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【DarkAge】空京動乱

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【DarkAge】空京動乱
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リアクション


●On the Road Again

 夜になると傷が疼く。
 外傷ではない。刀傷、銃痕、火傷に凍傷。それこそ無数にあるものの、いずれもすでに痛みを感じるものではなくなっている。
 真新しい傷は、心の傷。
 ――月夜が死んだ。
 樹月 刀真(きづき・とうま)が心に負った傷口は、大量の冷たい血を流し続けていた。
 どくどくと流れる見えない血は床に溜まり、うずくまる刀真の膝を浸し、やがて海のようになって彼を呑み込む。
 ――俺のせいで死んだ。
 透明な赤い海に刀真は溺れる。
 ――俺がどうしようもなくなってからも変わらず傍にいて支えてくれたアイツが、結局俺のせいで死んでしまった。
 逝く瞬間、漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)の唇は何かを訴えるように動いた。刀真はそれを見た……と思う。それほどに幽(かす)かで、それほどに短い動きだった。
 けれど月夜が、焦点を失いつつある瞳で必死に刀真を見ようとしていたことだけは判る。
 彼女は何を伝えようとしていたのだろう。
 どんな言葉が、そこに在ったのだろう。
「刀真……」 
 はっとなって刀真は顔を上げた。
 血の海に溺れるイメージは消え失せていた。
 そこは彼が、以前からねぐらにしていた廃墟の一室だ。
 寒々しいコンクリートの柱と壁、窓の外には夜のパラミタ。星はなく、月の光もおぼろだ。
 呼ばれた気がした。声が聞こえた、と思う。
 されど彼にとって現在唯一のパートナー封印の巫女 白花(ふういんのみこ・びゃっか)は、出たまままだ戻っていない。
 ということは、
「月夜か……! 月夜なんだな……!」
 刀真は立ち上がっていた。月夜が死んだなんて夢だったのだ。彼女は今もそばにいて、世話を焼いていてくれる……そのはず……。
「刀真さん」
 部屋の扉が開いていた。
 夜を背景にして一人の女性が立っている。
「月夜……!」
 振り返った刀真の顔には笑みに似たものがあった。くしゃくしゃにした和紙の、皺のようなものだったが。
「私です」
 彼女の背は、月夜とそれほど変わらない。
 けれど髪の色は白に近い金色で、瞳も黄金の色だ。いずれも赤みがかった黒の月夜とはまるで違っていた。
 白花だった。
 彼女は顔を伏せ気味にして、足元に視線を落としていた。
「私、なんです……」
 申し訳ない、と言わんばかりの口調だった。
「白花か」
 冷や水を浴びせられた気分だ。刀真の目から、急速に生気が失せていく。
「話を、聞いてきました」
 生物の姿が見えぬ沼に素足を浸けるかのような口調で白花は言った。
「レジスタンスのところに、です。無断で行動したことは謝ります」
「構わない」
 言いながら、刀真は自分の額に手を当てた。前髪を指の間に挟む。ぐっと引いて梳くようにする。銀の髪はさらさらと流れた。
「レジスタンスに協力するというのか」
「ルカルカさんたちには計画があります」
 刀真はしばし口を閉ざし、白花ではなく、白花を透過して荒廃したパラミタと夜空を同時に眺めるような眼をしていた。
 だがやがて、言った。
「そうだな、このまま嘆いてうずくまっていても、月夜に怒られるだけだ」
 刀真の目に力が戻っていた。
 もしかしたら――と白花は思った。
 ――もしかしたら刀真さんは、あの一瞬だけ、月夜さんと話をしていたのかもしれない。
 刀真は腰に手をやった。
 剣はいまもそこにある。
 重みも、金属の冷ややかさも感じる。


