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【4章】灰色の男たち


集落中を歩き回って各人の疑問に答えるなどしていたハーヴィは、ようやく丸木の椅子に腰かけて人心地ついたところだった。目の前のテーブルに樹皮紙を広げて教科書作りに勤しんでいる天音の手の動きから、ゆっくりと大きなオークの木の方向に視線を滑らせる。どうやら学校建設は順調に進んでいるようだ。
「お久しぶりです」
 ふいに掛けられた声の方を振り向くと、御神楽 陽太(みかぐら・ようた)のパートナーである御神楽 舞花(みかぐら・まいか)がそこに居た。その後ろからは赤いロングウェーブの髪を垂らしたエース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)が、リリア・オーランソート(りりあ・おーらんそーと)を伴って来る。
「おお、その節は世話になったのう。花の兄ちゃんもよく来てくれた」
挨拶もそこそこに、舞花はハーヴィに向かって小さな瓶を取り出して見せる。
「石化解除薬です。やはり先日の事件のこと、気にかかります。可能なら、今後の対策の為に出来る限りの情報を得ておきたいと思いまして」
「俺も、早急に誘拐犯たちのことは何とかすべきだと思うよ」
 舞花とエースの言葉を聞いたハーヴィの顔から笑顔が消えた。深刻な表情で一度大きく頷くと、緩慢な動作で席を立つ。
「うむ、ありがとう。お前さんたちが手伝ってくれると言うなら、やってみよう。我としては二度と顔も見たくない相手なのじゃが、放置するわけにもいかんしのう」
 そう言って支度を始めたハーヴィたちを見て、天音が傍らに控えていたブルーズの手を挙げさせる。
「石化解除なら、ブルーズが役に立てるかも知れないね」
「来てくれるか。味方は多い方が心強いからのう。よろしく頼むぞ」
 こうしてハーヴィを先頭にした一行は、森の奥へ向かうことになったのだった。


 鬱蒼とした木々の間を抜けて岩壁の前に出ると、すぐに五体の石像が野ざらしになっているのが見えた。近くにいわく付きの小さな洞窟もあるが、今は大きな岩で封印されている。ハーヴィが再封印に成功してからというもの、この岩に触れた者はいないようだった。
「それにしても、本当に誘拐犯が放置されていたとは驚きだよ」
 そう言ったエースの言葉に、ハーヴィは申し訳なさそうな顔を浮かべた。
「何とかしなければならないのは分かっていたんじゃが、中々手が回らなくてのう。森を守る者としては恥かしい限りじゃ。今日お前さんたちが来てくれて本当に良かった」
「とりあえず、ここじゃ危ないからね。どこかに小屋でも建てて、この誘拐犯たちを石像のまま回収しよう」
 以前この連中を石に変えた主犯らしき男の行方は、全く分かっていないのが現状だ。いつまた口封じ役の潜入者が現れるとも限らず、どこからでもすぐ目につくようなこの場所に留まっているのは得策ではない。
「炭焼き小屋で良ければ、森の中に大分前から使われていないのがあるぞ」
「じゃあそこに移動しよう」
 主にエースとブルーズが手分けして石像を回収している間中、リリアは敵の気配にいち早く気付けるよう神経を尖らせていた。舞花も襲撃者の存在を非常に警戒しているらしく、ピーピング・ビーで周囲の状況を探りながら、予言ペンギンを引き連れて歩いている。
 十数年前に捨てられた炭焼き小屋は廃墟特有の陰を纏ったまま、森の木々に埋もれるように佇んでいた。しかし幸いにも炭焼き釜の隣に併設された納屋は、多少朽ちてはいたものの十分使用に耐え得る状態で残されていた。一行はそこに石化した誘拐犯たちを運び込むことにする。
 冷たい、土を突き固めただけの床。そこに転がした誘拐犯たちの身体が縄でしっかりと縛られていることを確認してから、舞花は小瓶の中身をまずは一体の石像にだけ振りかけた。
「ひっ!?」
 石化が解けた途端窮地に陥っていることに気付いて、その男は思わず上ずった声を上げる。
「いいですか。これからする質問に対して正直に話せば解放も考慮しますが、場合によっては然るべき機関に突き出します」
 そう警告した舞花の隣では、リリアが剣に手を掛けたまま睨みを利かせている。自身も花妖精であるリリアは、誘拐犯たちが森の眷族達を危険にさらした事について、到底許す気持ちにはなれなかったのだ。
そうして怒りのまなざしで貫かれた男は、足の先までぐるぐるに縄を巻かれているために逃げ出すことも出来ず、言われるまま従うしかない。
「手荒な真似してすまないね。でも森を混乱に陥れたのは君達だし、それは倫理的に褒められる事じゃない。何故そんな事をしたのか、詳しい事情を話してくれたら、君達の処遇に関して考える用意があるのは本当だから」
 エースが諭すようにそう言うと、誘拐犯の男はすがるような目を一行に向けた。
「何故と言われても、そういう契約だったからとしか言えない! 俺たちはただ、金で雇われただけなんだよ!」
