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リアクション
【小鳥遊 美羽とコハク・ソーロッドの場合】
ツァンダの街、郊外。
そこから少し離れた山の頂上には、SNL9998766#ツァンダ付近の山 カメリア}の住処がある。
多くの友人達が造ってくれたその神社から山を見下ろすと、遠くにツァンダの街が広がっているのをかすかに見ることができる。
ふと視線を移すと、街から山の間につい最近まではなかった家が建っていることに、カメリアは気付いていた。
二階建ての綺麗な新築の、その可愛らしい家。
その家を眺めるカメリアの脳裏に、ある二人の顔が浮かんだ。
「……ふむ」
この日、その二人にカメリアは会いに行くことにした。
先日二人の友人から小耳に挟んだ話を確かめに行くために。
これはひとつ、どうにかして祝福してやらねばなるまいぞ、と。
<結婚するって本当ですか?>
「スノー!? 何故いつまでたってもツノが立たないのでスノー!?」
ウィンター・ウィンターは叫んだ。
何十分経っても生クリームが液体から変化してくれないのである。さっきから何回も何回もボウルの中の生クリームを泡立て器でかき混ぜているというのに、だ。
「ま、負けないでスノー!! これを乗り越えてこそ美味しいケーキにありつけるというものでスノー!!!」
無駄な根性を発揮して、ウィンターは泡立て器を必死に動かした。ウィンターはとある目的でケーキを作っているところなのだ。やはりケーキといえば生クリームが定番、この出来栄えが最終的な味を決めるといっても過言ではない。
この界隈では名の知れた食いしん坊であるウィンターが、ここで生クリームごときに負けるわけにはいかないのだ。
「頑張るでスノー! きっと強くて格好いい無敵のツノが立つはずでスノー!!」
「そういうツノは立たないので安心してください――と、まあこういう風に手動でメレンゲを作るのはとても大変なので、こちらの電動のハンドミキサーを使って下さいね」
と、ベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)が頃合を見計らって口を挟んだ。
「――先に言って欲しいでスノー!!!」
まさに無駄な根性であった。ひたすらに生クリームと格闘したウィンターの血と汗と涙と労力と時間が、さらさらと砂のように指の隙間から零れ落ちていくのが感じられる。ものすごい喪失感であった。
「ヒドい話でスノー!!」
涙ながらにハンドミキサーに飛びつくウィンターを横目に、ベアトリーチェは微笑んだ。
「ごめんなさい。やはり最初から楽な方法を教えるより、原理からしっかり理解しないといけないと思いまして」
レモン汁を使うと味が変わってしまいますし、とベアトリーチェは補足する。
「余計なお世話でスノー! 原理など知らなくても方法さえ知っていれば問題ないでスノー!! 楽バンザイでスノー!! 文明の利器があるのに使わない理由がないのでスノー!!! 私はせっかくだからこっちのハンドミキサーを使うでスノー!!!」
根が真面目なベアトリーチェに対して、さすがのダメっぷりを存分に発揮するウィンター。それでもどうにかこうにか生クリームが化学反応を起こしつつあるのを、満足気に眺めていた。
「ふふふ……いい調子でスノー。私にかかれば生クリームなど……」
するとそこに、別のウィンターが現れた。
「ベア、シュー生地がまったくふくらまないでスノー!! ぺっこぺこでスノー!!」
ウィンターは何体かに分身することができるので、それを利用していくつもの料理を同時進行しているのだ。ベアトリーチェの部屋のキッチンを使って、その日は料理&お菓子作りが盛大に行われていた。
「あらら……いいですかウィンターさん、お料理は化学です。分量と火加減と時間を正確に、手順を間違わなければ誰でもおいしいお菓子が作れますよ、頑張りましょう」
「オー、ノーゥ!! ちまちまと正確に量りながら作るなど、この私に出来るワケがないでスノー!!!」