***********************


 よう、と軽く挙げた彼の右腕がひどく細くなっていることに気がついて、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は思わず涙ぐんでしまった。
「どうした? カンドーの再会、ってやつか?」
 彼は照れ隠しのように笑った。かつて、制服を着ていてもわかるほどパンパンに張っていた胸板もすっかり薄くなり、顔には頬骨が浮いていた。顔も土色だ。せっかく矯正した視力もふたたび衰えたのだろう。以前のように眼鏡をかけている。
 それでも、彼は山葉 涼司(やまは・りょうじ)だった。
「俺の胸に飛び込んで来てもいいぜ……と、言いてぇところだが、ごらんの通り弱っていてな、それはやめておくわ」
「もう! 死んだと思ってたんだからね! 何年も……」
「俺はしぶといんだよ」
 ぐるりと周囲を見回して涼司は言った。
「皆と同じでな」
 数は多くない。決して、多くない。
 だがそこには、蒼空学園の制服姿が揃っていた。いずれも誇りのように、それを脱ぐことを認めなかった者たちだ。両手があれば十分数えきれるほどの人数、いずれも制服はボロボロで、汚れてもはや原形をとどめていないものも珍しくない。
 裸電球ひとつしかない薄暗い地下倉庫、ここに彼らは集っている。照明の暗さは、彼らの服装の惨憺たるありさまを覆い隠すどころかむしろ助長しているようにも見えた。
 だがそんななか一人だけ、まるで現役学生のように綺麗な制服姿の青年があった。
 美羽のパートナー、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)だ。花も恥じらうような美青年、いや、戦士ゆえ美丈夫というべきか。白い右の翼、光が実体化した左の翼、いずれもクランジ戦争前から変化なく、時の経過が彼だけ避けていったかのように見える。
 コハクは右の拳を心臓の上に当て、すっくと直立して述べる。
「ご帰還を祝します、山葉校長。僕らはツァンダ解放戦線、元蒼空学園生による抵抗組織です。リーダーは美羽、これまでずっと各地で、ツァンダをクランジから取り戻すために戦ってきました」
「ルカルカ・ルーたちからおおよそのことは聞いてる。……帰還、か。嬉しい言葉じゃないか。大げさじゃなく、古巣に戻ってきた気がするぜ」
 エデンから解放された涼司はこの日、レジスタンス本流と協力関係にある組織『ツァンダ解放戦線』と合流を果たしたのだった。ここまでの道のりにおいて、レジスタンス本隊の護衛を受けてきたのはいうまでもない。
 解放戦線のメンバーはここに見えているだけ。かつてはもっとずっと大人数だったが、転戦を繰り返しながら大きく人員を減らし、たったこれだけになっている。戦死者、脱落者はもとより、途中で心が挫けた者との別れもあったという。現在も独立は保ち名前も存続しているとはいえ、もはや解放戦線はレジスタンスにおける一部隊のような立場で、遊軍的な存在となっている。
 なお彼らは一週間前のエデン攻略戦には加わらなかったが、その周辺の戦闘で本隊を支えていた。
 戦果はあった。活動は前進した。
 されど、このとき周辺戦でやはり犠牲者があり、ますます解放戦線のメンバーは減少している。士気の低下は否めないものがあった。
 だがそれも今日限りだ。
 蒼空学園の旗頭だった涼司は、今でも元蒼空学園生たちにとって心のよりどころなのである。いわば、消えかけていた焚き火に、強い固形燃料が投入されたようなものだ。炎は一気に燃え上がっていた。
「校長」
 と進み出たのはベアトリーチェ・アイブリンガー(べあとりーちぇ・あいぶりんがー)。美羽のもう一人のパートナーである。
「みんな、『校長』と呼んでくれるのは嬉しいが、あいにくと蒼学がもうねぇんでな。……『元校長』だよ」
 しかしベアトリーチェは首を振った。
「いいえ。私たちが再興を諦めない限り、それでもあなたは私たちの校長です!」
「私だってそうだよ、涼司」美羽は目を拭って涼司を見上げた。「私だって『元』じゃなくて現役で、『蒼空学園のアイドル』なんだからね!」
「ではアイドルにしてリーダーの美羽に問いたい」
 涼司は笑っていたが、眼差しは真剣だった。
「レジスタンスはいよいよ、空京陥落を狙うという話だったな。これに応じたツァンダ解放戦線の……いや、俺たちの動きを教えてくれ」
「もちろん計画済みよ」
 美羽は腰に手を当て、にっこりと微笑んだ。
 美羽の制服は痛みが激しく、片側の袖はなくなっていた。
 されどそれでも、こうして笑顔になれば、それはまさにアイドルの笑みであった。
「ただ、涼司、その前に聞きたいことがあるんだけど、いい?」
「おうよ」
「私たち、今でも親友よね?」
「そういう質問には……言葉で答えるべきじゃねぇよな?」
 すると涼司は、開いた右手をぐっと差しだしたのである。
「これが答だ」
「うん! わかった!」
 パンと音を立て、美羽は彼の手をしっかりと握った。
 涼司の手はずいぶんと肉が落ち、骨張ってすらいたが、そこに込められた力には美羽の身が震えるほどの生命力が感じられた。