい!」
 そうだろう。見た通り、弥狐はただバイキングを楽しみに来ただけなのだ。
 静かに楽しむことはできそうにないけど、スイーツばかりなら、それに合う珈琲があるかもしれない。
「抹茶に茶菓子がつくように、ケーキには珈琲か紅茶がつきもの――よね」
 タルト生地にフォークを差し入れたところへ、沙夢はナンパ忍者こと耀助がこちらに来るのを察知した。
「(そんな気にしなくても、誰も寄ってこないだろうし、下手に浮くより適当に流し流し参加すれば大丈夫よね――)」
 気持ちを切り替えていたところなのに、なんてタイミングが悪いんだろう。
 沙夢は手を挙げて、ウェイターを呼んでみる。
 そちらがタイミングを外すなら、こちらも同じ様にタイミングを外してみようじゃないか。
「ウェイターさん、コーヒーを頼みたいのだけれど、どんな豆があるのかしら」
 わざと長引きそうな質問をしたことで、耀助が肩を落として別の場所へ向かうのが見えた。作戦は成功だ。
 沙夢がふっと息を吐くと、真は笑顔で始めた。
「本日はコスタリカ産の珍種と言われるアラビカ種から作られた高品質なものをご用意致しました。
こちらは甘い口当たりと瑞々しい咽越しが特徴です。
 ケーキと相性の良い軽めのブレンドと、コロンビアもございますが――如何致しますか?」
 淡々と行われた説明に、沙夢は目を開いた。
 コーヒー好きなのだ。彼が説明した豆の価値くらい分かっている。
「……随分凝ってるのね。この価格表だと採算取れないんじゃないかしら」
 少々不躾でもそう言ってしまった沙夢に、真は内心冷や汗をかいていた。
 説明はしたし価値あるものだとは知っているが、真自身『値段』は良く知らないのだ。
 ウェイターの隊士から聞いた話しだと、隊長は適当に入れた店のコーヒーを「不味っ」と言いながら何処かへ電話したらしい。
 その何処か――恐らく珈琲専門店のご主人が超特急で持って来た豆をそのままひいて店に出しているだけなのだ。
つまり金持ちお貴族様が自分で飲みたいものを自分のポケットマネーから適当大雑把に買った上で、「こんなに飲まないから店で使いな」と渡された豆だから元はタダなんです☆とは口が裂けても言えない。
 店を買ったと聞いた時は素直に馬鹿だと思ったが、もしかしたらあれは馬鹿というより規格が違うのかもしれないと思い始めていた真は、沙夢の疑問に、スマートに「オーナーの趣味です」と答えるしかなかった。