堂々と自分のダメっぷりを宣言してはばからないウィンターもいっそ潔いと言えるかもしれないが、それで済ませてしまっては問題が一向に解決しない。
「ですが、やはりお料理……特にお菓子は分量や手順を間違えると取り返しがつきません。私も手伝いますから……もう一度最初から、ね?」
「うう……愛情とかを込めるのはワリと得意でスノー。その辺の工程はどの辺でスノー……?」
「あ、それは最後ですので」
「ううう……わかったでスノー……頑張るでスノー」
ウィンターにしては珍しく素直に従った。
いつもなら料理上手なベアトリーチェに全部任せて、自分は食べる専門だとばかりによだれを垂らすのが普段のウィンターなのだが。
「……やっぱり難しいでスノー……でも頑張るでスノー」
その様子を眺めるベアトリーチェの頬に、自然に笑顔が浮かんでいた。
「ええ……私も頑張って教えますから……ウィンターさん達も一緒に頑張りましょう。何しろ今日は……」
窓から外を眺めるベアトリーチェ。抜けるような青空は雲ひとつなく、気持ちのいい風が吹いていた。
ウィンターの分身たちがキッチンを所狭しと走り回る中、ベアトリーチェはひとり物思いにふけった。
あの二人も今頃、頑張っているだろうかと。
☆
「よいしょ……っと。じゃあ、これで全部だね。お疲れ様ー」
その二人、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)とコハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)は声を上げた。
「では、よろしくお願いしまーす!」
元気の良い声を残して、引越し業者のトラックが去っていく。
今日は二人がツァンダ郊外に建てた家に、荷物を運び込む日だった。実際に住むのは結婚してからの予定だが、そのための準備はまだまだある。
6月には結婚を予定している若い二人の新しい家、それがこの家なのだ。
まるで絵本から抜き出したような、可愛らしい二階建ての新居。中は最新の設計で住みやすく作られているが、外観は自然な風景に合うように出来ている。
窓からのどかな景色を眺めると、やや遠くにカメリアが住んでいる山が見える。街にも山にもほどほどの距離を保った家は、街と自然の生活を満喫できる良い環境であった。
「ふぅ、ちょっと休憩しよっか!」
美羽は額の汗を拭ってコハクに明るい笑顔を向けた。見上げれば昼下がりの空は抜けるように青く高く、木々の枝を揺らす風は爽やかな新緑の薫りを運んでくれる。
いい季節だった。
「そうだね、コーヒーでも淹れようか――えーっと、マグカップはどこだったかな……」
新居のキッチンに積まれたダンボールの中を探す未来の夫の横顔を眺めながら、美羽は何ともいえない幸せを噛み締めていた。
「あ、これだよきっと。新品の中にある筈だもん」
美羽がダンボールの中からペアのマグカップを取り出す。
「じゃ、洗っちゃうね。コハクはお湯、沸かしてくれる?」
すでに業者には連絡済みだ。水が出ることを確認してから、美羽はエプロンを着けて洗い場に立った。
「……」
コハクもまたヤカンに水を張りながら、マグカップを洗う美羽の横顔を眺める。
平和で、満ち足りた光景だった。
「ふぅ」
ダイニングの椅子に座って、二人でコーヒーを飲んだ。
一階の天井は高く、ふんだんに光を取り入れられる構造になっていて、明るくて開放感がある。
「お疲れ様、コハク」
美羽は業者と共に大型家具を運び入れたコハクの労をねぎらった。コハクも笑顔を向けてそれに応える。
「美羽こそお疲れ様。まぁ、まだこれから荷物を解かないといけないけどね」
とはいうものの大型の家具は引越しの際にほとんど新調し、身の回りの物も大体はペアで揃え直したものがほとんどだ。
新品を出してしまえば、それぞれのアパートから持ってきた個人の荷物などを解くのには、一日もかからないだろう。
「あ、そうだ。新しいベッドシーツに少し風を通しておきたいから、先に敷いちゃいたいんだよね」
