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【特別シナリオ】あの人と過ごす日

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【特別シナリオ】あの人と過ごす日
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リアクション


花降るコンロン




 空は、晴れて欲しいと思った願いを聞き入れてくれたようだ。
 雲ひとつない、とはいかないが、日差しは柔らかい。

『ご結婚おめでとうございます。
 お二人が共に支えあい、末永く幸せな家庭を築かれることを願います』

 
 コンロン、ボーローキョーの一角。
 廃墟となった教会の入り口。
 緩やかに流れる風と共に、程よい暖かさに包まれながら、そんな友人からの電報に励まされながら、{SFM0032963#御茶ノ水 千代}は落ち着かなさを抑えるように深呼吸をひとつして、軽く空を仰いだ。

 婚約から二年半。
 迎える今日、セシル・レオ・ソルシオン(せしるれお・そるしおん)と結婚式を挙げるのだ。
(早かったような……長かったような……不思議な気分ですねぇ)
 セシルにナンパされてから、婚約に至るまで「まさか」の連続だったが、その集大成が、これだ。
 不意にこみ上げてきたものに、千代はくすりと笑みを零す。

 二十代の頃、年の離れた姉が結婚し、子供達との幸せな家庭を羨ましいと思い、憧れた。
 けれど、三十代も半ば、パラミタへやってきたことで、殆ど諦めもついていた。
 それが――まさか、四十も過ぎてから、現実としてやってくるとは、思っても見なかった。
 これだから、人生は判らない。千代は口元を綻ばせた。
(一男一女は欲しいところですねえ、にぎやかな方がいいですし)
 こればっかりは神様からの授かりものではあるものの、想像は自由である。浮かんでくる未来を想って心を弾ませる千代だったが、勿論、不安が全く無いわけではなかった。
 それは、セシルはどう思っているのか、だ。
 パラミタには、自分より若くて素敵な女の子は多いのだ。40も越えた自分でいいのか。もっとセシルに近い年齢の、もっと可愛いタイプの女の子だっているではないか。
 想いを疑っている、というのとは別の意味で、そんな不安は浮かびだすときりが無いもので、今日、この場に本当に来てくれるのだろうか、というところまでその不安は拡大する。勿論、そんな後ろ向きな考えも不安も、セシルの笑顔を見れば直ぐに吹き飛んでしまうことは判っている。それでも、女性と言うのは何歳になろうが同じ不安を常に心に抱いてしまう生き物なのである。
(ああ、やめ、やめ……)
 首を振って、もやつきだしたものを散らすと、千代は深く息を吸い込んで胸を押さえ、別のことを考えよう、と意識を逸らした。何しろ今日は、自分が主役の立場なのだから、暗い顔をしてはいけない。
 そう、今日は主役なのである。
 双方の家族を呼んでの式は、後々地球で行う予定なので、今回は二人きりの結婚式だが、それでも主役には間違いない。仕事だから、ということもあるが、公の場では基本的に秘書たらんと、ひっそり影のように気配を殺していることが多いため、二人きりとは言え「主役」の名前を関するのは、慣れないことも手伝って中々に気恥ずかしさがある。
(ふたりっきりで、ふたりとも主役なんですから、別に気にする必要も無いんですけど……、な、なんでしょうね、ドキドキしてきましたよ)
 それはそれで、落ち着かなくなってしまった千代は、再び深く息を吸い込んで、空を仰ぎなおした。
 青く覗く空に比べれば、女心は揺れて揺さぶられるものなのである。
 



 一方。
 新郎の方も、冷静沈着、と言うわけでは勿論なかった。
 エル・ソレイユの操縦席に収まったセシルは、千代と出会った頃を思い浮かべていた。

 出逢ったのは、もう、四年前のことだ。
 婚約したのさえ、二年半も前になる。
(ホント、千代には随分待たせちまった)
 申し訳ないと思うけれど、勿論セシルの方にも、待たせてしまったのには理由があるのだ。
 セシルは自分が「どうしようもねぇクソガキ」であることを自覚していた。
 変に世間擦れしてる割りに、感情がついていっていない。人間的には多少大人でも、男としての成長は見た目と同じ程度のところで止まっていた。要するに、斜に構えているだけのガキだった――と、今の自分はそう思うことが出来る。
 そんな心境の変化のきっかけは声変わりだ。止まったと思っていた身体の成長は、同時に心の成長への伸びしろを自覚させた。自分はまだ成長できる。体も、心も。そう思ったときに、それまでの自分が成長の止まっていたのだと気付いたのだ。
 気付いてしまえば不思議なもので、色々なものが吹っ切れて、世界がまたひとつ大きくなったのをセシルは感じていた。それを、成長と呼ぶのだろうし、大人になると呼ぶのだろうが、セシルにとってはそれが、千代と自分とを隔てていた壁の崩壊だと感じたのだ。
 そういえば歳の差なんてほとんど考えたことなかったな、と、千代の悩みとは裏腹な呟きを心中で漏らしながら、当時の自分を思い返して、セシルの顔には僅かに苦笑が浮かんだ。
(俺にとっては歳の差よりも自分のガキさ加減こそが壁だったからな……)
 けれど、それを取り払った今。心の底から胸をはって千代の隣に立てる。
 その手を引いて、走っていける。
 そんな確信と共に、セシルはエル・ソレイユの高度を下げたのだった。





