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リアクション
終章1 『万象の諱』の真実
アレクサンドリア夢幻図書館での一件から数日後、パレットはまた、夢を見た。
*******
夢幻図書館の書庫の最奥に、不安定な霊的存在の均衡を保つための「保護の魔方陣」に囲まれたエリアがある。
存在の均衡を危うい一線上で辛うじて保っているその1冊は、紛れもなく『万象の諱』。
魔方陣から立ち昇る煙のような空気が一瞬ざわっと揺らぎ、しかし、再び静まり返る。
――また貴方か、魔鎧職人。
忽然と現れた人影に、書物の内から肉声でない声がかけられる。
現れた丈高いその男は、妙に気安げに『万象の諱』に笑いかける。
――申し訳ないが、今貴方がたの世界に召喚されたら、貴方の要求に応える前に俺は消えてしまうかもしれない。
「分かっている。だから召喚はせず、提案のためにここまで来た」
――提案?
「私の手で、君を魔鎧にしたいと思う。今まで君の知識に助けられて研鑽をつみ経験を重ね、それができるだけの技量は身についたと自負している。
霊的存在とはすなわち、非生命体の『魂』なのだろう?
であれば、魂を鎧に作り替える私には、君を魔鎧にすることは可能だ。
そうすれば、ここでしか生きられない不安定な君も、あの世界に定着することができるだろう」
――俺は……一度消滅した書だ。再び現世に戻ろうという未練は……
「悪魔の私が善人ぶるのも滑稽だ。隠さず言おう、君が私の傍にいることが私にとってメリットになる、だから提案しているとね」
――……。
「不安かね? それは当然のことだ。
君の中にある恐るべき破滅の知恵を、私が悪用しないという保証はない」
――……いや。貴方のことは理解している。貴方は鎧作り……作品による自己表現以外には興味のないお人だ。
――その類稀な知能で、俺の中の知識の一部を解読し、解き放ったにも拘らず、それを、素材の魂の形を整えることにしか使わなかった。
「……魔鎧になれば、君の中の恐怖の記述の『全文』を解読できる者は永遠にいなくなるだろう、私自身も含めてね。
私に必要なのは魂を必要に応じ、思いのままに『剪定』するための最小限且つ至極緻密な『術』だけなのだから、それで十分。
鎧となった君に残すのもその知識だけだ。……正確には、『知識』を『スキル』に変えて残そうと思っている」
――すでに頭の中に完成図を広げているのか、貴方は……
「……君は、現世に未練はないと言う。
が、心のどこかで君は、欠落した記憶に引っかかる何かが現世にあるのではないか、と考えているのでは?」
――欠落した……記憶……
――何故思い出せないのだろう。
――思い出せないのに、胸につかえたように時々何かが込み上げてくるのは何故だ。
――なにかとても大切な……とても心配な存在を、あの世界のどこかに置いてきてしまったような、無性にそんな気がする……
「私は、君を必要以上に拘束するつもりはない。時々手助けしてもらえればそれで十分。
君は君で捜せばいい、焼失された時に失った、君の心の中の欠け落ちたピースを……
魔鎧の体を得て、あの世界でも存在できるようになった暁に」
――しかし魔鎧職人よ。貴方は本来、俺が焼失どころか生まれるよりも遥かに昔の時代からやって来た者だ。
「そうだ」
――そして、その世界は俺が生まれた世界……「地球」とは断絶していると。
「そう、かつて……古の頃には地球とパラミタは繋がっていた。だが今は途切れてしまった」
――そのパラミタという世界に渡ったとして、俺に何が捜せると?
「……悪魔も魔鎧も、魔族として寿命という限界を持たぬ永き生を生きる。
長い年月生きていれば、いつかは見つけることも出来よう。2つの世界に再び通路ができる日が来ないとも限らんではないか」
「とはいえ、私の協力者だった君に無理強いする気はないよ。自由に選んでくれ。
このまま、時のないこの世界でひっそりと、欠落の記憶をも抱え込んでゆるりと生きていたければそれもよし。
途方もない年月がかかるかもしれんが、欠落を回復する小さな可能性を握り、姿を変えて再び現実世界に舞い戻るもよし」
「『万象の諱』よ」
――……俺、は……
*******
「それが、本当にあったことだと、信じてるんだね?」
鷹勢の問いに、パレットは確信を得た者の目で頷いた。
パレットが夢を見た翌日、鷹勢はイルミンスールを訪れていた。契約者として復帰した今、もう移動に小型結界装置は必要ない。仲間の元へ戻ったパレットに会いに来るのと同時に、イルミンスールへの入学手続きを進めるためにやって来たのだった。
魔道書達は相変わらず、例の特殊施設内にいた。かつて『灰の司書』のいたガラス張りの部屋は片付けられて空になっているが、今もその隣の大部屋で彼らは暮らしている。
気の弱い幼女姿の『お嬢』(極意書『太虚論』)や少年姿の『リシ』(リシ著「劫の断章」)は、パレットが戻ってきたことに安堵して彼に寄り添っているし、いつもは人を食ったような態度の『ヴァニ』(画集『ヴァニタスの世界』)や『揺籃』(匿典『暗黒の揺籃』)も、どこか穏やかな表情を浮かべて室内にたむろっている。
「契約して、自分の能力が高まったのはずっと感じていた。
それと同時に、『万象の諱』との繋がりを感じる力も以前より高まったと思うんだ」
パレットは頭の中で、自分が見た夢の内容を反芻しながら、言葉を選ぶように慎重に話していた。
夢の中で見たそれが、『万象の諱』の身に実際起こった過去の一場面であるに違いないと、確信していることを伝えるために。
「それで……パレットは、どうしたい?」
契約しても鷹勢は、彼を本名の「秘文『還無の扉』」ではなく、呼ばれ慣れているだろう「パレット」の方で呼んでいた。それは、彼の周りにいる魔道書仲間たちも同じらしい。
「会いに行く……捜しに、行くよ」
パレットははっきり言った。
「それを彼も、望んでいるはずだから」
鷹勢は頷いた。
「きっと見つかるさ。僕も付き合うよ」
「パレット、またどこかに行っちゃうの?」
心配そうにお嬢がパレットの顔を覗き込む。パレットは笑って、お嬢の頭を撫でた。
「もう行方不明にはならないってば。ちゃんとここに戻る」
そんな2人を、鷹勢は微笑んで見つめている。
*******
品の良さそうな顔に、慈悲とも、憐憫ともつかぬ柔らかな笑みを浮かべ、悪魔は言った。
「当世一代の黒き書(Black Book)と呼ばれたはずの、君の中にある膨大な破壊の知恵も……
魔鎧となれば、残ったものには落書き(グラフィティ)程度の価値しか見出せなくなるかもしれない。
惜しい、ということになるんだろうね。それを渇望する者からすれば。
君は? 惜しくはないかい?」
――俺は……。破滅の知恵には、自分が厄災の種となれる可能性には、未練は、ない。
「そうか……」
*******
「捜し出してみせる……俺になら、きっと捜し出せる」
夢を思い返し、自分自身に言い聞かせるように、パレットは断言した。
「『グラフィティ:B.B』……
ヒエロ・ギネリアンという名手が作ったという、その魔鎧を」
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