「――うん、じゃあ先にそっちやっちゃおうか。手伝うよ、美羽」
休憩を終えた二人は二階の寝室に上がった。そこには、まだシーツも敷かれていないダブルベッドがある。
「よいしょっと……コハク、そっち押さえて」
「うん……こう?」
「うん、ありがと……よっと」
二人で協力して広いベッドにシーツを敷いた。眩しい陽の光を浴びた清潔な白いシーツは、これからの結婚生活を輝かしく祝福してくれているかのようだった。
「んじゃ、ついでに枕とかパジャマも用意して……あっ」
コハクが荷物を取りに行こうと背中を向けた時、美羽がいち早くベッドにダイブした。
「へっへー、一番のりーっ!!」
柔らかくふかふかのベッドは、軽い美羽の身体をやすやすと受け止める。
「もう……遊んでちゃ終わらないよ、美羽」
「へへ……あれ? コハク、何か聞こえない?」
「……いや? 別に何も……もう、そうやってすぐごまかすんだから、美羽は」
一応たしなめるように言うコハクだが、別に今日中に終わらせなければいけないわけではない。真新しいベッドに転がる美羽を見ていると、新品のベッドの抗いがたい誘惑に引き込まれていく。
「……えいっ」
軽く跳ねるように、美羽の隣に飛び乗ったコハク。
「へへー、気持ちいいでしょ?」
「……うん……」
窓から差し込む陽光の中、のんびりとベッドに寝転がる二人はゆるやかな時の流れを楽しんだ。
まるで、この世界に二人だけしかいないような、幸せな錯覚。
そういえば。
ふと、美羽の脳裏に当たり前の未来がよぎる。
結婚したら、毎晩このベッドで寝るんだよね――と。
ついその時のことを想像して、頬を赤らめる美羽。
「やだ、私ったら……」
赤くなった顔を見られたくなくて、コハクに背を向けて転がる美羽。しかし一度考え始めてしまうと、なかなかそれを止めることは難しい。ドキドキと高鳴る胸をきゅっと押さえ、美羽は目をつぶった。
「――美羽」
ふと、コハクの声がして美羽は振り向いた。
「――あ、コハク……」
気がつくといつの間にかコハクが美羽の顔を覗き込んでいる。美羽が身体を上に向ける間に、コハクの両手が美羽の頭の横に置かれた。
つまり、ベッドの上で美羽の上にコハクが覆いかぶさっているような状況である。
見ると、コハクの頬も少し赤い。
「――美羽……」
少しずつ。少しずつコハクの顔が美羽へと近づいていく。
「――コハク……」
コハクも自分と同じことを考えて、同じ気持ちになったということが、美羽はとても嬉しくて。
伸ばした両手は、自分からコハクを抱き締めていた。
「ん……」
ベッドの上で抱き合った二人は、どちらともなく優しいキスを交わす。
「あむ……うん……」
いつものキスより、今日はちょっとだけ深く。
「あ、コハクぅ……」
切なげな美羽の声がコハクの耳に響いた。
「美羽……」
その声はコハクの耳から入って体中を駆け巡り、ほんのちょっとだけコハクの理性を溶かした。
「……あん……」
美羽に抱きつかれながら、コハクの手が自然に美羽のミニスカートの裾に触れた。
一瞬、ぴくりと美羽の身体が緊張した気がしたが、コハクの首に回された手が解かれることはない。コハクは続けた。
ちょっとだけ、指先が美羽の細い脚を滑る。
「……はぁっ……」
少し、また少し美羽の声が耳に届くたび、媚薬のようにコハクの神経が麻痺していく。
ついにコハクの指先がスカートの中にそっと侵入した。
「あんっ!」
ぴくりと、抱きつかれた手に力が入る。慎重に指先を運んできたコハクだが、いよいよここに来て、そうも言っていられなくなった。
「美羽……!!」
少しだけ強引に唇を塞ぎ、空いた片腕で美羽の愛おしい身体を抱き締めた。
「ん……コハク……あ、や……。あうぅ……んんぅ……」
美羽の細い脚の根元、スカートの一番奥に優しく触れながら、コハクは美羽の甘い声を楽しんだ。
「……かわいいよ、美羽……」
抱き締めながら、すがりつくような美羽の耳元に唇を寄せる。
「ああ……コハクっ……!!」
そっと、美羽のブラウスのボタンにコハクの手が伸びた。
どんがらがっしゃーーーーーーんっっっ!!!
