|
|
リアクション
■ 鈴の思い出 ■
神楽坂 翡翠(かぐらざか・ひすい)が実家に到着したのは、予定時間を大幅に過ぎた頃合いだった。
「一体何をしていたんだ?」
一向に到着しない翡翠を待って門まで出ていた不知火 翔が、姿を見るなりつっかかってきた。翡翠の補佐をしている翔だが、周囲に親しい者しかいない時は丁寧な言葉遣いはしない。
「すみません。本当ならもっと早く着くはずだったんですが、まさか列車が車両トラブルを起こすとは思いませんでしたよ」
乗っていた列車が車両トラブルで徐行運転。そこから最寄り駅で乗り換えという難儀にあった翡翠は疲れた様子で笑うと、翔の隣にいる不知火 香織に目を留めた。
「おや、香織もお久しぶりです」
「お帰りなさいませ」
香織は丁寧に頭を下げると、さあと翡翠の腕をとった。
「そろそろ先方が到着しますのでお支度を」
「え? あの……支度とは一体何の……?」
事情が飲み込めないうちに翡翠は部屋へと引っ張って行かれ、着物に着替えさせられた。
「ではくれぐれも失礼のないようにお願い致しますね」
「あの、もう少し説明してもらわないと事情がさっぱり分からないんですが……」
混乱しているうちに、翡翠は香織に客間に連行されてしまった。
「神森様、お待たせして申し訳ありません」
「いえ、こちらこそ帰宅早々にごめんなさい」
香織に答えて立ち上がったのは、着物姿の女性だった。年齢は翡翠と同じくらいだろうか。
「神森 静です。本日はよろしくお願いいたします」
きょとんとしていた翡翠は香織につつかれて我に返った。相手が名乗っているのだから、自分も名乗るのが礼儀だろう。
「神楽坂翡翠です。あの……」
「本日は気兼ねない顔合わせですから、後はどうぞお2人でごゆるりとお過ごし下さいませ」
失礼します、と香織はさっさと退出してしまった。
「え?」
これはまさか……見合い?
気づいた時には翡翠は静と2人、客間に残されていたのだった。
すぐに場を立ち去るのも大人げないかと、翡翠はしばらく静と会話をして過ごした。
静は翡翠の父方の遠い親戚だと言うことで、やはりこれは見合いだった。自分の露知らぬ所でセッティングされた見合いの場に苦笑しきりで、翡翠は静を庭へと誘った。
翡翠の帰宅が遅れた為、日本庭園はもうとっぷりと暮れている。
蛍の舞う最高のシチュエーション。
けれどそこで紡がれる翡翠の言葉はそっけなかった。
「この家は見た目以上に古く、しがらみやら闇が濃いのです。それを背負う覚悟が無ければやめた方が良いですよ。神楽坂家に関わらず、他の人と幸せにどうぞ」
「あの、それは……無理だと言うことでしょうか?」
断られたのかと尋ねた静は、不意に何か嫌な気配を感じて鳥肌を立てた。
「ここも闇は深い……ほら、こんな風に」
翡翠は扇を開くと、静にまとわりついていた悪しき霊をはたき落とした。その動きにつれて、扇についていた鈴がちりちりと鳴る。
「新手が寄ってこないうちに、早く戻った方が良いですよ」
そう言って翡翠は静を残して去っていった。
ひとり残された静は呆然としていたが、はっと懐を探る。
そこには翡翠の扇についていたのと同じ鈴があった。
それは静が小さかった頃。
他の人には見えない黒い影に怯えて泣いていた静に、男の子が言った。
「君にも見えるんだ、この黒い物。それならこの鈴、片方あげるよ。術をかけたから、少しはマシになるはずだよ」
もらった鈴を握りしめると、確かにさっきよりも影が薄くなっている。
「ホントだ。もう怖くない。お兄ちゃんありがとう」
また会えるよねと言った静に、男の子は約束だと指切りしてくれた。
結局、その男の子とは会えなかったのだけれど。
「うそ……あの鈴、彼なの?」
もう二度と会えないと思っていたのに。
静は手に痕が付くほどに鈴を握りしめた――。
見合いをぶち壊した翡翠は案の定、翔から小言を食らうこととなった。
「おかげで俺が長老どもの小言の演説くらったじゃないか。これ終わるまで休憩無しな」
大量の仕事を翡翠の前に積み上げる翔に、香織がくすくすと笑う。
「お兄様、あまりいじめて倒れたら大変ですわよ。無理をするのは得意なんですから、翡翠様は」
「しかし……翡翠も幸せになってもいいと思うがな」
何も無下に断らなくともと言う翔に翡翠は微笑んだ。
「うちはかなり辛いことも多いですから、傷つけたくないんです」
見合い話はそこで立ち消えになったかと思われたが、これには後日談がある。
鈴によって翡翠をかつての男の子だと知った静は、破談にするどころか翡翠との婚約を望んだ。
「この鈴、覚えてますか? やっと会えたんですから諦めません。それに、女の方が色々強いことも有ります」
静から鈴を見せられた翡翠は懐かしそうに目を細めた。
「これはあの時の? ちゃんと御守りになっているようで……」
翡翠が言い終える前に、静は翡翠に抱きついた。
「放しません! やっと会えたんですから。ずっと好きだったんですから」
これも縁というべきか。
積極的な静とそれに驚喜した長老たちによって、翡翠と静の婚約は異例の早さで整えられることと相成ったのだった――。