「ならば、あなた達の雇い主というのは何者なんです?」
静かに問う舞花の口元はマスクで覆われており、表情を読み取ることができない。
「あんたらも見ただろう。飛空挺に乗っていた白衣の男、あの人が俺たちのお頭だよ」
「あの男の名前は?」
「分からない。教えてくれと言ったことはあるが、その必要はないと。それで仕方ないから頭と呼ぶことにしたのさ。俺たちとしては、金さえ約束通りに払ってもらえれば、名前なんてどうでも良い事だからな」
 嘘を吐いているわけではないらしい。舞花とエースは嘘感知のスキルを身に着けていたが、別段男の言葉に違和感を感じる箇所は無かった。
「それならあの白衣の男の職業、所属、その他知っていることを全て話して貰いましょうか」
「ああ。でも俺たちが知ってることなんざ、大して無いぜ。何せ俺たちは悪人の中でも底辺、ただのチンピラって奴でね。どっかの大それた組織に所属しているわけでもなく、その日暮らしの生活を送っている小悪党グループなのさ。そんなだから雇われれば何でもやるが、皆して流行り病にかかった時はもう終わったと思った。でも……」
「でも?」
「その時、お頭に会った。あの人は路上でのたれ死ぬ寸前だった俺たちにワクチンを打って、まだ生きる気があるなら一仕事しないかと言ってくれた。もちろん協力してくれれば金も出すと。それで、俺たちはあの人が計画を進めるための駒になった」
 ここまで語ってから男は一度何かに抗うように眉根を寄せて、ゆっくりと瞬きをする。しかし計画の内容について話すように促されると、再び口を開いて言った。
「俺も『計画』についてはほとんど何も知らない。ただ、お頭は命に関係する研究をしていると言っていた。その研究を完成させるためにはどんな手段も選ばないと」
「それは、白衣の男がどこかの研究機関に所属しているということですか?」
「いや、そんな話は聞いたことがない。ただ、お頭は自分のプロジェクトに参加している者には目印を与えているようだ。ほら、俺たちの背中にもあるだろう?」
 縄で隠れているため見え辛かったが、誘拐犯たちが着ている灰色のポンチョには、確かに簡素な図形が描かれていた。それは、円の中に頂点が右を向いた三角形が収まっているだけの印だった。
「俺たちはこれを『灰色の棘』と呼んでいる。当然、意味は知らないがな」
 自虐するような笑みを浮かべて、男はそう言った。
「もう知っていることは全部話したぜ。お頭からしてみれば、これで俺も立派な裏切り者ってわけだ」
「そういえば、あの男は口封じのために君たちを石化させるだけで、殺してはいかなかったね。それは何故だろう?」
 誘拐犯の男はエースの問いを「ちゃんちゃらおかしい」と言わんばかりに鼻で笑った。
「さあな。お頭は殺しが嫌いらしいから。生かすための研究をしているのに、命を奪うのは自分の流儀に反すると。――でも、その考えは誤りだったな。こうやって一介のチンピラ風情に情報バラされちまうんだからよ」
 金さえ貰えれば良いと言ってはいたものの、命の恩人に対する義理を多少は感じていたらしい。悔しげな表情を滲ませて口を噤むと、男はそれから一切口をきこうとしなくなった。
 その後、エースとブルーズの能力によって別の男たちも石化を解かれたが、やはりこれ以上の情報を聞き出すことは出来なかった。
「それで、この人たちをどうします?」
 問われたハーヴィは至極難しい顔をして唸りながら、しばらくの間思案に暮れていた。
「……悪党でさえ殺しを避けているのに、我らが手荒な真似はできんじゃろう。どこぞの機関にでも突き出せば良いのじゃろうが、結局同じことになりそうじゃしのう……」
「では、このまま解放してやると?」
「ただし、許すのは今回だけじゃよ。例のお頭の下にでも何でも勝手に馳せ参じればいいが、再びこの森を脅かすようなことがあれば、次は容赦せんぞ」
 ハーヴィの表情は、その言葉が虚勢ではないことを何よりも雄弁に語っていた。
 縄を解いた誘拐犯たちが集落と逆側に走り去って行くのを見届けてから、一行は帰り道を辿り始める。
 その道中で、エースはハーヴィに自警団の必要性を説いた。
「安全第一だよ。防護柵だけじゃ少し不安だからね」
「うむ。今日の模擬授業で護身術に興味を持った妖精もいるようじゃし、少し考えてみることにしようかの」
 誘拐犯たちの前で見せていた威厳はどこへやら、そう言ったハーヴィの顔には明るさが戻っていた。
「よく分からないのだが」
 それまで何か考えていた風のブルーズが、ふいにハーヴィの方を見やって口を開く。
「あいつらの言う『命に関する研究』とやらが何故、おまえの誘拐事件と繋がるんだ?」
 それを聞いて一瞬だけ顔を強張らせたハーヴィは、一言「さあのう?」と答えるとすぐに、
「おお、皆の衆、あれを見ておくれ」
 と真っ直ぐに前方を指差す。
 見なれた妖精の集落の真ん中に、木造の学び舎が完成していた。