「えっ!?」
「あっ!?」
突然、二階建ての新築を揺るがす轟音と振動が響いた。
あまりにも典型的な落下音に慌てる二人。
「な、何だっ!?」
コハクはベッドから立ち上がり廊下に出ようとする。美羽は咄嗟に衣服の乱れを直しつつ、周囲を見渡した。
そして――。
「――コハク、あれっ!!」
「美羽っ!?」
美羽の呼び声に素早く振り向くコハク――そして見た。
窓にべったりと、赤い子供の手形がつけられているのを。
「あ、ああ……!!」
「な、なんだ……あれは……!?」
だが驚く二人をよそに、その手形はひとつ、またひとつと増えていくではないか。
「ひぃっ!!」
思わず叫び声を上げる美羽。その時、窓の外からポツリと呟きのようなものが聞こえた。
『ミツケタ……』
それを皮切りに赤い手形が次々と増えていく。ふたつみっつよっつ……。
「きゃあああぁぁぁっ!!」
たまらず、美羽が叫び声を上げた。
「うわああぁぁぁぁっ!!」
黙っていることが出来ず、コハクもまた声を上げる。
そして窓が子供の手形で真っ赤になった頃、もう一度窓の外から声が聞こえた。
『ミツケタ……ミツケタ……ヤット……やっと見つけたでスノー!!!』
「……え?」
☆
「……つまりえーと……あの手形はウィンターだった……と」
ややあって落ち着きを取り戻した美羽とコハクは、新居の一階でお茶を飲んでいた。
「……びっくりさせてすまなかったでスノー」
ウィンターは素直に謝った。
「でも、何回か呼び鈴を鳴らしたんですけどね……? 聞こえなかったんですか?」
ベアトリーチェは不思議そうに首をひねった。
「あ、あははは……何かしらねぇ? さっそく壊れちゃったのかしら?」
「あ、はははは……そうかもしれないねぇ、後で業者さんに頼んでおかなくっちゃ!!」
美羽とコハクは、まさか二階のベッドでイチャイチャしていたのでベルの音に気付きませんでしたとは言えず、笑って誤魔化すことにした。
要するに、ベアトリーチェとウィンター達は美羽とコハクの新築祝いにやってきたが、いくら呼んでも返事がないため、窓からウィンターが様子を見に行ったのである。
やっと二階の窓から美羽とコハクの姿を見つけたウィンターは、窓に手をたたきつけて二人を呼んでいたのだった。
「……あの赤いのは?」
「ここに来る途中、木イチゴがたくさんなっているところを見つけたのでスノー!!」
手ぐらい洗え、と。
「なんで、あんなにいっぱい……?」
「あ、荷物が多かったから最大に分身していたのでスノー」
その数、総勢53体。
「じゃ、じゃあ、あの轟音は……?」
美羽の問いに答えたのは、床に寝そべるカメリアだった。
「うん、まあその……驚かせてすまなかったの」
うつぶせに転がったまま、器用に顔だけを二人に向ける。
「ま、まあ驚きはしたけど……大丈夫?」
「だ、大丈夫……もう少し時間をおけば……」
つまるところ、カメリアは二人を驚かそうとして煙突からの侵入を試み、足を滑らせて落下したのである。
一階のリビングにつながる煙突の中を落下したカメリアは、二階建ての新居を揺るがす轟音を立てつつしたたかに腰を打った、というわけだ。
「いや、な……ベアトリーチェに二人が結婚することになったと聞いたもんで、儂なりに祝いをと思って……おめでとう、二人とも」
苦しげにうめくカメリア。その横からウィンターが口を挟んだ。
「そうなのでスノー!! 私もベアトリーチェに料理を習ってお祝いをいっぱい作ってきたのでスノー!!
