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リアクション
【3】
振り下ろそうとした槌の柄が強い力に固定され、及川 翠(おいかわ・みどり)は茶色の瞳をぱちぱちとしぱたかせた。
「おにーちゃん、どうして?」
翠の大槌の動きを止めたのは、アレクの掌だ。彼の指示で追跡者を止めようとしたのに、武器を掴まれたのは何故だろう。
「よくわかんないけど、おにーちゃんの敵さんは敵さんなんでしょ!?」
「翠…………、あの人達は敵じゃないよ」
「………えっ、違うの?」
巻き込まれた事件を理解せず、ただ「おにーちゃん」と慕うアレクの為にと無邪気に行動する彼女に、この複雑な状況をどう説明したものか。困った事に噛み砕く時間もなく、アレクはかいつまんで説明する。
それで翠と同じく首を傾げたサリア・アンドレッティ(さりあ・あんどれってぃ)は、『無力化する』の意味のみ飲み込んでくれたが、翠はまだハテナマークと仲良くしているようだ。
「おにーちゃん、あの人たち止めろって言うけど……つまり、みんな敵さんなの?」
「敵では無く、目標だ。だから……あのな…………What Should I Say?(*何て言えば良いかな?)」
走って戦いながらの状況だ。珍しく頭の回っていなさそうなアレクの様子に、ミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)が助け舟を出そうと隣へ出た。
「アレクさん、私が翠やサリアの保護者としてやり過ぎないよう見ているわ」
「確かに翠ちゃん達を何とかしないとタイヘンな事になりそうですね〜……。こっちは私たちに任せて下さい〜」
スノゥ・ホワイトノート(すのぅ・ほわいとのーと)もミリアに続くので、アレクは彼女達にそれらを任せる事にしてフレンディスの横まで戻ろうとする。
戻ろうとするが、やはり小さな妹の存在が気にかかって仕方が無い。名残惜しそうに一度振り返り、せめて一言だけと口を開く。
「取り敢えず、直接吹っ飛ばすのはやめろ。分かったな?」
「うん!」
返事は良い翠に困ったような笑顔を残して、アレクはまたスピードを上げ出した。サリアは彼が前へ出易いようにと考え、左腕をライフルの形状へと変化させる。
(……えっと、さっきのおにーちゃんのお話。
あんまりよくわかんないけど、あのおにーさんでおねーさんみたいな機晶姫さんがタイヘンな事になってて、それで……追っかけてる研究者さん達を止めたら良いんだよね?
それから研究員さん達はもともと悪い人じゃないから、機晶姫さんを攻撃して怪我をさせないように『無力化』するんだよね?)
アレクの言葉を頭の中でもう一度噛み砕き、サリアは殺傷効果の無い銃弾を装填して、目標に狙いを付ける。
「それじゃよ〜く狙って……」
サリアがアレクを援護するのを見ながら、スノゥは翠の行動を警戒し続けていた。
(余りに放置しちゃうと、三面記事が出来るのは想像に難しく無いですけどぉ〜……)
翠は今の所アレクの言いつけを守り、追跡者の進路へ向かって槌を振り回す事で、動きを阻害するだけに務めているようだし、今対峙しているのは契約者だから多少やり過ぎても死にはしないだろう。
「ちょっとだけ放任しておいて〜、だめそうだったら止めましょうかねぇ〜……」
スノゥがその口調のようにのんびりと構えている間、もう一人の監視役を名乗り出たミリアは、翠が足止めした追跡者へ向かってアボミネーションの悍ましい気配を発していた。
「……ぅ…………ひぃい!」
ひっくり返った悲鳴を上げ足をすくませた彼に向かってジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)が、空かさず催眠術を掛ける。
「うーん……
研究者ってさ、日々頭使う仕事で脳がお疲れだから瘴気の影響受けやすいのかもね。
だからこそ良く寝てくれる事を願うよ」
冗談のような言い回しにミリアが此方を振り向き少し微笑んだのに、ジブリールも同じ様に返して、他の追跡者を足止めする為に準備しようと、しびれ粉の袋へ手をかける。
(殺さないのは当然だし手荒な真似もしたくないけど、早々正気に戻ってくれないかな?)
そう考えながらジブリールが視線を向けているのは、アレクの頭の上に居る忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)だ。
『調律者マイスター』ならぬ『調律犬マイヌター』を自称するポチの助は、追跡者と化した研究者やインターン達に対し、『犬から目線』で勝負を試みていた。
自身の脳と機晶技術製品とを繋ぐ事で、デバイスを直接操作できるようにすると、彼等の情報を撹乱する。
重箱の隅をつっつくようなそれだったが、これである程度連携は取り難くなるだろう。
行き合う分の追跡者は、アレクとフレンディスが走る勢いを殺さぬまま、昏倒させ進み、彼等が零して行った分は間合いを外しながら攻撃していく陣や、翠達がカバーする。多少行き過ぎたところで、スノゥがそうならないようにの見張り役として、ティエンが回復役としてスタンバイしているから問題は無いだろう。
だが、これは行き合う分だけだ。
ハインリヒとツライッツが何処に居るか分からないから、追跡者はサヴァスの指示で広いキャンパス内の何処かへ散って行ってしまった。もし契約者達が二人に追いつく前に、追跡者が先を行ってしまったら――?