 ひらり、と。
 落ち着かない気持ちで何度も空を仰いだ千代の視界に、それは見えた。
(……おや? 花……ですか)
 風に乗った花弁が、青空の中にひらひらと舞っている、と思った次の瞬間。
 それは吹雪のように一斉に空に広がり、色とりどりの美しい花が、雨のように千代の上へと降り注いだのだ。
「…………!」
 はらはらと音が耳を打つほどの大量の花が、空を包み、教会を包み、千代の見える世界を華やかに彩る美しい光景の中、それすら霞ませるようにして、花を降らせながら降下するエル・ソレイユから、セシルが飛び降りてきたのだ。
「待たせたな」
 驚きに目を見開いた千代の前へと着地を決め、羽織っていた、沢山の花弁が纏わりついたマントをばさりと脱ぎ捨てるなりそう言って笑うセシルの笑顔はまさに太陽のようで、千代は先程まで自分の抱いていた杞憂が全て砕けて消えるのを感じていた。
 普段の改造衣装とは違って、正統派でシンプルな純白のタキシード。端正な顔立ちによく映え、何よりやっていることこそ派手ではあっても、向き合う意思が真剣であることを教えてくれる。
 そしてセシルのほうも、千代の出で立ちに、うるさいくらい心臓が音を鳴らすのを聞いていた。
 肩が出て、ウエストを絞ってあって、裾は長い。型としてはオードソックスで、過度な装飾の無いシンプルなものだが、それだけにシルエットは美しく、可愛いものや豪華なものとは一味違った、大人の女性にしか出せない凛とした華がある。
 お互いに、普段とは違う相手の姿に見蕩れること数秒。こほん、とどちらともなく照れ隠しにわざとらしくせきをすると、セシルが恭しく片膝をついて、千代にブーケを差し出した。
――それは古いヨーロッパの習慣で、男性は女性の家までの道のりで摘み集めた花を花束にし、結婚の申し込みとともに女性に差し出し、結婚を受け入れる女性は、その花束から一輪抜いて、ブートニア――新郎の左胸につけられるコサージュのことだ――として男性の胸に挿した、という由来から、現在ではその一連の流れそのものや、式中などにプロポーズを再現することをそれに含めたものがブートニア、と称されることも多い――が、二人の間に、プロポーズを再現する必要など無く、千代は微笑んでその意図を汲むと、受け取ったブーケの中から、その髪色にもっとも近い花を選んで、一輪、セシルの左胸へとさした。
 お互いに、言葉は無く、ただ微笑みあっただけだが、それで充分。胸に広がるものを抑えながら、セシルは腕を差し出し、千代はその腕を取ったのだった。


 そうして――セシルにエスコートされた教会の中は、誰の人影も無い寂しいものだった。
 進行役も神父も、証人になる者も、誰もいない。打ち捨てられて、廃墟と化したそのままの姿だ。
 けれど、それは、それこそが二人で選んだ場所だ。
 胸に去来するのは、そんな外見の寂しさなどではなく、この場所を共に歩く、互いへのこれまでとこれからの想いだけで、向かい合ったその瞬間に、他の全ては二人のためだけの最高の舞台と化していく。
 ごく自然と微笑みあった二人は、これもまたごく自然に、距離を詰めると、先ずセシルのほうから口を開いた。

「多少様変わりしたって、俺はどこまでも俺のままだ。
派手好きの祭り好きだし、いつも騒がしいし、とんでもねぇことやらかすと思う。
面倒かけることも、大変な目にあわせることも、きっとあると思う」

 最初は自然な調子で話していた口調が、段々と弱気な部分を微かに見せ、照れくさそうに頬をかいた。
 それをヴェールごしにくすりと笑みを零す千代の様子に、躊躇いも全て消えて、ただ言葉はあふれるようにしてセシルの口から流れていく。

「だけど、それでも俺と歩いてくれるって、ついてきてくれるって、信じてるから。
 千代もきっと、いつまでも千代のままでいてくれると思う。
 俺にはそれだけでいい」

 華美で飾った言葉でも、流麗な言葉でもなく、ただただ素直で、ただただ真剣な声音が、心地よく千代の耳と胸を打った。他のどんな素晴らしい言葉よりもずっとずっと、セシルの言葉が心に響く。胸に広がる暖かな心地に、目が潤みそうになりながら言葉に耳を傾ける千代に、セシルはひとつ呼吸を置いて、決意と思いを、矢張り素直にその言葉に乗せた。

「そのままで、お前らしいままで、ずっと、俺の傍にいてくれ。
 そんな千代を愛してる。……生涯、愛すると誓う」

 言葉が胸を打ち、体全体に染み込んで来るのを感じながら、千代もまた、自然と湧き出てくる言葉をそのまま、そしていくらか、途中で噛んでしまわないか、と緊張しながら、その唇を開いた。

「セシルさん、千代はいつまでもいつまでも……生涯変わることなく、愛し、付き従うことを誓います」

 言葉はセシルの胸を満たし、埋まらなかった心のどこか、成長したその体の一部へ嵌りこむように広がって、指先がベールを押し上げきるのもそこそこ、薄化粧に彩られた、大人の美しさを湛える千代の綺麗なその唇へと、誓いの口付けを落とし、また千代もそれに応えるのだった。



 そうして、滞りなく式を終えて、セシルのエスコートで教会を出た二人を待っていたのは、いつの間に集ってきていたのか地元住民――と言うより亡霊たちだった。セシルがエル・ソレイユで派手に登場したのだ、それをみて集ってきているのかもしれなかったし、長くコンロンに駐在していた千代を祝おうとしてのことだったのかもしれない。兎も角も、二人にとっての観客には違いない。
 セシルと千代は顔を見合わせてくすりと笑うと、得たり、とばかりに千代はえいっと気合と共に、手にしたブーケを高く投げた。青い空に鮮やかな花々が映え、空気を美しく彩る。

「この幸せ、永遠なれ!」

 千代が空へと投げた言葉に、セシルの太陽のような微笑みが眩しく輝いたのだった。




―― FIN