そしてお引越しもおめでとうなのでスノー!!」
「そ、そうなの……ありがとう、二人とも……」
「うん、気持ちはとても嬉しいよ……ちょっとびっくりしたけどね」
美羽とコハクは戸惑いながらも、カメリアとウィンターの祝福を素直に受ける。
しかし。
「で……この量?」
「……一応、止めたんですけど」
呟く美羽に苦笑を浮かべるのはベアトリーチェだ。
何しろ、総勢53体のウィンターがそれぞれにお菓子や料理などの手作り品や、食器セットなどのお祝いの品を持ってきたのである。全部並べるとリビングの床が見えなくなるほどの量だった。とても二人で処理できるものではない。
「ですけどまぁ、大丈夫だと思いますよ?」
ベアトリーチェは困惑する二人をよそに、これはケーキでこれはパイで、こっちはシュークリーム、あちらは肉料理、と解説するウィンターを微笑ましく眺めた。
「……なるほど」
その意味はすぐに理解できた。
分身したウィンターが一人ずつ何かしら持ってきたので、美羽とコハクがひと口ずつ食べたら、あとはウィンター自身が残りを食べてしまうのだ。
「おいしいでスノー!! こう見えても私は頑張ったのでスノー!!」
自分で作って自分で食べて喜んでいては世話はない。しかし、細かい料理やお菓子作りなどは苦手であろうウィンターがこれほどまでに料理を作ってきてくれたことが、二人は嬉しかった。
「本当においしいよ。ありがとう、ウィンター」
コハクは一人ずつのウィンターに飲み物を淹れて、その労をねぎらった。褒めてもらえてお菓子も食べられて、ウィンターはご満悦である。
「ふふふ……私にかかればこんなものでスノー」
胸を張るウィンターに、ベアトリーチェは優しく微笑みかける。
「あら、じゃあ今度は一人でも作ってみてくださいね」
「無理でスノー」
「即答ですか……でも、本当にウィンターさんは頑張りましたね。いつもならすぐに投げ出してしまっていたでしょうに」
「……それは……美羽とコハクのお祝い、したかったのでスノー」
自分で作ったケーキを頬張るウィンターの横顔に、ベアトリーチェは目を細めた。コハクと美羽を始めとするコントラクターとの付き合いを重ねるうち、少しずつウィンターも成長していたということだろう。
「……それで、儂からはコレじゃ」
ようやく痛む腰をさすりながらカメリアは立ち上がり、美羽とコハクに祝いの品を差し出した。
「わぁ……ありがとう!!」
安産のお守り。
「……ちょっと……気が早くないかな……?」
コハクは滝のような汗を流しながらカメリアに呟く。まさか先ほどの寝室のアレを見られたわけではあるまいが、このタイミングでこのお祝いは心臓に悪い。
「ははは、そう言うな……あと、一応こっちも」
カメリアが差し出したそれは、神社のお札のようなものだった。
「これも……お守り?」
美羽がよく見てみると、そのお札には『椿神社』と記されている。
「いやな……最近儂の住処を訪ねては勝手に拝んで行く者が増えての……何のご利益もないというのになぁ。
それで、何も置いてないのも悪いから今度から何か作ってみようかと、な。――それはその試作品みたいなものじゃ」
「へぇ……ありがとう、カメリア……あれ?」
美羽がお札を眺めていると、白く薄い紙に包まれたお札の裏に、何枚かの紙が入っているのが見えた。
「ああ、それな。お札に何を書いてよいか判らんかったんで色々入れてみたんじゃ、困った時には開けてみるがええ」
「ふふ……そうなんだ……」
と言いつつ、美羽は中から何枚かの紙を取り出して眺め始めた。
『がんばれ』
「――なんというか、抽象的だね」
軽い戸惑いを覚える美羽に、カメリアは澄ました顔を向けた。
「人生そんなもんよ」
『おかしいな、と思ったらまず病院へ』
「あはは……ありがたい御神託というより、生活豆知識みたいね」
「御神託なんかより、そっちの方が役立つじゃろ」
『朝起きたらまず太陽に挨拶』
「……なぁ、美羽」
「え、なぁに、カメリア?」
美羽が『我慢する前に旦那の尻を抓れ』と書かれた札を取り出したあたりで、カメリアが口を開いた。
「ここに家を建てたということはの、少なくともしばらくここに住むんじゃろ?」
「うん、そのつもりだよ」
「そうか……ふふ、それは楽しみじゃ……ありがとうの」
「?」
美羽は読んでいる途中だったお札をまとめて、カメリアに向き直った。確かにカメリアの山に近いこの家での生活は楽しいものになるだろうが、特別カメリアに礼を言われるようなことはしていない。
「儂はな……二人がここに住んでくれることが嬉しいのじゃ。
この辺りにももうちょっと人が住んでくれれば、儂の山の付近にも人が増えるかも知れぬ。
そうすれば、もっと人が来るかも知れぬ――今は友人達が遊びに来てはくれているが、人が住むのとは意味が違う。
昔……そう、昔のように人が住んでおれば、また儂の元で遊ぶ子供達を見られるかも知れん」
「カメリア……」
「もちろん、二人の子供も楽しみじゃ。何しろ、その子にはこの地が故郷になるのじゃからな……まだ予定はないのか?」
「ははは、まだその予定はないよ。やっぱり結婚が先だからね」
だいぶ気が早いカメリアに、コハクが笑顔を向けた。
「そうか……若いうちに産んでおいた方がよいぞ?」
「ふふ……そうね、若いお母さんにも憧れる……かな?」
いたずらっぽい笑顔を向ける美羽。少し照れたようなコハクの笑顔。
「のぅ……いつか、いつかな」
「?」
「いつか……二人の子が、儂の――樹の下で遊んでくれるじゃろうか?