(……いえ、“もしも”を考えるのは止めましょう。
今は皆さんと、一刻も早くお二人に追い付くことを考えましょう)
アレクが放った魔法の冷気を肌に感じながら、豊美ちゃんは唇を引き結ぶ。
「一刻も早く合流して、二人を守らなきゃ……」
そんな彼らとは別に、しかし同じ思いのもとに、遠野 歌菜(とおの・かな)は、心中の不安に急き立てられるように、月崎 羽純(つきざき・はすみ)と共に、ある追跡者グループの先を行くようにして廊下を駆けていた。歌菜が心配していたのは、ツライッツに迫る危機は勿論の事、ハインリヒから受ける彼の印象と、そこから生まれるのだろう彼の行動である。
歌菜がハインリヒに持っている印象――、それは『自己犠牲の人』だ。彼は大事な相手のために、自分を省みない。恐らく“何があっても”、そして“自分がどうなろうと”守ろうとするだろう。だがそれでもしもの事があれば、守られた方がどうなるのか……、ハインリヒはそれを理解しているのだろうか、と歌菜は心配していた。
「一番傷ついて、悲しむのは、ツライッツさんなんですから……アレクさんや私達だって――!」
「ああ。二人とも大事な友人だ」
傷ついてほしくない。傷つけさせるわけには行かない。そんな歌菜の言葉に、羽純も頷く。
ハインリヒが自分を省みないなら、それごと守るのは自分たちの役目だ、と歌菜は考える。そのためには、彼ら追跡者を、二人の元へ辿り着かせるわけには行かないのだ。
特に、自分たちの足についてこられる程の契約者達なら、尚更である。二人に追いつく前に、彼等の足を止めなければならない――そう考えていた時だ。
「歌菜!」
羽純の合図に頷いて、歌菜は角を曲がった瞬間に、手近にあった教室の扉にぱんっと手を触れさせた。その途端、扉がアニメイト能力によってハインリヒとツライッツの姿へと変える。
歌菜と羽純が息を殺す中で、追跡者の足音が此方に迫る。そのタイミングで、歌菜はアニメイトで作り出した『二体』のそれを、庇うようにして立った。腕を握ったのは、アニメイトで作り出したものは必ずしも術者の言う事を聞く訳では無いという理由が一つ、もう一つは、演出である。
「ハインツさん、ツライッツさん!」
その声に反応して、歌菜らに追いついてきた追跡者たちの視線が、作り出された二体へと向く。簡易的に見た目だけを作られただけのそれだったが、アニメイトの能力が作り出したのは歌菜の命の一部を分け与えた『生き物』だ。殺気立った無数の視線晒されて、怯えるなという方が無理な話で、二体はびくっと体を強張らせる。
冷静に見る事が出来たならば、その二体は人間と機晶姫では無いと直ぐに分かっただろう。だが、追跡者達は瘴気の影響を受け、正常な判断能力を失っている。まして遠目なのだ。茶色い髪、華奢な体形――そんな外見上の特徴だけを拾い、追跡者達は歌菜の横に立つ二体を、自分達が追い掛ける機晶姫と彼を守護する者であると思い込んだ。
そして歌菜は二体を捕まえていた手をぱっと離し、追跡者がまともな分析をするよりも先に、駄目押しのようにわざとらしく叫んでみせた。
「二人とも、逃げて下さい……!!」
瞬間、正常な判断を失っている追跡者たちは、二体を追いかけ駆け出した。そうなると二体の方も、本能的な危機感のまま逃げ出すしかない。そうして、上手い具合に狙った先へと駆け出した彼らを待っていたのは、羽純からのテレパシーを受け取っていた椎名 真(しいな・まこと)――正確に言えば、彼の張った糸だった。
「―――ッ!?」
先頭を走っていた追跡者達の体が、次の角を曲がり、狭い廊下へ入ったとたんに宙に浮いた、と思った次の瞬間には、轟雷が彼らの体を貫いていた。
不可視の糸で壁を区切り、地面に張り巡らせていたゴアドースパイダーの糸を、そこへ足を踏み入れた瞬間に引き上げ、その粘着で捕らえた所へと、轟雷閃を放ったのだ。
「くそ……っ! 罠か!」
そうやって感電して動けなくなった体へ、気を失う程度の一撃を食らわせていく真に、それを見た追跡者はすぐさま踵を返そうとしたが、それをさせるような彼らではなかった。
「行かせません……!」
元来た道を帰ろうとする後方の契約者たちの前に立ち塞がった歌菜のエクスプレス・ザ・ワールドによって、無数の槍の雨が降り注いだのだ。しかしこの追跡者達は今は敵対する相手であるが、実際は闇の軍勢のサヴァスに良い様に操られているだけの相手だ。その槍は追跡者を傷つけることなく閉じ込めるように床に突き刺さって、檻を作り上げていく。
「――羽純くん!」
が、相手も戦い慣れしているらしい契約者だ。槍を避け、あるいは弾いて逃れた者もいる。だが、当然それも目算の内だ。彼らが進もうとした先は、羽純のアブソリュート・ゼロが阻み、そこへ歌菜のヒュプノスの声が響く。
流石に全員が眠りに落ちることはなかったが、捕らわれた契約者たちの動きが、僅かに鈍る。それで十分だった。