儂の樹が花を咲かせるのを眺めてくれるじゃろうか?
元気に木登りなどしてくれるじゃろうか?
儂はそれを考えると――もうたまらなく嬉しいのじゃ」
わくわくした表情で二人の子供がいかに楽しみか語るカメリアを眺めていると、美羽とコハクも自然に笑顔がこぼれてくる。
「そうね――楽しみね。きっと、カメリアの樹と仲良く遊ぶようになるよ、その時は……カメリアも一緒に遊んであげてね」
美羽のひと言に、カメリアは大きく頷いた。
「おお、そうかそうか。楽しみにしておるぞ」
と、ふと。
コハクが素朴な疑問を口にした。
「そういえばカメリア。どうしてわざわざ煙突から入ろうなんてしたのさ?」
その問いに、カメリアは答える。
「ん、そりゃお主――ちょっとサンタの真似事なぞしたくなったからよ」
そう言って、カメリアは両手で自分の髪をツインテールに纏めて見せた。ぺろりと赤い舌を出す。
「あ……」
二人は息を飲む。
それは、二人とカメリアが初めて会った時の記憶。クリスマスだ正月だと、世間が浮かれている寂しさに耐えかねて、カメリアが暴れ出したのがきっかけだった。
思えばそのころからカメリアは、進展しない美羽とコハクの仲をずっとからかってきたのだった。
「それがいつの間にか本当に結婚とは……時の流れは早いものじゃ」
「……そうだね」
「――美羽、人生は長い。儂はまだ幼い地祇で、人の生を体験したことはないが、それでも僅かばかり村の生活を眺めてきた。
人々は皆、困難や理不尽と闘い、時には折り合いをつけつつ生きておった。冒険や戦いで得られた力でも、どうにもならないことの方が人生は多いのじゃ。だが諦めずに、二人で手を取り合っていけば、どんなことも乗り越えられるじゃろう」
「うん……ありがと」
美羽とコハクの胸にもこみ上げるものがある。カメリアもまた二人と関わり続けてきたことで、得るものが多くあったのだろう。
「――さて、祝いの品も渡したことだしそろそろ帰るかの。ウィンター、おいとましようぞ!!」
腰を抑えながら歩くカメリア。コハクも慌てて立ち上がる。
「え、もう行くのかい? もうちょっとゆっくりして行きなよ、お茶くらい――」
「そうでスノー!! もっと遊ぶでスノー!! ベッドがすごい跳ねて楽しいでスノー!!」
二階からウィンターの分身が騒ぐ声が聞こえる。
「何を言っとるか、若夫婦の家に長居などするものではないわ、そのベッドは二人のものじゃぞ」
カメリアはコハクの制止も聞かずにスタスタと歩き、ドアの前で振り返るとニヤリと笑いながら告げた。
「――わしらがおったのでは、さっきの続きもできんであろう? 儂としては早く子供を産んで欲しいのでな――」
と。
「え、さっきの……って……」
「ま……まさか……」
みるみる内に真っ赤になっていく美羽とコハク。
「カメリアーーーっ!!!」
一拍おいて美羽とコハクの叫び声が、家を揺らした。
「ほっほっほ、メリー・エンゲージ!! 婚約おめでとーう!!!」
カメリアはケタケタ笑いながら家を飛び出していく。
見上げれば空は抜けるようにどこまでも青く、走れば髪を抜けて爽やかな風が頬を撫でる。
振り返れば、おとぎ話に出てくるようなかわいらしい家が見えて、山の頂上の古木からは、いつでもその家を眺めることができた。
その家はいつまでも、いつまでも続く二人の幸せを見守るように、そこに建っていた。
ずっと――そこに建っていた。
<結婚するって本当ですか?>END