歌菜たちが契約者たちを閉じ込めている間で、真は壁を蹴って飛び回り、撹乱された契約者の間を滑るように動いて、ゴアドースパイダーの糸で絡め取って動きを阻む。
「くそ、邪魔するな……!」
叫び、迫ってくる相手へは壁の合間に張った糸へと飛び乗って避けると、その反動を利用して、強化された一撃を逆に叩き込み、その体が倒れこむより早くもう一度壁を蹴って糸へ乗った。
狭い場所に閉じ込められた彼らは、空間を捉えて飛び回る真を追うのは難儀するようで、ハンドガンで応酬し、あるいは糸に気付いてそれを断とうとはしていたものの、互いが互いの邪魔になって上手くいかない。
そうして、真が縦横無尽に狭い場所を飛び回ること暫く。
一同の周りが、倒された契約者たちの軽いうめき声だけになったのに、一瞬だけそれぞれ申し訳なさそうにはしたものの、そこで立ち止まっている余裕は無かった。
「……先を急ごう。こういう奴らが、まだ先にもいるかもしれない」
「はいっ」
真の言葉に頷いて、歌菜と羽純も再びハインリヒたちを追うために足を速めたのだった。
*
しかし別の場所では、瘴気の中に意識が飲み込まれてしまった契約者もいた。
綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は授業の後に巻き込まれた異変の直後から、心を覆い始めた冷たいものに、かたかたと指先を震わせていた。瘴気がもたらすその闇に、抵抗しようにも抗いようもなくそれは心の中に滑り込み、自我を、平常心を……精神を蝕んでいく。『綾原さゆみ』という心が死んでいく。その代わりに、純粋なまでに研ぎ澄まされた殺意が、ゆっくりと顔を覗かせていた。ぎらりとその双眸が暗い影を抱き、狂気がぬるりとその上を這って輝く。
「……苦しい……何かが、感情が溢れてくる! この気持ちは――何!?」
そして、そんなさゆみの心の闇に感染するかのごとく、アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)もまたその心がゆっくりと死んでいくのが判った。さゆみと同じ、狂気が体を満たしていく。
「こ、これは一体、なんなのだっ?!」
そんなさゆみたちの傍で、うろたえた声を上げたのはドクター・ハデス(どくたー・はです)だ。在学生のさゆみたちとはまた別に、研究関係の用事で空京大学を訪れていたところで、彼はこの空間異常現象に巻き込まれたのだ。
天と地が半回転しかけたところで、強く打ち付けてしまった肩をさすりながら、ハデスは不安げな表情を浮かべ状況を確認しようと懸命に視線を泳がせる。その額にはじんわりと焦りが浮かんでいた。
普段は冷静なふりをしているものの、こういった突発自体に地味に弱いハデスである。混乱しているうちに、その瘴気は真綿で首を締めるが如くその意識を蝕んでいるようだった。
「く、くそっ、こんな訳のわからぬ空間に、いつまでもいてたまるかっ!」
そう言って頭を振った時だった。
「その願い、私が叶えて差し上げましょう」
突如彼等のさゆみとアデリーヌ、ハデスの上に降ってきた高らかに謳い上げるような声。
現れたサヴァス・カザンザキスは、ナージャの仲間の研究者やインターン達へそうしたように、事の流れを彼に都合の良く話し、三人を誘導する。
「成る程、そういう事だったのか――!」
サヴァスの言葉に頷くハデス、その表情だけは何時もの彼に戻っている。一方のさゆみとアデリーヌはもう何時もの彼女達とは言えなかった。
「……殺さなきゃ……殺さなきゃ……」
サヴァスの言葉は頭に入らない。だがまるで本能のように、何をすべきか――ツライッツを殺さなければ――ということだけが理解できた。殺意だけが体を満たし、苦しいほどの狂気がそれを果たせと闇に沈んだ心を焦がす。
サヴァスが行わせたかったのは、機晶姫へ強制終了掛ける事だったが、さゆみらは思った以上に瘴気の影響を濃く受けてしまったのだろう。
(これは面白いショーになりそうですね……)
密かに咽を鳴らし、サヴァスはハデスへ向き直る。
「さあ、あなたはどうします?」
問いに、ハデスは混乱の色を含む怪しげな光を宿した目で、ぐい、とメガネを押し上げた。
「あの機晶姫……確かツライッツとか言ったか……を倒せば、この空間から脱出できるのだな……」
低く声を漏らし、口角を上げるハデス。
それに満足したサヴァスは、すっと人差し指を向こうの廊下へ向け、三人へ行く先を示した。
さゆみはゆらりとそこを見やって、呪詛のように言葉を吐き出したのだった。
「……逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない逃がさない……!!」
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